脳のセルフプレジャー

別に考えなくても問題が起きないようなことをウダウダ考えるだなんて脳のセルフプレジャーに過ぎない。普通に考えがグルグル回ってしまう人は割といると思う。ただ僕はさらに強迫観念的にスマホのメモ帳にメモってしまう。スマホのフリックで気軽に打ち込めるからさ。そういう技術がなければ諦めてるよ。字が汚いし。思考のスピードで紙に書くと後から見て自分でも読めない字になってしまう。げんに小学生の頃とかもそういうことをしたかったけどスマホを持ってなかったからしなかった。でも今はできるわけだからしてしまう。なんか忘れてしまうのが怖くて。勿体ないと思ってしまう。自分の思考の軌跡にそんな価値を感じてるのは自分で自分を買い被り過ぎだと思うけどさ。虚無主義カンストしてからもそれは変わらない。多少マシにはなったけど。脳のカウパー氏線液を保存しておきたいという欲求が強いということ。で、時々インターネットに放出するに値すると思えるメモが発生する。これが脳の射精だと思う。このセンテンスだって脳の精液なんだ。まぁこれはブログだけど、たとえばツイートって出し切ったなと思っても翌日にはまたポンポン湧いていたりする。むしろあんまり制限なくしていると、沢山する習慣がついてしまう。極めて射精に似ている。頻度を全く制限しないと一回一回の質が頗る悪くなることがある。こんなとこまで射精に似ている。いや、本当に似ていると思わないか?やっぱり生産性のない思考って脳のセルフプレジャーなんだよ。生産的じゃないって面白くないってことじゃない。たとえば哲学なんて脳のセルフプレジャーだと思う。タレス以来、ここまで哲学が高度に発達したのって脳のセルフプレジャーのリレーバトンが脈々と受け継がれていたからではないか。素敵なことだと思う。先哲たちは、脳から分泌された精液をさ、きちんと文献という形で煮詰めて残していたんだよ。その中でも特に後世まで残され、そして伝えられたエッセンスである凍結精子が未来の哲学の子種を生むための設計図になってる。人類ってすごいよ。やっぱり、多分。

煮詰めるって熱を加える感があって、それだと精子が死んでしまうから表現的に抵抗があったが、煮詰める以外に浮かばなかった

テレビスターが、夢だった。Q〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕

テレビスターが 夢だった。破〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/010705)の続き


【完璧主義の放棄】

認知の歪み、という概念をしっかり認識し出したのは3浪、つまり2020年のことだったと思う。色々要因はあるけど、FFの人がRTしてた人格改造完全マニュアルのあるページを載せたツイートを見たことがデカかったと思う。申し訳ないがその本は読めてないけど(積ん読が多すぎる!!)、色々「認知の歪み」でググった。そして、僕はこの認知というやつが極端に歪んでるなと認識できた。

軽くしか触れなかったので完璧主義についてもう一度。
前述の通り、自分がいかに筋金入りの完璧主義者であるということに結構最近自覚的になった。
1日1日の送り方から人生の送り方まで、受験勉強から文化の摂取まで僕は全部完璧主義的だった。そしてそれゆえの0 100性を発揮して結局何もできないことが僕の人生そのものだった(他にもたとえば人との会話の反省会をしては落ち込むのも完璧主義の毒みたいなところがあり、人とのコミュニケーションのイデアなんていうのは、イデアというものの性質上存在しないわけだ。だからそれにならなかったことを悔やむのは無駄だということだ。人とどうせうまくコミュニケーションを取れないからという理由で人と会わながちになるもの0 100性の弊害という感じがする。)

特に1浪2浪開始時は酷かった。この傾向が顕著に発現している。

1浪が始まった時、
わけあって(大したことではないがひとまずここでは詳細は割愛)、東京での一人暮らしで浪人することになって、
最初は宅浪(結局駿茶に通うのだけれど)で、高1の時点で自分の家で勉強できない性質に確実に自覚的になっていたのに、心機一転頑張れる(笑笑)と、一日12時間は勉強すると信じて、それを実行し、完璧な受験勉強なるもの(この表現で伝わると信じている)(信じてばっかりかよ)を実現しようと思っていた。が、結果はどうだ?

2浪時なんて浪人が決まった瞬間に、ペースメーカーとするための週2の2時間のZ会の授業以外の時間をすべて自習室での参考書学習に充てることを決意し、、
やりたいと思ってる参考書を各教科すべて書き出し〔参考書通(ゴミ!!!)(参考書コレクター的気質ほど実力のない受験生にとって有害なものはない!!!)(自覚してた。ずっと。でもこの情報化社会!)〕故にめちゃめちゃ多い)、それらを全てまずは1セクションくらいやってみて、どのくらい時間がかかるかはかり、、  2浪の1年間各日の24時間計画表を作り、そのどのくらいそれぞれ時間がかかるかっていう実験をもとに(流石に一気に秋冬まで埋めるということはしないが)タイムスケジュールを組むという作業を進めていた、、。。、、。!

これは遠視眼的になりすぎてることも含めて僕の“悪い”部分がすべて出ている。

結果としてZ会の週2の授業の予復習すらずっと中途半端という状態の1年間を送った。


2021年の2/17
ある日自転車に乗ってて、突然、ひどく自分は強欲な人間だなぁと改めて思ったことがあった。
何かを得たいなら何かを差し出さないといけないんだよな全てを得るなんて無理だからな当たり前なんだよなわかってるけどさ…みたいな気持ちになった。
全てを手に入れた人生しか嫌、という完璧主義だったのだ。
完璧主義が先か、強欲が先か、はわからない。そんなことはどうでも良い。ただこれらをやめることにした。

やはり多浪という点で人生にあまりにも傷がついたから、どう考えても完璧主義を満たすのが無理だなという、
まぁ人は親がそれを赦し、放っておいたら多浪してしまうわけで、、
時間が解決してくれるタイプの受動的な諦め理由の発生によって完璧主義の撤廃が可能になった気がする。

“主義”って実は相当重い 感情に根ざして所持している信条だ。
旧ソ連の社会“主義”者がいきなりウォール街に放り出されて生きていけるだろうか?
自由民主“主義”に「毒されてる」我々は、すぐに独裁に本能的とまで言えるようなアレルギーを起こす。
どうしても自分がテレビスターになれない人生を受け入れられないと思ったのだ

ありとあらゆることに劣等感を感じては消耗してしまうのもある意味で完璧主義が原因なんだと思う。全てのことができていないとダメだ!と思うから。これはまだ原因を特定したところで全く自由になれてないけど。まぁなんにせよ4浪かつ将来性が全くない状態だから当たり前だけど。
誰にも負けないことをせめて一つは見つけたい。

あとこれも前の記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)で触れたけど
100を満たすのが理想で、残りの20を満たすのがとてつもなく難しい時に、80を満たしたらかなり気が楽になるのに、0の状態から見上げて100と99の差が異常であるかのような見方をしてることがあまりにも多すぎるのでやめたいと思った。

こういうのが積もり積もってる中で

この記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)にもあるように
2020年2月14日(強欲への気づきはその3日後ということになる)頃に完璧主義の撤廃への道の入り口に立った。この日の時点ではまだ東大に受かるまで受け続けようと思ってたけど。ただもう色んな事を受け入れられる土壌ができ始めたおかげで、1ヶ月後には東大を諦める勇気が持てたし、しばらくしてテレビスターにいつかなるぞという幻想も捨て去ることができた。



2021年の1月僕は3年ぶりに村上龍コインロッカー・ベイビーズを読んでいた。3年前よりも遥かに物語の世界に没入することができた。主人公の一人 ハシがスターになった後、転落して「僕はただみんなから好かれたいんだ」「僕は狂っていない、みんなから嫌われて悲しいだけだ。」と言った。ハシ…!と思った。この物語で僕はハシに最も共感し続けた。
村上龍に改めて強く惹かれた僕は、本屋をフラフラしててたまたま目についた「村上龍映画小説集」を読み始めた。
そこで自分が自意識が強い人間であることをきちんと認識することができた。

【自意識の輪郭】

なぜ急にテレビスターが夢だったことを激白できたか

それは“自意識”の躾け方を会得し始めることの萌芽がうっすら確認できる、そんな状態になったからだ。

自意識の強さゆえにずっとこの夢(笑笑笑)を人に言う勇気が持てなかったのだ。勿論諦めたからというのもデカいけど、

自分が自意識過剰な人間であるという事実に自覚的になったのは2021年になってからだ。

○○という自意識、みたいな用法は認識していたけど、

「自意識過剰」という語じたいはかなり狭義的にしか捉えられていなかった。別に自分について言及されているわけでもないのに、勝手に自分について言及されていると思う(これはそのことで注目されることを主体が好ましいことだと思ってる文脈において)、みたいな意味に限定される語だと思っていた。

