完全無言給食


「黙食」

あまり人と会話することが推奨されてない世の中になっている。それが異常だとしばしば指摘されている。

確かに、普通の社会生活がそうなってるのは異常だ。

会食時会話は禁止とか笑ってしまう。

しかしながら僕が通ってた小学校は、Covid-19とか関係なくそういうところがあった。

色んな学校生活におけるルーティンに関して「完全無言」が冠せられていた。

代表的なものが、完全無言給食 完全無言清掃 完全無言下校 だ。

僕は小学校の6年間で、何度これらの最中に声を発してシバかれたことか。僕は体罰世代の一番最後だということもあり、正座や、教室の後ろに教壇とは逆の方向を向いて立たされる(なにこの陰険な罰)ことが非常に日常的だった。
ゲンコツなんていうのもあった。ゲンコツって体罰としてベタ過ぎん??????と思う。

本当にイロモネアのサイレントみたいな感じで私語が禁止されていた。

今考えると僕はなんであんなに嫌なことに対して従順な子供だったんだろうと思うことが多いが、それでも当時その小学校の生徒で一番論外な部類だとみなされていた。

その小学校は全面ガラス張りの最上階があって、その景色を見ながら給食を食べるスペースがあった。収容人数が全校児童の数の丁度半分で、半分の児童が上で移動して食べて半分の児童が教室で食べていた。勿論不公平にならないように週ごとに入れ替える。まずこのシステムが意味不明なのに、さらに全部無言でやるという異常さがあった。

僕は嫌いな食べ物が多く、完食教育の奴隷になって、よく遅くまで食べる羽目になっていた。つまり無言で給食と向き合う時間が長かった。
色々妄想してた。
これは、はだしのゲン闇市で買った食事だというごっこ遊びを脳内でよくしてた。

こういう妄想は給食の時だけではなかった。

完全無言下校というのは
一列に並んで無言で駅まで歩き、ホームでは手を腰あたりで後ろに組み足を広げて一列に並んで無言で電車を待ち、無言で乗車するというものだけど、

PTAの保護者がこっそり監視してて、よく喋ってた下校班があれば学校に報告していた。
報告された下校班は他の児童が帰った後も残されて説教されたりした。僕たち谷町線八尾南方面は特によくその対象となった。

それでも、基本は無言が是とされていたから、歩きながら、僕はいかにして世界征服を達成するかだとか、自分が世界の王になったら東京を自分の居城を中心としたドーム状のあらゆるミサイルを跳ね返す都市にするぞだとか、役人の階級制度はどういう感じにするかだとか、いつか死ぬのが怖いというか自分の意識は永遠に失われてほしくないから脳だけの機械生物にどうやってなるかだとか、そういったことを毎日下校時考えていた。


そう、
完全無言の唯一良かった点は、想像力が異常に広がった点だ。もう厨ニ病院まっしぐらだったけど。僕が人生で初めて諦めたことは世界征服だ。

きっと意図してなかった効果だろうな。

本当に異常だった。
無言の徹底がルールだけど、挨拶もやたら推奨してて。挨拶だけは声を発して良いとされていた。
しかも挨拶する時はいちいち帽子を取ってやることを徹底させられていたから、

小学校の最寄駅の地上出入り口の隣になんかちっちゃい庵みたいなやつの中に入って、靴磨きをしているおじさんがいて、
そのおじさんを、その小学校は、小1に靴の磨き方の指導してもらうために毎年学校に呼んでて、
お世話になった人だということで、そのおじさんの庵みたいなやつの前を通る時に、いちいち帽子を取って声を出してさようなら!と挨拶するのだ。毎日。全員。

そうするように教えられたから。

客観的に見て異常過ぎる。