脳のセルフプレジャー

別に考えなくても問題が起きないようなことをウダウダ考えるだなんて脳のセルフプレジャーに過ぎない。普通に考えがグルグル回ってしまう人は割といると思う。ただ僕はさらに強迫観念的にスマホのメモ帳にメモってしまう。スマホのフリックで気軽に打ち込めるからさ。そういう技術がなければ諦めてるよ。字が汚いし。思考のスピードで紙に書くと後から見て自分でも読めない字になってしまう。げんに小学生の頃とかもそういうことをしたかったけどスマホを持ってなかったからしなかった。でも今はできるわけだからしてしまう。なんか忘れてしまうのが怖くて。勿体ないと思ってしまう。自分の思考の軌跡にそんな価値を感じてるのは自分で自分を買い被り過ぎだと思うけどさ。虚無主義カンストしてからもそれは変わらない。多少マシにはなったけど。脳のカウパー氏線液を保存しておきたいという欲求が強いということ。で、時々インターネットに放出するに値すると思えるメモが発生する。これが脳の射精だと思う。このセンテンスだって脳の精液なんだ。まぁこれはブログだけど、たとえばツイートって出し切ったなと思っても翌日にはまたポンポン湧いていたりする。むしろあんまり制限なくしていると、沢山する習慣がついてしまう。極めて射精に似ている。頻度を全く制限しないと一回一回の質が頗る悪くなることがある。こんなとこまで射精に似ている。いや、本当に似ていると思わないか?やっぱり生産性のない思考って脳のセルフプレジャーなんだよ。生産的じゃないって面白くないってことじゃない。たとえば哲学なんて脳のセルフプレジャーだと思う。タレス以来、ここまで哲学が高度に発達したのって脳のセルフプレジャーのリレーバトンが脈々と受け継がれていたからではないか。素敵なことだと思う。先哲たちは、脳から分泌された精液をさ、きちんと文献という形で煮詰めて残していたんだよ。その中でも特に後世まで残され、そして伝えられたエッセンスである凍結精子が未来の哲学の子種を生むための設計図になってる。人類ってすごいよ。やっぱり、多分。

煮詰めるって熱を加える感があって、それだと精子が死んでしまうから表現的に抵抗があったが、煮詰める以外に浮かばなかった