“入浴後の発汗について”

俺は多汗症だ。それも類稀なる

これは自信がある。あくまでも自分が直接会った中ではあるけど、自分より汗っかきな人間に出会ったことがない

ほとんど水のような汗だけど、それが大量に出る。本当にちょっとした動作で

少しでも自分の動作に位置エネルギーの移動が含まれるともうダメなのだ。物理には疎いので正確な表現がわからないけど。伝わっていたらそれで良いと思う。

だから夜に入浴を完了してから朝家を出るまでの間に発生する発汗を極力減らしたいという切実な願望がある。半ば強迫観念的に朝起床後にシャワーを浴びる習慣が失われてしまってからは、特に。

いや、これは21年間(いやこれは決して長い期間ではないけれど)生きていて、一日中シャワーを浴びる機会が得られない中での乾燥と発汗の蓄積と、入浴から翌朝の外出までの間のそれとの間に根本的な質的な差異があることは経験的に了解してきたつもりだ。

しかしながらそれでも入浴後敢えて湯冷めしやすい環境に身を置き、入浴の副産物として発生する発汗の被害を最小限に抑えた後に抑えた後に起きる位置エネルギーの移動を恐れ過ぎていた。

このことにより、本当に入浴を後回しにしてしまう傾向にあった。

入浴というのは明確にタスクといえる行為だ。生活における営みとして

終了後に実感できる快楽の方が勿論よく言われているように大きいが、やはり様々な点で手軽に実行しにくい行為だ。

たとえば、部屋のちょっとした整理、物を探すという作業。これは「かがむ」という、その後「立ち上がる」が必ず待ち受ける、位置エネルギーの変動を伴う動作だ。しかも複数回

入浴完了後にこういった営みが発生するのが少し前まで本当に耐え難いことだった。

そして、こういった営みはあまり面白みがない。つまり先延ばしにしてしまう傾向にある。しかしこれが終わらないと入浴したくないと思っている。だから入浴時間が遅くなる。寝る時間が遅くなる。より良き生の探求から遠ざかる。

しかし、最近前述の「入浴後翌日の外出までに起こる発汗など取るに足らないものだ」ということへの理解がようやく感情レベルまで落とし込めるようになった。

一番大事なのは一刻も早く入浴することだ。これはずっと前から思ってたし、公言?していたことだけど、より基本原則として捉えられるようになった。

このことがどれだけ僕の人生の好転させることか。

俺が人生の成功者と将来なった時、その原因を分析し、曖昧ながら様々な要素に分解した場合、間違いなくこの思考転換がもたらした影響は相当に大きいと主張するだろう。

まぁそれも人生を好転させるような精神構造の変化が根源にあって、あくまでも“一刻も早く入浴することを何よりも重視するということが何の疑いもなくできる”もその精神変化のおかげだと思う。

その精神変化というのは完璧主義の撤廃なんですよね、、入浴後の発汗起因の取るに足りないにおいの悪化を軽視できるようになったということ。


聴き潰してきた曲達


マイブーム曲変遷ってこと。聴き潰すってそういう意味で使ってる。

ほとんど固有名詞の羅列です!!

意外にもこういうのは読んでくれる人がいるらしいし、何よりも割と僕はこういうのを言いたいが抑えてる傾向にあるので載せる。

元々知ってて初聴でなんとも思えなかった曲とかでも急に自分の中でキタりすることもあって、、
その時普通に世で流行ってたものになる時もある。

【浪人期】【中高時代】の順で

【浪人期】

2018年 1浪
3月
相対性理論 シフォン主義(アルバムとして)
華原朋美 LOVE IS ALL MUSIC
フジファブリック 蒼い鳥

4〜6月くらい
ASIAN KUNG-FU GENERATION/荒野を歩け  ブラッドサーキュレーター
うたたP こちら、幸福安心委員会です。
ピノキオP 腐れ外道とチョコれゐト
YM 十面相
フジファブリック Sugar!!
フジファブリック WIRED
椎名林檎 いろはにほへと(これはマジで聞き潰した)

7〜8月
オワタP パラジクロロベンゼン
クリープハイプ 愛の点滅 エロ ラブホテル
チャントモンチー シャングリラ
じん(自然の敵)カゲロウデイズ(血の出てくる歌詞を克服)

