テレビスターが 夢だった。破〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕

テレビスターが夢だった序 )http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/004732)の続き



【遍歴】

僕の人生の最初の夢は総理大臣だった。
多くの人が一度は憧れる職業だろう。

年長さん(笑)の頃、幼稚園の朝礼で壇上に立ち「僕は総理大臣になりたいと思います」と大きな声で言った。誕生日に全園児の前で将来の夢を発表するのがその園のならわしだった。

幼少の僕は、夢を聞かれて、ウルトラマンマックスと答えてた同じ空手教室の男の子のことをひどく軽蔑してしまっていた。
よく考えたらテレビスターも幻想のようなモノだからそう変わらんな。

小学生の頃、気づいたら、将来の夢は医者になっていた。中1の途中くらいまでは医者が夢だった。少なくとも中学入学時に書かされた「初心」という文集にはそれについて書いていた。
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医者志望だったので東大離散に当然自分は行くものだと思っていた。灘志望だったし実際入ってしまったから自然な流れだと考えていた。しかし、まだまだ受験制度には疎く自分が当時から大好きだった地歴を離散の場合センターでしか使えないという事実はまだ知らなかった。
そして、なんとなく世界征服できたらなぁと思っていた。

ただ当時(小学生の頃)の僕の意識として印象的なものがある。
鈴木福くんを理不尽に嫌っていたのだ。
小学生だから仕方ないと思うが、なんにせよ自分より年下が、親がそういうことに意欲的だったというだけの理由で(当時はこのようにひねくれた見た方をしていた)、TVに出てチヤホヤされているという事実が僕には耐え難かった。当時の今よりさらに愚かだった僕は、あんなこと僕にでもできるのに…!と考えていた。
正確に言うと僻んでいたんだと思う。全く当時そういった自覚はなかったけど。

これは、その後に発生するテレビスターになりたい欲にも通底する価値観に根ざしていると思う。それは、「とにかく不特定多数から圧倒的に承認されるという経験が全て」というものだ。それが人生を送る上での前提のようなものだと思っていた。少なくとも、思い込んでいた。

だからこそ東大を目指した部分も多分にある。こう言っては悪いが、どんなバカにもバカにされたくなかったのだ。自分が乗りかけていた高学歴レール(笑笑笑)の上で何か肩書きを得るとして、少なくとも誰にもバカにはされないのは東大入学だけかなぁと思った。受験などに疎い人にも絶対に不当な評価を下されたくなかった。全国民に承認される、いや少なくともケチをつけられない学歴面での前提が欲しかった。

こんなエピソードがある

灘高校にV6のメンバーが来てダンス指導するみたいなテレビ番組で、生徒達に志望校を聞いていき、東大理一と答える人が多い中、京大医学部と答えた子が東大理一より下であるかのような扱いをされていた。

こんなツイートを見たことがある。

友達と二人で(関西の)街を歩いててキャッチに大学を聞かれて、友達は同志社と答えて賢い〜と言われて、ツイ主は東北大学と答えて、遠いですね〜と言われた、みたいな、、

本当に耐え難いことだと思ったのだ。

今思えば、全員に認めさせないといけないという、ある意味での「完璧主義に対する強迫観念」だったのかもしれない。

Material Girlなどのヒット曲で知られるポップスの女王Madonnaは大学中退後、N.Yのタイムズスクエアで「“I won't be happy till I'm as famous as God.(神と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)」と誓ったという。僕もそんな気持ちを持ち続けてきた。

僕はあんまり海外セレブ発のコンテンツに興味はないけど、海外セレブに関する記事などを見るといちいち劣等感を強く刺激されてきた。

話が進みすぎた。とにかく、中1の時の転換について話す。

僕は幼少期から松本人志を軸としたお笑い賞レースなどこそ見てきたが、なぜかそれ以外の番組に関心がなかった。勉強ばかりさせられててテレビの視聴を許可されていなかったという感じではない。中学受験の20日前くらい前に車のカーナビでTHE MANZAIを見ていた記憶すらある。まぁザマンザイに松本人志は絡んでないけど。関西ローカルである明石家電視台などはギリ見てたし(まぁこれは単に歯磨き後たまたま父が見てることが多かっただけやけど)。ただただシンプルに演芸以外のエンタメ全般に関する興味を欠いており、異常なほどに知ってるテレビタレントの数が少なかった。確実に言えるのは、中学入学時点で、マツコ・デラックスを知らなかったということだ。浜田雅功の下の名前を言えなかった松尾伴内は知ってたのにな。。ちなみに中1時点でタモリを知らない灘生というのは案外多い。

