21年間生きてきて初めて東大を諦めた理由、など


僕は2021年3月13日の午前3時頃、物心ついてから一度もブレたことのなかった東大志望をやめた。


21年間目指し続けた理由をまずは述べるべきだろう。その後で、やめた訳を述べる。まだ諦めてからそこまで日数が経ってないせいで、そこまで上手く書けてる自信はない。感情は経験によって確かさを増すのだ。まだフワフワしている。かたまるには、東大を諦めたというメンタリティでもっと色々なことに触れていっては感情を蓄積させる必要がある。

現役で灘から東大に行った人間の中に、何故東大に行きたかったか一度も聞かれなかった人間はいると思う。
しかし3浪もしていたら不思議に思う人も出てくる。

・まず21年間も東大を目指し続けた理由

「東大だけを目指して多浪し続ける理由について」という未完成のメモがあったので、これを人が読める体裁にしてなるべくそのまま載せる。未完成である点がなんとも言えず切ない。

言語化は意識を狭めることがあるが、それに自覚的な上ですることは悪くないと考えてるので、可能な限り試みる

3浪の末期に、父に東大文系の中でなぜ文科一類を受けたいか聞かれた

僕は、カッコいい、からと答えた

もちろん、
「論理は好みに勝てないことがあり、説明的になることを意識しすぎることで本当は思ってない理由をこしらえてしまうかもしれないのでなるべく感情に正直な理由を言う」
などの前置きはした。

僕の答えに対して父は
「それは父親としての俺を満足させる答えや」
と答えた。

あくまでも東大文系の中で文一を選んでる理由だが、東大に行きたい理由もさほど変わらないだろう

では理由は、カッコ良いから、だけなのか。唯一なのか。それはある意味で正しくある意味でそうでない。○○でないとカッコ悪いから、みたいなものはいくつか浮かぶ。それも結局行きたい理由はカッコ良いから、に帰着する。複数の角度から見た答え方は存在するが、核にある事は一つだったりする。

たとえば、、
度々言及されるような言説だが
日本の教育は極めて民主的にみえる
公教育において、検定教科書を使えばすべての国民が東大を目指せるかのような建前を守り続けてた。
目指せるというか、敢えて言おう、目指す資格がある、
この欺瞞にいくら10代後半で自覚的になったところで、幼い頃から刷り込まれてきた意識を簡単に捨て去ることはできない。
萩生田文相の身の丈発言もいつか日本においては先見性のある発言だったと、レーニンの平和に関する布告のように評価されるかもしれない(あくまでも未来の価値観を先取りした、というだけの共通点だけど)。が、今ではない。
ましてや灘中高なんかで6年間を過ごしてしまったら、、

男子校で多様な価値観を教えられるのか、認知が歪みまくった人材が育成されてしまう、みたいなタイトルの記事を目にしたことがある。自分は男子校の平均よりバランス感覚があると思い込んでいたので笑うつもりでしっかり読んだ。笑えなくなった。

男子校の競争を是として生徒のやる気を出させる手法は、競争を是としない人々の価値観を受け入れられないというのだ。
僕の場合はまさにこの裏返し。いや裏でもないんだけど。
競争を是とする社会において常にそのことに自覚的でありながら、6年間そのせいで劣等感を感じ続けたということの重みが自分にのしかかってると改めて気づいた。
実際灘はのんびりした社会だ。競争を是としてる!などと日常生活において過度に意識的になることはない。しかしながらそれでも劣等感のアンテナというのは無意識に張り続けて敏感に感じとるものだ。勉強ができるべきだというのは暗黙の了解ではあり続けた。

そう、東大受験を諦めるのは「カッコ悪い」のだ。

みたいな「カッコ良い(????)」理由を答えたが、もう一つ真理のような理由がある。

それは、「諦める理由がないから」

多くの人が東大を目指し続けたいのに、断念する。こんなこと言うとそういう人たちが激怒しそうだけど、幸い諦める理由があったから、という人もいると思う。
この、諦める理由がない、というのは何も受験に限った話ではなく、この世の多くの何故か続いてしまってる悪しき伝統や習慣や色々はこれで説明できるなぁと最近よく思う。寝たきり老人の延命治療とか。
逆に、
東京という都市が古今東西に類を見ない勢いで近代において発展できたのは関東大震災東京大空襲のおかげだ、みたいな説明にも使える。ロンドンなどと比較した場合にだ。こういった外的な国難は 諦める理由がない、みたいなものを諦めさせる強制力だからだ。端的に言うと、関東大震災東京大空襲により既得権益者が保有する建物群を一旦更地にできたために、再開発を進められたということだ。

話が多少逸れた 

僕はいわゆる普通に就職することにおいて浪数の少なさや学歴によって有利さを得たいと考えてないし、僕に金銭面で援助してくれる父は僕の意思を全面的に尊重してくれる。他に行きたい大学は特に浮かばない。そう、諦める理由がないのだ。
それは絶対的に幸せなことであるように見える。いつか受かるのであれば、

他にも結構重要な理由として、東大受験に成功しないと得られない自己肯定感は、その後の人生しゃんと胸を張って生きていくための必要条件だと思った。とか、東大受験を通して、こんな愚かな自分を統制するための自己マネジメント術を見つけたかった、とか、色々挙げられる。


最後に
浪人し続けるのもカッコ悪い。
怠惰なのだから救いようがない
ニートとして一生を終えるかもしれないという恐怖に怯えている
怯えたところで怠惰はなおらない。すこしずつ思い切ったことをして少しずつ直していきたい。
というどうねじ込めば良いかわからなかったセンテンスが残っていた。


(これは3/13以降に書いた)
あと、単純に3年間も浪人したのに東大に受からなかっただけの人になるのがメチャメチャ怖かった。世間は、他に何か取り柄があるわけでもないそんな僕をめちゃめちゃ蔑むと思った。3浪しても、どんなときも。を直後に発表した槇原敬之とはワケが違うのだ。これはもう1年でも浪人してしまった時点で避けられない思考法だった。

これが浪人が沼たる所以だと思う。
非常に僕は臆病なのだ。

余談: 3浪したが大学に行かず、その後売れるまでさらに何年もかかった井上陽水はメチャメチャ不安だっただろうな。ちなみに彼の本名は陽水(あきみ)だ。夏海(なつみ)である僕は、父親に最近その話をした。名付ける時に実は意識してなかったこともなかったらしい。でも、そういうのは指摘されない限り自分から言いたくないらしい。父はそういうところがある。


本当に僕は人生においてダサいことをしないというのを一番重視してるのに。。。したいと思ってるのに。。。
結果的にダサ過ぎる状態になってることが少なくない。

「カッコ悪くたって良い」的カッコ良さってある。でもそうじゃなくてシンプルにダサいことがある。多過ぎる。

・「東大を目指すのをやめた理由」

これはもう徐々にだったけど(普通に3浪の夏くらいに、最悪4浪までするがそれでダメなら東大を諦めるみたいなツイートをしたこともあったし、3浪の末期はとにかく今年は受けるけど4浪でダメならry派と東大に受かるまで受験を続ける派が脳内で大激論。毎日30分ごとに情勢が劇的に変化していた。)

