「自意識」に関する補足

「自意識」について


一応、
テレビスターが、夢だった。破〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/29/205335
の【自意識の輪郭】の内容を前提として書いています(あまり通俗的な用法ではない自意識まで説明もなしに自意識で括って書いてる可能性がある。)

自分の認識上の様々な問題点を自意識のレッテル勝手に喜んでる
敵を捉えた気になってる。
それは危険だと思う
しかしながら、ゼロからの自意識なので別に良いかなと
予備校で初めて5文形の話を聞いてぜんぶそれで説明できる気になっても最初は構わないだろう

考えてみれば自意識ってあまりにも適用範囲が広い。
他者と関わることって全部自意識くんの出番やん。
他者というものを過度に意識すべきではないという謎の信条を物心ついた頃から過度に持っていたせい(もしかしたらその裏返し?)かもしれない。そのせいで反動的にこの歳になって過度に考えるようになったということ。自分は自己と他者の関係というものに対する理解が浅いという危機感がある。


正直、自意識という敵を同定してから日が浅すぎて、自意識対策の凡庸なまとめサイトによく書いてあるようなことを最近自分にあった気づき(笑笑笑)としてダラダラ語ってる可能性がある。

そういえば、何事も(笑笑笑)をつけて自分はこういう通俗的というか陳腐な表現を敢えて使うけどそういう自覚はありますよ的なアピールをしないと生きていけないのも自意識によるゴミ意識だよな。しかしまだしばらくこれからは自由になれそうにない。


だいたいから言って僕は自意識を扱ってる作品好きな傾向にある。
たとえは漫画だと惡の華とかさくらの唄は前半で割と全面にそれを押し出している。
単に自意識という語のレッテルを貼れていなかったというフシもある。

自意識というのは割りかし多くの人がある程度強くは持っているもので、

ただ何故僕がこんなに苦しむのか。
それは悲しいことに顕示欲が強いからだ。

顕示欲が強いが故、以外にも特異な状況に置かれることがなぜか多く(不適合故?そんな自称なんてホントは絶対にしたくないが)、
なんにせよ「自意識」を試される機会が多い気がする。
多汗症故冬の室内から出た瞬間半袖に大量の上着を手に持った状態で歩く羽目になって都会だと恥ずかしいとか、
普通に多浪だから模試とかで生年月日書くのが恥ずかしいとか、
苦手な野菜が多くて、飲食店で抜いてもらうのをお願いするのが恥ずかしいだとか(あとは、お待たせしました!○○ネギ抜きです!と大きな声で言われる時とか。)
それともみんな我慢してるのか???


てか僕が結構連呼してた「虚栄心」とかもまぁ自意識の所作だよな

先に、ラスボス的な話をする

とある高校の同級生と2浪時会った時に、

僕は浪人を機に大学に受かったわけでもないのに訳あって関西から関東に移住して一人暮らしを始めたわけだが、この事実は他のとある同級生に知られたくなくて(その人物はそういうことに対してチクチクした感情を持ちそうだから)噂はすぐ広まるものだし最初は高校の同級生達に隠しておく方針だった、みたいな話をしたら、

「(僕の苗字)は、そういうのを気にするの好きやもんな」

と何気なく言われた。

めちゃめちゃ俺の急所を的確に触るのが上手いなと思った。偶然かもしれんけど

正の自意識と負の自意識(まぁそれぞれあんまり良いもんではない)が互いにバチバチに炸裂してて、しかもそれぞれは打ち消し合うものじゃないみたいな、そういう自意識。
これを自意識って言うと当時は知らなかった。

今はね、つまり、ブログにこういうことを書いて全世界に向けて発信してしまうくらい

「マイナス属性自意識強くて苦しんでるんですつらいんです可哀想でしょ」とアピールしてしまうというプラスの自意識が炸裂してる期。


一応、正の自意識というのは過剰に他人は自分に関心を持ってくれてるだろうと思うこと、負の自意識というのはあまり人に注意を向けられたくないようなことに関して、過度に人は自分についてネガティブな感情を持っているだろうと思うこと、を指すつもりだ。

たとえば、割と親しいと思ってた人が、意外にも僕の公開してる情報を見てなかったりすると、割とえぇ!ってなる。そういう意味では正の自意識はかなり持ってて、ただ正の自意識を持ってるという事実を人に悟られるのが恥ずかしいという負の自意識で隠してしまう感じがある。というか、それがかなりすべての僕の根本だ。

