21年間生きてきて初めて東大を諦めた理由、など
僕は2021年3月13日の午前3時頃、物心ついてから一度もブレたことのなかった東大志望をやめた。
21年間目指し続けた理由をまずは述べるべきだろう。その後で、やめた訳を述べる。まだ諦めてからそこまで日数が経ってないせいで、そこまで上手く書けてる自信はない。感情は経験によって確かさを増すのだ。まだフワフワしている。かたまるには、東大を諦めたというメンタリティでもっと色々なことに触れていっては感情を蓄積させる必要がある。
現役で灘から東大に行った人間の中に、何故東大に行きたかったか一度も聞かれなかった人間はいると思う。
しかし3浪もしていたら不思議に思う人も出てくる。
・まず21年間も東大を目指し続けた理由
「東大だけを目指して多浪し続ける理由について」という未完成のメモがあったので、これを人が読める体裁にしてなるべくそのまま載せる。未完成である点がなんとも言えず切ない。
言語化は意識を狭めることがあるが、それに自覚的な上ですることは悪くないと考えてるので、可能な限り試みる
3浪の末期に、父に東大文系の中でなぜ文科一類を受けたいか聞かれた
僕は、カッコいい、からと答えた
もちろん、
「論理は好みに勝てないことがあり、説明的になることを意識しすぎることで本当は思ってない理由をこしらえてしまうかもしれないのでなるべく感情に正直な理由を言う」
などの前置きはした。
僕の答えに対して父は
「それは父親としての俺を満足させる答えや」
と答えた。
あくまでも東大文系の中で文一を選んでる理由だが、東大に行きたい理由もさほど変わらないだろう
では理由は、カッコ良いから、だけなのか。唯一なのか。それはある意味で正しくある意味でそうでない。○○でないとカッコ悪いから、みたいなものはいくつか浮かぶ。それも結局行きたい理由はカッコ良いから、に帰着する。複数の角度から見た答え方は存在するが、核にある事は一つだったりする。
たとえば、、
度々言及されるような言説だが
日本の教育は極めて民主的にみえる
公教育において、検定教科書を使えばすべての国民が東大を目指せるかのような建前を守り続けてた。
目指せるというか、敢えて言おう、目指す資格がある、
この欺瞞にいくら10代後半で自覚的になったところで、幼い頃から刷り込まれてきた意識を簡単に捨て去ることはできない。
萩生田文相の身の丈発言もいつか日本においては先見性のある発言だったと、レーニンの平和に関する布告のように評価されるかもしれない(あくまでも未来の価値観を先取りした、というだけの共通点だけど)。が、今ではない。
ましてや灘中高なんかで6年間を過ごしてしまったら、、
男子校で多様な価値観を教えられるのか、認知が歪みまくった人材が育成されてしまう、みたいなタイトルの記事を目にしたことがある。自分は男子校の平均よりバランス感覚があると思い込んでいたので笑うつもりでしっかり読んだ。笑えなくなった。
男子校の競争を是として生徒のやる気を出させる手法は、競争を是としない人々の価値観を受け入れられないというのだ。
僕の場合はまさにこの裏返し。いや裏でもないんだけど。
競争を是とする社会において常にそのことに自覚的でありながら、6年間そのせいで劣等感を感じ続けたということの重みが自分にのしかかってると改めて気づいた。
実際灘はのんびりした社会だ。競争を是としてる!などと日常生活において過度に意識的になることはない。しかしながらそれでも劣等感のアンテナというのは無意識に張り続けて敏感に感じとるものだ。勉強ができるべきだというのは暗黙の了解ではあり続けた。
そう、東大受験を諦めるのは「カッコ悪い」のだ。
みたいな「カッコ良い(????)」理由を答えたが、もう一つ真理のような理由がある。
それは、「諦める理由がないから」