2021年の2月に読んだ村上龍映画小説集で結構自意識の強さに関する言及が多く、いや僕やんとなり、自意識過剰の様々な意味を認識したのだった。
(この本は本当に素晴らしく、明らかに僕を変えた一因だといえる)

思えば邦楽の歌詞なんかでも自意識に言及してるのは多く、共感(笑笑笑)できるなーなーんて後から思ったりした。

僕が抱えてる意識における諸問題は途方もなく多岐にわたり、頭を抱えていたが、かなり多くに対して「自意識過剰」から分岐して発生してることだというレッテルを貼ることができて、気持ちが楽になった。

自意識過剰の人はアガリ症だという。
僕は人前で話す時は確かにアガりやすい。
それでも、ずっとアガり症であることをなかなか認められなかった。性質ではなく状況のせいに毎回してきた。しかし、自意識過剰故のという根拠を得てしまった。
アガっていてはテレビスターになれないな。

自意識という語は割と多義語だ。

単に強いといっても色んな形での発現の仕方がある。

たとえば赤裸々度?が高いと自分が思うことを投稿する時とか、その前に1つ後に2つくらい10分以内の間隔で無難な内容を投稿したいとか

たとえばこの記事がそういう記事なんだけど、今回は剥き出しの自意識を晒そうと、前後に何も投稿しなかった。


ベテランちさんと意識について喋った時、かなり印象的なことを言われた

それは「強すぎる自意識は自意識を抑圧する」という彼の持論。

この記事(【東大医学部YouTuber】コロナ禍に突如現れた天才・ベテランちにUmeeTが凸ってみた https://todai-umeet.com/article/59309

の話にちなんでしたんだけど
逆張りを極めた先にYouTube」というのもそういう感じだというのだ。

この自意識への切り口は結構マイナーな気もするが、
今の僕の様々な考えの基調になってるので一応、、

たとえば逆張りをしてしまうとか、そういうのって自意識の強さから起こる行動だという話だ。

「こんなメジャーコンテンツや流行りのモノを無邪気に好んでいるだなんて他人に思われたら恥ずかしい…!熟慮とかないんだな…!と思われる」という自意識から、実は毎日白日を聴いたりしてるのに、若干マイナーなものを好みとして挙げるということだ。

ある意味でのサブカル趣味もそういうところがあるだろうし、(まぁ僕はTheサブカルって感じじゃないけど)



しかし逆張りをしてるなと思われるのもまた恥ずかしいのだ。
そういう自覚が生まれてしまうと、強すぎる自意識が自意識を抑圧するという状態になるのだ。こういう過程を全く経ずに最初からこの状態の人も結構いると思うが、

これを僕の例に適用させると、例えば
赤裸々過ぎる内容の記事を、前後の他の記事の連投によって中和させようする時、この営みは決して結果的には自意識の保護膜になっていないということだ。結局他人は赤裸々過ぎる記事の方しか目がいかないので結局恥ずかしいことをしている。


多義語?としての自意識についての他の側面?について書くと、

他人が自分に対して注意を払ってないということは流石になくて、そこを問題にすると、気にするな!と言われてもいやでも注意向けられてるやん!ってなるから自由になれない。
大事なのは、注意こそ向けてても、そんなにデカい感情を持ってない/一瞬持ってもすぐ忘れる/そもそもほとんどの人間にどう思われようと大したことではない/ということなのだ。凡庸すぎる注意喚起だな。Wikipediaの「自意識」という記事に書いてあるようなことだ。

この記事(テレビスターが、夢だった①)の冒頭あたりで語ってた自意識の話は、そういう意味で自意識だ。
たとえば、予備校の受付で生年月日を書かされる。4浪だと思われる!なんて思うわけだけど、別にそれ自体は間違ってないわけで、実際受付の人には4浪なんだなぁって思ってるには違いないわけで、でもそれ以上の感情は持たないわけだしそもそも受付の人に4浪だと思われることは僕にとってそんなデカイことではないはずだ。そういうことを意識していきたい。


マイナスのニュアンスを持つ無意識過剰(自意識過剰の対義語)という言葉もあるわけで、人目を気にしないのが良いことではないし、サブカル的というかなんというか少なくともたとえば米津玄師の好きな曲を聞かれてピースサインやlemonと即答してしまわないような自意識もある程度は絶対あった方が良い。
とにかく適度なラインを探したい。
中庸が苦手だから。なんにせよ。僕は。これを直していきたいのだ。

このようにして自意識というものを“敵”として認識、向き合い始められたからこういった(少し前の僕からしてみたら)「激白」といえる内容を投稿することができた。

「自意識」については「自意識に関する補足」https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/06/11/170444という記事に補足を書きたくなって書いてます。

もちろん自意識が強いからこそ完璧主義に陥っていた部分も多分にある。


ちなみにテレビスター云々とYouTubeを始めたのはまっったく関係ない。

まっったくは言い過ぎかもしれない。
なんにせよ不特定多数から承認を得る手段だから。
でも、少なくとも少しは違う。

僕はおそらく日本の人気YouTuberベスト30とかの動画を全部合わせても2時間以上見たことがないと思う。そのレベルだ。まず、YouTuberというジャンルにすさまじく疎いから

始めた理由は、始めるとしたら今しかないと2020年の4月に思ったから。本当にそれだけ。このチャンスを逃してはならないと強く思った。見る前に跳べ、をここで実践しようと思った。

高校の2個上の先輩のチャンネルがありえない速度で爆進し、高校の同級生のYouTuberが出した僕に言及した動画がそこそこ再生され、
コメント欄で暗躍してる場合じゃないだろと思った。

今や竹中平蔵や椎木里佳すらYouTubeチャンネルを持っている時代。彼が始めたのは僕より後だったけど。例が悪いか。
なんにせよ、そんなマジでYouTubeやっていく!という人以外もなんかチャンネルくらいは持ってる時代だなぁとは思ってて、そういう中で、チャンネル登録者を得やすいタイミングだよな今は、と思ってしまった。ここで逃してしまうと次なかなか来ないであろうと、。その結果が2020年4月24日

ただ副産物として色々思うことがあり、それは良かった。

自己演出能力の低さ。低いというか、何をやればもっと人に見てもらえるようになるかを
わかっててもできない。わかってるからこそできない。自分の“良い”ところを全面的に押し出すことに異常な恥ずかしさを感じてしまう。そこにかなり純度の高い無駄な自意識を見つけられたのだった。突きつけられたのだった。
ただ、ずっと自意識という語で捉えることすらできずもがいていた。最近気づき“つつ”あるわけだ。

YouTubeへの動画投稿という「手段」は
僕が自分に対する「ものさし」として使っていこうと思っている。自意識の強さとかを測るための。

僕の中では自意識を躾けられるという福音は聴こえている。まだリスナーの皆さんは感じてないかもしれないけど。そのうち動画を見てもわかるレベルになると思う。


そう、YouTubeを始めたおかげでベテランちさんとの関わり?などで色々見えてきたことがある。

前述の記事(https://todai-umeet.com/article/59309)内で、お笑いが好きであることを語り、そんなにお笑い好きなら芸人になろうとは思わなかったのか?と聞かれて

彼は「東大卒で芸人になると、東大卒を全面に押し出て芸人をするのも、東大卒を敢えて隠して芸人をやるのもスベってて、どっちにしろ微妙な感じになる。要は逃げ場がないという。。」みたいな返答をしていた。

僕自身了解しつつも、僕が目を背け続けた事実を指摘されてるなぁという気持ちになった。

もう東大も諦めてしまったけど。。。これも無数にある諦めた理由の一つにカウントしても良い。

3浪までした理由はちょっと違うけど、
成績が悪いのに目指し始めた理由はそうだった。
前述の認めさせるみたいな強気さではないが
「学歴は浮き輪」という観念がくるものだった。。

というか、これは宇佐美りんの「かか」の単行本p109「すべてのばちあたりな行為はいっとう深い信仰の裏返しです。」という一節から思ったことだけど、僕のある種の逆張り的気質はある意味、潜在意識下ではあるが極度に権威主義的な部分からくるものだと思う。

テレビスターが、夢だった。シン
〔急の晩期みたいな内容&今後について〕https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/06/11/195940
に続く。

テレビスターが 夢だった。破〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕

テレビスターが夢だった序 )http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/004732)の続き



