2/6(火)

この日記は2/6(火)の日中について主に記す。

2/5(月)20時に起きる たすけてくれ

なんでこんなことになった?

前日(2/4(日))16:30に起きた。友人の家で夜期末試験の勉強をする。このまま夜を徹して勉強をして、そのまま起き続けるのが筋だと思った。しかし、8時くらいに仮眠をとろうとしたのがまずかった。なんかめちゃめちゃ雪が降る日だったのだ。移動手段をチャリに依存しているため外に出て勉強するほどの瞬間的意志力を二度寝の誘惑の中では発揮できる可能性の低さともう少しきちんと向き合うべきだった。

暖か過ぎる部屋の中の二度寝の誘惑はおすすめ欄に似ている。暖か過ぎる部屋の中で二度寝をする気持ちよさを味わいたいという願望を普段起きている時は持たない。寝起きの眼が出会った部屋が暖かく、また決定的に起きる時間を設定していないという時に無防備に襲いかかる魔物のようなものだ。

20時に起きてまず入浴をしなければならないと思った。しかし、次家を出るのはいつでも良い。朝方のいつかだ。まだ除雪車が仕事をしていないし、勉強するためにココスなどに向けてチャリを飛ばすといったことはできない。夜を徹するのは確定しており、僕は夜は長いと錯覚している。

雪が降ることの生活上の困難などをしばらく恨みがましくツイートしていたが、入浴前にセブンイレブンにでも行こうと思い家を出たら途端にテンションが上がる、犬なので。
セブンまでの道にある公園でアベックが雪だるまを作っていたので対抗?をしてちっちゃな雪だるまを作る。雪だるまを作るのは難しい。漫然とコロコロしていても雪だるま式に、とはならない。まるで特定の科目の勉強時間に偏りのある受験生の成績みたいになる。それを写真に撮ってInstagramのストーリーにアップロードした。
セブンからの帰り道、アベックが作った雪だるまがとんでもなく大きくなっていたので、自分の残した雪だるま越しに写真に撮ってそれもInstagramのストーリーにアップロードした。

帰宅して居室で期末試験対策に邁進できたわけがない。
ただ、金曜日に試験がある「憲法一部」の夏休み中に行われた講義の録音がウェブ上にアップロードされていたので聴いてみた。
そうすると、今まで雲を掴むような感じだった憲法判例のポイントがみえてきた、他の授業に出てこなかったことを悔やんでも後の祭りだが。
きょうは7:00に開店する駅直結の上島珈琲店でまず自習して、その後図書館で今日提出期限の「外国史概説(西洋史)」の期末レポートの参考になりそうな本を見つけてレポートを仕上げ、部活に行くつもりだが、部活のある体育館は遠いためチャリを使っていきたい。しかし、雪の中チャリを使えるか不安なので下見に行くことにした。スマホの充電残量が微妙だったのでスマホは置いて行った。
大学内はアーケード部分が多く、チャリで爆走できると確信、そしてなんとか駅前に到達した。駅前の道は氷床と化していたので雪を丸めてボーリングみたいにして遊んだ後、家から駅までの道は結構雪が積もっていたのでチャリを駅前に置いてバスで帰宅。
バスで一時帰宅して、スマホを開くと今日のBereal.を逃していた。
帰宅してダラダラしてたが、「憲法一部」の試験範囲である「判例百選」を解説している動画をYouTubeで見つけた。授業音声を聴いて講義で解説されることに可能性を非常に感じていたため、これだ!と興奮し、40秒で支度して家を出る。はやく上島珈琲店でこれを見尽くさなければならない。
しかしバス停までの道で、当のスマホを忘れていることに気づく。
普段そこまで忘れ物が多い方ではないという驕り高ぶった自認があるが、それはそうと、自分の中で心の中に閃きのように起床外出圧力が発生した場合、この気持ちのまま外に出ないという気持ちになり極めて急いで焦って準備をするため、このように忘れ物をする確率がめちゃめちゃ上がる。
先週「公共経営論」の最終レポートのために図書館で借りた本も図書館に行くついでに今日返しに行きたかったが、当然荷物の中に含むのを忘れた。
一回帰宅したが最後、部活の時間のギリギリまで在宅してしまい在宅して勉強するわけがないことは明らかなので一回外出したら絶対に家に帰らない。普段、機動力に富んだチャリで移動する時ですらそうなのだから、況んや雪の日をや。

それでもスマホだけ取ってすぐにバス停にまた向かい直し、10:57に上島珈琲店着。店内店外ともにメニューからは仕舞われていたが11時まではモーニングなので滑り込みに成功したということになってくる、クロックムッシュ

判例百選の動画は期待外れだった、完全に無意味ではなかったし、そのまま仮眠をしてしまいかねないような状況での閃くような外出圧力になったので良かったが。

しかし、書店で憲法の試験の解説書とかあれば役に立つかもしれないと思い、さらに六法全書は試験に持ち込み可で、当初は憲法だけのために六法は…ポケット憲法とかって売ってないし(あったとしてもフリーペーパーみたいになるだろう)と思っていたが、折角持ち込めるものがあるのに持たないのは勿体無いし一家に一冊六法全書だろと思い、上島珈琲店を出て図書館に行く間の時間に駅前のイトーヨーカドーの書店へ。

法律関連の参考書は一切置いておらず、ビジネスコーナーにポケット六法があり他に憲法の参考になりそうなテキストもなかった。ケッ、と思い、南大沢駅前にあるもう一つの書店である、フォレストモールの蔦屋書店に法律関連の参考書コーナーがあることを期待し、そこで六法もまとめて買おうという気持ちになる。