そのせいで、みんな僕のことなんかどうでも良いんだ、、それなのにみんなに興味を持ってもらえてる前提で振る舞うのは恥ずかしいのでなるべく顕示的でない生き方をつとめようってよく思ってしまう。みんな僕にそんな興味ない。それはある意味で事実だけど、それは別に大した問題ではない。人間ってそういうものなのに、隠れ正の自意識の強さのせいで、過度に負の自意識を高めてしまう。反動的に。ずっとこの繰り返しだった。僕の人生。


勝手に正の自意識 負の自意識みたいな概念を導入して喜んでしまっている。


様々な形で発現している多種多様な自意識過剰のちょっとした例をさらにさらっと列挙していく


書店で

日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」「一度読んだら忘れない世界史の教科書」「人は話し方が9割」「「育ちがいい人」だけが知っていること」「世界のエリートが学んでるMBAマーケティング必読書50冊を1冊に」みたいな本が平積みされてるのを見て、

一応内容をパラパラ見るためにすら触れられない。周りの視線が気になってしまう。視界の最外縁で存在を確認するのが限界。少なくとも新宿の紀伊國屋では無理だ。新宿のブックファースト(結構人がまばら)ならギリできるかなというレベル。それらの「立ち読み」のためにKindleを入れる必要がある。


俺は黒烏龍茶の味が好きで飲んでるわけだけでトクホだから飲んでるわけじゃないから、そう思われたら嫌だから店頭で黒烏龍茶を買えなかった。
実は脂肪を減らすシールが貼ってるやつも同様。

アルコール消毒とかしょうもないと思ってるので、店員に気にしてると思われたくなくて、あえて除菌とかへの言及のない表示のやつを選んで買ってしまう。 



雷獣オーディションで、好きなテレビ番組を聞かれて、反射神経的に「ないです」と答えてしまった。あるのに。そしてさらに、ポロッと「全部おもんない」と言ってしまった。そのセリフには字幕までついていた。このことを引きずってる。思ってもないことを言ってしまい、それが視聴者の記憶に刻まれてしまったのではないか…?

テレビ全般をデカい主語で批判したくない。

休憩時間、リラックスして喋ってる時僕は面白いことが言えて、普段ならそんなこと言わないのにアドリブでキングオブコント出たらryみたいなことを口走ってしまい(やはり精神状態が変だったのか)お笑いを舐めるなwみたいなことを言われてしまう。僕も本当にそう思う。しかし咄嗟に、「思ってもないことを言ってしまった」みたいな弁解もできなかった。これにより彼らに失望されたのではないか…?

などと気を揉んでいる。



今まで気にしてた色んなことも結構自意識の所作的なことが多い

2浪時世界史の授業で、
砲艦外交を英語でなんていうかっていう時に
適当に耳に残ってた感じで、ガンディードディプロマシーと言ってしまった。
正確にはガンボートだ。本当に直訳でgun boat diplomacyなのだ。
適当な知識でイキって恥をかいた。
講師や周りの生徒に未だに覚えられてて、内心バカにされてるんじゃないか?って不安に思ってる。


中学の時の修学旅行的なやつで、同級生と見てたTVから曲をyesterday とimagineを逆に言ってしまった。間違えのレベルが低すぎる。The Beatlesについてなんも知らん人の発言やん。何年も引きずり、何年か経ってから、その同級生にあの時恥ずかしいことを言ったがry、などと言ったことがある。やはり気にしていなかった。


平日の昼間にランニングできない。浪人生故平日の昼間にランニングできてしまってると思われるのが恥ずかしい。誰も思わないのに。スーツ着て歩いてる人が、自分をどう見るだろうと思う。何も思わないだろう。働いてて平日休みの人だっているのに。それでも気にしてしまう。終わってる。

リプライを送れない自意識もある

全身陰茎男が「どしたん、話聞こか^_^」
「それは彼氏が悪いわ」などと言っているイラストがある。アレを描いた人間は天才だと思うし、初めて見た時以降も何回もアレを見ては笑ってきた。
が、
そういった意識にあまりにも囚われている。そもそも同性相手にすらちょっとしたリプライを送るのにも抵抗があるみたいな観念も根底にあるし、、
ただ少なくとも高1の時はそういう意識がなかったので、これはインターネットに歪められた感じがあるかもしらない。そして、多くの人が持ってる種類の自意識かもしれない。


実は、
デカイ主語やネットで見かける断定的な口調にたびたび傷つくのも
自意識が強いからなのかもしれない。

ただ、
たとえば真っ当な服装で外に出るとかも自意識のせいなわけで

まぁその自意識すら克服してる「成功者は多いが…」

流石にその自意識くらいはあっても良いわけで、、

自意識の中庸を探したいですね…!(僕の結論は全部これ)