【遍歴】

僕の人生の最初の夢は総理大臣だった。
多くの人が一度は憧れる職業だろう。

年長さん(笑)の頃、幼稚園の朝礼で壇上に立ち「僕は総理大臣になりたいと思います」と大きな声で言った。誕生日に全園児の前で将来の夢を発表するのがその園のならわしだった。

幼少の僕は、夢を聞かれて、ウルトラマンマックスと答えてた同じ空手教室の男の子のことをひどく軽蔑してしまっていた。
よく考えたらテレビスターも幻想のようなモノだからそう変わらんな。

小学生の頃、気づいたら、将来の夢は医者になっていた。中1の途中くらいまでは医者が夢だった。少なくとも中学入学時に書かされた「初心」という文集にはそれについて書いていた。
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医者志望だったので東大離散に当然自分は行くものだと思っていた。灘志望だったし実際入ってしまったから自然な流れだと考えていた。しかし、まだまだ受験制度には疎く自分が当時から大好きだった地歴を離散の場合センターでしか使えないという事実はまだ知らなかった。
そして、なんとなく世界征服できたらなぁと思っていた。

ただ当時(小学生の頃)の僕の意識として印象的なものがある。
鈴木福くんを理不尽に嫌っていたのだ。
小学生だから仕方ないと思うが、なんにせよ自分より年下が、親がそういうことに意欲的だったというだけの理由で(当時はこのようにひねくれた見た方をしていた)、TVに出てチヤホヤされているという事実が僕には耐え難かった。当時の今よりさらに愚かだった僕は、あんなこと僕にでもできるのに…!と考えていた。
正確に言うと僻んでいたんだと思う。全く当時そういった自覚はなかったけど。

これは、その後に発生するテレビスターになりたい欲にも通底する価値観に根ざしていると思う。それは、「とにかく不特定多数から圧倒的に承認されるという経験が全て」というものだ。それが人生を送る上での前提のようなものだと思っていた。少なくとも、思い込んでいた。

だからこそ東大を目指した部分も多分にある。こう言っては悪いが、どんなバカにもバカにされたくなかったのだ。自分が乗りかけていた高学歴レール(笑笑笑)の上で何か肩書きを得るとして、少なくとも誰にもバカにはされないのは東大入学だけかなぁと思った。受験などに疎い人にも絶対に不当な評価を下されたくなかった。全国民に承認される、いや少なくともケチをつけられない学歴面での前提が欲しかった。

こんなエピソードがある

灘高校にV6のメンバーが来てダンス指導するみたいなテレビ番組で、生徒達に志望校を聞いていき、東大理一と答える人が多い中、京大医学部と答えた子が東大理一より下であるかのような扱いをされていた。

こんなツイートを見たことがある。

友達と二人で(関西の)街を歩いててキャッチに大学を聞かれて、友達は同志社と答えて賢い〜と言われて、ツイ主は東北大学と答えて、遠いですね〜と言われた、みたいな、、

本当に耐え難いことだと思ったのだ。

今思えば、全員に認めさせないといけないという、ある意味での「完璧主義に対する強迫観念」だったのかもしれない。

Material Girlなどのヒット曲で知られるポップスの女王Madonnaは大学中退後、N.Yのタイムズスクエアで「“I won't be happy till I'm as famous as God.(神と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)」と誓ったという。僕もそんな気持ちを持ち続けてきた。

僕はあんまり海外セレブ発のコンテンツに興味はないけど、海外セレブに関する記事などを見るといちいち劣等感を強く刺激されてきた。

話が進みすぎた。とにかく、中1の時の転換について話す。

僕は幼少期から松本人志を軸としたお笑い賞レースなどこそ見てきたが、なぜかそれ以外の番組に関心がなかった。勉強ばかりさせられててテレビの視聴を許可されていなかったという感じではない。中学受験の20日前くらい前に車のカーナビでTHE MANZAIを見ていた記憶すらある。まぁザマンザイに松本人志は絡んでないけど。関西ローカルである明石家電視台などはギリ見てたし(まぁこれは単に歯磨き後たまたま父が見てることが多かっただけやけど)。ただただシンプルに演芸以外のエンタメ全般に関する興味を欠いており、異常なほどに知ってるテレビタレントの数が少なかった。確実に言えるのは、中学入学時点で、マツコ・デラックスを知らなかったということだ。浜田雅功の下の名前を言えなかった松尾伴内は知ってたのにな。。ちなみに中1時点でタモリを知らない灘生というのは案外多い。

ただ急に中1の間にエンタメへの関心が異常に増した。理由をあまり覚えていない。なんにせよ自我が目覚める時期なのだろうということにしておく。親の干渉も減ったわけだし。
そんなつもりはなかったが、さながら勉強でもしてる感じでエンタメの歴史についてWikipediaで調べつつルーズリーフにまとめ、沢山のTV番組を録画しては丁寧に見るようになった。高校生の頃の中田敦彦みたいな感じだった(今の彼はともかくとして、彼の芸人前夜という著書は良くて、そこにそういう感じのエピソードが書かれていた。)

ただ、まだ漠然としていた。テレビでの露出をコンスタントに得続け、国民全体から承認され続けたいなくらいの願望を持っていた。しかし、最終的にはテレビスターに…!と思い始めていた。

中1の時にクラスメイトに将来の夢を聞かれたのかなんだったかきっかけは忘れたが、とにかく当時(今もだが)どうしようもなかった僕がなれる職業あるのかみたいな話になったんだと思う。多分体育祭の時だから9月だな。ポロッと、〝タレント〟になりたい、と言った。その後ちゃんとした受け答えとかできるんか?とか言われて色々シュミレーションさせられてはダメだなぁみたいな感じになった。ただ、その時のクラスメイト達は多分このやりとりを覚えてないだろうし、覚えてたとしてもハタチまで本気にしてただなんて思ってもなかっただろう。
多分、学校でそういうことを語ったのはその時が最後だったと思うから。。。

僕が視聴して唯一感動できるTV番組はM-1グランプリである。YouTubeの主な使用法はYouTuberの動画を見ることではなく、芸人のネタ動画を見ることだった。それはそうとしてお笑い芸人という呼称が好きではない。“笑わせ人(わらわせびと)”などとするべきだと思う。以前にもツイートしたと思うが。

そんな僕が、中1の僕が、芸人になるというカタチでテレビスターという夢にアプローチしようと考えるのはひどく自然なことだった。

ただ東京大学一年の時にNSCに入ろうという生ぬるいビジョンを思い浮かべていた。ぬる過ぎる。ぬるぬるぬるぬるぬる

ぬるぬる

ぬるるるる
ぬるるる

るるるる

ぬるるるるるるるるるるるるる

中1の終わりくらいから申し訳程度の「ネタ(笑笑笑笑)」をスマホのメモ帳に書くようになったり、、

なんか勝手にコンビ名とメンバーの氏名を登録できる芸人の知名度ランキングのサイトを見つけて、当時のSNSやLINEのハンネとして使ってた文字列をコンビ名、メンバー名に自分の氏名を登録して(コンビ、なのにメンバーは僕だけ 解散後のバカリズムかよ)、勝手にドキドキしてた。誰かが僕の氏名で検索してこれを見つけたらどうしようと。自意識が強すぎる。

こんなほぼ中2にして、厨二病を極めてるやつおる?????文字通り過ぎる。
勿論周りには一切言わない。
そしてこの病気がいつまで経っても治らなかったのだ。

決定的に良くなかったのは当時から別に「恥じてはいた」ということだ。

演芸パレードというオーディションのコーナーもあるネタ番組で、
当時駆け出しで、そのオーディションで注目されていたあばれる君が、芸人として大成して小説を書き政治家になりたいと言っていて、

同じだ…!と思ったことがある。
自分の書いたものも、知名度を武器にすれば、普通に発表するより読んでもらえるだろうし!