イトーヨーカドーでは、雪で靴がめちゃめちゃ濡れていたので4000弱のレディースかもしれない少し小さい長靴だけ買って出ることにした。
そしてフォレストモールへ移動。蔦屋書店には憲法の参考書どころかポケット6法もない、圧倒的徒労感、イトヨに戻るか。
スマホの充電やばめだったので、駅前でChargeSPOTを借りた瞬間に全てを忘れてイトヨを通過してチャリ置き場へ、チャリで図書館に向かう、こういうのを鳥頭という。
ヘアミルクを買うつもりだった駅前のマツモトキヨシにも寄り忘れたし。
図書館への道中で情報処理室に寄る、要はコンピュータが置いている部屋で、1日20枚までなら無料で印刷をすることができる、木曜日の「日本の歴史と社会・文化」の期末試験が持ち込み可らしいので資料を印刷するつもりだったが枚数的にダメだった、また徒労だ。セブンのネットプリントで印刷しよう。自宅にはプリンタはない。あっても一回壊れたらなおせる自信がないからだ。

様々な徒労感をかかえて図書館へ、でもまぁどうせ部活前駅前に夕食食べに行くから同じかというそこまでネガティヴではない感情もある。

14:45図書館着席、「外国史概説(西洋史)」のレポートを仕上げるぞ。自問自答式のレポートで書きたいことは決まっていたが、なんせその情報を細大漏らさず載せてくれている本がない。受験参考書ってすごいんだなと思った。受験参考書をこんな時のために大学の近くの家に持ってきたらよかった。困ってしまい、参考文献に「教学社 東大の27カ年」を加えてしまう。16:12送信。

駅前に戻って、まず駅前のマツキヨへ。

しかし、夜更かし(オールや徹夜というと前日も普通の時間に起きた時によく使われるので20時に起きた者はこの語を使っていきたい)の疲れからか、駅前のマツキヨは「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」を置いていないゴミカスであることを完全に失念していていた。でもエマールとかを切らしていたことを思い出し色々購入。
(ここ読まなくていいです)
1162円だったが2000円出したのち、2円があったので2円を出し、10円を1枚ずつ出してたら60円ですよと言われて、でも普通に6枚あるから出して、100円は持っていたのに持っていないフリをして、900円のお釣りをもらう、いやチャリとかよく停めるし100円玉に飢えてるんだみたいな顔をする、本当に夜更かしは良くない、頭の回らなさが予想できない感じのものになる。

マツキヨの割引クーポンみたいなのを不要と言ってしまうのは、単に性格的にそれを財布に入れ続けることができないだけだからだが、親のお金で浪費をし続けている存在であるため、罪悪感がある。

フォレストモールのサンドラッグには「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」
が置いていた気がする、またフォレストモールやんけ。

サンドラッグは「BOTANIST(ボタニスト) ボタニカルヘアミルク 【モイスト】 洗い流さないヘアトリートメント 80ml アプリコットとローズの香り」を置いていた、置いてなかったら全世界を敵だと思うところだった。

チーズ牛めしでも食べるかでも別にチーズ牛丼って絶対連続で食べなくてちょっと期間を開けてちょっと期待して食べるたびに期待は上回ってこないんだよなと思いながら松屋に来店。

メニューにシュクメルリがある。

シュクメルリという松屋を世界企業に押し上げうる最高の作品が今年もやってきてハッピー!ジョージア万歳!みたいなストーリーをInstagramにアップロードしよう!という感情になる。

2019年の12月ごろに2浪末期の人生の救いとして松屋のシュクメルリ定食をこよなく愛していた。

しかし、2021年にも確か復刻されていて、その時もなんか違うなと思ったが、今回もそれを思った。まず玉ねぎ入っていたっけ?あと本当に一番最初って鍋だったけ?前者はかなり自信があり後者はあやふやだ。なぜなら苦境における救いみたいな思い出は美化されるからだ。
誰か松屋シュクメルリの歴史をまとめた記事を作ってないかな。
猫舌なので本当に早く火を消して欲しい、口で吹いて消そうとしたが失敗した、温め続ける必要がなさすぎる、不要な演出。
ただ煮詰まるとライスにより合う味になることは否定できないです。


やはり
徹夜からの生活リズム改善をする
↑これはある程度善だよ

きょうは勉強はイマイチだったけど、浪人時みたいな日記が書けた。それは勉強するという前提で生活をしながら、その中でもそれなりに移動があり、その度にチマチマ書き続けたからだ。勉強の感じも浪人時と同じ感じだ。それは大変良くないことだが、脳の平穏は比較的保たれてる。
とくに3浪時が一番よくて、スマホsimカードを抜いて、自習室で勉強後に日記を整理するのが何よりも悦びだった。きょうはsimカードを抜いていないのに、その原石みたいなメモをつくれた。

何か毎朝喫茶店書きたいものがあればsimを抜いたスマホを郵便受けに入れて早めに寝て、朝それを持って家を出られると思った。

朝、simを抜いてブログつける習慣は十分起床外出圧力になりうる。来年の4/1とかいわず、ちょっとフライングしてはじめたいよ。この生活のために多少は融通のきかない人になりたい。それでも飲み会とかのせいで翌朝に昼過ぎに起きたら徹夜するようにしよう。

なんとなく自分の生活や感じたことを散文で切り出すのは良質の脳内快楽物質の分泌につながる。

最近「パン屋再襲撃村上春樹)」読んだんだけど、こうすれば週末に日記を書くときに思い出せるというメモをつけているという短編があって、それは「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランの侵入・そして強風世界」とつけたという日のお話だった。

まぁ実際の生活の中で本当にメモの時間を毎朝取るというわけにはいかないだろうし、こうしたメモの付け方も習得していく、それが自分が理想だと思っていた3浪時の生活と大学生活のハイブリッドの目指すべきところだと思う。

日曜の午後というのもかなり理想的だ。

徒労感のある1日だったが、自己効力感を感じられる契機を得られた。まぁ、とりあえずは、この日記をまとめるためにsimを抜いたスマホを部活から帰ったらマンションの郵便受けに入れてから帰室し、翌朝simを抜いたスマホを持って上島珈琲店に行こうと決意した。それだけが今の自分が感じられる唯一の自己効力感だ。

