声刀で軽々しく「(しが数と)もう友達やもんな」と言ってしまった。

 2026年6/2 24:30-25:00放送回の声刀で軽々しく「(しが数と)もう友達やもんな」と言ってしまった。これにはある種の暴力性があったなと深く反省している。

 しが数は高校時代友達が2人しかいなかったと常日頃から言っており(当然私ナツミートは含まれない)、一方で私は学年220人中割とほぼ全員に近い人間と話すことができたという対比構造がある。雷獣でしが数と我々灘校70回生の卒アルを見るという企画をやった際、思いの外、自分が多くの同級生の話せるようなエピソードを持っているなと感じたこともあり、僕は同級生の「友達」が多い、という自覚になってしまっていた。

 しかし僕は少なくとも高3のある時点くらいまで自分にとって「友達」という語でいかなる人間もカテゴライズしていなかった。それは人間関係や精神的繋がりに言及する語を明らかに冷笑していたからかもしれない。冷笑していたというよりも、そういうものが自分に必要だとすることを恥ずかしがっていただけかもしれないが。シンプルに「友達」という語が持つ通俗性が厭だっただけなのかもしれない。この便利で暖かい響きを拒否していた。

 勿論、遡及的にあれは「友達」だったなぁという同級生もTwitterのフォロワーも沢山いる。高校時代は定期考査終わりによく同級生とカラオケに行っていたし、つい放課後教室で同級生と「駄弁り」続けてしまったりすることも数多くあった。まぁただ、一つ言えるのはなんでもない日に予定を決めて人と「遊び」に行くということはあまりしなかったということだ。Twitterのフォロワーとエンカすることこそあったが、改めて人間関係的な何かを計画するということに積極的ではなかった。

※ナツミートは「遊ぶ」や「駄弁る」といった語が未だに苦手。

 それはそうとして「友達」という語はかなりの相互性を帯びている。いきなり卑近な論点になるが、お互いが基準を持っており、お互いの基準に当てはまっていなければそれはこの二人が友達関係ということにならない、と考えていた。一方的に思い思われてても、ということだ。しかし、これも交際と同じで、たとえば宮臺眞司(宮台真司)によれば「告る」というのは戦後日本に特有の文化だという。告白してOKされたから交際開始といったものは極めて歪で、世界的に考えれば交際関係にあるというのは自然とステディな関係になっていって内的なシンクロを感じられるという共通認識そのものである。こういうことがわかれば所謂告白に近い儀式をする部族があるにせよ、イキ告なんてことは起こらない。友達という語に関しても同じことがいえる。

 だから、まぁ、しが数と雷獣のおかげで沢山話すようになり、内的なシンクロがあるとは感じられてるいるため「友達」と言っても良いのだが、それでも自分の「友達」という語に関する歴史を考えると、いやまぁこれは自分の中の繊細めいた部分をアピールしたいに過ぎないわけだが、あまりにも軽々しくかなり反射神経的に「もう友達やもんなと」言ってしまったので、これはある種の暴力性があったなと反省しているのである。

PS ちなみに私が友達という語を使えるようになったきっかけは、たまたま同じマンションに住むことになった友人(https://youtu.be/DAB70loTDVk?si=fDFR6_t8ysxs7Hfs この動画の9:08とかに出てくる ちなみに誤解されがちだが同居していたわけではなく、お互いの親がたまたま同じマンションを選び、同じマンションの違う部屋に住んでいた)、に高3の時に「わけあって(この理由は割愛)鍵アカからツイートをふぁぼしており、ふぁぼの気持ちが伝えられてないがとてもツイートが好きなのでもしよければ会いませんか」とDMし、7月28日に彼がボランティアをしていた芦屋サマーカーニバルに遊びに行き、会い、そしてそこから何度も予定を決めてはただただコメダ珈琲で話すといったことを繰り返すようになったことである。これは流石に「友達」と言っても差し支えないだろうということで、はじめて「友達」という語が使えるようになった。同じ学校ではなかったため、わざわざ会わないといけない、という点も良かった。そのわざわざ予定を決めて何度も会ったという既成事実が友達同士であるという自覚をもたらした。


 

或るバイト時、大変不快事有(仮)

或るバイト時、大変不快事有(仮)

※誤字訂正や内容追加など随時おこないます、

バイト先の同僚のことが明確に嫌いになった、と思った。

そう思った翌日もその翌日も、休憩が一緒で、彼は相変わらず話しかけてきたが、最初は目を合わせず表情も変えず応答していたが、だんだんと憎しみが薄れてきてしまった。

しかし、あんなに急に一気に頭に血が上る経験をしたのはいつぶりだろうか その時の気持ちは忘れたくない。

なかなか文章では伝わりづらい部分もあると思うが、書かずにはいられないので、とりあえずこのはてなブログに記す、読んでくださると幸いだ、感情がエピソードとして昇華(sublimation)される気がする。