青島幸男みたいになりたかったのか?と言われたら割とそうだったのかもしれない。

高1の5月上旬くらいだろうか、高校の同級生に芸能事務所のオーディションを一緒に受けにいかないか?と言われた。当時の僕はそういう感じを出していなかったつもりだったが、なんとなく出ていたのかもしれない。

ダメ元で応募してみることにした。基本的に18歳未満は親の許可が必要だったが、適当に親の許可は出てることにして無断で申し込んだ。その同級生の親は僕の親よりはるかに厳しく、彼も無断で出していた。

僕は、なんらかの成果を出して、それで知られる以外の知られ方は厳しいと思った。

親に、不確実性が高い生き方をしたいという思想を持っていることがバレるのを極度に恐れていた。まぁなんにせよ僕は東大には普通に進学するつもりだったし、

(後で触れるが)
今遂にこういうことを言えるようになりかけているのは、逆にもう守られた生き方以外の道を模索する方が自然な状況になってしまったからかもしれない。

ある事務所のオーディションに呼ばれ、
大阪駅の泉の広場の上あたりにある事務所に行った。

今思えば地獄の空間だった。

かなり長いセリフが書かれた紙を読まされた。
そのセリフの中に「びっこを引かずにな」という一節が含まれていたことだけを覚えている。

つっかえつっかえ読んだ。つっかえてる部分の方が多かった。あまりにもひどい音読だった。途中強制退場くらいが妥当だった。この僕の人生という人間喜劇にあって間違いなく共感性羞恥を喚起するような一幕だった。

終わってからその事務所について詳しく調べたら、誰でも通して、レッスン料を取ることを中心に経営を成り立たせている事務所っぽかった。

合格の電話が来た。もし真っ当な審査がなされていたらそんなこと起こるわけがないだろと思ってもう出たくなかった。電話でやっぱりやめますって言うことすらキツくなっていた。逃避癖ここに極まれりという感じがする。

その同級生もその事務所のオーディションに呼ばれ、なんか歌わされたらしい。上手く歌えなかったが合格だったと。

他にも高1の頃なんかチャンスはないかなと思っていた。そんなん受かるわけないのに石原プロのオーディションの要項を毎日見ていた。僕の〝スター〟の観念にはピッタリだと思ったからだ。数学の溜まりに溜まった課題の解答をノートに自分なりの言葉で翻訳しつつ写す作業をやっていた神戸住吉のロッテリアのトイレの鏡で自分の顔の美質を探しつつ、そのオーディションの応募要項を見ていた。


まぁでも高1の頃の将来の夢は「お笑い芸人」だった。

一応当時の交際相手には聞かれて言ってしまったが、本当にそれだけだった。

中1の9月を除けば基本この手の夢想は誰にも言ってこなかったしその後も誰にも言わなかったわけで、この時に答えてしまったのは出来心のようなものだ。高1だから2015年のことだ。

その交際相手と大阪梅田のロフトの前で投げ銭入れを前に置いてる大道芸を見る流れになったことがある。大道芸人が妻子がいることを匂わせた。あの人でも奥さんと子供を養えてるのだから夏海も大丈夫やな的な事を言われた。
色々と、とてもつらい気持ちになった。とても


2017年に水曜日のダウンタウンで日本の有名人の知名度調査みたいな企画があり、ベスト100が発表された。
このランキングは島田紳助が入ってないという欠点こそあるものの、63位宮根誠司62位麻原彰晃61位羽生結弦みたいな感じで割と本質に迫っている感じがあった。
2040年くらいにこの調査が実施されたら余裕で食い込みたいよなぁ、と思っていた。
まぁその時は1位西村博之だろうな。

これはこの記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)でかなり触れてることだけれども(これは後述するが、東大もテレビスターも諦められた理由も本質的に同じだ。そういった変化が今年になってから各方面で徐々に起き始め、ある程度のゲージに達したら、一気に解き放たれるというのを繰り返してきた。もちろんまだまだ様々な面で過度的だけど…)、

テレビスター志望のくせに結局高校時代最も時間を費やしたことはTwitterだった。

何故か。人生の小腹満たししかできなかったからだ。

敷かれたレールを踏み外すのではなく、常に敷かれたレールから支線を出したいと考えていた僕はやはり東大には合格しないとと思い続けているのにも関わらず、ほとんど勉強しない中高6年間を送った。

そのせいで受験勉強における学力が低いことを引け目に感じてること、積み残しがあること起因の閉塞感で、受験勉強以外にデカ過ぎる時間の投資をする勇気があまりなかった。結果としてテレビスターになるための準備に手をかけることもなく、別に楽しくもない小腹満たしみたいな時間の浪費で貴重な若い時間を埋めてしまった。一つ一つは取るに足らないことだけど、積もると膨大なダラダラという時間の浪費。


まぁなんとなく東大は行けて、大学生という4年間のモラトリアムのあいだに何かしら父なり周りなりに見せられる成果を出せたらなと考えていた。それが無理ならなんとなくお金を稼ぐ手段を得て、芽が出るまで頑張ろうみたいな。(そう自分で大金を稼ぐのもまた僕にとっては非常に大事で、そういう致命的な強欲さがある。父親が経済的に助けてくれるから良いだろうと思われそうだけど。だいたい父親が経済的に助けてくれるからそういう思考回路になるんだよぜぇーんぶと言われたらそれまでだけどさ、、、(ただまだ人から父親から経済的に助けられてることを指摘されてはひどく落ち込む性質はまったく抜けてないので極力指摘しないでほしい。ごめんなさい。なんとか克服しようと頑張ってます))

この将来設計の良い加減さを自覚していた。していないわけがない。
そもそもどんな超人にも無理なことを目指してるのだから。
具体的な人生設計のある人と出会うたびに、恥じて、落ち込み、しかし自分の理想主義いやもはや夢想主義から自由になれなかった

たとえば生きてる間に車輪銀河に行きたい!となったとして、具体的な計画を立てるのは不可能だ。
ずっとワープの方法を考えて一生が終わるだろう。
それと同じことをしていた。
せめてエウロパに飛ばすロケットの話とかをしよう。
 
まぁなんにせよ、
やはり騙し騙しの敢えての近視眼は絶対大事で、
メガネ入れに鍵をかけないといけないのに、
そもそもメガネ入れすら見つけられていなかった。

それから僕がボヤボヤしてるうちに世界はどんどん悪いものになった。少なくとも、悪いものに見えるようになっていった。

文化的な分権性、欺瞞こそが本質みたいなこと、陳腐なものがいかに僕が本来受容されたいと思ってたような大衆に受容されやすいかということ、それに伴う迎合の必要性を感じ、そして自分はそれが実は本当にとても苦手だということに気づいた。
そして俺は何よりも傷つきやすい。こんなこと自分で言いたくないが。認めないわけにいけないことでもある。そしてあまりにもその事実から今まで目を背け続けてきてきた。

これらのことが目についてきた中で、それでもテレビスターになりたいという願望を決してブレさせてはならないなという謎の一貫性を有していた

そういえばここ3年くらいお笑いの賞レース以外ほとんどテレビを見ていない。家のテレビが壊れてるからだ。3年間受験生をやってきたわけで、円滑な受験勉強に丁度良いなと思い敢えて修理はしてこなかったが、この「失われた2018〜21のテレビ史」はいつかどこかで履修しておかないとなとは強く思ってきた(ここにも全時代の主要な〝文化〟を網羅しないと!みたいな完璧主義がでている)

そういえば、だいたい僕はお笑いが好きなのだろうか。めちゃめちゃ


一般人として相当好きな部類であり、ミーハーさを忌み嫌っている。真空ジェシカが売れようとしてる今好きな芸人を聞かれたら誰と答えたら良いのか困っている。この3年間あまりにも追えてなくて。
それでもライブなどに行った経験もなければ、地下芸人にも疎い。所詮YouTubeで自分好みのネタを探す自称お笑い好きにすぎない。
あと大前提としてユーモアセンスに自信がない。むしろ養成所でそういうセンスを磨こうだなんていうヌルい考えを持っていた。
本気でやるならYouTubeライブで1日3時間1人で大喜利モノボケをやり続け、スベってはなんとか改善するのを繰り返すくらいの訓練をするべきだろ。


冗談だっただろうが、高校の漫才LINEグルで、いつしかのM1の後あたりに、7年後にナツミート(当時は本名)とM1決勝で戦いますみたいな発言をベテランちさんがしてたのをずっと忘れられない。


2020年の春から夏にかけてくらい
つまり僕が3浪の時に、僕とこの世で一番仲が良い人間(そいつは僕の1歳年下で1浪で東大に入り、その年大学一年生になった)が、思ったより人生が上手くいかないことに気づき、NSCに一緒に入らないか、と言ってきたが、そんな気持ちが一ミリもないかのように振る舞った。入学金40万も払わないといけない、みたいな受け答えをした気がする。心の中では、3浪でも4浪でも5浪でもして東大に行き、在学中に自活手段を得たら、ひっそりとNSCにでも入ってryみたいなことを考えていた。ただし、スクールJCAもナシではないかもなくらいに思っていた。

未だに中2以来のメンタリティを保っていた。

理想と現実のあまりにも大きなギャップに押し潰されそうになっていた。根拠のない自信が実はそこまである方じゃない。テレビスターになれるだろうだなんて盲目的に信じられない。というか無理だなんてずっとわかっていた。
で、昔は現実的に思ってたその前前前前前前前前段階たる東大合格すら3年かかってもできず、またかなり遠いことに思われていた。