シュクメルリ鍋のライス大盛りにしてしまったので、お腹いっぱいの状態で18:30〜21:30部活。
今日は夜更かししているので油断したら12時間くらい寝てしまうだろう、本当にキビキビ動いでなるべく早く就寝しなければならない。

自宅の郵便受けの前でsimカードを久しぶりに抜いた。スマホケースを外すと思ったよりスマホが汚れてたのでウェットティッシュで拭きスマホ郵便受けに投入。
帰室し、湯を張る、その間に洗濯物を畳む。やはりオンラインのスマホが手元にないと護られた気持ちになる。オフラインの膜のようなものに包まれて生活をしたい。自分のホームベースをまもりたい。

なるべく早く就寝するために朝入浴するというのも考えたが、経験的に悪手だと判断した。

朝寝癖のためのシャワーを浴びる可能性があったとしても夜のうちに入浴しておくことが、朝起床してからベッドの中で朝風呂に入るかどうか迷う時間を防げる。なぜなら未入浴だと行動が制限されるからだ、これは未入浴だとできないなとか、これは入浴する前にしよう、みたいな順位付けを寝起きの脳にやらすと碌なことがない。かりに朝入浴するとしても夜入浴しておくと、寝癖直しのためのシャワーはするにしてもいつでもよくなる。

入浴後、リゾットをあたためて食べる 少し凍っていたがそのまま食べた。

ちょっとだけダンス・ダンス・ダンスを読み返し、0時までには就寝した。

東急の本気、ということになるらしい

2023年4月17日の一限は授業は「都市計画」だった【メモ1】。担当教員は都市計画の専門家なので4月14日にオープンした歌舞伎町タワーに招待されるかなと思ったらされなかった、みたいな話をしていて、行った人!みたいな問いかけがあったので勢いよく手を上げた。どうだった?と聞かれて、
「そこに立ってることに妥当性があり、嬉しかった」
と答えた。

【メモ1】結局1、2限にあっては今の自分にはとても起きて行くことはできないと判断して5月末に履修取り消しした。驚かれることも多いが英断だったと思う。ただ、単位を取るだけなら最悪めちゃちゃ行かないといけないというわけじゃないが、興味深い内容なのでもっとフルでコミットしたいとかとも思ってしまった。大学に何を求めてるのだ。もっと肩の力を抜けば良いのに。


4月16日に歌舞伎町タワーにはじめて入館した時、今まで冷笑してきて申し訳なかったという気持ちになった。
浪人中から、毎朝河合塾に行く際にガード下を挟んで建設中のタワーが目に入っては村上龍コインロッカー・ベイビーズを思い出していた。コインロッカー・ベイビーズの世界は、実際は超高層ビル群として成功する新宿新都心の高層ビルを13本の塔と揶揄し、そのふもとでは薬島と言われる無法地帯が広がっている。トー横キッズや大久保公園の立ちんぼを後目に建設されて行く超高層ビルを見て、重ね合わせたくなるのは当然のことだった。

村上龍がパーソナリティーをつとめるカンブリア宮殿でも歌舞伎町タワーをあつかっていて嬉しかったですね!↓
https://youtu.be/BjKeoaCJnpo?si=xRRgc1C5tF34IsbZ

はじめて歌舞伎町タワーに入館した日、そのケバケバした内装がとても嬉しかった。ふもとに広がってる世界と、対比するにしてもしないにしても味があると思った。渋谷のスクランブルスクエアみたいなものがずっと建つと思い込んでおり、そんなものここに作ってどうするんだと毎日のように言っていたから。ただ3階のゲームコーナーだけは肝心なものが何もなく当時から微妙がってた。


その後も、ジェンダーレストイレ観光などで何度来たことか。未だにトイレで困ったらなんにせよ使うことが多い。ただ客足は明らかに減ってて、本当に外国人しか入ってない気がするし、よく考えると和牛特区を除くと一銭も自分は落としてない気がする。結局最初の印象は俺が空気に飲まれて抱いた幻想だったらしい。

ぐしゃぐしゃの砂とメンヘラの蟹 小説クイズ 前編 完全版

【前編】
生活が荒れる、ってなんだろう。色んな生活の荒れ方がある。毎日酒浸りだとか、洗濯や洗い物といった家事をこまめにしないとか、部屋が散らかっている状態が続くだとか、それを良くないと思っているのにも関わらず異性関係に関して節操がないだとか、してた自炊をしなくなっただとか、昼夜逆転しているだとか。
生活が荒れているというフレーズからイメージされる状態はタキワタ(多岐にわたる)だと思う。どれか一つだけ満たしているために生活が荒れてることにされたり自分でそう思ってしまったりする場合もあれば、全部満たしているのにも関わらず、ある分野でバチバチに成果を上げているため、他の乱れ方が問題とみなされないという場合もあるだろう。

ただ、通俗的な「生活が荒れてる」からイメージされる様々とは別に、明確に、これは生活が荒れているなと思った自身の、日常的に繰り返される行動があった。

それは就寝直前に取り外したコンタクトレンズをそのまま口の中に入れてしまうというものだった。口の中に入れ、噛み、プチプチ感を楽しんだ後、飲み込む。咀嚼パートが異常性を際立たせている。

まず、一向にメガネを買いに行かないという生活の荒れ方もあったが、なによりもメガネをかけた自分が嫌いだった。その上で視力が普段より低い時間が起きてる間1秒もあって欲しくないと思ってしまう。本当に本当に目を閉じる直前にコンタクトを外したいと希求している。実際それを願うあまりよくコンタクトをつけたまま寝落ちしてしまっていた。その結果、眼球が慢性的な酸素不足に陥り、眼球の一部が厭な色になった。