多くの人が東大を目指し続けたいのに、断念する。こんなこと言うとそういう人たちが激怒しそうだけど、幸い諦める理由があったから、という人もいると思う。
この、諦める理由がない、というのは何も受験に限った話ではなく、この世の多くの何故か続いてしまってる悪しき伝統や習慣や色々はこれで説明できるなぁと最近よく思う。寝たきり老人の延命治療とか。
逆に、
東京という都市が古今東西に類を見ない勢いで近代において発展できたのは関東大震災や東京大空襲のおかげだ、みたいな説明にも使える。ロンドンなどと比較した場合にだ。こういった外的な国難は 諦める理由がない、みたいなものを諦めさせる強制力だからだ。端的に言うと、関東大震災や東京大空襲により既得権益者が保有する建物群を一旦更地にできたために、再開発を進められたということだ。
話が多少逸れた
僕はいわゆる普通に就職することにおいて浪数の少なさや学歴によって有利さを得たいと考えてないし、僕に金銭面で援助してくれる父は僕の意思を全面的に尊重してくれる。他に行きたい大学は特に浮かばない。そう、諦める理由がないのだ。
それは絶対的に幸せなことであるように見える。いつか受かるのであれば、
他にも結構重要な理由として、東大受験に成功しないと得られない自己肯定感は、その後の人生しゃんと胸を張って生きていくための必要条件だと思った。とか、東大受験を通して、こんな愚かな自分を統制するための自己マネジメント術を見つけたかった、とか、色々挙げられる。
・
最後に
浪人し続けるのもカッコ悪い。
怠惰なのだから救いようがない
ニートとして一生を終えるかもしれないという恐怖に怯えている
怯えたところで怠惰はなおらない。すこしずつ思い切ったことをして少しずつ直していきたい。
というどうねじ込めば良いかわからなかったセンテンスが残っていた。
・
(これは3/13以降に書いた)
あと、単純に3年間も浪人したのに東大に受からなかっただけの人になるのがメチャメチャ怖かった。世間は、他に何か取り柄があるわけでもないそんな僕をめちゃめちゃ蔑むと思った。3浪しても、どんなときも。を直後に発表した槇原敬之とはワケが違うのだ。これはもう1年でも浪人してしまった時点で避けられない思考法だった。
これが浪人が沼たる所以だと思う。
非常に僕は臆病なのだ。
余談: 3浪したが大学に行かず、その後売れるまでさらに何年もかかった井上陽水はメチャメチャ不安だっただろうな。ちなみに彼の本名は陽水(あきみ)だ。夏海(なつみ)である僕は、父親に最近その話をした。名付ける時に実は意識してなかったこともなかったらしい。でも、そういうのは指摘されない限り自分から言いたくないらしい。父はそういうところがある。
・
本当に僕は人生においてダサいことをしないというのを一番重視してるのに。。。したいと思ってるのに。。。
結果的にダサ過ぎる状態になってることが少なくない。
「カッコ悪くたって良い」的カッコ良さってある。でもそうじゃなくてシンプルにダサいことがある。多過ぎる。
・
・「東大を目指すのをやめた理由」
これはもう徐々にだったけど(普通に3浪の夏くらいに、最悪4浪までするがそれでダメなら東大を諦めるみたいなツイートをしたこともあったし、3浪の末期はとにかく今年は受けるけど4浪でダメならry派と東大に受かるまで受験を続ける派が脳内で大激論。毎日30分ごとに情勢が劇的に変化していた。)
さらに2021年の2月中旬から3月くらいにかけて自分の「認知」の大変動が起きていた。今だって割と過渡期中の過渡期だったりする。原因はあまりにも多岐にわたる。と思う。
3/10の段階で既に過冷却水みたいになってた。
でも最後の2波が大きかった。その2つの波でピキピキピキピキピキピキとかたまっていった
3/11に届いた東大の得点開示がめちゃめちゃ悪かった。これは去年の秋くらいから薄々予感していたことだった。軌道修正しようにも何を信じれば良いのかわからず、デカルトも言ってるようにとりあえず森の外に出るために同じ方向を向いて歩き続けた。