わたしが今やっているバイトは夜勤の警備である 工事により通行止めが生じている道路に立ち、車両などを誘導する。

現場仕事なので、どんなパワハラにも耐える所存で入ったが、むしろ工事現場から聞こえてくる語気の強い言葉と比べると、驚くほど先輩達は優しいと感じてきた。

拘束時間は一番長くて19:45〜5:00で1万4000円貰える。一番短くて0:00〜5:00で1万3000円貰える。実際5時まで拘束されることはなく1時半に終わったこともある。時給計算するとなかなか良いバイトだが、主なストレスは何もせずに車も一台も通らない時間が暇過ぎるが、スマホを触れないため、思いついたことをメモれずつらいということだ。これについてはまた別の記事で触れようと思う。まぁしかし7時間拘束でも時給2000円なので文句は言えないなといつも思っている。

派遣される現場は日によって異なるが、15回くらい現場が同じになり、90分立哨しては30分休憩というサイクルの中で、休憩が一緒になるととにかくよく話しかけてくる警備歴20年以上のメガネのスキンヘッドで顔が丸い、1980年生まれの同僚がいる。他の同僚はむやみやたらと話しかけてき過ぎるということはない。休憩が一緒になっても特に話題がなければお互いスマホを触っている。しかし、この人だけはとにかく話しかけてくる。自分がその時言及し得ることはすべて相手に対して発さないといけないという使命感に駆られているとしか思えない。botだと思っている。そのためとにかく同じ話をしてくる。それは雑談から説教じみたものへと及ぶ。しかし、そこに感情の奥行きは見られない。とにかく何か喋れるなら喋ってるという感じだ。しかし、とにかく多くのことをこの2ヶ月ちょっとの間に話された。

・柔道のインターハイに出たことが誇り

・高校を2回留年している 停学になったこともあり、それで寺に送られたこともあるらしい

・釣りの世界大会で優勝したことがある。

・多摩川で鰻を釣ることができる 下流だと漁業権関係ない 深大寺というところで沢山ミミズがとれてそれで釣れる ペットボトルを使って釣ることもできる YouTubeの企画に良いんじゃないかと言われた エイとかも釣れるらしい(詰所で休憩時間に動画編集していたため僕がYouTubeをやってることはバレている)(この話は3回はされた)

・本当に何の脈絡もなく「YouTuber!」とか言ってくる YouTube最近やってるのか いえ最近上げられてないです やめたのか やめたわけではありません このようなコミュニケーションは何回もした。

・調理師免許持っている 割烹で働いていたがこのバイトの方が割りが良いらしい

・amazonで低温調理器を2個も買ってしまった

・備蓄米はガス炊きすると食べられるが、炊飯器だととても食べられたものではない。

・探偵物語の助監督がこのバイトをしてたらしい 終電後の新宿駅の警備とかの時、その無人の新宿駅の様子に関心を持ってたらしい(この話も3回はされた その度に「俺達の仕事は普通の人が入れねぇところを見られるから」という)

・秋田県の人は顔が丸いという 秋田県出身有名人の話になり ハナコ岡部 佐々木希 藤あや子などの名前が上がる中、いけちゃんの写真を見せたらほらやっぱり顔丸いでしょと言った

・釣竿つい沢山買ってしまうのが怖いのでクレカを持たないようにしているらしい

・自宅にフライパン8個ある

・好きな音楽のジャンルはメロコア 代表的なアーティストはMUCCでとにかく歌詞が暗いビジュアル系が好き 歌詞が暗過ぎて、自分より絶望している内容で安心できるのだという

・地元の最低賃金が低いというだけの理由で東京に住んでいる

・親が地元のB級グルメを考案したらしい

・将太の寿司を知っていた

・最近のアーティストでは米津玄師と秦基博を評価している

・同じ場所で立哨して一緒に詰所に休憩しに行くときに、あまりに歩くのが遅いのでそのことを指摘したら「俺はトボトボ歩くのが好きなんだよ」と言う。

・関西人のくせに僕は滑舌が悪くもごもご喋る(そいつの滑舌にしてもかなり悪いのだが)

・口癖は「見とけ〜」「覚えろ〜」「笑いごとじゃなくて」「俺らの仕事は、危ねぇ!を言うだけの仕事 危ないと思ったらとにかく止めとけ」 どの会話の流れからこういった説教パートに繋げられるかわからない シフトどれくらい入ってるか→上手くならないと入れてもらえなくなるぞ今は人足りてないから良いかもしれないけど→言っとくけど俺ら給料一緒だから 固定メンバーが4人くらいいるが別にできるなら誰がきてくれても俺らとしちゃ別にカンケーねぇから そして、一度車両誘導の際、僕がすみやかに歩行者誘導に移れなくて今の伊東くんのは50点以下と言われたことがあったが、その件を何回も引き合いにして、今の君じゃあリーダー会議で伊東くんどうですか?と聞かれても、伊東くんだめですと言うしかないとかみたいな話をめっちゃしてくる。一回言えばわかるのに。

まぁ、とにかく聞きたくもないつまらないおじさんの話を聞くことで休憩中メモやTwitterや動画市長の時間なども奪われてて、でもそれはまぁ感情労働みたいなもので、職場の人間関係を良好しておけば後々ラクだろうしということで受け入れていたが、それはただの希望的観測だったようで、この人の話を聞くのを受け入れててもこんなぞんざいなことを言われるのである。