本当に寝ようと横になった瞬間にコンタクトを外したい。寝る前に屑入れをベッドの近くに置けば良いのだがそれを忘れてしまう日もある。たとえ近くに置いてたとしてももう起き上がりたくないからノールックで屑入れにコンタクトを投げ込まなければならない。外すかもしれない。床にコンタクトが散らばることになる。一晩明かすとコンタクトレンズはカピカピになる。踏んでしまうと痛い。おかきみたいになる。バリッと鳴る。それが厭過ぎる。さらに細かく砕けた破片が足に付着する。耐え難い。掃除頻度の低さも問題で、それを以てしても生活が荒れてると言えるかもしれない。生活が荒れているというのは一つの幹となる精神性があり、そこから色々な形で発現してくるものだ。とにかく、一部の自分にとって面倒だと思っていることと向き合わなさ過ぎる、という在り方がコンタクトを食べてしまうことに象徴されているのだ。

「周音はさ毎朝ランニングしてるし、酒とかギャンブルはやんないし、自習室にだって毎日行ってるし、食事にだって気を遣ってるし、わたしのこともちゃんと大事にしてくれてる。でも、コンタクト食べちゃうの、それ、なんなの?やめようよ。変だよ。その時だけ蛙化しちゃう。それ見た後はなかなか寝付けないよ。嫌すぎて。」

そう言ってくる交際相手の朱理にしてみても、自宅はゴミ屋敷だし軽く太っているし完璧に睡眠薬の依存症だ。俺はそれらについても、仕方ないことなんだと理解を示してきたつもりではある。

「浪人も3年目に差し掛かるとコンタクトを食べることくらいくらいどうとも思わんくなってまうねんなぁ。なんていうか、人とあんま関わんから。俺はコンタクトつけ出した中2くらいからずっとコンタクトは食べた方が効率的だと思ってたよ?でも、なんか社会性がそれに対する抵抗感を保たせてて、最近それが薄れてきたんかなぁ。」

朱理はなにか鉱脈を見つけたぞというような目で言う

「わたしに免じてってかさ、わたしのこと好きならコンタクト食べるのやめられない?それで社会復帰にもつながるし。」

ちょっとだけ返答を考えてしまっていたら、当然続けて言う

「まえタバコやめてって頼んだ時、いいよーって言ってたのに、また吸ってて正直めっちゃショックだったんだよね。しかも、隠れてさ。で、もういいよって言ったけどさ、本当は今もすごくやめて欲しいんだよね。でも、もうそれは言うの我慢してる。それとも何?コンタクト食べんのやめない代わりにタバコやめる?」

流れるようなダブルバインド法、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね、と思ったが、きっと無意識だ。
ダブルバインド
(二つの選択肢を提示してどちらかを選んでもらうことで、相手から「NO」を言わせなくする心理テクニックのこと)
癌のサブスクことタバコは健康に悪いと思うので吸うたびに怖くなるし、肺活量も下がるからランニングにも悪影響で、本当に一刻もやめたいのだが、まぁ当面の間は無理だと考えている。朱理のおかげでやめられたら最高なはずだけど。やめられなかった時に詰られることを考えただけでもストレスだ。コンタクトを食べることに健康被害はないと思うが、やめるのも簡単だと思う。

「はい、コンタクトを食べるのやめます。」

朱理は嬉しそうな顔を作ったが、反射的に表情に落胆の色が走った。喋りも少しぎこちなかった。でもコンタクトと答えた自分の選択は正しい。

「そっか、ちゃんと我慢してね。いつも見てるから。また次食べてるの見たら本当に傷つくから。」

「うん、まかせてくれ」

「あ、そろそろガルバ行かなきゃ。髪巻くのだる過ぎる。」

朱理は俺と交際するようになって3週間くらい経ってからガールズバーの面接を受けに行った。親からの仕送りが少ないため、普通のアルバイトではマツパ代やカラコン代やピル代やちょこざっぷ代を捻出するのが難しいのだという。周音が嫌なら行かないけどと言われたが
アルバイトをしていない浪人生である自分にとっては、薬学部に通いながら自分でもお金を稼いでいる朱理に言えることなど何もないように思われた。しかし、働き始めてからこの2週間明らかにウーバーイーツを頼む回数が増えたように思う。

「それじゃあ行ってくるね」「うん、俺もコンタクトを食べないためのライフハック考えとく!」

朱理を見送ってベランダで一服した後、部屋の中を見渡した。ハックはすぐに見つかった。空の綿棒の箱にコンタクトを入れる習慣をつけようと思った。そうすればすぐに目に見えて乾いたコンタクトが溜まっていくのがわかって、なんだか嬉しいから、食べるのをやめられる気がした。

ダメさの原点

体温をはかった記憶の中で、一番古いもの、というのが俺には明確にある。

何きっかけかは覚えていないが、とにかく、親に体温をはからせられて、俺は、その時の自分の体温が判明することに何故かめちゃめちゃ怯えて、体温計をワキに挟むことを拒否していた。

「自分で測る!」と言って体温計を親から奪って離れ、体温の相場も知らなかったので、「もうはかったから!24度!だった!」などと言っていた。

いったい、何に恐れているのか全くわからないし、切り抜け方も一切の利発さを欠いている。

この一連の営みは、自分の精神構造のダメさの核心に根ざしたものであり、原点だと今は考えている。

精神的に強くなろう。

昨日、夜はまぜそばを食べることにした。チキン南蛮が乗ってるやつ。かなりの好物だよ。

どうせ頼むことになるから一口ご飯(追い飯)の食券も先に買っておいた(追い飯で金を取るなよ)。

まぜそばの食券を渡す時、いつも「ネギとかタマネギとか野菜全部抜きで、あとタルタルソースをマヨネーズに変更で」と言う。

運ばれてきたまぜそばには、玉ねぎチップスみたいなんが載ってたが、他の野菜は抜かれていたため、玉ねぎチップスが玉ねぎチップスだと認識できず混ぜた。無害な天かす的なやつも新しくのせるようになったんだなぁ、みたいな感想を抱いた。