たかが一枚の紙切れだけど、開示のプレゼンスというのは相当デカイ。東大入試というのはハンター試験みたいなところがある。ウルトラエリートたる東大教授達が、僕の答案を正確に査定して下した結果なのだ。いくらずっと悪い予感がしていても、得点開示まではにも断定的なことは言えないなと思ってきた。しかし深刻すぎる現実を突きつけられたのだ。
この点差を1年間で埋められる自信が全くないと感じた。しかも3浪時は満足に勉強できたとは言い難いものの、それまでよりは遥かにマシだったのだ。それでもまだ3/11の時点では、いかにして逆転合格するかのプランを非現実的にならないように注意しながら模索していた。生活におけるあらゆる要素を考慮しながら。経験から。しかし、4浪で東大に受かるビジョンが描けるプランは作れなかった。
この事実について3/13の午前1時くらいからかな、高校の同級生と電話で話した。やはり灘卒の進路をアドバイスによって変えられるための必要条件は、その発言主が灘卒でそれなりに自分を肯定できているに者か、それに類する感じの者であることだと思う。他の人の心から僕を思ってくれる発言には本当に申し訳ないけど。いや語弊があるな。でもとにかく僕にとって相当なプレゼンスを色々な部分において感じさせる人物である必要がある。いやまず普通に灘卒なだけじゃダメだよな。こんな記号的な情報で彼について語りたくないが、彼は生徒会長を務めた人物で、生徒会長の仕事自体はあまりきちんとこなせなかったが海外大に入学した人物で、現役時東大文一に落ちていて、僕は中1の春の遠足で彼と王子動物園でたまたま遭遇したという思い出があり、誕生日が同じで、なんだかんだ言って一貫して尊敬してきた人物だ。彼は、今は、それまで紆余曲折あったがそれなりに上手くやってるように思える。そしてそいつと在学中そういう話はあんまりしなかったんだけど、僕が現在進行形で悩まされて最近自覚的になり克服しようと動いている自意識や強迫観念とかなり似たものにそいつも7年くらい悩まされてきて最近克服したという経緯もある。
そして、たとえば予備校とかに通ったところでこの点差は埋まらないだろう、などという話をした。
だってさ、
物心ついてからずっと東大に行きたくて。
少なくとも中1からずっと定量的に示されるものが、東大に行けるレベルでないといけないという意識を持ち続けてて
勉強しなくて良いなんて思った瞬間は一度もなかった。
それでいて、ずーーーーーーーーーと、めっっっちゃ学力が低かったわけで。勉強習慣も身につかないし、高1の終わりに家で自分が勉強できないこと、一旦家に帰るとなかなか外に出られないことに気づいてからは部活帰りにスタバで勉強する習慣がついたけど、現実逃避で、苦手科目から目を背け続けて、世界史とかやってしまってた。普通に英数を先に固めて最後に地歴は詰めるべきだなんていう常識中の常識は当時からわかってたけど、荷物に地歴の参考書があったらオワリだった。
ちょっとできたりなんとなく充実感が感じられる科目や分野に走ってしまうこの謎の逃避はずっとずっとやめられなかった。
・
というか、まさか僕が学力が低いことに関して相当強い問題意識を持っていただなんて、中高時代周りに思われてなかったと思う。
本当に僕は自分の意思に不誠実な人間なんだ(この思考法がまずよくないと思ってる。どう思ってるかなんてマジでどうでも良くて、実際どう行動し、結果がどうかが全てだ。それが自分の「気持ち」なのだと捉えるべきだ。)
たとえば2浪時まで、本当に、何故か今までになかった勤勉さを突然発揮することを期待してるフシが常にあったけど。
そういうのも無くなった今、今までの自分のことを考えて、4浪も東大を目指して成績が上がるだろうと考える方が自然さを異常に欠いている。