2020年の1年間は
よく、
今の僕の人生のマイナスポイントは今2千兆500くらいで、
東大に入ると、マイナス500くらいになる。そして、人生を最終的にプラス5垓で終えたい、みたいなことを言っていた。

冷静に考えて
東大卒のテレビスターになるという理想と3浪無職という現実のギャップに苦しんで漠然と病み続けてたの滑稽すぎるだろ。笑ってくれよな

山を動かすにはまずは小石から運ばないといけないのに、
常に岩肌を押しては手を擦りむいて、落胆して現実逃避。そんな人生だった。

(テレビスターが夢だった(Q

matryoshkaddicted.hatenablog.com
に続く)

テレビスターが、夢だった。序〔長すぎる前置き達〕〔テレビスターって?〕


アホみたいに長い。実際アホだからかな。こんな長くなるつもりがなかった。自己満足だと自認しつつも、自己満足的に終わらないように注意したいとは思っていたが、日々ちょっとずつ書いてるうちに完全に自己満足に満ち満ちた。こんなに長くなって恥ずかしい。誰か読んでくださる方はいるのだろうか……?序破Qシンとあります。

概略

〔長すぎる前置き達〕→
〔テレビスターって?〕→


〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕→

Q
〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕→

シン
〔急の晩期みたいな内容&(今後について)〕


「遅過ぎる 身の丈を知る 21」

まぁ、身の丈どうこうの問題でもないけど

21歳。山口百恵が引退した歳だけど。シド・ヴィシャスの享年だけど。この現代において、まだ人生やり直せる歳かなと思っている。信じている。祈っている。

だいたいから言って21歳でダメそうなら人生終わりみたいな感じになってる日本社会がおかしい。自分がそういう立場になると、そういう思考回路になるもんなんだな。

それでも21歳まで正当に積み上げてきた人たちは僕より報われるべきだと思うし、どうしようもないな。

これはめちゃめちゃ勇気のいる投稿。
初めて言う場所が一応匿名インターネットで良いんだろうか。
まず、全世界に向けて発信することに対して、かなり躊躇した。何度もやめようと思った。
ただ最近会った数人には話した。

なんでも自己開示すれば良いってもんじゃないとも思う。それでも知り合いも沢山見てるだろうしここで言うことにした。連投して多くの投稿の中に紛れさせるなんてこともしない。

剥き出しの自意識を全世界に晒す。

諦めることで口にできるし
口にすることで諦められる
徹底的に諦めてみて初めて自分にできることが探せる。だから言うことにした。こうやって過去の自分と訣別するのだ。まぁもう諦めたけど。
きちんと諦めたのは2021年の3月中下旬だったと思う。

諦める勇気、みたいな本があれば良いのにな。ただ、別に昔の僕が読んでも響かなかっただろう。まず手に取らなかっただろう

諦めた今でもこうやってめちゃめちゃ前置きしてしまう

他人からすれば
そうだったんだ!へー、で終わるかもしれないのに。

そんなこと思ってたのか…!今後関わりたくないぞい…!みたいな、とてつもなくデカイ感情を持たれることを異常に危惧している。これはまさに“自意識”の強さなんだと思う。

そう。テレビスターが夢だったのだ。ずっと。まったくもって嘘じゃない

少なくとも8年以上はなんらかの形で心の中に常に抱えていたことだ。

将来何になりたいか聞かれて、
中1の終わりくらいから基本
「それはちょっと人には言いたくなくて…」
と答えてた。そりゃそうだよな。答えはテレビスターなんだから。言えるわけないよ。恥ずかしくて。

僕は常識だって知性だって別に全くないわけじゃない。多分

しかし底抜けに頭が悪い部分がある。

諦めることを受け入れる方法がわからなかった。完璧主義の放棄からアプローチすれば良いのかと気づくまで21年もかかった。あまりにも愚者であったため、まず完璧主義者としての自覚を決定的に欠いていた。完璧主義という語を聞いても、完璧主義かぁ、、そういうフシも僕にもあるなぁ、、くらいのノリだった。所謂完璧主義のイメージより遥かにスケールのデカいものにすら無意識のうちに完璧主義を適用させてしまってきたからだ。

かなり歪曲した形でのピーターパン症候群だったのかもしれない。別にこの症候群は疾患ではないし。こういった在り方もあると思う。できもしない理想を仮想の目標としてしまった結果、高校卒業後何もできないという…。

【テレビスターってなに???????】

僕にとってのテレビスターのイメージって

石原裕次郎的なモノなんだよ。そういうプレゼンスのデカさ。彼はどっちかというと銀幕のスターだけど。
ダウンタウンDXのスターの私服とかそういうレベルじゃなくて。

こればっかりは多少の昭和趣味に影響されてるのは否定できないだろうな

ハナ肇クレイジーキャッツとかそういうの。今見てそれで笑うとかはないので、やはりプレゼンスに憧れてる部分が強い。

そういえば、僕自身小学校に遅刻しそうで送ってもらう車の中のカーナビに映ってた谷啓の訃報で谷啓の存在を知った。そのレベルなんよ。よく考えたら。今の若い子は知らんよな。

とにかく国民的な存在になりたかった。

しかし21世紀にそんなもの存在しない。知ってた。知ってたけど夢だった。目標ですらあった

国民国家の解体が進行していると思う。テレビスターというのはある意味でナショナリズムの象徴だ。
未だにテレビの影響力というのは意外なほどデカいと感じることも多いが、皮肉なことに、世界の一体化が進み過ぎることによって、同一国民間ですらいかに価値観が違うかが浮き彫りにされ、国民意識の弱化が促進させられている現代において(Twitterとかで同じ日本人のはずなのにあまりにも価値観の違う人間の意見がコンスタントに目に入ってしまうということです)、各個人の嗜好への適合度の高い文化的な選択を可能にするメディアが存在しているため、ひどく文化的に分権的になっていると思う。
この20年くらいで確実にサブカルチャーの最大多数派がメインカルチャーと化すみたいな傾向が強まっていると思うが、それもこのことと関係してる気がする。椎名林檎の国民的存在化とか、椎名林檎じたいの変化もあるが、まさにそれだと思う。

今年出た、朝井リョウのスターという作品がある。申し訳ないことにまだ読んでいない。積ん読が多過ぎて。ただ文庫化されたら必ず買って読もうと思っている。その程度の志ではある。その作品は、もはや国民的なスターが存在し得ない現代においてryみたいな前提に立っていて、書店で軽く立ち読みしてホンマになぁと思った。

それに
15分なら誰でも有名人になれるみたいな言葉が、もはや使い古されてるレベルのこの時代である。まさにテレビスターが存在するのとは正反対の状況

実際Twitterで流行るネタとかの消費期限ってもはや3日とかですらないと思う。誰もが肌で感じていることだ。

ただ、ずっと一縷の望みとしてポストモダンはプレモダン的になる、の法則がこのスターというものに対しても適用されないかなぁというのがあった。

例としてしっくりきにくいけど
たとえば、、
Twitterで何年も前のバズツイを何回も見かけることがある。
この事実は僕をとても落ち込ませる。


しかし、こうとも考えられる
早すぎる歯車は止まって見えるのかもしれない、ということだ。

それに加えて俺がテレビの地位そのものを回復させてやる…!という途方もない野望すら持っていた。


それでもやっぱりポストモダンのプレモダン的な要素としてテレビスターが発生することを期待することはできないなと思った。

そもそもないものを目指しても仕方ない。
なんか、ソ連の書記長が夢です!みたいなんとさほど変わらないズレ方な気がする。

大橋巨泉は、テレビが家で王様だった時代に、テレビの世界にいられたことが幸せ、と言ったが本当にそうだと思う。

(テレビスターが夢だった破
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/010705
に続く)

肌着の苦悩


本当に、泣きたくなるくらいに常識がない。

半袖の季節になって初めて「肌着」を着るようになったそんな朝、

去年の11月か12月に買い込んだユニクロの肌着であるエアリズムはすべてVネックだった。
ヒートテックが本格的に必要な気温の時以外は長袖の服の下にこれを着るようになった。

一方僕が持ってる半袖シャツはほとんどそういうカタチの襟をしてないのでVネックだと違和感がある気がした。

何が良くて何が悪いのかもわからない。

人なんて沢山見たことがあるのに
21年間の人生で周りの人間だとか街の人達だとかTVや YouTubeの中の人をこの観点から注視したことがなかった。

ググろうと思ったがスクリーンタイム制限を入れてて、あと一分機能は夜に使い切ったから無理だった。

ただででも常軌を逸した多汗症なんだからこれ以上厚着したら人生終わるだろと思っていた。
2浪の冬に初めて一番下に長袖を着ることをおぼえた。同時にヒートテック
それまで暑い室内で脱げなくなると怖いからという理由で冬でも一番下は半袖!を徹底していた。そして肌着なんて着なかった。