ただそうはいっても休憩中、その人の好きそうな話題を引き出すと嬉しそうに話す。話したそうなことを話させておけば相手は満たされるだろうし、これは意味があることだと思っていた。私も思い上がっていた。話を聞いて「あげてる」のだから、相当好かれていて当然だと。

そして大不快事の日のことだ

通行止めをしていて、それが解除されたため、様々なものを片付けるという段にあって、

別のKさんという作業員の人と僕が、現場を囲うための三角コーンとバーをもっと重いバリケードに置き換えるという作業を、路上に並べた三角コーンを取ってくるという作業より優先していたため

そいつは「Kさん、鈴木くん、路上の三角コーンが先」
と言った。

そう、15回くらい同じ現場になっている僕の名前を間違った名前ではっきりと言い切ったのだ。

一応擁護できる点はあり、僕と同じ大学の者がもう一人このバイトをやっており、彼の名前は鈴木という 混同したのだと思う でも僕の名前を覚えて欲しくて僕はこう言った。

「鈴木くんて誰ですか」
へ?
「僕、伊東です」

それに対してこいつは「くそだか何だかしらねぇけど早くコーン持ってこい」と言った。

その瞬間一気に頭に血が上る感覚があった。狼狽した。ブチギレるべきだった。「まずはごめんなさいちゃうんけワレ」と首根っこ掴んで言うべきだった。しかし急にキレる新人だと思われるわけにも、上に報告されるわけにも、現場の空気を悪くするわけにもいかなかった。大切な収入源だ。これほどまでに自分は無力なのかと思った。怒りは2次感情だと言うが、1次感情の悲しみ悔しさは見えなかった。そしてやりきれなさだけが襲ってきた。こんなやつのことを突き飛ばせない、こんな奴が上司のバイトを辞めることになったら困ると思っている。

あと、一言謝ることが人間の感情にとってこんな大事だとは知らなかった。一言、「あ、伊東くんね」だとか「ごめん」だとかあれば全く問題なかった。こいつが人の名前を覚えるのが苦手なのは知っている。そもそも同じ話を何回もしてしまうのは記憶力が低下しているからだし。

しかし謝ってくださいと言っても無駄だ。今までの会話からして、こいつは俺がどう思おうが知ったこっちゃないし、仕事で使えるかどうかが全てなのだ。今まで談笑の相手をしてきたのは無駄だった。こんなに礼儀がないことをしても何が悪いかわからないと思う。勿論それは僕の決めつけだが。

もう1秒もこいつのためにカロリーを使って1つの脳細胞も動かしたくないと思った。

これがその直後のツイートです。

その後、なんだその目は、と言われないような目を続けるのがかなり難しかった。ここで不機嫌になっても仕方ない。こいつは自分が言ったことすら忘れていると思うから。

昔から一度嫌いな人ができると毎日学校が辛かった。親に泣きついたこともあった。しかし人間関係に対する潔癖さを特に大学入学後は全人口の中でもかなり持っていない方になれたと思っていた。しかし僕はまだまだ営業職とかは当然能力のみならず対人受容度的にも無理な、全然大人になれていない存在だった。お金のためであればどんな感情労働も引き受けなければならない。

このような気持ちを抱きながら帰路についた。

しかし、翌日翌々日も休憩が一緒で、まだストレスではあったが、もう大丈夫になってしまった。

彼は家で作ったハンバーガーの写真を見せてくれた。ハンバーグを普通に作る時より圧縮しないとフワフワ過ぎてハンバーガーに挟むハンバーグとしては不適な感じになるのだという。

なんか相手を赦せてしまったことは、僕の青年期が完全に終わったみたいで、哀しい。

PS 今日会社から全体LINEで昨日彼が脳梗塞で倒れたことを知った なんかこんな悪く言ってしまい申し訳なくなった 同じ話何回もしてしまってたのは絶対その前兆やん 意識はあって会話はできるらしい 本当によかった。

しかし、なんとも微妙な気持ちになる話で、そのため公開するかどうか大変迷いはした。


2/6(火)

この日記は2/6(火)の日中について主に記す。

2/5(月)20時に起きる たすけてくれ

なんでこんなことになった?

