ぐしゃぐしゃの砂とメンヘラの蟹 小説クイズ 前編 完全版

【前編】
生活が荒れる、ってなんだろう。色んな生活の荒れ方がある。毎日酒浸りだとか、洗濯や洗い物といった家事をこまめにしないとか、部屋が散らかっている状態が続くだとか、それを良くないと思っているのにも関わらず異性関係に関して節操がないだとか、してた自炊をしなくなっただとか、昼夜逆転しているだとか。
生活が荒れているというフレーズからイメージされる状態はタキワタ(多岐にわたる)だと思う。どれか一つだけ満たしているために生活が荒れてることにされたり自分でそう思ってしまったりする場合もあれば、全部満たしているのにも関わらず、ある分野でバチバチに成果を上げているため、他の乱れ方が問題とみなされないという場合もあるだろう。

ただ、通俗的な「生活が荒れてる」からイメージされる様々とは別に、明確に、これは生活が荒れているなと思った自身の、日常的に繰り返される行動があった。

それは就寝直前に取り外したコンタクトレンズをそのまま口の中に入れてしまうというものだった。口の中に入れ、噛み、プチプチ感を楽しんだ後、飲み込む。咀嚼パートが異常性を際立たせている。

まず、一向にメガネを買いに行かないという生活の荒れ方もあったが、なによりもメガネをかけた自分が嫌いだった。その上で視力が普段より低い時間が起きてる間1秒もあって欲しくないと思ってしまう。本当に本当に目を閉じる直前にコンタクトを外したいと希求している。実際それを願うあまりよくコンタクトをつけたまま寝落ちしてしまっていた。その結果、眼球が慢性的な酸素不足に陥り、眼球の一部が厭な色になった。

本当に寝ようと横になった瞬間にコンタクトを外したい。寝る前に屑入れをベッドの近くに置けば良いのだがそれを忘れてしまう日もある。たとえ近くに置いてたとしてももう起き上がりたくないからノールックで屑入れにコンタクトを投げ込まなければならない。外すかもしれない。床にコンタクトが散らばることになる。一晩明かすとコンタクトレンズはカピカピになる。踏んでしまうと痛い。おかきみたいになる。バリッと鳴る。それが厭過ぎる。さらに細かく砕けた破片が足に付着する。耐え難い。掃除頻度の低さも問題で、それを以てしても生活が荒れてると言えるかもしれない。生活が荒れているというのは一つの幹となる精神性があり、そこから色々な形で発現してくるものだ。とにかく、一部の自分にとって面倒だと思っていることと向き合わなさ過ぎる、という在り方がコンタクトを食べてしまうことに象徴されているのだ。

「周音はさ毎朝ランニングしてるし、酒とかギャンブルはやんないし、自習室にだって毎日行ってるし、食事にだって気を遣ってるし、わたしのこともちゃんと大事にしてくれてる。でも、コンタクト食べちゃうの、それ、なんなの?やめようよ。変だよ。その時だけ蛙化しちゃう。それ見た後はなかなか寝付けないよ。嫌すぎて。」

そう言ってくる交際相手の朱理にしてみても、自宅はゴミ屋敷だし軽く太っているし完璧に睡眠薬の依存症だ。俺はそれらについても、仕方ないことなんだと理解を示してきたつもりではある。

「浪人も3年目に差し掛かるとコンタクトを食べることくらいくらいどうとも思わんくなってまうねんなぁ。なんていうか、人とあんま関わんから。俺はコンタクトつけ出した中2くらいからずっとコンタクトは食べた方が効率的だと思ってたよ?でも、なんか社会性がそれに対する抵抗感を保たせてて、最近それが薄れてきたんかなぁ。」

朱理はなにか鉱脈を見つけたぞというような目で言う

「わたしに免じてってかさ、わたしのこと好きならコンタクト食べるのやめられない?それで社会復帰にもつながるし。」

ちょっとだけ返答を考えてしまっていたら、当然続けて言う

「まえタバコやめてって頼んだ時、いいよーって言ってたのに、また吸ってて正直めっちゃショックだったんだよね。しかも、隠れてさ。で、もういいよって言ったけどさ、本当は今もすごくやめて欲しいんだよね。でも、もうそれは言うの我慢してる。それとも何?コンタクト食べんのやめない代わりにタバコやめる?」

流れるようなダブルバインド法、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね、と思ったが、きっと無意識だ。
ダブルバインド
(二つの選択肢を提示してどちらかを選んでもらうことで、相手から「NO」を言わせなくする心理テクニックのこと)
癌のサブスクことタバコは健康に悪いと思うので吸うたびに怖くなるし、肺活量も下がるからランニングにも悪影響で、本当に一刻もやめたいのだが、まぁ当面の間は無理だと考えている。朱理のおかげでやめられたら最高なはずだけど。やめられなかった時に詰られることを考えただけでもストレスだ。コンタクトを食べることに健康被害はないと思うが、やめるのも簡単だと思う。

「はい、コンタクトを食べるのやめます。」

朱理は嬉しそうな顔を作ったが、反射的に表情に落胆の色が走った。喋りも少しぎこちなかった。でもコンタクトと答えた自分の選択は正しい。

「そっか、ちゃんと我慢してね。いつも見てるから。また次食べてるの見たら本当に傷つくから。」

「うん、まかせてくれ」

「あ、そろそろガルバ行かなきゃ。髪巻くのだる過ぎる。」

朱理は俺と交際するようになって3週間くらい経ってからガールズバーの面接を受けに行った。親からの仕送りが少ないため、普通のアルバイトではマツパ代やカラコン代やピル代やちょこざっぷ代を捻出するのが難しいのだという。周音が嫌なら行かないけどと言われたが
アルバイトをしていない浪人生である自分にとっては、薬学部に通いながら自分でもお金を稼いでいる朱理に言えることなど何もないように思われた。しかし、働き始めてからこの2週間明らかにウーバーイーツを頼む回数が増えたように思う。

「それじゃあ行ってくるね」「うん、俺もコンタクトを食べないためのライフハック考えとく!」

朱理を見送ってベランダで一服した後、部屋の中を見渡した。ハックはすぐに見つかった。空の綿棒の箱にコンタクトを入れる習慣をつけようと思った。そうすればすぐに目に見えて乾いたコンタクトが溜まっていくのがわかって、なんだか嬉しいから、食べるのをやめられる気がした。