まぁそういった自分の中で醸成されていた考えはあったから、背中を押してもらったのだ。
・「過冷却の過程について」
これはhttp://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/02/15/213251
を見てもらったらわかるんやけど
2/14くらいに一応精神が動いた。こんな直前期に、なんで?って感じだけど。
多分完璧主義の放棄のようなことができたんだと思う急に。推測だけど。
それにより、東大卒を前提とした人生、みたいなものを諦められた部分があると思う。自分がいかに人生の様々な分野に完璧主義に対する強迫観念を適用させてしまっていたか徐々に気づいていったから。その過程の中で、人生全体という観点からも完璧主義を適用させてしまってるなと思ったんだ。多浪東大卒なんて、どれだけ中途半端な完璧主義なんだっていう話だけど。
・
他にもたくさん諦める理由があって、、
小さい理由も直近だけでもいくつかある。
3つ上の先輩の「我が母校に入った時点で何をやっても順張りだからな ああ我が母校」で終わる東大の校歌
というツイートを見てホンマにな、って思ったこと。僕は権威の皮を被りたくて東大を目指してた部分は多分にある。学歴は浮き輪だと思うけど、やっぱりある意味それは逃げ。
3/10に雷獣のかべさんが読み上げた
数十年後には日大三つあれば足りるくらい少子化が進む
というネットの記事も、3000人も通ってしまう東大を目指し続けることに対して影響を与えた。
離散を面接で落とされた子がいる。ルシファーさん自体はある意味で好きだけど、。面接が廃止されていたせいで少し前ならルシファーさんを通してた離散がだよ。流石にえぇ?という気持ちになるだろ。
・
どうせ大好きな地歴の予備校講師みたいな完璧な答案は書けない、とか(世界史荒巻豊志 日本史野島博之)
そういうのを書いて東大の地歴に完全勝利した上で合格したいという歪んだ願望があった。
可能なら未だににそうしたいし、東大の地歴は大好き。
でもどれだけ力をつけても自分のオツムでは150分間の試験時間中緊張もあるだろうし無理と気づいた。なんなら学歴に拘るなら離散を目指すべきだし、東大に拘るなら苦手過ぎる英語のプレゼンスがデカ過ぎる文系にすべきではない。東大文系に拘り続けた理由はそこにある。さらに2次試験で地歴2科目を使える大学は本当に東大しかない。これはおかしいことだと思うがげんにそうだから仕方ない。でも、もうそんなことどうでも良いと思えるようになった。俺は小1で確実に発生した絶対的な歴史好きであるというアイデンティティと、大学入試の科目としての地歴を分けて考えることが初めてできるようになったのだ。
・
東大に入る理由として民度がメチャ低い東大生がいて…
こんな奴が東大生なんかよ。。。みたいなのをいくつも見てきて、
これに肩書きで負けるわけにいかないっていうのがあったが
学歴というそのものから個人的には自由になりつつあるからどうで良くなった。三島由紀夫みたいに東大を批判するために東大に入る必要はない。
・
他にも
これは目指してた頃から常に思ってたことやけど
中高時代親しくしてた同級生たちは、本人たちなりの苦労があっただろうが、ただ離散でもない東大に入るのは、一生無理かもなんて思いもしない感じがあった。
そう。東大文系に入るのは、そつなくこなすべきことだというイメージあるのだ。
自分にとってはかなり苦労がいることだけど、大したことではないと思ってるんだよなぁ。大したことではないことを頑張って成し遂げようとしてるんだよなぁ、という気持ちが常にあった。
・
僕は東大多浪交流会が出してる冊子をよく読むが、僕ほど1浪時のセンターが悪い人はほとんどいなかった。これもとてもひっかかっていた。それでも騙し騙し生きていたけど。やはり受験勉強向いてないよ。