ただ急に中1の間にエンタメへの関心が異常に増した。理由をあまり覚えていない。なんにせよ自我が目覚める時期なのだろうということにしておく。親の干渉も減ったわけだし。
そんなつもりはなかったが、さながら勉強でもしてる感じでエンタメの歴史についてWikipediaで調べつつルーズリーフにまとめ、沢山のTV番組を録画しては丁寧に見るようになった。高校生の頃の中田敦彦みたいな感じだった(今の彼はともかくとして、彼の芸人前夜という著書は良くて、そこにそういう感じのエピソードが書かれていた。)

ただ、まだ漠然としていた。テレビでの露出をコンスタントに得続け、国民全体から承認され続けたいなくらいの願望を持っていた。しかし、最終的にはテレビスターに…!と思い始めていた。

中1の時にクラスメイトに将来の夢を聞かれたのかなんだったかきっかけは忘れたが、とにかく当時(今もだが)どうしようもなかった僕がなれる職業あるのかみたいな話になったんだと思う。多分体育祭の時だから9月だな。ポロッと、〝タレント〟になりたい、と言った。その後ちゃんとした受け答えとかできるんか?とか言われて色々シュミレーションさせられてはダメだなぁみたいな感じになった。ただ、その時のクラスメイト達は多分このやりとりを覚えてないだろうし、覚えてたとしてもハタチまで本気にしてただなんて思ってもなかっただろう。
多分、学校でそういうことを語ったのはその時が最後だったと思うから。。。

僕が視聴して唯一感動できるTV番組はM-1グランプリである。YouTubeの主な使用法はYouTuberの動画を見ることではなく、芸人のネタ動画を見ることだった。それはそうとしてお笑い芸人という呼称が好きではない。“笑わせ人(わらわせびと)”などとするべきだと思う。以前にもツイートしたと思うが。

そんな僕が、中1の僕が、芸人になるというカタチでテレビスターという夢にアプローチしようと考えるのはひどく自然なことだった。

ただ東京大学一年の時にNSCに入ろうという生ぬるいビジョンを思い浮かべていた。ぬる過ぎる。ぬるぬるぬるぬるぬる

ぬるぬる

ぬるるるる
ぬるるる

るるるる

ぬるるるるるるるるるるるるる

中1の終わりくらいから申し訳程度の「ネタ(笑笑笑笑)」をスマホのメモ帳に書くようになったり、、

なんか勝手にコンビ名とメンバーの氏名を登録できる芸人の知名度ランキングのサイトを見つけて、当時のSNSやLINEのハンネとして使ってた文字列をコンビ名、メンバー名に自分の氏名を登録して(コンビ、なのにメンバーは僕だけ 解散後のバカリズムかよ)、勝手にドキドキしてた。誰かが僕の氏名で検索してこれを見つけたらどうしようと。自意識が強すぎる。

こんなほぼ中2にして、厨二病を極めてるやつおる?????文字通り過ぎる。
勿論周りには一切言わない。
そしてこの病気がいつまで経っても治らなかったのだ。

決定的に良くなかったのは当時から別に「恥じてはいた」ということだ。

演芸パレードというオーディションのコーナーもあるネタ番組で、
当時駆け出しで、そのオーディションで注目されていたあばれる君が、芸人として大成して小説を書き政治家になりたいと言っていて、

同じだ…!と思ったことがある。
自分の書いたものも、知名度を武器にすれば、普通に発表するより読んでもらえるだろうし!

青島幸男みたいになりたかったのか?と言われたら割とそうだったのかもしれない。

高1の5月上旬くらいだろうか、高校の同級生に芸能事務所のオーディションを一緒に受けにいかないか?と言われた。当時の僕はそういう感じを出していなかったつもりだったが、なんとなく出ていたのかもしれない。

ダメ元で応募してみることにした。基本的に18歳未満は親の許可が必要だったが、適当に親の許可は出てることにして無断で申し込んだ。その同級生の親は僕の親よりはるかに厳しく、彼も無断で出していた。