さらに2021年の2月中旬から3月くらいにかけて自分の「認知」の大変動が起きていた。今だって割と過渡期中の過渡期だったりする。原因はあまりにも多岐にわたる。と思う。

3/10の段階で既に過冷却水みたいになってた。
でも最後の2波が大きかった。その2つの波でピキピキピキピキピキピキとかたまっていった

3/11に届いた東大の得点開示がめちゃめちゃ悪かった。これは去年の秋くらいから薄々予感していたことだった。軌道修正しようにも何を信じれば良いのかわからず、デカルトも言ってるようにとりあえず森の外に出るために同じ方向を向いて歩き続けた。

たかが一枚の紙切れだけど、開示のプレゼンスというのは相当デカイ。東大入試というのはハンター試験みたいなところがある。ウルトラエリートたる東大教授達が、僕の答案を正確に査定して下した結果なのだ。いくらずっと悪い予感がしていても、得点開示まではにも断定的なことは言えないなと思ってきた。しかし深刻すぎる現実を突きつけられたのだ。

この点差を1年間で埋められる自信が全くないと感じた。しかも3浪時は満足に勉強できたとは言い難いものの、それまでよりは遥かにマシだったのだ。それでもまだ3/11の時点では、いかにして逆転合格するかのプランを非現実的にならないように注意しながら模索していた。生活におけるあらゆる要素を考慮しながら。経験から。しかし、4浪で東大に受かるビジョンが描けるプランは作れなかった。

この事実について3/13の午前1時くらいからかな、高校の同級生と電話で話した。やはり灘卒の進路をアドバイスによって変えられるための必要条件は、その発言主が灘卒でそれなりに自分を肯定できているに者か、それに類する感じの者であることだと思う。他の人の心から僕を思ってくれる発言には本当に申し訳ないけど。いや語弊があるな。でもとにかく僕にとって相当なプレゼンスを色々な部分において感じさせる人物である必要がある。いやまず普通に灘卒なだけじゃダメだよな。こんな記号的な情報で彼について語りたくないが、彼は生徒会長を務めた人物で、生徒会長の仕事自体はあまりきちんとこなせなかったが海外大に入学した人物で、現役時東大文一に落ちていて、僕は中1の春の遠足で彼と王子動物園でたまたま遭遇したという思い出があり、誕生日が同じで、なんだかんだ言って一貫して尊敬してきた人物だ。彼は、今は、それまで紆余曲折あったがそれなりに上手くやってるように思える。そしてそいつと在学中そういう話はあんまりしなかったんだけど、僕が現在進行形で悩まされて最近自覚的になり克服しようと動いている自意識や強迫観念とかなり似たものにそいつも7年くらい悩まされてきて最近克服したという経緯もある。

そして、たとえば予備校とかに通ったところでこの点差は埋まらないだろう、などという話をした。

だってさ、
物心ついてからずっと東大に行きたくて。
少なくとも中1からずっと定量的に示されるものが、東大に行けるレベルでないといけないという意識を持ち続けてて
勉強しなくて良いなんて思った瞬間は一度もなかった。
それでいて、ずーーーーーーーーーと、めっっっちゃ学力が低かったわけで。勉強習慣も身につかないし、高1の終わりに家で自分が勉強できないこと、一旦家に帰るとなかなか外に出られないことに気づいてからは部活帰りにスタバで勉強する習慣がついたけど、現実逃避で、苦手科目から目を背け続けて、世界史とかやってしまってた。普通に英数を先に固めて最後に地歴は詰めるべきだなんていう常識中の常識は当時からわかってたけど、荷物に地歴の参考書があったらオワリだった。
ちょっとできたりなんとなく充実感が感じられる科目や分野に走ってしまうこの謎の逃避はずっとずっとやめられなかった。


というか、まさか僕が学力が低いことに関して相当強い問題意識を持っていただなんて、中高時代周りに思われてなかったと思う。
本当に僕は自分の意思に不誠実な人間なんだ(この思考法がまずよくないと思ってる。どう思ってるかなんてマジでどうでも良くて、実際どう行動し、結果がどうかが全てだ。それが自分の「気持ち」なのだと捉えるべきだ。)
たとえば2浪時まで、本当に、何故か今までになかった勤勉さを突然発揮することを期待してるフシが常にあったけど。
そういうのも無くなった今、今までの自分のことを考えて、4浪も東大を目指して成績が上がるだろうと考える方が自然さを異常に欠いている。

まぁそういった自分の中で醸成されていた考えはあったから、背中を押してもらったのだ。

・「過冷却の過程について」
これはhttp://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/02/15/213251
を見てもらったらわかるんやけど
2/14くらいに一応精神が動いた。こんな直前期に、なんで?って感じだけど。
多分完璧主義の放棄のようなことができたんだと思う急に。推測だけど。
それにより、東大卒を前提とした人生、みたいなものを諦められた部分があると思う。自分がいかに人生の様々な分野に完璧主義に対する強迫観念を適用させてしまっていたか徐々に気づいていったから。その過程の中で、人生全体という観点からも完璧主義を適用させてしまってるなと思ったんだ。多浪東大卒なんて、どれだけ中途半端な完璧主義なんだっていう話だけど。


他にもたくさん諦める理由があって、、

小さい理由も直近だけでもいくつかある。

3つ上の先輩の「我が母校に入った時点で何をやっても順張りだからな ああ我が母校」で終わる東大の校歌
というツイートを見てホンマにな、って思ったこと。僕は権威の皮を被りたくて東大を目指してた部分は多分にある。学歴は浮き輪だと思うけど、やっぱりある意味それは逃げ。

3/10に雷獣のかべさんが読み上げた
数十年後には日大三つあれば足りるくらい少子化が進む
というネットの記事も、3000人も通ってしまう東大を目指し続けることに対して影響を与えた。

離散を面接で落とされた子がいる。ルシファーさん自体はある意味で好きだけど、。面接が廃止されていたせいで少し前ならルシファーさんを通してた離散がだよ。流石にえぇ?という気持ちになるだろ。

どうせ大好きな地歴の予備校講師みたいな完璧な答案は書けない、とか(世界史荒巻豊志 日本史野島博之)
そういうのを書いて東大の地歴に完全勝利した上で合格したいという歪んだ願望があった。
可能なら未だににそうしたいし、東大の地歴は大好き。
でもどれだけ力をつけても自分のオツムでは150分間の試験時間中緊張もあるだろうし無理と気づいた。なんなら学歴に拘るなら離散を目指すべきだし、東大に拘るなら苦手過ぎる英語のプレゼンスがデカ過ぎる文系にすべきではない。東大文系に拘り続けた理由はそこにある。さらに2次試験で地歴2科目を使える大学は本当に東大しかない。これはおかしいことだと思うがげんにそうだから仕方ない。でも、もうそんなことどうでも良いと思えるようになった。俺は小1で確実に発生した絶対的な歴史好きであるというアイデンティティと、大学入試の科目としての地歴を分けて考えることが初めてできるようになったのだ。