当然、多少みじん切りの玉ねぎの味がするまぜそばになってしまい、完食こそしたが常時不快感があった。残りのタレでとても追い飯はしたくない。しかし、追い飯代を返金してくださいと言うのが厭だった。脱獄するかのように静かに店を出た。いつもなら言うごちそうさまでしたも当然言えなかった。

もし、店の人に店を出るところを見られたら、一口ご飯忘れてますよ、と言われる可能性があるにはある。食券渡す時に、一口ご飯の食券も見られたからだ。ちなみに、「あ、これは後か…」と相手にきこえることを目的とした独り言を言った。この世にはそういったタイプの発声がある。

もし、忘れてますよ、と言われたら、いや、お腹いっぱいになったんで…!という欺瞞で逃げても良かったと思うが、まず、サイズは選べて、僕は何回も来店してるのに、計画性がない!と思われてしまうし、実際は野菜を抜き損ねた相手のミスが悪いのに自分が悪いかのようなコミュニケーションを取るのが、何も言わずに出るよりも厭なことだと思ってしまった。

さらに、「いやー、野菜抜きって言ったんですけど、玉ねぎチップス的なやつが入ってたんで完食こそしましたが、一口ご飯は良いですわ…」などと言いたくない理由(いやまず実際文字に起こすと長いな、こんなんわざわざ言うわけがない)として、苦手な野菜が入ってても平気で食べられると思われてしまうかもしれないから、というのもある。この人の野菜抜いてください要請はそこまで生理的な本気じゃないのかもしれないと次回からナメられてしまうかもしれない。げんに、何回かタルタルソースは今までにもマヨネーズに変更されてないことがあった。そういうフシがある。さらに、我慢して食べたという事実はダサい。そして、一口ご飯の食券を買ったことを覚えていた上で帰ろうとしてるのがバレると、50円を軽視してると思われてしまうかもしれない。いやウダウダ書いたが、結局のところ静かに店を出た最大の理由はこれかもしれん。結構店内忙しそうだし、そうでなくても返金してもらう手続きは面倒だったから、50円を諦めたくて、でもそんな精神性がバレたくなかった。

とにかく、この脱獄するみたいにそっと店を出るまでのこの一連が全部厭でかなり自己嫌悪になった。タマネギチップス的なやつが抜かれてないことに気づいた時点で、食べサシであっても、そのことを告げて替えてもらうくらいの図々しさが社会を生き抜く上では必要だ(怪しいな、が、確信に変わったのが食べてる中盤とかだった)。

なぜなら、こちらに何の非も無いと思うから。

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傘と潜熱【二浪時夏期講習】

何も考えずに書いたこっち

http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2019/08/08/000147
の改訂版。

どっちが良いだろうか。改訂前の方が良い可能性があるんよな。


「傘と潜熱」

(一)

2019年の夏
つまり2浪時のこと。

僕は1浪時、御茶ノ水にある駿台という予備校の通年のコース(学校みたいなカリキュラムが組まれてる)に通っていたが、2浪時は年間通しては通わず、夏期講習だけ受けに行った。

講座は3つ取り、そのうちの1つ目の時の話。7月の上旬だった


講習の最終日4日目の天気はかなり微妙で、決して大雨ではなく、断続的に降ったり止んだりという予報。傘が全面的に不要ということは無さそう、みたいな。殊、雨傘に限定するけど、あれほど雨が降っていない時に邪魔なものはない。帰り道だけ晴れている時などつい捨ててしまいたくなってしまう。
晴れている時、つい傘を杖代わりに使ってしまって歪んでしまうことがある。勿論広げてる時に暴風で歪むこともあるけど、。
家を出る際、後で降るかどうか微妙だと最悪出先でお金を出して買えば良いと思うこともある。しかし100円や200円のものは見ない。使い捨てくらいの気持ちで出先で買ったビニール傘も、数回使っているだけで愛着の萌芽が発生していることもある。
傘にこだわり、気に入ったものを使い続けられるというのは、その人が何かを受け入れた人物である証左の一つではないだろうか。修理するまでして一つの傘を使ってみたい。一度壊れたものを修復するという営みを通してさらに愛着は増す。出先で買う傘にこだわりを発揮できない。そこにそれが売ってあったから買うのだ。

ところで、傘ってあったからといって無敵になれるようなものではない。むしろ傘って割と無力だ。濡れるのが嫌過ぎて室内に閉じこもってしまう日も多い。

(ニ)

予備校の講習で両隣の人間は毎日同じだ。かといって、普通、言葉を交わすことはほとんどない。予備校の教室で隣になるということは、電車で隣の席に座ることと、そう変わるものではない。状況としては
偶然同じ電車に乗り合わせた人間に話しかけることは社交性ではない。儀礼的無関心。それがこの社会で共有されている通念だろう。多分

基本的に僕も隣の人間なんかに関心は払わない。その講習では両隣は男だったし、特に。

それでも、挙動は目には入る。
左の男に関して言えば、特筆するべき、というほどではないけどいくつか気になった点があった。


まず、僕は多汗症だ。しかも類稀なる。
夏は皆汗をかく。しかし、僕のそれは一般人の比ではない。
そして、自分くらいのレベルの多汗症の相手というのはなんとなくその人を見ているとわかる。

教室は冷房が効いていた、かなり。この多汗症の僕が半ズボンだとつらいくらいだった。そんな中左隣の男は頻繁に扇子で仰いでいた。親近感がわいた。僕もミニ扇風機でさりげなくアピールしたつもりだった。暑がりさの誇示


僕はAmazonの欲しいものリストのことを「オンライン積ん読」と呼んでいる。このリストに、飲茶という名前の人物による著作があった。彼は飲茶の毎休み時間読んでいた。会話の糸口としては十分すぎる。
しかし、僕は飲茶をそのまま「やむちゃ」と読んで良いのかどうかわからず、また、それを検索したところで、なんだかよくわからなかったため、その件で話しかけるのは躊躇っていた。あるいはそれを単に話しかけないための理由にしていただけかもしれないけど。逃避の正当化