僕は、なんらかの成果を出して、それで知られる以外の知られ方は厳しいと思った。

親に、不確実性が高い生き方をしたいという思想を持っていることがバレるのを極度に恐れていた。まぁなんにせよ僕は東大には普通に進学するつもりだったし、

(後で触れるが)
今遂にこういうことを言えるようになりかけているのは、逆にもう守られた生き方以外の道を模索する方が自然な状況になってしまったからかもしれない。

ある事務所のオーディションに呼ばれ、
大阪駅の泉の広場の上あたりにある事務所に行った。

今思えば地獄の空間だった。

かなり長いセリフが書かれた紙を読まされた。
そのセリフの中に「びっこを引かずにな」という一節が含まれていたことだけを覚えている。

つっかえつっかえ読んだ。つっかえてる部分の方が多かった。あまりにもひどい音読だった。途中強制退場くらいが妥当だった。この僕の人生という人間喜劇にあって間違いなく共感性羞恥を喚起するような一幕だった。

終わってからその事務所について詳しく調べたら、誰でも通して、レッスン料を取ることを中心に経営を成り立たせている事務所っぽかった。

合格の電話が来た。もし真っ当な審査がなされていたらそんなこと起こるわけがないだろと思ってもう出たくなかった。電話でやっぱりやめますって言うことすらキツくなっていた。逃避癖ここに極まれりという感じがする。

その同級生もその事務所のオーディションに呼ばれ、なんか歌わされたらしい。上手く歌えなかったが合格だったと。

他にも高1の頃なんかチャンスはないかなと思っていた。そんなん受かるわけないのに石原プロのオーディションの要項を毎日見ていた。僕の〝スター〟の観念にはピッタリだと思ったからだ。

数学の溜まりに溜まった課題の解答をノートに自分なりの言葉で翻訳しつつ写す作業をやっていた神戸住吉のロッテリアのトイレの鏡で自分の顔の美質を探していた。


まぁでも高1の頃の将来の夢は「お笑い芸人」だった。

一応当時の交際相手には聞かれて言ってしまったが、本当にそれだけだった。


2017年に水曜日のダウンタウンで日本の有名人の知名度調査みたいな企画があり、ベスト100が発表された。
このランキングは島田紳助が入ってないという欠点こそあるものの、63位宮根誠司62位麻原彰晃61位羽生結弦みたいな感じで割と本質に迫っている感じがあった。
2040年くらいにこの調査が実施されたら余裕で食い込みたいよなぁ、と思っていた。
まぁその時は1位西村博之だろうな。

これはこの記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)でかなり触れてることだけれども(これは後述するが、東大もテレビスターも諦められた理由も本質的に同じだ。そういった変化が今年になってから各方面で徐々に起き始め、ある程度のゲージに達したら、一気に解き放たれるというのを繰り返してきた。もちろんまだまだ様々な面で過度的だけど…)、

テレビスター志望のくせに結局高校時代最も時間を費やしたことはTwitterだった。

何故か。人生の小腹満たししかできなかったからだ。

敷かれたレールを踏み外すのではなく、常に敷かれたレールから支線を出したいと考えていた僕はやはり東大には合格しないとと思い続けているのにも関わらず、ほとんど勉強しない中高6年間を送った。

そのせいで受験勉強における学力が低いことを引け目に感じてること、積み残しがあること起因の閉塞感で、受験勉強以外にデカ過ぎる時間の投資をする勇気があまりなかった。結果としてテレビスターになるための準備に手をかけることもなく、別に楽しくもない小腹満たしみたいな時間の浪費で貴重な若い時間を埋めてしまった。一つ一つは取るに足らないことだけど、積もると膨大なダラダラという時間の浪費。


まぁなんとなく東大は行けて、大学生という4年間のモラトリアムのあいだに何かしら父なり周りなりに見せられる成果を出せたらなと考えていた。それが無理ならなんとなくお金を稼ぐ手段を得て、芽が出るまで頑張ろうみたいな。(そう自分で大金を稼ぐのもまた僕にとっては非常に大事で、そういう致命的な強欲さがある。父親が経済的に助けてくれるから良いだろうと思われそうだけど。だいたい父親が経済的に助けてくれるからそういう思考回路になるんだよぜぇーんぶと言われたらそれまでだけどさ、、、(ただまだ人から父親から経済的に助けられてることを指摘されてはひどく落ち込む性質はまったく抜けてないので極力指摘しないでほしい。ごめんなさい。なんとか克服しようと頑張ってます))

この将来設計の良い加減さを自覚していた。していないわけがない。
そもそもどんな超人にも無理なことを目指してるのだから。
具体的な人生設計のある人と出会うたびに、恥じて、落ち込み、しかし自分の理想主義いやもはや夢想主義から自由になれなかった