東大に入る理由として民度がメチャ低い東大生がいて…
こんな奴が東大生なんかよ。。。みたいなのをいくつも見てきて、
これに肩書きで負けるわけにいかないっていうのがあったが
学歴というそのものから個人的には自由になりつつあるからどうで良くなった。三島由紀夫みたいに東大を批判するために東大に入る必要はない。


他にも
これは目指してた頃から常に思ってたことやけど
中高時代親しくしてた同級生たちは、本人たちなりの苦労があっただろうが、ただ離散でもない東大に入るのは、一生無理かもなんて思いもしない感じがあった。
そう。東大文系に入るのは、そつなくこなすべきことだというイメージあるのだ。
自分にとってはかなり苦労がいることだけど、大したことではないと思ってるんだよなぁ。大したことではないことを頑張って成し遂げようとしてるんだよなぁ、という気持ちが常にあった。

僕は東大多浪交流会が出してる冊子をよく読むが、僕ほど1浪時のセンターが悪い人はほとんどいなかった。これもとてもひっかかっていた。それでも騙し騙し生きていたけど。やはり受験勉強向いてないよ。

だいじなのは自分の経験を、きちんと挫折という言葉のレッテルを貼って認められることだ。
毎日12時間以上勉強して落ちることだけが挫折ではない。
平均勉強時間が10時間を切っている?落ちて、涙を流す資格もない、と言われたことがある。その通りだと思う。
しかし、涙が出ない悔しさもまた挫折なのだ。
挫折というと、先天性が強かったり、環境要因に近かったりするような原因で何かを諦めるハメになること、という“イメージ”を僕は持っている。地頭が悪いんだ…しゅん…みたいな。
僕は、遅すぎるかもしれないが18歳になった頃から、先天性と後天性の線引きをどうするべきかひどく考えるようになった。20歳になった頃、先天的でないものなんてないと気づいた。2年もかかったし、20年もかかった。その上で見かけの先天性後天性の線引きについての多様性をどう受け入れるかについて考えるようになった。そして、少なくとも、僕は、努力の才能の有無は先天的要因環境要因に入れることにしたのだ。つまり、“努力の才能”の無さを認めるという挫折なのだ。
まぁでもそんなこと言っても何かしらに対しては努力しないと人生が立ち行かなくなるので、どの分野なら自分が努力できるか考えたい。

・「今後どうやって生きていくのか」

人生は長い。僕には希死念慮がない。相変わらずタナトフォビアばかりが増大する。近代ももう少しは続きそうだ。どうせ人はいつか死ぬのに頑張っても仕方ないみたいな虚無主義に陥ることも多いけど、それでも、希死念慮がゼロの中毎日生きていかないといけない。生きていくからには僕は向上心は強い方だ。漫然とは生きられない。

徹底的に
可能な限り絶望してみた
本当に徹底的に絶望するべきだと思った。なぜなら、完璧な絶望などといったものは存在しないから。完璧な文章が存在しないように。
人生のあらゆる分野における完璧主義の放棄へと動き出した僕は、
それまで以上に
重量を減らすために荷物を放り出すエンジンの故障した飛行機のように、様々なことを諦めてきた。
その上で何か自分にでもできることが見えてくるのだと思う。このことに中学に入る前に気づいてる人は案外多いのではないか。僕は21歳になるまで気づけなかった。この時点でいかに精神がある意味で非常に未熟だったかがバレるんだけど。

まぁそれでも高卒で社会の荒波を渡り切る勇気はないなとはなった。東大か高卒かみたいな精神をずっと続けてきて、東大諦めて、高卒の中でしばらく選択肢考えて、やっぱり4年制大学くらいは出ておこうという気持ちににはなった。中1から続いてきた精神性とは完全に決別するけど。とにかく4浪でどこかしらの大学には入り、そこから自分にできる範囲で人生を切り開いていく所存。今言えるのはそれだけ。

完璧主義に関して言えば
0 100だったのよ
東大が100それ以外が0みたいな
自己肯定感とか
学歴コンプに関して言えばさ
80を得て20は妥協するみたいなことで実はかなり気持ちが軽くなるはずなのに
その20が結構達成するのが大変みたいな時でも
僕は100と99の差がデカすぎるみたいに捉えてしまうことがあったからさ
現状日本の大学入試は英語がある適度できることが前提というか
下手したら等比数列の和の公式が怪しくても「一流大学」は通るが、共通テストリスニングが安定してるレベルじゃないとまともな大学には通らないみたいなそういうフシがある。
そのせいでどこの大学にも通らないんじゃないかみたいな気持ちがあり、0 100の0みたいな状況になってる。
だから
受験レベルの英語コンプを極力解消して、とりあえず80を満たせる自信をつけようと思う。

余談: 3/14に勇気を出して父に東大を目指し続けるのをやめることを告白した。その時、国立医学部に入るために6浪した父に、実は3浪時仮面先にしようと思って受けた関学商学部に落ちたことを今まで虚栄心から黙っていたことを突然謝られた(父は3浪時阪大経済も仮面先の予定で受けて落ちてて、そのことは僕が3浪が決まった時に教えられたが、その時は阪大経済しか受けていなかったかのような口ぶりだった。)

追記:(全体のまとめみたいな結果的に内容になった)

僕の中高時代の思い出には常にモヤのようなモノがかかっている。
起きてた時間の中で、何をやってた時間が一番長かったかというとTwitterを使うことだけど、
それでも、少なくとも高校時代に関して言えば、多分Wikipediaに概要を書かれるとしたら成績が悪かったこと以外はかなり充実してる感じに見える3年間だった。
卒業にギリギリくらいの出席日数と遅刻回数だったけど、それでも、学校に存在してた時の、休み時間や部活のrest中の談笑は思い返せば楽しかったと思う。
思い出バイアスを考慮したとしても、「良い」高校時代だったのだ。

結構嫌なことも沢山あったけど、それは青春のヴェールを纏うことで美化されている。青春という語は、もはや最近、星新一が言うようなイメージが定着しつつある。つまり、商業主義が生み出した虚像たる明るくかっこよくスイスイしたイメージより、暗くて不器用なものというイメージを想起させる語になったということだ。そして、それがまた味わいがあるよなみたいな段階に僕はなった。

まぁそれは僕が高校時代のある意味での相対化に成功してるからであり、阿久悠も言ってるように、青春時代の真ん中は胸に棘さすことばかりなのだ。

話がズレた。それになんか引用ばっかだな。

なんにせよ黒歴史は沢山あるけど暗黒時代では全くないみたいな感じだったのだ

それでも「モヤ」がかかってるのは何故か。

勉強があまりにもできなかったからだ。それに尽きる。だからこそ変に引け目を感じて挑戦できなかったことも沢山ある。それは高校卒業後の3年間も続いた。受験勉強以外のことは、小腹満たしみたいなことばかり。でもその間食を取る頻度自体は高くて、主食たる受験勉強も少ししか食べられない。どうしようもないですね。

この3年間
楽しいことなんて何もなかった、
なんていうと一緒に楽しい経験を共有した相手に失礼だからそんなことは言わないけど、基本的には孤独にダラダラしていただけだ。