オペラグラス。
僕はこの華美な響きを一浪時にこの予備校に入って初めて知った。

言ってしまえばミニ双眼鏡のことで、授業中黒板の字が見えにくい場合に使う。僕はその講座の担当の講師の授業を受ける時はいつもこれを必要とする。字が薄くて見にくいからだ。しかし僕は自前のものは持っていない。毎回予備校で貸し出しているものを借りに行くのだ。だから時々オペラグラス返却待ちの列に並ぶことになる。
その彼は自前のオペラグラスを持っていた。金と黒のなかなかにゴージャスなデザインのモノだった。これについても言及したくなった。


彼の夏期講習の受講証をチラッと見た。僕も取っている古文の講座を取っていた。複数期間で開講されているため、同じ期間のものかどうかはわからなかったけど。やはり親近感がわいた。

そもそも、僕はこの講座が最初取れなかった。この予備校の校内生ではないからだ。人気講座なのだ。校内生が優先的に取ることができて、基本的に校内生だけで埋まってしまう。それでも、キャンセル待ちの電話を根気よく毎日のようにかけ続けて取った講座なのだ。その講座を選んでいるという時点で一定の親近感はわく。たとえどんな奴であれ。実際が


三日間講習を隣で受けていて、彼から受けた印象は、ざっとこんな感じだった。だからと言って話しかけたりはしなかった。人見知りとか関係なく、普通のことだと思う。

(三)

講習四日目の昼下がりは軽く雨が降っていた。降り出したのだった。

予備校の建物に入ろうとした時、女の子が、丸めた上着で頭で抑えて雨を凌ぎながら、入り口の階段を駆け降りているのが視界に入った。見た目が好みだった。
きっとコンビニにでも行くつもりだったのだろう。幸い僕は傘を持っていた。僕は今から予備校という屋根のある場所に入るわけだから傘はしばらく要らなくなる。どうせその子もちょっと行って帰ってくる感じだろう。もし良かったら…!とか言って、傘を手渡し、食事室にいるから後で返しに来て…!などと言ったら……みたいな想像をする。あくまでも想像を
勿論、そんなことを考えているうちに、その子はどんどん予備校から遠さがっていった。気落ちしながら、講習が行われる教室に入った。通常運転。むしろ変なムーブをせずに済んで良かった。そういったことをするのは激キモコミュ力の発現だと僕は考えている。僕に限らずだろう。何を当たり前のことを、という感じだ。

少し食事室(フロンティアホールと呼ばれている。)でゆっくりした後、講習のある教室に入った。

授業が始まっても例の左隣の男がどういうわけか来ない。

この日は授業開始直後脳の働きが鈍っていた。昼食を食べ過ぎたからだろう。「仮定法過去完了」を何度も「過定法過去完了」と書いてしまっては書き直すという具合に。そして録音をしているという安心感からその脳の鈍りに身を委ねてしまっていた。

左隣の男が来たのは授業開始25分後くらいだった。

一限が終わった後、彼は僕に自分がいなかった時の分の板書を見せて欲しいと言った。若干は予想していた展開である。期待していた展開でもある。そして、同時に危惧していた展開でもあった。それは僕の中で様々な複雑な事情が絡み合っていたからだ。

僕はささやかな完璧主義者だ。基本的に、聴き漏らした部分や理解が十全でない部分は録音を聴いて、必要があれば授業中に取った板書やメモにさらに書き加える。もし人に見せて欲しいと言われても、出来れば自分の満足いく状態で見せたい。これは相手に対する思いやりというより自分に対するプライドだろう。実に不要だとは思っていた。しかし2浪時まではこういったスタンスを捨てる勇気はなかった。
(いや録音は本来禁止なのだけれど!しないと安心して授業を受けられなかったから!バレないように!せずにはいられなかった!)

勿論相手にそのようなことは言えない。きっと、そんなことを相手は求めてないから。それに意味がわからないと思う。正直怖いだろう。そんな講習で隣の席になっただけで、そこまで完璧なノートの提供を申し出たら。だって、そこまでする理由が普通はわからないから。僕の、相手の要求に対して過剰な努力をせずにはいられない、という性質が出てしまっているのかもしれない。いやそうだろう。

そうでなくても、僕は字が汚い。ふつうに字が下手なのに加えて、授業では板書のみならず、できるだけ授業中に多くの情報をメモりたい派だ。そしてその講師は特に授業スピードが速い。あんな時間当たりの情報密度の高い授業を他に知らない。当然字は雑になる。僕は基本的に自分が読めさえすれば良いというスタンスだ。

また、僕は後で調べようと思ったことをメモるようにしている。倒置の例でforget me notと出てきた。尾崎豊 とメモった。彼の曲名にあった気がするがこの語順だっけ?と一瞬なったから。こういったものも見られてしまう。見ても「???」となるだけであろう。

僕としては、彼の不在時の部分を録音を聴きながら綺麗な字で清書し、もし同じく取っている古文の講座のタームが同じであれば、その時にでもコピーして手渡す。もし古文の講座が違えども連絡先を交換し、僕の清書が完了し次第、写真に撮って送る。これでも良いわけだ。こういった在り方が、今回のノート提供における理想の形だと考えていた。もちろん机上の空論だ。現実には提案しにくい方法である。なんにせよ相手からしたら意味がわからない“過剰さ”があるから。しかし相手の方からそういったことをいうのは図々しいと思うだろうし、やはり僕がそういった提案をするべきではあったのだと思う。

隣の席の奴が今日の授業の最初から来なかった時点で、こういった展開になることは薄々気づいていたのだ。板書提供要請という状況の発生可能性がそれなりに存在していること、それを了解しながら、脳の鈍りに身を委ねた自分の愚かさが哀しい。多少意識的になれば、まだマシなノートを見せられたかもしれない。連絡先云々の展開に進められないのは、わかっていたはずだったのに…。

(四)