・
だいじなのは自分の経験を、きちんと挫折という言葉のレッテルを貼って認められることだ。
毎日12時間以上勉強して落ちることだけが挫折ではない。
平均勉強時間が10時間を切っている?落ちて、涙を流す資格もない、と言われたことがある。その通りだと思う。
しかし、涙が出ない悔しさもまた挫折なのだ。
挫折というと、先天性が強かったり、環境要因に近かったりするような原因で何かを諦めるハメになること、という“イメージ”を僕は持っている。地頭が悪いんだ…しゅん…みたいな。
僕は、遅すぎるかもしれないが18歳になった頃から、先天性と後天性の線引きをどうするべきかひどく考えるようになった。20歳になった頃、先天的でないものなんてないと気づいた。2年もかかったし、20年もかかった。その上で見かけの先天性後天性の線引きについての多様性をどう受け入れるかについて考えるようになった。そして、少なくとも、僕は、努力の才能の有無は先天的要因環境要因に入れることにしたのだ。つまり、“努力の才能”の無さを認めるという挫折なのだ。
まぁでもそんなこと言っても何かしらに対しては努力しないと人生が立ち行かなくなるので、どの分野なら自分が努力できるか考えたい。
・「今後どうやって生きていくのか」
人生は長い。僕には希死念慮がない。相変わらずタナトフォビアばかりが増大する。近代ももう少しは続きそうだ。どうせ人はいつか死ぬのに頑張っても仕方ないみたいな虚無主義に陥ることも多いけど、それでも、希死念慮がゼロの中毎日生きていかないといけない。生きていくからには僕は向上心は強い方だ。漫然とは生きられない。
徹底的に
可能な限り絶望してみた
本当に徹底的に絶望するべきだと思った。なぜなら、完璧な絶望などといったものは存在しないから。完璧な文章が存在しないように。
人生のあらゆる分野における完璧主義の放棄へと動き出した僕は、
それまで以上に
重量を減らすために荷物を放り出すエンジンの故障した飛行機のように、様々なことを諦めてきた。
その上で何か自分にでもできることが見えてくるのだと思う。このことに中学に入る前に気づいてる人は案外多いのではないか。僕は21歳になるまで気づけなかった。この時点でいかに精神がある意味で非常に未熟だったかがバレるんだけど。
まぁそれでも高卒で社会の荒波を渡り切る勇気はないなとはなった。東大か高卒かみたいな精神をずっと続けてきて、東大諦めて、高卒の中でしばらく選択肢考えて、やっぱり4年制大学くらいは出ておこうという気持ちににはなった。中1から続いてきた精神性とは完全に決別するけど。とにかく4浪でどこかしらの大学には入り、そこから自分にできる範囲で人生を切り開いていく所存。今言えるのはそれだけ。
・
完璧主義に関して言えば
0 100だったのよ
東大が100それ以外が0みたいな
自己肯定感とか
学歴コンプに関して言えばさ
80を得て20は妥協するみたいなことで実はかなり気持ちが軽くなるはずなのに
その20が結構達成するのが大変みたいな時でも
僕は100と99の差がデカすぎるみたいに捉えてしまうことがあったからさ
現状日本の大学入試は英語がある適度できることが前提というか
下手したら等比数列の和の公式が怪しくても「一流大学」は通るが、共通テストリスニングが安定してるレベルじゃないとまともな大学には通らないみたいなそういうフシがある。
そのせいでどこの大学にも通らないんじゃないかみたいな気持ちがあり、0 100の0みたいな状況になってる。
だから
受験レベルの英語コンプを極力解消して、とりあえず80を満たせる自信をつけようと思う。
・
余談: 3/14に勇気を出して父に東大を目指し続けるのをやめることを告白した。その時、国立医学部に入るために6浪した父に、実は3浪時仮面先にしようと思って受けた関学商学部に落ちたことを今まで虚栄心から黙っていたことを突然謝られた(父は3浪時阪大経済も仮面先の予定で受けて落ちてて、そのことは僕が3浪が決まった時に教えられたが、その時は阪大経済しか受けていなかったかのような口ぶりだった。)