話がよくズレる

とにかく6年間、中学入学以来常に成績が悪いから劣等感を感じるし、学校の授業の内容を習得できてないという“積み残し”があるという気持ちから常に生活に閉塞感を感じていた。
いや、中学入学前のスタートダッシュみたいな期間にflowerなどのスペルを覚えることを難儀に感じて以来かな

コインロッカー・ベイビーズを読んでる時、自分が学歴社会というコインロッカーの中にいるなぁなんていうイキったことを思った。

成績が悪くても高3くらいまでそのことを気にしてなかったと言っている奴もいるのでよくわからない。

このとにかく常に存在していた生活の「閉塞感」が、思い出にかかる「モヤ」の正体だ。

自分の10代を遡及的に肯定するために東大に受かろうとしていた。
それはある側面でのみ可能だろうけど、そうすれば中高の勉強の「積み残し」を解消できると思って。
一応高校は卒業できたしそれで良いじゃないかって思えなかった。履修したことになったんだよ!って思えなかった。
中高の勉強の「及第点」を満たせる基準って、東京大学合格くらいしか浮かばなかった。




起こってしまったことはすべて良いことであるbyボーソレイユ

様々な配慮を欠いているかもしれないが、僕はこの言葉が好きだ。

過去に対する完璧主義も捨てよう。
あまりにも無意味だから。
なんだそれはって感じがするよ。
その環境要因の蓄積物が自分である以上、良い、とまでは言えないかもしれないが、フラットに捉えるべきだ。

・追追記
信じてもらえないだろうが
東大くらい入っておかないとみんなに嫌われてしまう!4浪だしもう
という気持ちが実はあった。


このブログについて

ブログカテゴリ

カテゴリの名前も分別もあまりにも適当すぎて、、基準が難し過ぎて。。。。
いつかなんとかします


【日誌以外】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/日誌以外?_ga=2.93227549.1048498732.1617358701-2076184799.1616472379
 ・
【特に良い、など、】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/特に良い、など?_ga=2.189156907.1048498732.1617358701-2076184799.1616472379
 ・
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2020/06/09/184154

僕の良さが詰まってる“基本”と信頼できる人に言われた。

【準】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E6%AC%A1%E7%82%B9
【好きな音楽とか】
https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E9%9F%B3%E6%A5%BD
【ツイート下書き集的な】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%8B%E6%9B%B8%E3%81%8D%E9%9B%86%E7%9A%84%E3%81%AA


【日誌】
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/archive/category/%E6%97%A5%E8%AA%8C

タイムラプス勉強法というのをやってました。これに対して否定的です。勉強はそんなことしなくてもできるべきです。普通にみんなわかってることだけど、努力の醍醐味って陰ですることであり、さらに過程ってどうでもよくてそれが結果としてドンと発現することに価値があると考えているのに、それを可視化してわざわざ発表してしまうだなんて。でももう戻れない身体になってしまっていました。そしてそんな勉強タイムラプスの言い訳として長々と日誌を書いてました。毎回。日記は別につけててその外面良いverです。


【自己紹介?】
誰にも読まれてなくても仕方ないとは思いつつ、2浪の春から決して手抜きをせず文章を書くようにしてきました。誤字脱字は多いですが

わざわざツイートとしてあるとなんとなく居心地の悪い内容もブログにすることが多いです。
Twitterに共有したりしなかったりします。これも居心地の問題です。

正直2浪の初期とかに書いた記事とか今とかなり違う価値観に基づいて書いていたりしますが、その考えの変化も含めて良いんじゃないかなって思ってて。。。

ブログタイトルは高校時代に担任団の国語教師が授業中に、寝てる生徒が多いことに言及して、ボロっと放った一言です。僕は失礼な話、彼の授業をあまり真剣に聞けてなかったし、授業態度も悪かった。しかし、何気ない一言はめちゃめちゃ覚えているものなのだ。

下ガッキーたち

なんかツイートとかしたくない気持ちが続いてたんやけどこれだけ結局載せる。入試の前からチマチマ「いつかツイート」みたいなフォルダに入れ続けてきてしまったから。

いやでも多過ぎるだろ
これを全世界に発信する意味ってあるんだろうか?

メモ帳でしばらく寝かせてても色褪せない鮮度が落ちにくいセンテンスだけツイートしていこう

色褪せたやつがこっち

ツイートの鮮度って本当に落ちやすくて、だからこそ受験勉強中のスクリーンタイム制限は逆にありがたかった。
肝心の受験勉強へは「まだマシ」くらいの効果だったけど、
傷みやすいセンテンスが腐るのを待つことができた。

「嫌われる勇気」より「嫌われない自信」の方が大事じゃないか?

なんか人生諦めたもん勝ちになってないか??

たとえ飽きられても一時期ハマってたという事実は消えない。 

6浪父は弟と2歳差、妹と6歳差。きょうだいは現役で大学に進学。だから父の大学進学の年、妹も大学進学で弟は就職だった。漫画みたいで嘘だと思われてしまう。

HSPを16personalityのうちの一つだと思っていた時期がある。

小学校の頃、かなり何もかも兼ね備えた女子がいたが、サイン帳の将来の夢のとこに「ふつーの人」と書いてきて、かなり差を見せつけられたと感じたことがある(一方で当時僕は離散に入り不老不死になり世界征服をすることをおぼろげながらに望んでいたので)

せめて食前にナイシトールでも飲んで安心しようみたいな気休めから、それを気休めだと了解しつつも、まったく自由になれない。

無知すぎて、3浪の2月に横浜でサボンのショップを見かけるまで
サボンってムスクとかラベンダーとかと同じカテゴリやと勘違いしてた。

セーラー服と機関銃の歌詞の
「希望という名の重い荷物を」
という一節が好きです。

あんまファボんないけど、あなたのツイート群がとても好きです、と多くの人に伝えたい。でもファボ基準を下げられない。あって良い矜持だとは思う。

感情レベルで「受け入れる」ということをしないといけないことが多すぎるけど、それは情報や知識として他人から教えられたり本で読んだりしてできることではないから大変厳しい

僕は死にたいとか決して言わないけど
希死念慮とかじゃないけど死にたい、とは言いことが結構ある。
たとえば、猫になりたい、くらいの感覚で言いたい。猫になれるわけないから。誰も気にしない。まぁ僕はどっちも言わないけど。〜たい、発言ってそんなもんなことが多い。本当に死ぬ人っているけど、安易な死にたい発言を企図だと思うべきではない。
希死念慮とかじゃないけど死にたい」を人口に膾炙した表現にしたい。

雷獣㊙️情報
僕のことを「ミート」と呼んでいる。


言い訳を自分に禁じて初めて意思に忠実になれる可能性がゼロで無くなる。
しかし、何か失敗した時に考えたその原因は全て言い訳と捉えられるのではないか。
失敗した原因を考えて次に生かそうとすることが反省ならば、反省は言い訳と密着不可分なのか。
反省とは、失敗した時の悔しい気持ちなどを忘れないようにつとめること、だと思うべきなのかもしれない。
って東大入試二日目の昼休みにメモしてた。