小2の時、担任に「シャツ着ろ」と言われたが従わなかった。
これが21歳まで続いた。
去年雷獣というYouTubeチャンネルのオーディション企画で脇汗パッドの汗が溜まり過ぎてそれを取る作業をした後、エアリズム着ろ!と言われた。
なるほどと思った。

これは2021年の11/24のことだった。

多汗症故の一番下は半袖の普通の服一枚徹底!って愚かさとしては
食後に飲めと言われてるロキソニンを反映度という観点から空腹時に飲んでしまうと
似ている

伝わるかしら


21年間生きてきて初めて東大を諦めた理由、など


僕は2021年3月13日の午前3時頃、物心ついてから一度もブレたことのなかった東大志望をやめた。


21年間目指し続けた理由をまずは述べるべきだろう。その後で、やめた訳を述べる。まだ諦めてからそこまで日数が経ってないせいで、そこまで上手く書けてる自信はない。感情は経験によって確かさを増すのだ。まだフワフワしている。かたまるには、東大を諦めたというメンタリティでもっと色々なことに触れていっては感情を蓄積させる必要がある。

現役で灘から東大に行った人間の中に、何故東大に行きたかったか一度も聞かれなかった人間はいると思う。
しかし3浪もしていたら不思議に思う人も出てくる。

・まず21年間も東大を目指し続けた理由

「東大だけを目指して多浪し続ける理由について」という未完成のメモがあったので、これを人が読める体裁にしてなるべくそのまま載せる。未完成である点がなんとも言えず切ない。

言語化は意識を狭めることがあるが、それに自覚的な上ですることは悪くないと考えてるので、可能な限り試みる

3浪の末期に、父に東大文系の中でなぜ文科一類を受けたいか聞かれた

僕は、カッコいい、からと答えた

もちろん、
「論理は好みに勝てないことがあり、説明的になることを意識しすぎることで本当は思ってない理由をこしらえてしまうかもしれないのでなるべく感情に正直な理由を言う」
などの前置きはした。

僕の答えに対して父は
「それは父親としての俺を満足させる答えや」
と答えた。

あくまでも東大文系の中で文一を選んでる理由だが、東大に行きたい理由もさほど変わらないだろう

では理由は、カッコ良いから、だけなのか。唯一なのか。それはある意味で正しくある意味でそうでない。○○でないとカッコ悪いから、みたいなものはいくつか浮かぶ。それも結局行きたい理由はカッコ良いから、に帰着する。複数の角度から見た答え方は存在するが、核にある事は一つだったりする。

たとえば、、
度々言及されるような言説だが
日本の教育は極めて民主的にみえる
公教育において、検定教科書を使えばすべての国民が東大を目指せるかのような建前を守り続けてた。
目指せるというか、敢えて言おう、目指す資格がある、
この欺瞞にいくら10代後半で自覚的になったところで、幼い頃から刷り込まれてきた意識を簡単に捨て去ることはできない。
萩生田文相の身の丈発言もいつか日本においては先見性のある発言だったと、レーニンの平和に関する布告のように評価されるかもしれない(あくまでも未来の価値観を先取りした、というだけの共通点だけど)。が、今ではない。
ましてや灘中高なんかで6年間を過ごしてしまったら、、

男子校で多様な価値観を教えられるのか、認知が歪みまくった人材が育成されてしまう、みたいなタイトルの記事を目にしたことがある。自分は男子校の平均よりバランス感覚があると思い込んでいたので笑うつもりでしっかり読んだ。笑えなくなった。

男子校の競争を是として生徒のやる気を出させる手法は、競争を是としない人々の価値観を受け入れられないというのだ。
僕の場合はまさにこの裏返し。いや裏でもないんだけど。
競争を是とする社会において常にそのことに自覚的でありながら、6年間そのせいで劣等感を感じ続けたということの重みが自分にのしかかってると改めて気づいた。
実際灘はのんびりした社会だ。競争を是としてる!などと日常生活において過度に意識的になることはない。しかしながらそれでも劣等感のアンテナというのは無意識に張り続けて敏感に感じとるものだ。勉強ができるべきだというのは暗黙の了解ではあり続けた。

そう、東大受験を諦めるのは「カッコ悪い」のだ。

みたいな「カッコ良い(????)」理由を答えたが、もう一つ真理のような理由がある。

それは、「諦める理由がないから」

多くの人が東大を目指し続けたいのに、断念する。こんなこと言うとそういう人たちが激怒しそうだけど、幸い諦める理由があったから、という人もいると思う。
この、諦める理由がない、というのは何も受験に限った話ではなく、この世の多くの何故か続いてしまってる悪しき伝統や習慣や色々はこれで説明できるなぁと最近よく思う。寝たきり老人の延命治療とか。
逆に、
東京という都市が古今東西に類を見ない勢いで近代において発展できたのは関東大震災東京大空襲のおかげだ、みたいな説明にも使える。ロンドンなどと比較した場合にだ。こういった外的な国難は 諦める理由がない、みたいなものを諦めさせる強制力だからだ。端的に言うと、関東大震災東京大空襲により既得権益者が保有する建物群を一旦更地にできたために、再開発を進められたということだ。

話が多少逸れた 

僕はいわゆる普通に就職することにおいて浪数の少なさや学歴によって有利さを得たいと考えてないし、僕に金銭面で援助してくれる父は僕の意思を全面的に尊重してくれる。他に行きたい大学は特に浮かばない。そう、諦める理由がないのだ。
それは絶対的に幸せなことであるように見える。いつか受かるのであれば、

他にも結構重要な理由として、東大受験に成功しないと得られない自己肯定感は、その後の人生しゃんと胸を張って生きていくための必要条件だと思った。とか、東大受験を通して、こんな愚かな自分を統制するための自己マネジメント術を見つけたかった、とか、色々挙げられる。


最後に
浪人し続けるのもカッコ悪い。
怠惰なのだから救いようがない
ニートとして一生を終えるかもしれないという恐怖に怯えている
怯えたところで怠惰はなおらない。すこしずつ思い切ったことをして少しずつ直していきたい。
というどうねじ込めば良いかわからなかったセンテンスが残っていた。


(これは3/13以降に書いた)
あと、単純に3年間も浪人したのに東大に受からなかっただけの人になるのがメチャメチャ怖かった。世間は、他に何か取り柄があるわけでもないそんな僕をめちゃめちゃ蔑むと思った。3浪しても、どんなときも。を直後に発表した槇原敬之とはワケが違うのだ。これはもう1年でも浪人してしまった時点で避けられない思考法だった。

これが浪人が沼たる所以だと思う。
非常に僕は臆病なのだ。

余談: 3浪したが大学に行かず、その後売れるまでさらに何年もかかった井上陽水はメチャメチャ不安だっただろうな。ちなみに彼の本名は陽水(あきみ)だ。夏海(なつみ)である僕は、父親に最近その話をした。名付ける時に実は意識してなかったこともなかったらしい。でも、そういうのは指摘されない限り自分から言いたくないらしい。父はそういうところがある。


本当に僕は人生においてダサいことをしないというのを一番重視してるのに。。。したいと思ってるのに。。。
結果的にダサ過ぎる状態になってることが少なくない。

「カッコ悪くたって良い」的カッコ良さってある。でもそうじゃなくてシンプルにダサいことがある。多過ぎる。

・「東大を目指すのをやめた理由」

これはもう徐々にだったけど(普通に3浪の夏くらいに、最悪4浪までするがそれでダメなら東大を諦めるみたいなツイートをしたこともあったし、3浪の末期はとにかく今年は受けるけど4浪でダメならry派と東大に受かるまで受験を続ける派が脳内で大激論。毎日30分ごとに情勢が劇的に変化していた。)

さらに2021年の2月中旬から3月くらいにかけて自分の「認知」の大変動が起きていた。今だって割と過渡期中の過渡期だったりする。原因はあまりにも多岐にわたる。と思う。

3/10の段階で既に過冷却水みたいになってた。
でも最後の2波が大きかった。その2つの波でピキピキピキピキピキピキとかたまっていった

3/11に届いた東大の得点開示がめちゃめちゃ悪かった。これは去年の秋くらいから薄々予感していたことだった。軌道修正しようにも何を信じれば良いのかわからず、デカルトも言ってるようにとりあえず森の外に出るために同じ方向を向いて歩き続けた。