彼のノートを見せて欲しい、という要請は当然ながら快諾した。
しかし、写真にでも撮れば……くらいのことしか言えなかった。

彼と言葉を交わして関西風のイントネーションを感じた。僕も関西出身であるため親近感がわいた。

さらに彼が講習に遅刻した理由は寝坊だという。我々がまさに絶起(絶望の起床の略)と呼んでいるものだ。絶起と言いたかったが、通じなかった場合白けるし、なんにせよインターネットオタクだと思われるのでやめた。それはともかくとして僕も「絶起」をよくするのでさらに親近感がわいた。彼は8時に一度起床こそしたが二度寝か何かをして16時に起きてしまったというのだ。まさに僕がよくするタイプの「絶起」ではないか。数ある絶起の形態の中でも最も親近感を憶えるタイプの絶起だった。

彼は四国の出身で、東京のこの予備校の通年のクラスに通っている校内生らしい。おそらく寮生だろう。そういった会話の糸口も浮かんだのにも関わらず、そのような話題を最後まで振ることができなかった。


彼は、なぜか、開成高校の人とかほとんど浪人しないんだろうな、的なことを言い出した。なぜ突然そんな話を始めたのかは謎ではある。彼なりの会話の始め方だったのかもしれない。

そして僕の出身高校がどこか聞かれた。正直に答えた。こういってはなんだが、名門である。極めて。彼は驚いていた。

灘は中高一貫校ではあるが高校からの編入がある。僕が中学からの入学か高校からかを聞かれた。中学からと答えた。彼の出身高校も同形式で彼は高校かららしい。
彼は高一の時の中学受験組に追いつくための勉強が大変だったという。そんな自分がなんで浪人せなアカンねん、と呟いた。僕はそんな気持ちになったことがない。きっと命を削って勉強したことがないからだろうな。なんだか浪人生として生きていて申し訳ない気持ちになった。単に僕の自責思考が強いだけかもしれないけどさ。

その後、僕は前の三日間で感じていた気になったことを色々話してみた。講習で隣の人の喋るという珍しい状況が発生している。


彼は休み時間の度に、猛然と僕のノートの写真を自分のノートに写していた。前述の通り僕のノートの字は大変読みづらい。そのため、時々何と書いてあるのか、という質問を受けた。

そんな中で、希望の綱であった古文の講習の日程について尋ねてみた。同じであれば先程の僕の世話好き風な提案もしやすい。しかし、違うタームだった。

そして、その時。取ってる古文の講習のタームが違うと判明した時。彼はこう言った

「まぁ、もう会うこともないやろ。こういうのは一期一会や」

何故そんなことを言うのだろうと思った。
確かに事実ではあるだろうけど。僕は彼に恨まれるようなことはしていない。決して彼の口調は冷たいものではなかった。きっとあまり何も考えずに言ったのだろう。単に一期一会と言いたかっただけなのかもしれない。しかし、僕はなんとも言えない切ない気持ちになった。

さらに志望校を聞かれた。東京大学文科三類だと答えた※。彼は、文三に行く人は実家に余裕があって、みたいなことを言い出した。またしても、なぜ、そんなことを言うのだろうと思った。僕がこの手の話題に敏感なだけかもしれないけれど。異常に
※僕は結果的には4回東大を受けて一度も文三を受けなかった(僕がこの文章を書いている今は4浪中)。しかし2浪の夏の時点で、たしかにその年文三を受けるつもりでいた。

彼は通年でこの予備校に通っている校内生なわけだけれども、そんな彼に通年の授業の教室で隣の席の人間と喋るか?という質問をした。
なぜ、そのような話をしたかというと、予備校の講習で喋るのは珍しいという話をしたからだ。彼は、これが初めての講習会だから相場はわからない、的なことを言った。つまり彼は一浪なのだ。
彼は通年のクラスでは隣の人間と喋らないこともないらしい。僕にノートを見せてほしいと言ってきたのも偶然その講座の受講者の中には知り合いがいなかっただけで、予備校に知り合い自体はいるようだ。ただ隣の席が女性の場合はまず喋らないとのこと。
それに因んで、僕が出身高校は男子校であることを指摘された。そして、お気の毒に、と言われた。

余計なお世話である。

強がりではない。高校卒業から一年以上経って僕の中で醸成された考えは、少なくとも自分という人間は中高の人格形成期を男子校で過ごして良かったというものだ。これが男子校出身者の総意では決してないだろうし、僕だって自分自身に関しての考えが今後変わるかもしれない。しかし、現時点で僕が出してる結論は、少なくとも自分にとって中高男子校が最善の選択だったということだ。これは、かなりの紆余曲折を経て色々考えて出した結論だ。僕は中2の時分には共学に転校することを切望していたし、そういった胸の内を中学受験の塾が同じだった女子に語ることもあった。青春群像劇への憧れは中高を通して、いや2浪時も強く持ち続けていた。そういった精神性を持ちながら、自分にとっては中高時代、少なくとも学校生活を送る場に女子がいなくて良かったと確信していた。
その理由を完全に説明するには一万文字は軽く必要だから、ここではその詳解は割愛するけれど、男子校出身生活エアプが軽々しくそんなこと言わないで欲しいという気持ちがある。勿論僕だって日常生活においてエアプのくせに軽々しくモノを言ってるようなことは沢山あるんだろうけれども……。

(五)

講習が終わりいよいよ帰ることとなる。講習最終日。本当に彼と今生の別れになるかもしれない。彼がこの予備校で属しているのは東大の理系を目指すコースだ。志望大学は文理が違うといえど同じだ。共に合格すれば同じキャンパスに通うことになるけれど、受験の世界は甘くない。特に東京大学は難関だ。共に合格することを確実視した前提で話をすることはできない。

隣の席だし、ぽつらぽつらと言葉は交わし続けていたので、彼と一緒に教室を出ることとなる。

教室は六階で、降り方の選択肢はエレベーターと階段があったが、自然な感じで二人で階段を降りることになった。彼もそれなりに僕と会話して過ごす残り少ない時間を引き伸ばすことに意欲的だったのかもしれない。