自分がやってて良く無いことは大概逃避なんだけど逃避であることに対して無自覚で、それにいちいち逃避というレッテルを貼り、それをやめるようつとめてゆきたい
って東大入試二日目の試験後に渋谷を歩きながらメモしてた。

そんなうるさく言われることはまず無いけど、
英字Tシャツを着ることすら控えるように要請される試験において、英語でガッツリ商品名とかが刻まれてる鉛筆を使うのは何か嫌じゃない??
せめてコンビニでそういう鉛筆を売らないで欲しい。と、東大二次二日目の昼休みに英語のマークシート用に駒場のコンビニに鉛筆を買いに行ったとき思った。
共通テストは結局シャーペンでマークしたな。
てか、
なんだろう。鉛筆じゃないと読み取れない可能性があることは警告こそするが、自己責任でシャーペンを使っても良いと言って欲しい。

16PersonalityやったらINFP-Tって出て、読んでたら、外国語の習得に非常に長けているって書いててそっと閉じたな。

高校時代、国語教師が希望者を対象として「とってもやさしい古文」という参考書を放課後みんなで集まってやるというのを企画してた。僕は当時はそんなんやりたかったら一人でやれば良いやんと思ってたが、今考えるとあの先生はホントによくわかってて、これほどためになる催しは他になかったと言える。

自分の動画を見て元気が出たとかいうのを見ると嬉しい気持ちになる。とても。そのコメントで僕が元気になる。
たとえばみんなを笑顔にしたくてとか死んでも言わんようにしたいと思ってた。完全に嘘じゃないかもしれんけど、みんなが笑顔になってるのを見て自分が嬉しくなりたいからじゃないと欺瞞的な気がする。

熟慮の末に何もしないことが多い。

僕は筋トレは好きだが、筋トレしておけば人生happyとか言ってる奴はかなり苦手である。
しかしそんなことを無邪気に言えるメンタリティからは学ぶべきモノがあるのかもしれない。

人と会話する時はこういうことを意識しよう!と日頃から思っていることが人生において常にいくつか存在してきたが、一度も会話に集中しながらそれらのことを意識できていたことがない。

村上龍映画小説集を読んでたら、何もしないということを積極的にしていたとあり、実は自分もそうなのかもしれない。そんな自覚は一ミリもなかったけど。無意識のうちに。

前、人と会って、
この国で一日に一回も西村博之の顔を見ずにインターネットをやるのは難しい。ネットで見ない日はない。刷り込み効果でこの国の子供たちは西村博之を国父のように思うかもしれない。西村博之が国民的存在になることを恐れている、
という話をしたら苦笑いをされた。

趣味:読書 とは言っても西村博之の本を読むのが好きとかかもしれないというのがある。

ランニングをしなかった日って、必ずランニングを今日はしないぞ!と決意する瞬間があって、その瞬間は一種の強迫観念からの解放を感じる。
何かしら厭さは残るがこの解放習慣をつけることで意識の面から変えていく。
ルーティンって結局強迫観念なんだけど、ひどすぎると精神衛生が悪すぎる。なんせ強迫観念を以ってしても意思に不誠実だから。

人生全てをかけてもやり切れないであろうほどやりたいこと摂取したい文化が多いから、人生に暇な時間なんて存在しないよなって思ってたけど。
全てのことは暇潰しなんだと認める。
文化の摂取もメモ帳に思考を記すことも僕は強迫観念的な“べき”論で語ってしまっているけど、
まずは全ては娯楽でしかないと認めて
だからこそ外的な予定や本当の意味でしないと人生が終わるような予定がない状態を暇と呼ぶことを認めて、自分がその時間やってることは「暇潰し」なんだという認識を持つ。ようやくこれを感情レベルで受け入れる準備の開始が可能になった。このことにより時間に対する認識も少しは変わると良いな(2021 3/7〜9)

例はなんでも良いのだけど

僕の生活に密着してるスクリーンタイム制限を例にとって書くと…
たとえば2020年の6月くらいと2020年の11月以降とかってスクリーンタイム制限の対象時間帯が全然違うわけで
2020年6月くらいにスクリーンタイム制限を題材にしてブログに書いた体験談を読んだ人が、今の僕の在り方を見た時に、この制限時間帯の変化を知らなかったら誤解することもあるだろう。
こういう些細な誤解をひどく恐れてしまってる。
自己と他者は区別しないといけないし、人と人は分かり合えないと考えてるけど。
それでもやはり誤解されることを防ぐための最大限の努力はしないといけないという考えを持っている。

(任意の場所で)(任意の人と)「遊んだ」「飲んでいる」、みたいなタームを全く使わないということを徹底している。
「○○と飲酒しながら会話した」みたいな言い方しかできない。

小3 4のクラスの「空気」が異常

最近、空気の研究、という本を読んだ。全部読んだわけでない。でも良かった。そして、小学校時代を思い出した。

多分小4のGWの時だったと思うけど、
国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部ノートに書いてくる、という異常に無意味な宿題が出た。

当時僕は従順だったのできちんとやった。
みんなやってた。

しかし、提出日に持って行き忘れた。罰として土日の間に、同内容を3倍やってこいと担任に言われた。つまり、土日の2日の間に国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部3回ずつノートに書いてこいということだ。

めちゃめちゃ厭だった。当時の僕が有していた「リスクを冒してでも従えない厭さ」の基準はちょうど、「みんなやってるしGWのうちに1回ずつ書いてくること」と、その罰の中間くらいに位置していた。

従えないと言った。するともしこれに従わなかったら、更なる厳しい罰を与える的なことを宣告された。しかしその具体的な内容を覚えてない。なぜ覚えてないかはこれを最後まで読めばわかると思う。大した理由じゃないけど。

担任は26歳で、クラス担任を持つのが初めてで、ぽっちゃりした坊主の、力が強い脳筋男だった。

あまり詳しく覚えてないが、

僕の小学校は下校前に下校班ごとに分かれて一階で整列するんだけど
その時にもう一回どうするつもりか聞く、みたいなことを言われたと思う。

授業の後電気が消えた教室で多分10人は確実に上回る数のクラスメイト達と大いに揉めた

その教師にも言ったが、その罰の宿題をやるべきだと主張するクラスメイト達に対して
「そんな無意味な宿題をやることを親は許してくれない」
と僕は言った。
これは半分正しくて半分間違ってた。
別に小4の頃秒刻みの勉強計画を実行していたわけじゃない。十分に自由時間はありそれを削ればできただろう。ただ、たとえば塾の勉強を疎かにしてまでその宿題を消化しようとすることは許さなかっただろう。

まぁなんにせよその時の僕は根拠にできる、外的な抑圧が必要だったのだ。

それに対して、クラスメイト達は「トイレで隠れてやったら?」などと助言してきて救いようがなかった。

クラスメイトとの論争もまとまらず一階に降りた。雨が降っていたのでピロティーのようなところで整列していたら担任が僕のところに向かってきて、僕の返事を聞くなり傘で突いてきた。はだしのゲン日露戦争に従軍したという老人が指導してた竹槍訓練を彷彿とさせる突き方だった。

