小3 4のクラスの「空気」が異常

最近、空気の研究、という本を読んだ。全部読んだわけでない。でも良かった。そして、小学校時代を思い出した。

多分小4のGWの時だったと思うけど、
国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部ノートに書いてくる、という異常に無意味な宿題が出た。

当時僕は従順だったのできちんとやった。
みんなやってた。

しかし、提出日に持って行き忘れた。罰として土日の間に、同内容を3倍やってこいと担任に言われた。つまり、土日の2日の間に国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部3回ずつノートに書いてこいということだ。

めちゃめちゃ厭だった。当時の僕が有していた「リスクを冒してでも従えない厭さ」の基準はちょうど、「みんなやってるしGWのうちに1回ずつ書いてくること」と、その罰の中間くらいに位置していた。

従えないと言った。するともしこれに従わなかったら、更なる厳しい罰を与える的なことを宣告された。しかしその具体的な内容を覚えてない。なぜ覚えてないかはこれを最後まで読めばわかると思う。大した理由じゃないけど。

担任は26歳で、クラス担任を持つのが初めてで、ぽっちゃりした坊主の、力が強い脳筋男だった。

あまり詳しく覚えてないが、

僕の小学校は下校前に下校班ごとに分かれて一階で整列するんだけど
その時にもう一回どうするつもりか聞く、みたいなことを言われたと思う。

授業の後電気が消えた教室で多分10人は確実に上回る数のクラスメイト達と大いに揉めた

その教師にも言ったが、その罰の宿題をやるべきだと主張するクラスメイト達に対して
「そんな無意味な宿題をやることを親は許してくれない」
と僕は言った。
これは半分正しくて半分間違ってた。
別に小4の頃秒刻みの勉強計画を実行していたわけじゃない。十分に自由時間はありそれを削ればできただろう。ただ、たとえば塾の勉強を疎かにしてまでその宿題を消化しようとすることは許さなかっただろう。

まぁなんにせよその時の僕は根拠にできる、外的な抑圧が必要だったのだ。

それに対して、クラスメイト達は「トイレで隠れてやったら?」などと助言してきて救いようがなかった。

クラスメイトとの論争もまとまらず一階に降りた。雨が降っていたのでピロティーのようなところで整列していたら担任が僕のところに向かってきて、僕の返事を聞くなり傘で突いてきた。はだしのゲン日露戦争に従軍したという老人が指導してた竹槍訓練を彷彿とさせる突き方だった。

結局3回書いてくる宿題はやらなかった。
しかし、なんか忘れられていた。
バカらしい話だと思う。
忘れられたから、もししなかった場合に与えられる罰の具体的内容は覚えてないんだと思う。

この一連の流れの中で一番怖いのは、無意味な宿題を忘れてきたら3倍の宿題を土日でやってくるのは当たり前だというクラスの「空気」だと思った。

こういうことはもう小3 小4において日常茶飯事だった。僕の学校は2年ごとにしかクラス替えがなかったのだ。

放課後に行く中学受験塾で、毎日のように学校であったことを愚痴っていた。だから塾に行くのが楽しかったのかもしれない。少なくとも無意味な宿題に肯定的な奴はいなかった。小学校の同じクラスで、同じ塾のクラスでもあった奴とも、元々犬猿の仲だったが、この営みの中でかなり仲良くなった。彼を仮にTと呼ぶ。

2年間続いたこの担任の圧政が終わる小4の3学期の終業式。僕はめちゃめちゃ晴れやかな気持ちだった。しかしだ、
終業式の後の最後のホームルーム的なやつの最中に、突然担任が泣き始めた。
みんなで冷ややかな目で見るのかなと思いきや、40人いたクラスメイトの35人くらいが号泣していた。怖かった。卒業式とかじゃないんだぞ。卒業式でもクラスの8割以上が泣くことないだろう。
僕は泣いていなかった5人くらいを僕は今でも覚えている。担任から特にいじめられていた面々だった。伏し目がちなだけでも十分だった。もちろんTは泣いていなかった。

僕とTは灘に入り時々仲が悪くなり、高校以降は今後仲が悪くなることはないだろうという感じになった。

Tは阪医に首席で合格したが、留年した。僕は東大に4回も落ちてしまい、東大を目指すことを諦めた。