追記:(全体のまとめみたいな結果的に内容になった)
僕の中高時代の思い出には常にモヤのようなモノがかかっている。
起きてた時間の中で、何をやってた時間が一番長かったかというとTwitterを使うことだけど、
それでも、少なくとも高校時代に関して言えば、多分Wikipediaに概要を書かれるとしたら成績が悪かったこと以外はかなり充実してる感じに見える3年間だった。
卒業にギリギリくらいの出席日数と遅刻回数だったけど、それでも、学校に存在してた時の、休み時間や部活のrest中の談笑は思い返せば楽しかったと思う。
思い出バイアスを考慮したとしても、「良い」高校時代だったのだ。
結構嫌なことも沢山あったけど、それは青春のヴェールを纏うことで美化されている。青春という語は、もはや最近、星新一が言うようなイメージが定着しつつある。つまり、商業主義が生み出した虚像たる明るくかっこよくスイスイしたイメージより、暗くて不器用なものというイメージを想起させる語になったということだ。そして、それがまた味わいがあるよなみたいな段階に僕はなった。
まぁそれは僕が高校時代のある意味での相対化に成功してるからであり、阿久悠も言ってるように、青春時代の真ん中は胸に棘さすことばかりなのだ。
話がズレた。それになんか引用ばっかだな。
なんにせよ黒歴史は沢山あるけど暗黒時代では全くないみたいな感じだったのだ
それでも「モヤ」がかかってるのは何故か。
勉強があまりにもできなかったからだ。それに尽きる。だからこそ変に引け目を感じて挑戦できなかったことも沢山ある。それは高校卒業後の3年間も続いた。受験勉強以外のことは、小腹満たしみたいなことばかり。でもその間食を取る頻度自体は高くて、主食たる受験勉強も少ししか食べられない。どうしようもないですね。
この3年間
楽しいことなんて何もなかった、
なんていうと一緒に楽しい経験を共有した相手に失礼だからそんなことは言わないけど、基本的には孤独にダラダラしていただけだ。
話がよくズレる
とにかく6年間、中学入学以来常に成績が悪いから劣等感を感じるし、学校の授業の内容を習得できてないという“積み残し”があるという気持ちから常に生活に閉塞感を感じていた。
いや、中学入学前のスタートダッシュみたいな期間にflowerなどのスペルを覚えることを難儀に感じて以来かな
コインロッカー・ベイビーズを読んでる時、自分が学歴社会というコインロッカーの中にいるなぁなんていうイキったことを思った。
成績が悪くても高3くらいまでそのことを気にしてなかったと言っている奴もいるのでよくわからない。
このとにかく常に存在していた生活の「閉塞感」が、思い出にかかる「モヤ」の正体だ。
自分の10代を遡及的に肯定するために東大に受かろうとしていた。
それはある側面でのみ可能だろうけど、そうすれば中高の勉強の「積み残し」を解消できると思って。
一応高校は卒業できたしそれで良いじゃないかって思えなかった。履修したことになったんだよ!って思えなかった。
中高の勉強の「及第点」を満たせる基準って、東京大学合格くらいしか浮かばなかった。
・
・
・
起こってしまったことはすべて良いことであるbyボーソレイユ
様々な配慮を欠いているかもしれないが、僕はこの言葉が好きだ。
過去に対する完璧主義も捨てよう。
あまりにも無意味だから。
なんだそれはって感じがするよ。
その環境要因の蓄積物が自分である以上、良い、とまでは言えないかもしれないが、フラットに捉えるべきだ。
・追追記
信じてもらえないだろうが
東大くらい入っておかないとみんなに嫌われてしまう!4浪だしもう
という気持ちが実はあった。
了