この予備校に関するWikipediaのようなサイトがある。そして前述の通り僕は二浪である。一浪時に、この駿台御茶ノ水に、校内生として属していた頃から、そのサイトを熟読してきた。通年のクラスの講師陣の名前なども載っている。そして、二浪して通期のクラスには属さなくなってからも、このサイトは時々見に行っている。彼の属しているクラスの講師陣もほとんど把握していた。これは本当に多浪にありがちな予備校参考書マニア的趣味からきてしまう激キモムーブだ。受験関連のコアな固有名詞な情報に触れるのが純粋に好き。そういったものに好奇心を持ってしまう

そのせいで、会話をかなり先回りして、彼に通年のクラスに関するかなり具体的な話をいきなり振ってしまうなどした。そして、話が噛み合わないという事態が発生した。とても気まずかった。まだ六階から五階に降りる段でそんな感じになってしまった。

その後、とりとめもない話をしながら降りて行った。

二階でふと気付いた。六階の傘立てに傘を置いたままにしてきてしまった。

僕は傘を盗まれることに対する警戒心が強い。濡れることがとても嫌いだからだ。というか人々の意識の低さに日々愕然としている。傘立てなんて軽犯罪の温床である。傘立てにさされている傘を公共財産だと思っている輩は思いの外多い。そもそもどれが自分のやつなのか透明のビニール傘だったらわからない。僕は盗みにくいように記名し、さらに前日なんてウェットティッシュの空き袋をかぶせておいた。これなら取らないだろうという魂胆だ。このくらい異常なことをして初めて傘立ての傘なんていうものは守れると信じている。

僕はそういった精神性を持つ人間である………。

しかし、だ。ここで傘を取りに行くなんて言ったら…

彼は待ってくれるかもしれない。でも待ってくれないかもしれない。

僕が彼の立場ならどうするだろう。きっと待つだろう。しかし、僕と彼は違う人間だ。特に今日少し喋ってそれを感じたわけだ。そうでなくても自己と他者は区別しなければならないのに。それに僕が三日間彼に対して感じていた感情は双方向性を持つものではない。当たり前だ。彼にとってたまたま右隣の席に座っていたから、ノートを見せてくれた単なる受動的良い人の二浪にすぎない。

どうだって良いのだ。彼にとって僕は出先で買った300円のビニール傘みたいなものだ。もはや拾った傘かもしれない。disposalな人間関係。

仮に待ってくれたとしても何を思うかわからない。広義の友達にすらなれていない関係が持つ哀しさがここにある。

もし待ってくれなかったら…。だって彼にそんな義理はないのだから。意味もあまりない。僕はどうしようもなく哀しい気持ちになると思った。傘を取りに行く、と言ったことを後悔するだろう。これから先、その傘を見る度にそのことを思い出してしまうだろう。

もし彼が待たないと言ったからといって、「あ、じゃあ傘いいや」とも言えない。そういうものだ。彼は、何故この人は傘を諦めてまで自分と一緒に駅まで歩きたいのだろう、意味がわからず怖いと思うかもしれない。そして、その後一緒に歩いても、このことのせいで、より気まずい雰囲気が流れるだろう。

こんなことになるくらいなら、勇気を出して、予備校に今日来た時に入り口で女の子に傘を渡して、しばらく借りパクされときゃ良かった。記名だってしてるんだし。そんなバカなことも思ってしまう。

僕は一人で予備校から駅まで歩くのが嫌だったわけではない。むしろ、そういうのは得意だし、一人で帰るのが嫌という人は相容れないと思ってしまうことすらある。僕はそういう人間だと思う。少なくとも自分の中の寂しいという感情を何故か憎んでいる。まぁそんな人間ほど本当は寂しがり屋なものだけど。

それでも僕は、彼と、この状況で今生の別れになるかもしれないのが嫌だったのだ。

良いじゃないか濡れるくらい。彼とは「一期一会」かもしれないんだから。一緒に雨に打たれてみるべきだ。
 
傘自体に関しては記名だってしてるんだ。後で取りに行けば良い。ただ、傘に限った話、記名してるとはいえ何があるかわからない。これで紛失することになったとしても、まぁ、壊れかけだったし良いや、などと思ってみる。

もし外に出て大雨なら、思い出したように、そう言えば傘持ってたわ、と言ってエレベーターで6階まで取りに行こうかなとも思った。
しかし、実はその予備校では傘の貸し出しを実施している。あまり知られていない事実ではあったがもしこのことを彼が知っていれば僕が取りに行ってる間に帰ってしまうかもしれない。


予備校を出る時、もうすっかり日は沈んでいた。街頭が醸す光のシャワー

ただ幸い小雨だった。小雨に打たれながら彼と駅まで歩いていく運びになった。とりとめのない話をしながら歩いた。会話内容を全く覚えていない。内容が相当に薄かったのだろう。僕は数分の床屋談義のために傘を諦めたんだなと思う。

あの傘はもう乾き切っているだろうか。まだ少しは湿っているかな。

彼がどこまでドライに接したいのかも、僕からはハッキリとは分からない。

彼と最寄駅は違った。近いけど微妙に違う場所にある駅だ。僕は敢えて、自分の使う駅の、予備校から遠い方の改札口まで歩いた。小雨に打たれる時間は伸びるけど。今生の別れになるかもしれない、と考えるとやはりタイムリミットは伸ばしたい。僕は彼の名前は知らないままだし彼も僕の名前を知らないだろう。いくらこのネット社会にあっても、名前さえ知らないのはキツい。

来年駒場で会えると良いな、と言って僕は改札をくぐった。

まぁ来年会えてしまうと、一期一会にならないんだけど笑笑……………。

結局、その傘を取りに行きはしなかった。

そして、今僕は四浪している。東大合格は諦めた。

(了)