正常な精神状態の再建について2/10〜15


何故か勉強ラプスを最近撮れていない。
明日から頑張ろうと思っている。
これはお茶濁しの日誌。誰に対して?


2/14日 正常な精神状態の再建について

父と会う日だった。
父は今際の国のアリスにハマっているらしい。

父と喋ったことと因果関係があるかわからないが、父と会った後正常な精神状態が復活した気がする。理由を説明するのは難しい。インタラクティヴなコミュニケーションの内容が全般的に影響を与えた。今日は去年の6月くらいから続いてた圧倒的な鬱積的な状態から一気に解放された気がする。それは最近より酷くなりつつあって、今まで味わったことのないような感覚だった。特にこんなに恒常的なものは。この解放感も一時的な錯覚とかだったら嫌だなと思った。しかし躁みたいな感じではない。シンプルに80キログラムくらいの重りを背負ってたのが7キログラムぐらいになった感じ。悩みの種だったことを依然として大問題として認識し続けてるけど、必要以上に多分にそれらについて悩むというのが解消された。このデカすぎる変化のせいで人生全体を覆ってきた漠然としてはいるが理由のある抑うつ状態も薄まった気すらする。これは流石にデカすぎる変化による錯覚だけどな。63キロの消失により7キログラムを一瞬ゼロだと思ってるだけ。まぁなんにせよここ最近ずっと心が脆くなり過ぎていた。落ち込み喚起の閾値が異常に下がっていた。ホントにこんなことで?みたいなことで落ち込むことが多かった。これから抜け出せた気がする。できるだけこのアゲ⤴︎マインドとまでは言わないが病んではない状態が長く続いて欲しいと願うばかりだ。せめて二次試験まで。街を歩いてて、何気なく立ち止まり、鳩のテリトリー争いをボォっと眺めてしまうような精神状態が続いてたが、そういう精神状態はかなり注意散漫で、勉強におけるミスの原因にもなる。特に2021年になったあたりから
今までしたことがなかったようなミスが増えてて大変自分のことが怖かった。精神状態がマシになり、せめて、低い学力を最大限に発揮することはできそうで嬉しい。
あと、最近ずっと病んでたんだなぁというのが確信に変わって良かった。それまでは、普通の人って実は常にこれくらいの精神状態で、それに耐えてるのかもしれないとか思ってたから。この重りが軽くなった状態に非日常感すらあるもん。違和感というか。まぁ絶対的に良いことだけどな。
あと父に対する意識もなんか今までから変わりつつあるように感じる。良い方向に。会って話してる時はこれらの変化は全く認識しなかったが、会った後思ったことだ。これはデカくて、今年度は父と月に2回くらい会ってるんやけど、毎回その後疲れてしまっている気がした。父と会うことと疲れを毎回因果で結んで良いのかもわからず、また結ぶことから目を逸らしてもいた。普通に自分子供として父親なことがかなり好きな方だと思ってたけど、微妙な気持ちになる部分は当然存在していていやあって良いんだけどそれが疲れという形になってたのかもしれなくて、でも今日はやっぱりこの人は良い僕の親だと思うレベルが確実に数段も上がった。実際問題僕側からの父に対する心的距離というのは実はとても近いわけではなく、中1の時とかかなり離れてたし、そっからどんどん近づいてはいて、今日また短くできたかなと思ったのだ。
他にも、たとえば、父はその場凌ぎで僕をスポイルしてるわけじゃないんだなということを、よく考えたら当たり前だけど、確信できて良かった。

ひとまず2021 2/14に記したその日の感情がそんな感じ。こんな自分の心情を長々書いてるとそれだけで病んでる人みたいやけどな。
普通に精神状態の改善のsubstantialな根拠を見つけてはないからあやうやさはあるし、普通に錯覚かもしれないけど(自分はマイナス思考をやめられると思い込んでるみたいな)まぁ錯覚でも良くてちゃんと続いてくれたら。とりあえずこれから精神状態がどうなっていくのか期待と不安が入り混じった気持ちである。

2/15月
平日なのに(社会はちゃんと動いてる)9時台に起きてしまった上に雨が降っててとってもgloomyだったが、なんとか前を向いて生きていこうという気持ちになれた。
しかしラプスを撮るほど勉強しなかった。それとこれは話が別らしい。