たかが一枚の紙切れだけど、開示のプレゼンスというのは相当デカイ。東大入試というのはハンター試験みたいなところがある。ウルトラエリートたる東大教授達が、僕の答案を正確に査定して下した結果なのだ。いくらずっと悪い予感がしていても、得点開示まではにも断定的なことは言えないなと思ってきた。しかし深刻すぎる現実を突きつけられたのだ。

この点差を1年間で埋められる自信が全くないと感じた。しかも3浪時は満足に勉強できたとは言い難いものの、それまでよりは遥かにマシだったのだ。それでもまだ3/11の時点では、いかにして逆転合格するかのプランを非現実的にならないように注意しながら模索していた。生活におけるあらゆる要素を考慮しながら。経験から。しかし、4浪で東大に受かるビジョンが描けるプランは作れなかった。

この事実について3/13の午前1時くらいからかな、高校の同級生と電話で話した。やはり灘卒の進路をアドバイスによって変えられるための必要条件は、その発言主が灘卒でそれなりに自分を肯定できているに者か、それに類する感じの者であることだと思う。他の人の心から僕を思ってくれる発言には本当に申し訳ないけど。いや語弊があるな。でもとにかく僕にとって相当なプレゼンスを色々な部分において感じさせる人物である必要がある。いやまず普通に灘卒なだけじゃダメだよな。こんな記号的な情報で彼について語りたくないが、彼は生徒会長を務めた人物で、生徒会長の仕事自体はあまりきちんとこなせなかったが海外大に入学した人物で、現役時東大文一に落ちていて、僕は中1の春の遠足で彼と王子動物園でたまたま遭遇したという思い出があり、誕生日が同じで、なんだかんだ言って一貫して尊敬してきた人物だ。彼は、今は、それまで紆余曲折あったがそれなりに上手くやってるように思える。そしてそいつと在学中そういう話はあんまりしなかったんだけど、僕が現在進行形で悩まされて最近自覚的になり克服しようと動いている自意識や強迫観念とかなり似たものにそいつも7年くらい悩まされてきて最近克服したという経緯もある。

そして、たとえば予備校とかに通ったところでこの点差は埋まらないだろう、などという話をした。

だってさ、
物心ついてからずっと東大に行きたくて。
少なくとも中1からずっと定量的に示されるものが、東大に行けるレベルでないといけないという意識を持ち続けてて
勉強しなくて良いなんて思った瞬間は一度もなかった。
それでいて、ずーーーーーーーーーと、めっっっちゃ学力が低かったわけで。勉強習慣も身につかないし、高1の終わりに家で自分が勉強できないこと、一旦家に帰るとなかなか外に出られないことに気づいてからは部活帰りにスタバで勉強する習慣がついたけど、現実逃避で、苦手科目から目を背け続けて、世界史とかやってしまってた。普通に英数を先に固めて最後に地歴は詰めるべきだなんていう常識中の常識は当時からわかってたけど、荷物に地歴の参考書があったらオワリだった。
ちょっとできたりなんとなく充実感が感じられる科目や分野に走ってしまうこの謎の逃避はずっとずっとやめられなかった。


というか、まさか僕が学力が低いことに関して相当強い問題意識を持っていただなんて、中高時代周りに思われてなかったと思う。
本当に僕は自分の意思に不誠実な人間なんだ(この思考法がまずよくないと思ってる。どう思ってるかなんてマジでどうでも良くて、実際どう行動し、結果がどうかが全てだ。それが自分の「気持ち」なのだと捉えるべきだ。)
たとえば2浪時まで、本当に、何故か今までになかった勤勉さを突然発揮することを期待してるフシが常にあったけど。
そういうのも無くなった今、今までの自分のことを考えて、4浪も東大を目指して成績が上がるだろうと考える方が自然さを異常に欠いている。

まぁそういった自分の中で醸成されていた考えはあったから、背中を押してもらったのだ。

・「過冷却の過程について」
これはhttp://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/02/15/213251
を見てもらったらわかるんやけど
2/14くらいに一応精神が動いた。こんな直前期に、なんで?って感じだけど。
多分完璧主義の放棄のようなことができたんだと思う急に。推測だけど。
それにより、東大卒を前提とした人生、みたいなものを諦められた部分があると思う。自分がいかに人生の様々な分野に完璧主義に対する強迫観念を適用させてしまっていたか徐々に気づいていったから。その過程の中で、人生全体という観点からも完璧主義を適用させてしまってるなと思ったんだ。多浪東大卒なんて、どれだけ中途半端な完璧主義なんだっていう話だけど。


他にもたくさん諦める理由があって、、

小さい理由も直近だけでもいくつかある。

3つ上の先輩の「我が母校に入った時点で何をやっても順張りだからな ああ我が母校」で終わる東大の校歌
というツイートを見てホンマにな、って思ったこと。僕は権威の皮を被りたくて東大を目指してた部分は多分にある。学歴は浮き輪だと思うけど、やっぱりある意味それは逃げ。

3/10に雷獣のかべさんが読み上げた
数十年後には日大三つあれば足りるくらい少子化が進む
というネットの記事も、3000人も通ってしまう東大を目指し続けることに対して影響を与えた。

離散を面接で落とされた子がいる。ルシファーさん自体はある意味で好きだけど、。面接が廃止されていたせいで少し前ならルシファーさんを通してた離散がだよ。流石にえぇ?という気持ちになるだろ。

どうせ大好きな地歴の予備校講師みたいな完璧な答案は書けない、とか(世界史荒巻豊志 日本史野島博之)
そういうのを書いて東大の地歴に完全勝利した上で合格したいという歪んだ願望があった。
可能なら未だににそうしたいし、東大の地歴は大好き。
でもどれだけ力をつけても自分のオツムでは150分間の試験時間中緊張もあるだろうし無理と気づいた。なんなら学歴に拘るなら離散を目指すべきだし、東大に拘るなら苦手過ぎる英語のプレゼンスがデカ過ぎる文系にすべきではない。東大文系に拘り続けた理由はそこにある。さらに2次試験で地歴2科目を使える大学は本当に東大しかない。これはおかしいことだと思うがげんにそうだから仕方ない。でも、もうそんなことどうでも良いと思えるようになった。俺は小1で確実に発生した絶対的な歴史好きであるというアイデンティティと、大学入試の科目としての地歴を分けて考えることが初めてできるようになったのだ。


東大に入る理由として民度がメチャ低い東大生がいて…
こんな奴が東大生なんかよ。。。みたいなのをいくつも見てきて、
これに肩書きで負けるわけにいかないっていうのがあったが
学歴というそのものから個人的には自由になりつつあるからどうで良くなった。三島由紀夫みたいに東大を批判するために東大に入る必要はない。


他にも
これは目指してた頃から常に思ってたことやけど
中高時代親しくしてた同級生たちは、本人たちなりの苦労があっただろうが、ただ離散でもない東大に入るのは、一生無理かもなんて思いもしない感じがあった。
そう。東大文系に入るのは、そつなくこなすべきことだというイメージあるのだ。
自分にとってはかなり苦労がいることだけど、大したことではないと思ってるんだよなぁ。大したことではないことを頑張って成し遂げようとしてるんだよなぁ、という気持ちが常にあった。

僕は東大多浪交流会が出してる冊子をよく読むが、僕ほど1浪時のセンターが悪い人はほとんどいなかった。これもとてもひっかかっていた。それでも騙し騙し生きていたけど。やはり受験勉強向いてないよ。

だいじなのは自分の経験を、きちんと挫折という言葉のレッテルを貼って認められることだ。
毎日12時間以上勉強して落ちることだけが挫折ではない。
平均勉強時間が10時間を切っている?落ちて、涙を流す資格もない、と言われたことがある。その通りだと思う。
しかし、涙が出ない悔しさもまた挫折なのだ。
挫折というと、先天性が強かったり、環境要因に近かったりするような原因で何かを諦めるハメになること、という“イメージ”を僕は持っている。地頭が悪いんだ…しゅん…みたいな。
僕は、遅すぎるかもしれないが18歳になった頃から、先天性と後天性の線引きをどうするべきかひどく考えるようになった。20歳になった頃、先天的でないものなんてないと気づいた。2年もかかったし、20年もかかった。その上で見かけの先天性後天性の線引きについての多様性をどう受け入れるかについて考えるようになった。そして、少なくとも、僕は、努力の才能の有無は先天的要因環境要因に入れることにしたのだ。つまり、“努力の才能”の無さを認めるという挫折なのだ。
まぁでもそんなこと言っても何かしらに対しては努力しないと人生が立ち行かなくなるので、どの分野なら自分が努力できるか考えたい。