前日(2/4(日))16:30に起きた。友人の家で夜期末試験の勉強をする。このまま夜を徹して勉強をして、そのまま起き続けるのが筋だと思った。しかし、8時くらいに仮眠をとろうとしたのがまずかった。なんかめちゃめちゃ雪が降る日だったのだ。移動手段をチャリに依存しているため外に出て勉強するほどの瞬間的意志力を二度寝の誘惑の中では発揮できる可能性の低さともう少しきちんと向き合うべきだった。

暖か過ぎる部屋の中の二度寝の誘惑はおすすめ欄に似ている。暖か過ぎる部屋の中で二度寝をする気持ちよさを味わいたいという願望を普段起きている時は持たない。寝起きの眼が出会った部屋が暖かく、また決定的に起きる時間を設定していないという時に無防備に襲いかかる魔物のようなものだ。

20時に起きてまず入浴をしなければならないと思った。しかし、次家を出るのはいつでも良い。朝方のいつかだ。まだ除雪車が仕事をしていないし、勉強するためにココスなどに向けてチャリを飛ばすといったことはできない。夜を徹するのは確定しており、僕は夜は長いと錯覚している。

雪が降ることの生活上の困難などをしばらく恨みがましくツイートしていたが、入浴前にセブンイレブンにでも行こうと思い家を出たら途端にテンションが上がる、犬なので。
セブンまでの道にある公園でアベックが雪だるまを作っていたので対抗?をしてちっちゃな雪だるまを作る。雪だるまを作るのは難しい。漫然とコロコロしていても雪だるま式に、とはならない。まるで特定の科目の勉強時間に偏りのある受験生の成績みたいになる。それを写真に撮ってInstagramのストーリーにアップロードした。
セブンからの帰り道、アベックが作った雪だるまがとんでもなく大きくなっていたので、自分の残した雪だるま越しに写真に撮ってそれもInstagramのストーリーにアップロードした。

帰宅して居室で期末試験対策に邁進できたわけがない。
ただ、金曜日に試験がある「憲法一部」の夏休み中に行われた講義の録音がウェブ上にアップロードされていたので聴いてみた。
そうすると、今まで雲を掴むような感じだった憲法判例のポイントがみえてきた、他の授業に出てこなかったことを悔やんでも後の祭りだが。
きょうは7:00に開店する駅直結の上島珈琲店でまず自習して、その後図書館で今日提出期限の「外国史概説(西洋史)」の期末レポートの参考になりそうな本を見つけてレポートを仕上げ、部活に行くつもりだが、部活のある体育館は遠いためチャリを使っていきたい。しかし、雪の中チャリを使えるか不安なので下見に行くことにした。スマホの充電残量が微妙だったのでスマホは置いて行った。
大学内はアーケード部分が多く、チャリで爆走できると確信、そしてなんとか駅前に到達した。駅前の道は氷床と化していたので雪を丸めてボーリングみたいにして遊んだ後、家から駅までの道は結構雪が積もっていたのでチャリを駅前に置いてバスで帰宅。
バスで一時帰宅して、スマホを開くと今日のBereal.を逃していた。
帰宅してダラダラしてたが、「憲法一部」の試験範囲である「判例百選」を解説している動画をYouTubeで見つけた。授業音声を聴いて講義で解説されることに可能性を非常に感じていたため、これだ!と興奮し、40秒で支度して家を出る。はやく上島珈琲店でこれを見尽くさなければならない。
しかしバス停までの道で、当のスマホを忘れていることに気づく。
普段そこまで忘れ物が多い方ではないという驕り高ぶった自認があるが、それはそうと、自分の中で心の中に閃きのように起床外出圧力が発生した場合、この気持ちのまま外に出ないという気持ちになり極めて急いで焦って準備をするため、このように忘れ物をする確率がめちゃめちゃ上がる。
先週「公共経営論」の最終レポートのために図書館で借りた本も図書館に行くついでに今日返しに行きたかったが、当然荷物の中に含むのを忘れた。
一回帰宅したが最後、部活の時間のギリギリまで在宅してしまい在宅して勉強するわけがないことは明らかなので一回外出したら絶対に家に帰らない。普段、機動力に富んだチャリで移動する時ですらそうなのだから、況んや雪の日をや。

それでもスマホだけ取ってすぐにバス停にまた向かい直し、10:57に上島珈琲店着。店内店外ともにメニューからは仕舞われていたが11時まではモーニングなので滑り込みに成功したということになってくる、クロックムッシュ

判例百選の動画は期待外れだった、完全に無意味ではなかったし、そのまま仮眠をしてしまいかねないような状況での閃くような外出圧力になったので良かったが。

しかし、書店で憲法の試験の解説書とかあれば役に立つかもしれないと思い、さらに六法全書は試験に持ち込み可で、当初は憲法だけのために六法は…ポケット憲法とかって売ってないし(あったとしてもフリーペーパーみたいになるだろう)と思っていたが、折角持ち込めるものがあるのに持たないのは勿体無いし一家に一冊六法全書だろと思い、上島珈琲店を出て図書館に行く間の時間に駅前のイトーヨーカドーの書店へ。

法律関連の参考書は一切置いておらず、ビジネスコーナーにポケット六法があり他に憲法の参考になりそうなテキストもなかった。ケッ、と思い、南大沢駅前にあるもう一つの書店である、フォレストモールの蔦屋書店に法律関連の参考書コーナーがあることを期待し、そこで六法もまとめて買おうという気持ちになる。