たとえば生きてる間に車輪銀河に行きたい!となったとして、具体的な計画を立てるのは不可能だ。
ずっとワープの方法を考えて一生が終わるだろう。
それと同じことをしていた。
せめてエウロパに飛ばすロケットの話とかをしよう。
 
まぁなんにせよ、
やはり騙し騙しの敢えての近視眼は絶対大事で、
メガネ入れに鍵をかけないといけないのに、
そもそもメガネ入れすら見つけられていなかった。

それから僕がボヤボヤしてるうちに世界はどんどん悪いものになった。少なくとも、悪いものに見えるようになっていった。

文化的な分権性、欺瞞こそが本質みたいなこと、陳腐なものがいかに僕が本来受容されたいと思ってたような大衆に受容されやすいかということ、それに伴う迎合の必要性を感じ、そして自分はそれが実は本当にとても苦手だということに気づいた。
そして俺は何よりも傷つきやすい。こんなこと自分で言いたくないが。認めないわけにいけないことでもある。そしてあまりにもその事実から今まで目を背け続けてきてきた。

これらのことが目についてきた中で、それでもテレビスターになりたいという願望を決してブレさせてはならないなという謎の一貫性を有していた

そういえばここ3年くらいお笑いの賞レース以外ほとんどテレビを見ていない。家のテレビが壊れてるからだ。3年間受験生をやってきたわけで、円滑な受験勉強に丁度良いなと思い敢えて修理はしてこなかったが、この「失われた2018〜21のテレビ史」はいつかどこかで履修しておかないとなとは強く思ってきた(ここにも全時代の主要な〝文化〟を網羅しないと!みたいな完璧主義がでている)

そういえば、だいたい僕はお笑いが好きなのだろうか。めちゃめちゃ


一般人として相当好きな部類であり、ミーハーさを忌み嫌っている。真空ジェシカが売れようとしてる今好きな芸人を聞かれたら誰と答えたら良いのか困っている。この3年間あまりにも追えてなくて。
それでもライブなどに行った経験もなければ、地下芸人にも疎い。所詮YouTubeで自分好みのネタを探す自称お笑い好きにすぎない。
あと大前提としてユーモアセンスに自信がない。むしろ養成所でそういうセンスを磨こうだなんていうヌルい考えを持っていた。
本気でやるならYouTubeライブで1日3時間1人で大喜利モノボケをやり続け、スベってはなんとか改善するのを繰り返すくらいの訓練をするべきだろ。


冗談だっただろうが、高校の漫才LINEグルで、いつしかのM1の後あたりに、7年後にナツミート(当時は本名)とM1決勝で戦いますみたいな発言をベテランちさんがしてたのをずっと忘れられない。


2020年の春から夏にかけてくらい
つまり僕が3浪の時に、僕とこの世で一番仲が良い人間(そいつは僕の1歳年下で1浪で東大に入り、その年大学一年生になった)が、思ったより人生が上手くいかないことに気づき、NSCに一緒に入らないか、と言ってきたが、そんな気持ちが一ミリもないかのように振る舞った。入学金40万も払わないといけない、みたいな受け答えをした気がする。心の中では、3浪でも4浪でも5浪でもして東大に行き、在学中に自活手段を得たら、ひっそりとNSCにでも入ってryみたいなことを考えていた。ただし、スクールJCAもナシではないかもなくらいに思っていた。

未だに中2以来のメンタリティを保っていた。

理想と現実のあまりにも大きなギャップに押し潰されそうになっていた。根拠のない自信が実はそこまである方じゃない。テレビスターになれるだろうだなんて盲目的に信じられない。というか無理だなんてずっとわかっていた。
で、昔は現実的に思てたその前前前前前前前前段階たる東大合格すら3年かかってもできず、またかなり遠いことに思われていた。

2020年の1年間は
よく、
今の僕の人生のマイナスポイントは今2千兆500くらいで、
東大に入ると、マイナス500くらいになる。そして、人生を最終的にプラス5垓で終えたい、みたいなことを言っていた。

冷静に考えて
東大卒のテレビスターになるという理想と3浪無職という現実のギャップに苦しんで漠然と病み続けてたの滑稽すぎるだろ。笑ってくれよな

山を動かすにはまずは小石から運ばないといけないのに、
常に岩肌を押しては手を擦りむいて、落胆して現実逃避。そんな人生だった。

(テレビスターが夢だった(Q

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に続く)