秋冬
amazarashi リビングデッド
シド 妄想日記
Neru 東京テディベア(改めて)
DECO*27 モザイクロール
Junky メランコリック
R Sound Design 帝国少女
ぬるり フラジール
wowaka ワールズエンド・ダンスホール
みきとP いーあるふぁんくらぶ
蝶々P え?あぁ、そう。
光GENJI ガラスの十代
米津玄師 メランコリーキッチン ゴーゴー幽霊船 ポッピンアパシー

2019年

1月
フレデリック セーターを脱がさないで

3月 2浪
King Gnu vinyl
THE YELLOW MONKEY 追憶のマーメイド
檄!帝国華撃団

4月
山根康広 Get Along Together
5月
大森靖子 ミッドナイト清純異性交遊(5月祭でZOC見たあたりから)
松山千春 長い夜
あいみょん 愛を伝えたいだとか

6月
サザンオールスターズ いなせなロコモーション
WANDS 愛を語るより口づけをかわそう 

ELT全般にまた惹かれる

7月
Riwha ミチシルベ
チューリップ 虹とスニーカーの頃
YUKI ふがいないや
kemu インビジブル
日向電工 ブリキノダンス
じーざす リモコン
岩崎宏美 熱帯魚
YMO TECHNOPOLIS
Queen Killer Queen
Little Glee Monste 君に届くまで
back number わたがし
DAOKO のカバー カルアミルク(岡村靖幸
ポルノグラフィティ Love,too Death,too
ピンクレディ サウスポー

9月上中旬
モーニング娘。サマーナイトタウン
椎名林檎 シドと白昼夢
King Gnu
家入レオ 春風
みきとP バレリーコ
neru イドラのサーカス
DREAMS COME TRUE うれしい!たのしい!大好き!
じーざすP しんでしまうとはなさけない!
EGOIST /The Everlasting Guilty Crown

10月
井上陽水 夢の中へ(改めて)
椎名林檎 意識
MISIA 陽の当たる場所
ももいろクローバーZ 行くぜっ!怪盗少女(改めて)
小比類巻かおる City Hunter〜愛よ消えないで〜
YMO BEHIND THE MASK

11月前半
広瀬香美 promise
木村カエラ A winter fairy is melting snow man

11月後半
浜田省吾 悲しみは雪のように
ユニコーン 雪が降る街
JUDY AND MARY クリスマス

12月前半
L'Arc-en-Ciel winter fall(改めて)
つじあやの 星降る夜のクリスマス
倉木麻衣 winter bells(改めて)
中村雅俊 恋人も濡れる街角
King Gnu vinyl (改めて)

Radioheadを聴くようになった

稲垣潤一 クリスマスキャロルの頃に(改めて)
広瀬香美 ロマンスの神様(改めて)
あやまんJAPAN ぽいぽいのいぽぽいぽいぽぴー

2020年 
1月
フジファブリック 桜の季節
2月中頃
松田聖子 白いパラソル
藤井風 もうええわ
MISIA つつみ込むように・・・
安室奈美恵 Don't wanna cry

3月4月 3浪
ヒトリエ アンノウンマザーグース
Creepy Nuts 助演男優賞
CHAGE and ASKA モーニングムーン
King Gnu 白日
平井堅 楽園
Billie Eilish bad guy

5月
中山美穂 生意気/BE-BOP-HIGHSCHOOL
色・ホワイトブレンド
カネコアヤノ 光の方へ かみつきたい
大森靖子 きゅるきゅる 
cocco 強く儚い者たち 

6月
安室奈美恵 Don't wanna cry(再)
大森靖子 無修正ロマンティック延長戦
チャットモンチー ハナノユメ
L'Arc-en-Ciel Driver's High
Blondie Call Me

7月
ORANGE RANGE ウトゥルサヌ
char 気絶するほど悩ましい
徳永英明 最後の言い訳
原田真二 キャンディ
テレサテン 別れの予感
米津玄師 しとど晴天大迷惑(改めて)
JUDY AND MARY BLUE TEARS(歌詞は冬やのに。。)

8月
Neru 再教育
じん カゲロウデイズ(血が出てくる歌詞をようやく克服)
Iron Butterfly /In-A-Gadda-Da-Vida
相対性理論 帝都モダン
石川優子 シンデレラ サマー
JUDY AND MARY /DAYDREAM(これはめちゃめちゃ聞いた)
JUDY AND MARY全般を今まで以上によく聴くようになった。
かいりきベア ベノム 暴走ロリィタホリック
米津玄師 Flamingoのイントロが良いと思うようになった。 
米津玄師 鳥にでもなりたい
佐野元春 Young Bloods