イトーヨーカドーでは、雪で靴がめちゃめちゃ濡れていたので4000弱のレディースかもしれない少し小さい長靴だけ買って出ることにした。
そしてフォレストモールへ移動。蔦屋書店には憲法の参考書どころかポケット6法もない、圧倒的徒労感、イトヨに戻るか。
スマホの充電やばめだったので、駅前でChargeSPOTを借りた瞬間に全てを忘れてイトヨを通過してチャリ置き場へ、チャリで図書館に向かう、こういうのを鳥頭という。
ヘアミルクを買うつもりだった駅前のマツモトキヨシにも寄り忘れたし。
図書館への道中で情報処理室に寄る、要はコンピュータが置いている部屋で、1日20枚までなら無料で印刷をすることができる、木曜日の「日本の歴史と社会・文化」の期末試験が持ち込み可らしいので資料を印刷するつもりだったが枚数的にダメだった、また徒労だ。セブンのネットプリントで印刷しよう。自宅にはプリンタはない。あっても一回壊れたらなおせる自信がないからだ。

様々な徒労感をかかえて図書館へ、でもまぁどうせ部活前駅前に夕食食べに行くから同じかというそこまでネガティヴではない感情もある。

14:45図書館着席、「外国史概説(西洋史)」のレポートを仕上げるぞ。自問自答式のレポートで書きたいことは決まっていたが、なんせその情報を細大漏らさず載せてくれている本がない。受験参考書ってすごいんだなと思った。受験参考書をこんな時のために大学の近くの家に持ってきたらよかった。困ってしまい、参考文献に「教学社 東大の27カ年」を加えてしまう。16:12送信。

駅前に戻って、まず駅前のマツキヨへ。

しかし、夜更かし(オールや徹夜というと前日も普通の時間に起きた時によく使われるので20時に起きた者はこの語を使っていきたい)の疲れからか、駅前のマツキヨは「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」を置いていないゴミカスであることを完全に失念していていた。でもエマールとかを切らしていたことを思い出し色々購入。
(ここ読まなくていいです)
1162円だったが2000円出したのち、2円があったので2円を出し、10円を1枚ずつ出してたら60円ですよと言われて、でも普通に6枚あるから出して、100円は持っていたのに持っていないフリをして、900円のお釣りをもらう、いやチャリとかよく停めるし100円玉に飢えてるんだみたいな顔をする、本当に夜更かしは良くない、頭の回らなさが予想できない感じのものになる。

マツキヨの割引クーポンみたいなのを不要と言ってしまうのは、単に性格的にそれを財布に入れ続けることができないだけだからだが、親のお金で浪費をし続けている存在であるため、罪悪感がある。

フォレストモールのサンドラッグには「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」
が置いていた気がする、またフォレストモールやんけ。

サンドラッグは「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」を置いていた、置いてなかったら全世界を敵だと思うところだった。

チーズ牛めしでも食べるかでも別にチーズ牛丼って絶対連続で食べなくてちょっと期間を開けてちょっと期待して食べるたびに期待は上回ってこないんだよなと思いながら松屋に来店。

メニューにシュクメルリがある。

シュクメルリという松屋を世界企業に押し上げうる最高の作品が今年もやってきてハッピー!ジョージア万歳!みたいなストーリーをInstagramにアップロードしよう!という感情になる。

2019年の12月ごろに2浪末期の人生の救いとして松屋のシュクメルリ定食をこよなく愛していた。

しかし、2021年にも確か復刻されていて、その時もなんか違うなと思ったが、今回もそれを思った。まず玉ねぎ入っていたっけ?あと本当に一番最初って鍋だったけ?前者はかなり自信があり後者はあやふやだ。なぜなら苦境における救いみたいな思い出は美化されるからだ。
誰か松屋シュクメルリの歴史をまとめた記事を作ってないかな。
猫舌なので本当に早く火を消して欲しい、口で吹いて消そうとしたが失敗した、温め続ける必要がなさすぎる、不要な演出。
ただ煮詰まるとライスにより合う味になることは否定できないです。


やはり
徹夜からの生活リズム改善をする
↑これはある程度善だよ

きょうは勉強はイマイチだったけど、浪人時みたいな日記が書けた。それは勉強するという前提で生活をしながら、その中でもそれなりに移動があり、その度にチマチマ書き続けたからだ。勉強の感じも浪人時と同じ感じだ。それは大変良くないことだが、脳の平穏は比較的保たれてる。
とくに3浪時が一番よくて、スマホsimカードを抜いて、自習室で勉強後に日記を整理するのが何よりも悦びだった。きょうはsimカードを抜いていないのに、その原石みたいなメモをつくれた。

何か毎朝喫茶店書きたいものがあればsimを抜いたスマホを郵便受けに入れて早めに寝て、朝それを持って家を出られると思った。

朝、simを抜いてブログつける習慣は十分起床外出圧力になりうる。来年の4/1とかいわず、ちょっとフライングしてはじめたいよ。この生活のために多少は融通のきかない人になりたい。それでも飲み会とかのせいで翌朝に昼過ぎに起きたら徹夜するようにしよう。

なんとなく自分の生活や感じたことを散文で切り出すのは良質の脳内快楽物質の分泌につながる。

最近「パン屋再襲撃村上春樹)」読んだんだけど、こうすれば週末に日記を書くときに思い出せるというメモをつけているという短編があって、それは「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランの侵入・そして強風世界」とつけたという日のお話だった。