⭐️💫💫💫

2/10〜13←何もしない、という不善をしていた。

大量の言い訳を並べないといけない日々が依然として続いてしまっている。

2/10水
6時2分とかに何度目かのアラームで目覚めるが2度寝を繰り返す。確実に6時間前後の睡眠でシャキッと立ち上がるのが苦手になってる気がする。できてた頃どうだったけ。自分の中の違う時期における朝起きるつらさを相対化できない。ブラックコーヒーのガブ飲みとにどね、そしてスクリーンタイムのあと1分機能の消化を繰り返してたら7時くらいに急に目が冴えてきた。
今日は二日ぶりに朝ランができてよかった。最近家を出る時間を遅らせてまで走ることを躊躇いがちだけどやっぱり走った方が良い。なんやかんやで家出る時間変わってないし朝ランもせずただダラダラしてしまう日が多い気がするから。
今日も、好きな冬の空だった。突き抜けるような青さで晴れていた。朝ランさえすればこの青さの下で生きたことを無駄にせずに済んだと思える。だからせめて好きな空の日は朝ランをするべきだ。青い空から享受できるモノとして、外で朝ランをすること以上のモノって、毎日恒常的にできるモノだとあまりない気がするからだ。

昼から横浜で日本史のテストゼミ。新宿の日程は河合の直前プレと被ったからだ。久しぶりに電車に乗ると、からあげクンと一緒に夢も買えますよ、という吊り広告が目に入り誇大過ぎて笑ってしまった。

昼にカキフライがついた定食を食べた。カキフライの克服度が上がった気がする。−70くらいの時期が長かったけど、もはや+10くらいかも。

2/11木
何度寝も繰り返し8:20とかに起きる。最近ずっとこれ。10分、いや5分でも体を起こした状態で耐えたら一気に眠気は引くのに。それができなくなってる。なんでだろ。走らなかった上にそれ以外も何もしなかった。もうほんとダメな日だった。8:20って遅いけどまだどうにでもなるはずだろ。
なんかふとあごひげをピンセットで抜き始めてしまった。顎の中の一区画だけ丁寧にやってしまうと、ムラがあるのは良くない均質的にしないととなってしまう。同じようなことが太腿と膝、Iラインなどに関して起こる。結果的に全部できるわけじゃないのに。中途半端な完璧主義が世界を終わらせる。
もう僕はなんでも良いんだろうな。受験に関する厳しい現実から目を背けるための現実逃避になりうるものならば。決してやりたい!と思ってするわけではない、楽しくない、人生の小腹満たしの繰り返しをやめるべきだ。小腹満たしですらない。砂糖水を舐め続けている。そんな感じ。
勉強の悩みは勉強でしか解決できない。まずこれが端的な事実としてある。そして、そこに即効性がないなら憂鬱を紛らわせるためにせめて自分がしたい楽しいことをするべきだ。少なくとも毛抜きは救いにならないよ。

2/12金
前日よりさらにひどい。11時間も寝た。昨日何もしてないのに。デカルトだって朝に弱く、冬の5時起きがつらくて、その結果死去したんだみたいなことを言ってきたけどそんなこと言うのはデカルトに失礼な感じに確実になってきている。
前日に翌日の早い起床のためにした施策が何一つ功を奏さなかった。
ここまでひどい時期は流石に珍しい。過眠期がきてると断じて良い。
浪人生活や受験勉強は僕のダメさが発現している一つの形に過ぎないと考えているため、今後の人生のあらゆることに対して不安になる。
あと、今睡眠的に特にひどい時期だけど、そうじゃなかった時期と比べた過眠をもたらしてる原因がイマイチわからないため、解決法が不明で、ずっとこのままだったらどうしよう一生東大に通らないよという気持ちになる。

2/13土
色んなことが組み合わさり5:40に起きられた。交通量の少ない時間にもう絶対朝ランするべきだな。
受験勉強と向き合いはしたしラプスも撮ったんやけど、なんか微妙だしボツにした。ボツラプスは結構珍しい。
スリッパとカードケースと洗えるマスクを買おうという明確な目的意識を持って東急ハンズに行って1時間くらいいたのに結局何も買えなかったことで、僕はあらゆることを苦手としているなという気持ちになった。
ポイントカードとか40枚くらい収容できるやつが欲しいなと思って、そういうのは一種類だけあって、手に取ったらマジックテープで最悪な気持ちになった。普通にボタン?で良いのになんでそこをマジックテープにするんやろ。マジックテープが明確に嫌いだ。
逃避でフラッと本屋に来たとき、
学力も低いし文化的にもスカスカでどうしようもないなという気持ちになる。

了 正常な精神状態を回復してから見たら非常に正常じゃないなという気持ちになる。