・「今後どうやって生きていくのか」

人生は長い。僕には希死念慮がない。相変わらずタナトフォビアばかりが増大する。近代ももう少しは続きそうだ。どうせ人はいつか死ぬのに頑張っても仕方ないみたいな虚無主義に陥ることも多いけど、それでも、希死念慮がゼロの中毎日生きていかないといけない。生きていくからには僕は向上心は強い方だ。漫然とは生きられない。

徹底的に
可能な限り絶望してみた
本当に徹底的に絶望するべきだと思った。なぜなら、完璧な絶望などといったものは存在しないから。完璧な文章が存在しないように。
人生のあらゆる分野における完璧主義の放棄へと動き出した僕は、
それまで以上に
重量を減らすために荷物を放り出すエンジンの故障した飛行機のように、様々なことを諦めてきた。
その上で何か自分にでもできることが見えてくるのだと思う。このことに中学に入る前に気づいてる人は案外多いのではないか。僕は21歳になるまで気づけなかった。この時点でいかに精神がある意味で非常に未熟だったかがバレるんだけど。

まぁそれでも高卒で社会の荒波を渡り切る勇気はないなとはなった。東大か高卒かみたいな精神をずっと続けてきて、東大諦めて、高卒の中でしばらく選択肢考えて、やっぱり4年制大学くらいは出ておこうという気持ちににはなった。中1から続いてきた精神性とは完全に決別するけど。とにかく4浪でどこかしらの大学には入り、そこから自分にできる範囲で人生を切り開いていく所存。今言えるのはそれだけ。

完璧主義に関して言えば
0 100だったのよ
東大が100それ以外が0みたいな
自己肯定感とか
学歴コンプに関して言えばさ
80を得て20は妥協するみたいなことで実はかなり気持ちが軽くなるはずなのに
その20が結構達成するのが大変みたいな時でも
僕は100と99の差がデカすぎるみたいに捉えてしまうことがあったからさ
現状日本の大学入試は英語がある適度できることが前提というか
下手したら等比数列の和の公式が怪しくても「一流大学」は通るが、共通テストリスニングが安定してるレベルじゃないとまともな大学には通らないみたいなそういうフシがある。
そのせいでどこの大学にも通らないんじゃないかみたいな気持ちがあり、0 100の0みたいな状況になってる。
だから
受験レベルの英語コンプを極力解消して、とりあえず80を満たせる自信をつけようと思う。

余談: 3/14に勇気を出して父に東大を目指し続けるのをやめることを告白した。その時、国立医学部に入るために6浪した父に、実は3浪時仮面先にしようと思って受けた関学商学部に落ちたことを今まで虚栄心から黙っていたことを突然謝られた(父は3浪時阪大経済も仮面先の予定で受けて落ちてて、そのことは僕が3浪が決まった時に教えられたが、その時は阪大経済しか受けていなかったかのような口ぶりだった。)

追記:(全体のまとめみたいな結果的に内容になった)

僕の中高時代の思い出には常にモヤのようなモノがかかっている。
起きてた時間の中で、何をやってた時間が一番長かったかというとTwitterを使うことだけど、
それでも、少なくとも高校時代に関して言えば、多分Wikipediaに概要を書かれるとしたら成績が悪かったこと以外はかなり充実してる感じに見える3年間だった。
卒業にギリギリくらいの出席日数と遅刻回数だったけど、それでも、学校に存在してた時の、休み時間や部活のrest中の談笑は思い返せば楽しかったと思う。
思い出バイアスを考慮したとしても、「良い」高校時代だったのだ。

結構嫌なことも沢山あったけど、それは青春のヴェールを纏うことで美化されている。青春という語は、もはや最近、星新一が言うようなイメージが定着しつつある。つまり、商業主義が生み出した虚像たる明るくかっこよくスイスイしたイメージより、暗くて不器用なものというイメージを想起させる語になったということだ。そして、それがまた味わいがあるよなみたいな段階に僕はなった。

まぁそれは僕が高校時代のある意味での相対化に成功してるからであり、阿久悠も言ってるように、青春時代の真ん中は胸に棘さすことばかりなのだ。

話がズレた。それになんか引用ばっかだな。

なんにせよ黒歴史は沢山あるけど暗黒時代では全くないみたいな感じだったのだ

それでも「モヤ」がかかってるのは何故か。

勉強があまりにもできなかったからだ。それに尽きる。だからこそ変に引け目を感じて挑戦できなかったことも沢山ある。それは高校卒業後の3年間も続いた。受験勉強以外のことは、小腹満たしみたいなことばかり。でもその間食を取る頻度自体は高くて、主食たる受験勉強も少ししか食べられない。どうしようもないですね。

この3年間
楽しいことなんて何もなかった、
なんていうと一緒に楽しい経験を共有した相手に失礼だからそんなことは言わないけど、基本的には孤独にダラダラしていただけだ。

話がよくズレる

とにかく6年間、中学入学以来常に成績が悪いから劣等感を感じるし、学校の授業の内容を習得できてないという“積み残し”があるという気持ちから常に生活に閉塞感を感じていた。
いや、中学入学前のスタートダッシュみたいな期間にflowerなどのスペルを覚えることを難儀に感じて以来かな

コインロッカー・ベイビーズを読んでる時、自分が学歴社会というコインロッカーの中にいるなぁなんていうイキったことを思った。

成績が悪くても高3くらいまでそのことを気にしてなかったと言っている奴もいるのでよくわからない。

このとにかく常に存在していた生活の「閉塞感」が、思い出にかかる「モヤ」の正体だ。

自分の10代を遡及的に肯定するために東大に受かろうとしていた。
それはある側面でのみ可能だろうけど、そうすれば中高の勉強の「積み残し」を解消できると思って。
一応高校は卒業できたしそれで良いじゃないかって思えなかった。履修したことになったんだよ!って思えなかった。
中高の勉強の「及第点」を満たせる基準って、東京大学合格くらいしか浮かばなかった。




起こってしまったことはすべて良いことであるbyボーソレイユ

様々な配慮を欠いているかもしれないが、僕はこの言葉が好きだ。

過去に対する完璧主義も捨てよう。
あまりにも無意味だから。
なんだそれはって感じがするよ。
その環境要因の蓄積物が自分である以上、良い、とまでは言えないかもしれないが、フラットに捉えるべきだ。

・追追記
信じてもらえないだろうが
東大くらい入っておかないとみんなに嫌われてしまう!4浪だしもう
という気持ちが実はあった。


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カテゴリの名前も分別もあまりにも適当すぎて、、基準が難し過ぎて。。。。
いつかなんとかします


【日誌以外】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/日誌以外?_ga=2.93227549.1048498732.1617358701-2076184799.1616472379
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【特に良い、など、】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/特に良い、など?_ga=2.189156907.1048498732.1617358701-2076184799.1616472379
 ・
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2020/06/09/184154

僕の良さが詰まってる“基本”と信頼できる人に言われた。

【準】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E6%AC%A1%E7%82%B9
【好きな音楽とか】
https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E9%9F%B3%E6%A5%BD
【ツイート下書き集的な】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%8B%E6%9B%B8%E3%81%8D%E9%9B%86%E7%9A%84%E3%81%AA


【日誌】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E6%97%A5%E8%AA%8C

タイムラプス勉強法というのをやってました。これに対して否定的です。勉強はそんなことしなくてもできるべきです。普通にみんなわかってることだけど、努力の醍醐味って陰ですることであり、さらに過程ってどうでもよくてそれが結果としてドンと発現することに価値があると考えているのに、それを可視化してわざわざ発表してしまうだなんて。でももう戻れない身体になってしまっていました。そしてそんな勉強タイムラプスの言い訳として長々と日誌を書いてました。毎回。日記は別につけててその外面良いverです。


【自己紹介?】
誰にも読まれてなくても仕方ないとは思いつつ、2浪の春から決して手抜きをせず文章を書くようにしてきました。誤字脱字は多いですが

わざわざツイートとしてあるとなんとなく居心地の悪い内容もブログにすることが多いです。
Twitterに共有したりしなかったりします。これも居心地の問題です。

正直2浪の初期とかに書いた記事とか今とかなり違う価値観に基づいて書いていたりしますが、その考えの変化も含めて良いんじゃないかなって思ってて。。。

ブログタイトルは高校時代に担任団の国語教師が授業中に、寝てる生徒が多いことに言及して、ボロっと放った一言です。僕は失礼な話、彼の授業をあまり真剣に聞けてなかったし、授業態度も悪かった。しかし、何気ない一言はめちゃめちゃ覚えているものなのだ。