まぁ実際の生活の中で本当にメモの時間を毎朝取るというわけにはいかないだろうし、こうしたメモの付け方も習得していく、それが自分が理想だと思っていた3浪時の生活と大学生活のハイブリッドの目指すべきところだと思う。

日曜の午後というのもかなり理想的だ。

徒労感のある1日だったが、自己効力感を感じられる契機を得られた。まぁ、とりあえずは、この日記をまとめるためにsimを抜いたスマホを部活から帰ったらマンションの郵便受けに入れてから帰室し、翌朝simを抜いたスマホを持って上島珈琲店に行こうと決意した。それだけが今の自分が感じられる唯一の自己効力感だ。

シュクメルリ鍋のライス大盛りにしてしまったので、お腹いっぱいの状態で18:30〜21:30部活。
今日は夜更かししているので油断したら12時間くらい寝てしまうだろう、本当にキビキビ動いでなるべく早く就寝しなければならない。

自宅の郵便受けの前でsimカードを久しぶりに抜いた。スマホケースを外すと思ったよりスマホが汚れてたのでウェットティッシュで拭きスマホ郵便受けに投入。
帰室し、湯を張る、その間に洗濯物を畳む。やはりオンラインのスマホが手元にないと護られた気持ちになる。オフラインの膜のようなものに包まれて生活をしたい。自分のホームベースをまもりたい。

なるべく早く就寝するために朝入浴するというのも考えたが、経験的に悪手だと判断した。

朝寝癖のためのシャワーを浴びる可能性があったとしても夜のうちに入浴しておくことが、朝起床してからベッドの中で朝風呂に入るかどうか迷う時間を防げる。なぜなら未入浴だと行動が制限されるからだ、これは未入浴だとできないなとか、これは入浴する前にしよう、みたいな順位付けを寝起きの脳にやらすと碌なことがない。かりに朝入浴するとしても夜入浴しておくと、寝癖直しのためのシャワーはするにしてもいつでもよくなる。

入浴後、リゾットをあたためて食べる 少し凍っていたがそのまま食べた。

ちょっとだけダンス・ダンス・ダンスを読み返し、0時までには就寝した。

東急の本気、ということになるらしい

2023年4月17日の一限は授業は「都市計画」だった【メモ1】。担当教員は都市計画の専門家なので4月14日にオープンした歌舞伎町タワーに招待されるかなと思ったらされなかった、みたいな話をしていて、行った人!みたいな問いかけがあったので勢いよく手を上げた。どうだった?と聞かれて、
「そこに立ってることに妥当性があり、嬉しかった」
と答えた。

【メモ1】結局1、2限にあっては今の自分にはとても起きて行くことはできないと判断して5月末に履修取り消しした。驚かれることも多いが英断だったと思う。ただ、単位を取るだけなら最悪めちゃちゃ行かないといけないというわけじゃないが、興味深い内容なのでもっとフルでコミットしたいとかとも思ってしまった。大学に何を求めてるのだ。もっと肩の力を抜けば良いのに。


4月16日に歌舞伎町タワーにはじめて入館した時、今まで冷笑してきて申し訳なかったという気持ちになった。
浪人中から、毎朝河合塾に行く際にガード下を挟んで建設中のタワーが目に入っては村上龍コインロッカー・ベイビーズを思い出していた。コインロッカー・ベイビーズの世界は、実際は超高層ビル群として成功する新宿新都心の高層ビルを13本の塔と揶揄し、そのふもとでは薬島と言われる無法地帯が広がっている。トー横キッズや大久保公園の立ちんぼを後目に建設されて行く超高層ビルを見て、重ね合わせたくなるのは当然のことだった。

村上龍がパーソナリティーをつとめるカンブリア宮殿でも歌舞伎町タワーをあつかっていて嬉しかったですね!↓
https://youtu.be/BjKeoaCJnpo?si=xRRgc1C5tF34IsbZ

はじめて歌舞伎町タワーに入館した日、そのケバケバした内装がとても嬉しかった。ふもとに広がってる世界と、対比するにしてもしないにしても味があると思った。渋谷のスクランブルスクエアみたいなものがずっと建つと思い込んでおり、そんなものここに作ってどうするんだと毎日のように言っていたから。ただ3階のゲームコーナーだけは肝心なものが何もなく当時から微妙がってた。


その後も、ジェンダーレストイレ観光などで何度来たことか。未だにトイレで困ったらなんにせよ使うことが多い。ただ客足は明らかに減ってて、本当に外国人しか入ってない気がするし、よく考えると和牛特区を除くと一銭も自分は落としてない気がする。結局最初の印象は俺が空気に飲まれて抱いた幻想だったらしい。