結局3回書いてくる宿題はやらなかった。
しかし、なんか忘れられていた。
バカらしい話だと思う。
忘れられたから、もししなかった場合に与えられる罰の具体的内容は覚えてないんだと思う。

この一連の流れの中で一番怖いのは、無意味な宿題を忘れてきたら3倍の宿題を土日でやってくるのは当たり前だというクラスの「空気」だと思った。

こういうことはもう小3 小4において日常茶飯事だった。僕の学校は2年ごとにしかクラス替えがなかったのだ。

放課後に行く中学受験塾で、毎日のように学校であったことを愚痴っていた。だから塾に行くのが楽しかったのかもしれない。少なくとも無意味な宿題に肯定的な奴はいなかった。小学校の同じクラスで、同じ塾のクラスでもあった奴とも、元々犬猿の仲だったが、この営みの中でかなり仲良くなった。彼を仮にTと呼ぶ。

2年間続いたこの担任の圧政が終わる小4の3学期の終業式。僕はめちゃめちゃ晴れやかな気持ちだった。しかしだ、
終業式の後の最後のホームルーム的なやつの最中に、突然担任が泣き始めた。
みんなで冷ややかな目で見るのかなと思いきや、40人いたクラスメイトの35人くらいが号泣していた。怖かった。卒業式とかじゃないんだぞ。卒業式でもクラスの8割以上が泣くことないだろう。
僕は泣いていなかった5人くらいを僕は今でも覚えている。担任から特にいじめられていた面々だった。伏し目がちなだけでも十分だった。もちろんTは泣いていなかった。

僕とTは灘に入り時々仲が悪くなり、高校以降は今後仲が悪くなることはないだろうという感じになった。

Tは阪医に首席で合格したが、留年した。僕は東大に4回も落ちてしまい、東大を目指すことを諦めた。

完全無言給食


「黙食」

あまり人と会話することが推奨されてない世の中になっている。それが異常だとしばしば指摘されている。

確かに、普通の社会生活がそうなってるのは異常だ。

会食時会話は禁止とか笑ってしまう。

しかしながら僕が通ってた小学校は、Covid-19とか関係なくそういうところがあった。

色んな学校生活におけるルーティンに関して「完全無言」が冠せられていた。

代表的なものが、完全無言給食 完全無言清掃 完全無言下校 だ。

僕は小学校の6年間で、何度これらの最中に声を発してシバかれたことか。僕は体罰世代の一番最後だということもあり、正座や、教室の後ろに教壇とは逆の方向を向いて立たされる(なにこの陰険な罰)ことが非常に日常的だった。
ゲンコツなんていうのもあった。ゲンコツって体罰としてベタ過ぎん??????と思う。

本当にイロモネアのサイレントみたいな感じで私語が禁止されていた。

今考えると僕はなんであんなに嫌なことに対して従順な子供だったんだろうと思うことが多いが、それでも当時その小学校の生徒で一番論外な部類だとみなされていた。

その小学校は全面ガラス張りの最上階があって、その景色を見ながら給食を食べるスペースがあった。収容人数が全校児童の数の丁度半分で、半分の児童が上で移動して食べて半分の児童が教室で食べていた。勿論不公平にならないように週ごとに入れ替える。まずこのシステムが意味不明なのに、さらに全部無言でやるという異常さがあった。

僕は嫌いな食べ物が多く、完食教育の奴隷になって、よく遅くまで食べる羽目になっていた。つまり無言で給食と向き合う時間が長かった。
色々妄想してた。
これは、はだしのゲン闇市で買った食事だというごっこ遊びを脳内でよくしてた。

こういう妄想は給食の時だけではなかった。

完全無言下校というのは
一列に並んで無言で駅まで歩き、ホームでは手を腰あたりで後ろに組み足を広げて一列に並んで無言で電車を待ち、無言で乗車するというものだけど、

PTAの保護者がこっそり監視してて、よく喋ってた下校班があれば学校に報告していた。
報告された下校班は他の児童が帰った後も残されて説教されたりした。僕たち谷町線八尾南方面は特によくその対象となった。

それでも、基本は無言が是とされていたから、歩きながら、僕はいかにして世界征服を達成するかだとか、自分が世界の王になったら東京を自分の居城を中心としたドーム状のあらゆるミサイルを跳ね返す都市にするぞだとか、役人の階級制度はどういう感じにするかだとか、いつか死ぬのが怖いというか自分の意識は永遠に失われてほしくないから脳だけの機械生物にどうやってなるかだとか、そういったことを毎日下校時考えていた。


そう、
完全無言の唯一良かった点は、想像力が異常に広がった点だ。もう厨ニ病院まっしぐらだったけど。僕が人生で初めて諦めたことは世界征服だ。

きっと意図してなかった効果だろうな。

本当に異常だった。
無言の徹底がルールだけど、挨拶もやたら推奨してて。挨拶だけは声を発して良いとされていた。
しかも挨拶する時はいちいち帽子を取ってやることを徹底させられていたから、

小学校の最寄駅の地上出入り口の隣になんかちっちゃい庵みたいなやつの中に入って、靴磨きをしているおじさんがいて、
そのおじさんを、その小学校は、小1に靴の磨き方の指導してもらうために毎年学校に呼んでて、
お世話になった人だということで、そのおじさんの庵みたいなやつの前を通る時に、いちいち帽子を取って声を出してさようなら!と挨拶するのだ。毎日。全員。

そうするように教えられたから。

客観的に見て異常過ぎる。

らぷらぷらぷす 2/16〜23

きっとTwitterに投稿する最後の勉強ラプス

東大しか受けないということは東大に落ちたらまた浪人してしまうということだ。
4浪してしまうかもしれないということをこの時期に考えるべきでないと思われるだろう。それは目の前のことから逃避してるだろうと。しかし考えないのもまた人生からの逃避だといえる哀しい状況だ。まぁでもなんにせよ、今年受かる気持ちしか持っていないというのも事実だ。
どちらにせよ勉強というのは受験勉強に限らず人生について回るものだし、今タイムラプスを撮らないと勉強できない体質になっているので、勉強タイムラプスの未来について考える。
ずっっっと僕自身思っていたことで、みんなも思ってたことだと思うけど、受験勉強に専念すべき人間が長々と日誌を書いている。違和感があることだ。しかし、そうすることでしか折り合いをつけられなかった。なんにせよこの勉強法を採用してしまう以上、受験生とは思えないほどのラプスの短さ。これに言い訳をしないと耐えられなくて。言い訳というのは必然的に長くなる。そうでなくても不特定多数に向けてただただ勉強タイムラプスという無味乾燥すぎるモノを投稿し続けることに僕は耐えられない。長らく僕をフォローしてる人間は薄々気づいていることだろうが。さらに書き始めたら色々長く書きたくなってしまう。僕の悪いところだ。こんなタブタブの駄文をインターネットに投稿しづけるのも耐え難いことなのに。なんにせよ意思に不誠実な人間なのだ。
というわけで、タイムラプス勉強法を引退する。やってた頃より明らかにひどいと感じない限り復活しない。そもそも僕はこの勉強法が好きではなく、ただ、これでしか勉強できない体質になっていてどうしようもなかったのだ。。。。