ぐしゃぐしゃの砂とメンヘラの蟹 小説クイズ 前編 完全版

【前編】
生活が荒れる、ってなんだろう。色んな生活の荒れ方がある。毎日酒浸りだとか、洗濯や洗い物といった家事をこまめにしないとか、部屋が散らかっている状態が続くだとか、それを良くないと思っているのにも関わらず異性関係に関して節操がないだとか、してた自炊をしなくなっただとか、昼夜逆転しているだとか。
生活が荒れているというフレーズからイメージされる状態はタキワタ(多岐にわたる)だと思う。どれか一つだけ満たしているために生活が荒れてることにされたり自分でそう思ってしまったりする場合もあれば、全部満たしているのにも関わらず、ある分野でバチバチに成果を上げているため、他の乱れ方が問題とみなされないという場合もあるだろう。

ただ、通俗的な「生活が荒れてる」からイメージされる様々とは別に、明確に、これは生活が荒れているなと思った自身の、日常的に繰り返される行動があった。

それは就寝直前に取り外したコンタクトレンズをそのまま口の中に入れてしまうというものだった。口の中に入れ、噛み、プチプチ感を楽しんだ後、飲み込む。咀嚼パートが異常性を際立たせている。

まず、一向にメガネを買いに行かないという生活の荒れ方もあったが、なによりもメガネをかけた自分が嫌いだった。その上で視力が普段より低い時間が起きてる間1秒もあって欲しくないと思ってしまう。本当に本当に目を閉じる直前にコンタクトを外したいと希求している。実際それを願うあまりよくコンタクトをつけたまま寝落ちしてしまっていた。その結果、眼球が慢性的な酸素不足に陥り、眼球の一部が厭な色になった。

本当に寝ようと横になった瞬間にコンタクトを外したい。寝る前に屑入れをベッドの近くに置けば良いのだがそれを忘れてしまう日もある。たとえ近くに置いてたとしてももう起き上がりたくないからノールックで屑入れにコンタクトを投げ込まなければならない。外すかもしれない。床にコンタクトが散らばることになる。一晩明かすとコンタクトレンズはカピカピになる。踏んでしまうと痛い。おかきみたいになる。バリッと鳴る。それが厭過ぎる。さらに細かく砕けた破片が足に付着する。耐え難い。掃除頻度の低さも問題で、それを以てしても生活が荒れてると言えるかもしれない。生活が荒れているというのは一つの幹となる精神性があり、そこから色々な形で発現してくるものだ。とにかく、一部の自分にとって面倒だと思っていることと向き合わなさ過ぎる、という在り方がコンタクトを食べてしまうことに象徴されているのだ。

「周音はさ毎朝ランニングしてるし、酒とかギャンブルはやんないし、自習室にだって毎日行ってるし、食事にだって気を遣ってるし、わたしのこともちゃんと大事にしてくれてる。でも、コンタクト食べちゃうの、それ、なんなの?やめようよ。変だよ。その時だけ蛙化しちゃう。それ見た後はなかなか寝付けないよ。嫌すぎて。」

そう言ってくる交際相手の朱理にしてみても、自宅はゴミ屋敷だし軽く太っているし完璧に睡眠薬の依存症だ。俺はそれらについても、仕方ないことなんだと理解を示してきたつもりではある。

「浪人も3年目に差し掛かるとコンタクトを食べることくらいくらいどうとも思わんくなってまうねんなぁ。なんていうか、人とあんま関わんから。俺はコンタクトつけ出した中2くらいからずっとコンタクトは食べた方が効率的だと思ってたよ?でも、なんか社会性がそれに対する抵抗感を保たせてて、最近それが薄れてきたんかなぁ。」

朱理はなにか鉱脈を見つけたぞというような目で言う

「わたしに免じてってかさ、わたしのこと好きならコンタクト食べるのやめられない?それで社会復帰にもつながるし。」

ちょっとだけ返答を考えてしまっていたら、当然続けて言う

「まえタバコやめてって頼んだ時、いいよーって言ってたのに、また吸ってて正直めっちゃショックだったんだよね。しかも、隠れてさ。で、もういいよって言ったけどさ、本当は今もすごくやめて欲しいんだよね。でも、もうそれは言うの我慢してる。それとも何?コンタクト食べんのやめない代わりにタバコやめる?」

流れるようなダブルバインド法、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね、と思ったが、きっと無意識だ。
ダブルバインド
(二つの選択肢を提示してどちらかを選んでもらうことで、相手から「NO」を言わせなくする心理テクニックのこと)
癌のサブスクことタバコは健康に悪いと思うので吸うたびに怖くなるし、肺活量も下がるからランニングにも悪影響で、本当に一刻もやめたいのだが、まぁ当面の間は無理だと考えている。朱理のおかげでやめられたら最高なはずだけど。やめられなかった時に詰られることを考えただけでもストレスだ。コンタクトを食べることに健康被害はないと思うが、やめるのも簡単だと思う。