もはや@justaselfpleは本来の目的を完全に失うということだ。東京タワーみたいなものだ。


最近
本当に毎日寝過ぎてしまう。もういちいち落ち込まないけどさ。早く改善して欲しい。毎晩、結構翌朝の早起きの準備に対して熱心なのに。朝起きられないのは個性みたいな言説に救われるしかないことがある。いつか復活すると信じている。信じられている。

1日の気温差がデカ過ぎてどんな服装も適さない時期だ。


2/16火
前日9:50に起きたため全然寝付けず2:30に寝た。その結果10時くらいに起きた。空疎な1日を送ったが、22時くらいに入眠させることに成功した。

2/17水
5:40に気づいたら起きてた。今日はあんまり上手く走れなかった。朝の山手通りで吐瀉物を啄む鳩を見ても悲しくならなくなった。前はこれだけで傷ついていたのに。
最近食後の眠さを防ぐために夕食以外は軽食で小腹を満たしてつなぐようにしていた。食事をする条件はお腹が鳴った時。これにより本当は空腹でないのに単なる空腹感から食事してしまうのを防ごうとしていた。
しかしお腹は鳴らないが結構空腹なのかもしれないと思いお気に入りのパスタ屋に向かった。その道中のベローチェの鰹あご出汁パスタみたいなのが目に止まった。パスタ屋に味は劣るに決まっている。しかしいつも前を通るたびに気になっていた。あご出汁というのは、何にせよ、胸躍る響きだ。ベローチェに入る。パスタメニューがいくつかある。たらこなども気になった。かなり迷う。対象を見て食欲が異常に喚起される。本当にお腹が空いてたんだなと確信できた。お腹が鳴ったかどうかを今後本当の空腹か単なる空腹感の区別に使い続けることに対して迷いが生じた。結局あご出汁にした。前々から食べたいと思っていたからという理由だ。きちんと理由づけができてる上に、その理由の根拠が感性に基づくものなのでとても良いなと思った。
夜もローソンで買ったパスタを食べてしまった。適当なパスタで腹を満たし過ぎている。

2/18木
実に10時間半寝た。23:00就寝だったのに。6時前のアラームで一度起きる。が、耐え難い眠さ。何度寝もする。ヘンテコな夢をいくつも立て続けに見た。悪夢と呼んで差し支えない。連続して意味わからん映画を見たみたいになる。例をあげれば
「電車で異常者の隣にうっかり座ってしまう。触ってくる。腕を掴んでそれを防ごうとしたら怒り出してヤバいと思い立ち上がって逃げる。相手も立ち上がり追いかけてくる。乗客の中をすみませんすみませんと言いながらかき分け逃げる。途中に駅員が立ってて任して、と言われて勇気付けられる。それでもなるべく遠くへと思い電車の端まで逃げる。僕は電車の先頭や末尾の車窓から外を見るのが好きだ。電車は昼の海の上を走っていた。23時台の地下鉄に乗ったはずなのに。」
9時半起床。それでも寝起きは悪かった。しかし落ち込まなかった。走らなかったがそのことを受け入れた。夜はなかなか寝付けなかった。1時くらいに入眠。

2/19金
10:30に起きてしまう。今日も何度寝もして立て続けに悪夢を見た。
ラプスではなく動画撮ってしまっていると途中で気づいたけどラプスで撮り直すか迷ってやめた。23時台に今日は寝付けた。

2/20土
6時2分とかに起ききって二度寝もしなかったんたけどな。なんなんだろうな。朝ランはした。それはよかった。

めちゃめちゃ早起きしようとしてるのは、交通量が多い時間に走りたくないから。日曜日は突き抜けるような早朝である必要はないのだ、と思い0時就寝7:30アラーム

2/21 日
起き上がったのが13時くらい。二度寝に次ぐ二度寝に次ぐ二度寝に次ぐryという感じ。とにかく悪夢がひどかった。二度寝して悪夢を見てスヌーズで起きるも悪夢のせいで寝起きが悪過ぎて逆に疲れた感じするありまた二度寝してryという永遠ループ。マジで悪夢くんと化している。やめてくれ。フロイトに傾倒してしまうだろ!まぁなんにせよ最近のこの状況をいつかは改善すると信じて受け入れてはいる。

2/22月
12:20とかに起床。流石に凹む。走らなかったし何もしなかった。本当の意味で何もしなかった。

2/23火
12:20に起床。もうどうしようもない。ただただ睡眠時間が長い。5時台起きを是とする生活リズムの理想に忠実だったことも多かったこの1年間の末路が、何故にこんな生活リズムなんだろ。結局のところ6時間強寝て起きられることを前提としたシステムを構築してて、それがなぜかできてしまっていた期間が存在していた。その期間は相当調子が良かったという自覚が足りなかった。
ただ本番朝起きることはできるだろう。
まとまりを欠くし、明日どんな感じになるかわからんけど、今日で一区切りにしよう。

最近目が痒い。くしゃみもひどい。アレグラやアレジオンを飲むのは巨利を貪る製薬会社の養分になることでしかない。一方ザイザルという薬は素晴らしい。はずだった。ザイザルすら効かない。まだ、花粉量は、やや多いなのに。

正常な精神状態の再建について2/10〜15


何故か勉強ラプスを最近撮れていない。
明日から頑張ろうと思っている。
これはお茶濁しの日誌。誰に対して?