「はい、コンタクトを食べるのやめます。」

朱理は嬉しそうな顔を作ったが、反射的に表情に落胆の色が走った。喋りも少しぎこちなかった。でもコンタクトと答えた自分の選択は正しい。

「そっか、ちゃんと我慢してね。いつも見てるから。また次食べてるの見たら本当に傷つくから。」

「うん、まかせてくれ」

「あ、そろそろガルバ行かなきゃ。髪巻くのだる過ぎる。」

朱理は俺と交際するようになって3週間くらい経ってからガールズバーの面接を受けに行った。親からの仕送りが少ないため、普通のアルバイトではマツパ代やカラコン代やピル代やちょこざっぷ代を捻出するのが難しいのだという。周音が嫌なら行かないけどと言われたが
アルバイトをしていない浪人生である自分にとっては、薬学部に通いながら自分でもお金を稼いでいる朱理に言えることなど何もないように思われた。しかし、働き始めてからこの2週間明らかにウーバーイーツを頼む回数が増えたように思う。

「それじゃあ行ってくるね」「うん、俺もコンタクトを食べないためのライフハック考えとく!」

朱理を見送ってベランダで一服した後、部屋の中を見渡した。ハックはすぐに見つかった。空の綿棒の箱にコンタクトを入れる習慣をつけようと思った。そうすればすぐに目に見えて乾いたコンタクトが溜まっていくのがわかって、なんだか嬉しいから、食べるのをやめられる気がした。

ダメさの原点

体温をはかった記憶の中で、一番古いもの、というのが俺には明確にある。

何きっかけかは覚えていないが、とにかく、親に体温をはからせられて、俺は、その時の自分の体温が判明することに何故かめちゃめちゃ怯えて、体温計をワキに挟むことを拒否していた。

「自分で測る!」と言って体温計を親から奪って離れ、体温の相場も知らなかったので、「もうはかったから!24度!だった!」などと言っていた。

いったい、何に恐れているのか全くわからないし、切り抜け方も一切の利発さを欠いている。

この一連の営みは、自分の精神構造のダメさの核心に根ざしたものであり、原点だと今は考えている。

精神的に強くなろう。

昨日、夜はまぜそばを食べることにした。チキン南蛮が乗ってるやつ。かなりの好物だよ。

どうせ頼むことになるから一口ご飯(追い飯)の食券も先に買っておいた(追い飯で金を取るなよ)。

まぜそばの食券を渡す時、いつも「ネギとかタマネギとか野菜全部抜きで、あとタルタルソースをマヨネーズに変更で」と言う。

運ばれてきたまぜそばには、玉ねぎチップスみたいなんが載ってたが、他の野菜は抜かれていたため、玉ねぎチップスが玉ねぎチップスだと認識できず混ぜた。無害な天かす的なやつも新しくのせるようになったんだなぁ、みたいな感想を抱いた。

当然、多少みじん切りの玉ねぎの味がするまぜそばになってしまい、完食こそしたが常時不快感があった。残りのタレでとても追い飯はしたくない。しかし、追い飯代を返金してくださいと言うのが厭だった。脱獄するかのように静かに店を出た。いつもなら言うごちそうさまでしたも当然言えなかった。

もし、店の人に店を出るところを見られたら、一口ご飯忘れてますよ、と言われる可能性があるにはある。食券渡す時に、一口ご飯の食券も見られたからだ。ちなみに、「あ、これは後か…」と相手にきこえることを目的とした独り言を言った。この世にはそういったタイプの発声がある。

もし、忘れてますよ、と言われたら、いや、お腹いっぱいになったんで…!という欺瞞で逃げても良かったと思うが、まず、サイズは選べて、僕は何回も来店してるのに、計画性がない!と思われてしまうし、実際は野菜を抜き損ねた相手のミスが悪いのに自分が悪いかのようなコミュニケーションを取るのが、何も言わずに出るよりも厭なことだと思ってしまった。

さらに、「いやー、野菜抜きって言ったんですけど、玉ねぎチップス的なやつが入ってたんで完食こそしましたが、一口ご飯は良いですわ…」などと言いたくない理由(いやまず実際文字に起こすと長いな、こんなんわざわざ言うわけがない)として、苦手な野菜が入ってても平気で食べられると思われてしまうかもしれないから、というのもある。この人の野菜抜いてください要請はそこまで生理的な本気じゃないのかもしれないと次回からナメられてしまうかもしれない。げんに、何回かタルタルソースは今までにもマヨネーズに変更されてないことがあった。そういうフシがある。さらに、我慢して食べたという事実はダサい。そして、一口ご飯の食券を買ったことを覚えていた上で帰ろうとしてるのがバレると、50円を軽視してると思われてしまうかもしれない。いやウダウダ書いたが、結局のところ静かに店を出た最大の理由はこれかもしれん。結構店内忙しそうだし、そうでなくても返金してもらう手続きは面倒だったから、50円を諦めたくて、でもそんな精神性がバレたくなかった。

とにかく、この脱獄するみたいにそっと店を出るまでのこの一連が全部厭でかなり自己嫌悪になった。タマネギチップス的なやつが抜かれてないことに気づいた時点で、食べサシであっても、そのことを告げて替えてもらうくらいの図々しさが社会を生き抜く上では必要だ(怪しいな、が、確信に変わったのが食べてる中盤とかだった)。

なぜなら、こちらに何の非も無いと思うから。