2/14日 正常な精神状態の再建について

父と会う日だった。
父は今際の国のアリスにハマっているらしい。

父と喋ったことと因果関係があるかわからないが、父と会った後正常な精神状態が復活した気がする。理由を説明するのは難しい。インタラクティヴなコミュニケーションの内容が全般的に影響を与えた。今日は去年の6月くらいから続いてた圧倒的な鬱積的な状態から一気に解放された気がする。それは最近より酷くなりつつあって、今まで味わったことのないような感覚だった。特にこんなに恒常的なものは。この解放感も一時的な錯覚とかだったら嫌だなと思った。しかし躁みたいな感じではない。シンプルに80キログラムくらいの重りを背負ってたのが7キログラムぐらいになった感じ。悩みの種だったことを依然として大問題として認識し続けてるけど、必要以上に多分にそれらについて悩むというのが解消された。このデカすぎる変化のせいで人生全体を覆ってきた漠然としてはいるが理由のある抑うつ状態も薄まった気すらする。これは流石にデカすぎる変化による錯覚だけどな。63キロの消失により7キログラムを一瞬ゼロだと思ってるだけ。まぁなんにせよここ最近ずっと心が脆くなり過ぎていた。落ち込み喚起の閾値が異常に下がっていた。ホントにこんなことで?みたいなことで落ち込むことが多かった。これから抜け出せた気がする。できるだけこのアゲ⤴︎マインドとまでは言わないが病んではない状態が長く続いて欲しいと願うばかりだ。せめて二次試験まで。街を歩いてて、何気なく立ち止まり、鳩のテリトリー争いをボォっと眺めてしまうような精神状態が続いてたが、そういう精神状態はかなり注意散漫で、勉強におけるミスの原因にもなる。特に2021年になったあたりから
今までしたことがなかったようなミスが増えてて大変自分のことが怖かった。精神状態がマシになり、せめて、低い学力を最大限に発揮することはできそうで嬉しい。
あと、最近ずっと病んでたんだなぁというのが確信に変わって良かった。それまでは、普通の人って実は常にこれくらいの精神状態で、それに耐えてるのかもしれないとか思ってたから。この重りが軽くなった状態に非日常感すらあるもん。違和感というか。まぁ絶対的に良いことだけどな。
あと父に対する意識もなんか今までから変わりつつあるように感じる。良い方向に。会って話してる時はこれらの変化は全く認識しなかったが、会った後思ったことだ。これはデカくて、今年度は父と月に2回くらい会ってるんやけど、毎回その後疲れてしまっている気がした。父と会うことと疲れを毎回因果で結んで良いのかもわからず、また結ぶことから目を逸らしてもいた。普通に自分子供として父親なことがかなり好きな方だと思ってたけど、微妙な気持ちになる部分は当然存在していていやあって良いんだけどそれが疲れという形になってたのかもしれなくて、でも今日はやっぱりこの人は良い僕の親だと思うレベルが確実に数段も上がった。実際問題僕側からの父に対する心的距離というのは実はとても近いわけではなく、中1の時とかかなり離れてたし、そっからどんどん近づいてはいて、今日また短くできたかなと思ったのだ。
他にも、たとえば、父はその場凌ぎで僕をスポイルしてるわけじゃないんだなということを、よく考えたら当たり前だけど、確信できて良かった。

ひとまず2021 2/14に記したその日の感情がそんな感じ。こんな自分の心情を長々書いてるとそれだけで病んでる人みたいやけどな。
普通に精神状態の改善のsubstantialな根拠を見つけてはないからあやうやさはあるし、普通に錯覚かもしれないけど(自分はマイナス思考をやめられると思い込んでるみたいな)まぁ錯覚でも良くてちゃんと続いてくれたら。とりあえずこれから精神状態がどうなっていくのか期待と不安が入り混じった気持ちである。

2/15月
平日なのに(社会はちゃんと動いてる)9時台に起きてしまった上に雨が降っててとってもgloomyだったが、なんとか前を向いて生きていこうという気持ちになれた。
しかしラプスを撮るほど勉強しなかった。それとこれは話が別らしい。


⭐️💫💫💫

2/10〜13←何もしない、という不善をしていた。

大量の言い訳を並べないといけない日々が依然として続いてしまっている。

2/10水
6時2分とかに何度目かのアラームで目覚めるが2度寝を繰り返す。確実に6時間前後の睡眠でシャキッと立ち上がるのが苦手になってる気がする。できてた頃どうだったけ。自分の中の違う時期における朝起きるつらさを相対化できない。ブラックコーヒーのガブ飲みとにどね、そしてスクリーンタイムのあと1分機能の消化を繰り返してたら7時くらいに急に目が冴えてきた。
今日は二日ぶりに朝ランができてよかった。最近家を出る時間を遅らせてまで走ることを躊躇いがちだけどやっぱり走った方が良い。なんやかんやで家出る時間変わってないし朝ランもせずただダラダラしてしまう日が多い気がするから。
今日も、好きな冬の空だった。突き抜けるような青さで晴れていた。朝ランさえすればこの青さの下で生きたことを無駄にせずに済んだと思える。だからせめて好きな空の日は朝ランをするべきだ。青い空から享受できるモノとして、外で朝ランをすること以上のモノって、毎日恒常的にできるモノだとあまりない気がするからだ。

昼から横浜で日本史のテストゼミ。新宿の日程は河合の直前プレと被ったからだ。久しぶりに電車に乗ると、からあげクンと一緒に夢も買えますよ、という吊り広告が目に入り誇大過ぎて笑ってしまった。

昼にカキフライがついた定食を食べた。カキフライの克服度が上がった気がする。−70くらいの時期が長かったけど、もはや+10くらいかも。

2/11木
何度寝も繰り返し8:20とかに起きる。最近ずっとこれ。10分、いや5分でも体を起こした状態で耐えたら一気に眠気は引くのに。それができなくなってる。なんでだろ。走らなかった上にそれ以外も何もしなかった。もうほんとダメな日だった。8:20って遅いけどまだどうにでもなるはずだろ。
なんかふとあごひげをピンセットで抜き始めてしまった。顎の中の一区画だけ丁寧にやってしまうと、ムラがあるのは良くない均質的にしないととなってしまう。同じようなことが太腿と膝、Iラインなどに関して起こる。結果的に全部できるわけじゃないのに。中途半端な完璧主義が世界を終わらせる。
もう僕はなんでも良いんだろうな。受験に関する厳しい現実から目を背けるための現実逃避になりうるものならば。決してやりたい!と思ってするわけではない、楽しくない、人生の小腹満たしの繰り返しをやめるべきだ。小腹満たしですらない。砂糖水を舐め続けている。そんな感じ。
勉強の悩みは勉強でしか解決できない。まずこれが端的な事実としてある。そして、そこに即効性がないなら憂鬱を紛らわせるためにせめて自分がしたい楽しいことをするべきだ。少なくとも毛抜きは救いにならないよ。

2/12金
前日よりさらにひどい。11時間も寝た。昨日何もしてないのに。デカルトだって朝に弱く、冬の5時起きがつらくて、その結果死去したんだみたいなことを言ってきたけどそんなこと言うのはデカルトに失礼な感じに確実になってきている。
前日に翌日の早い起床のためにした施策が何一つ功を奏さなかった。
ここまでひどい時期は流石に珍しい。過眠期がきてると断じて良い。
浪人生活や受験勉強は僕のダメさが発現している一つの形に過ぎないと考えているため、今後の人生のあらゆることに対して不安になる。
あと、今睡眠的に特にひどい時期だけど、そうじゃなかった時期と比べた過眠をもたらしてる原因がイマイチわからないため、解決法が不明で、ずっとこのままだったらどうしよう一生東大に通らないよという気持ちになる。

2/13土
色んなことが組み合わさり5:40に起きられた。交通量の少ない時間にもう絶対朝ランするべきだな。
受験勉強と向き合いはしたしラプスも撮ったんやけど、なんか微妙だしボツにした。ボツラプスは結構珍しい。
スリッパとカードケースと洗えるマスクを買おうという明確な目的意識を持って東急ハンズに行って1時間くらいいたのに結局何も買えなかったことで、僕はあらゆることを苦手としているなという気持ちになった。
ポイントカードとか40枚くらい収容できるやつが欲しいなと思って、そういうのは一種類だけあって、手に取ったらマジックテープで最悪な気持ちになった。普通にボタン?で良いのになんでそこをマジックテープにするんやろ。マジックテープが明確に嫌いだ。
逃避でフラッと本屋に来たとき、
学力も低いし文化的にもスカスカでどうしようもないなという気持ちになる。

了 正常な精神状態を回復してから見たら非常に正常じゃないなという気持ちになる。