9月
きのこ帝国全般(金木犀の薫りを同定しようという決意につながる)
米津玄師 クランベリーとパンケーキ
米津玄師 LOSER
EURYTHMICS Sweet Dreams
Mrs. GREEN APPLE ロマンチシズム
相対性理論 FLASH BACK
PETER BJORN AND JORN /Young Forks
ayase/幽霊東京
ラブリーサマーちゃん/水星
GLORIA GAYNOR /I Will survive
Billy Joel 全般

10月
ゆらゆら帝国 空洞です
CY8ER はくちゅーむ
andymori CITY LIGHT(ついに歌詞を覚えようというレベルまでになった)

11月
YMO 東風
麻生久美子 夢で逢えたら(カバー)→アルバム「きれいなひとりぼっちたち」
アルバムとしてスピッツ「ハチミツ」→あじさい通り(季節外れだけど)

12月
(ミュージックをスクリーンタイム下にしてしまい不作)&12月用のプレイリストを毎年12月は聴くようになる。

2021
1月
「きれいなひとりぼっちたち」のミツメの「駆け抜けて性春」のおかげで、銀杏BOYZのこの曲そのものの良さにようやく気づき心の滋養になる。ミツメも聴くようになる。

木村カエラ リルラ ルリハ
Ariana Grande Greedy

アーバンギャルド 映えるな(あんまりアーバンギャルドっぽくない気もするが)

Adoさん ユニカビジョンで流れてて良いと思った。いつの間にかかなり流行ってた。うっせぇわという曲名がそんなに好きじゃないが、めっっちゃ聴いてる。めちゃめちゃ聴いてる。脳内鬼リピ状態。

2月

藤原さくら SUPERMARKET(アルバム)
David Bowie Let's Dance(アルバムとして)
ラブリーサマーちゃん THE THIRD SUMMER OF LOVE(アルバム)
The Cardigans/ Carnival Lovefool

ハヌマーン アパルトの中の恋人達(曲の良さもさることながら歌詞が天才的)

3月 4浪
YOASOBI 怪物→夜に駆ける(こういうのはやはり1年遅れだな僕は)
aiko 磁石

4月
河島英五 時代おくれ
MEN AT WORK/Down under
BLOOM BASE /bluma to lunch
JUDY AND MARY ひとつだけ
相対性理論 (恋は)百年戦争

5月
椎名林檎 ここでキスして。 ギブス(遂に好きになった。僕は椎名林檎の好きな曲の変遷が謎で、、中2 歌舞伎町の女王 中3 罪と罰
高3 浴室 1浪 いろはにほへと 2浪 シドと白昼夢 3浪 愛妻家の朝食 )
クリープハイプ HE IS MINE
JUDY AND MARY /アネモネの恋 KISSの温度

6月
相対性理論 ケルベロス(再燃)
TUBE ガラスのメモリーズ(再燃)
佐々木喫茶 恋のロケットランチャー
andymori ずっとグルーピー
avicii Waiting For Love
Go-BANG’S あいにきてI・NEED・YOU!


7月
大森靖子 死神
少女時代 Gee
西田ひかる 人生変えちゃう夏かもね
WANIMA 1chance
大森靖子 勹″ッと<るSUMMER
Official髭男dism Cry baby
戸川純 好き好き大好き
Flipper's Guitar Camera! Camera! Camera
サカナクション セントレイ

8月
はぁ、、、
アーバンギャルド 原爆の恋など少女KAITAI(アルバム)
millennium parade U

9月
ORGE YOU ASSHOLE かんたんな自由
神聖かまってちゃん フロントメモリー
Mr.Children 名もなき詩
浜田省吾 愛の自由のために
神聖かまってちゃん 僕の戦争
斉藤和義 やさしくなりたい(今?)

10月
長谷川白紙 蕊のパーティー 草木 あなただけ わたしを見て LOVEずっきゅんのカバー

11月
山下智久 愛、テキサス
THE ORAL CIGARETTES / N.I.R.A

12月
大森靖子 アナログシンコペーション
泰葉 フライディ・チャイナタウン
女子十二楽坊 Freedom

2022年
1月
稲葉曇 ラグトレイン
エンニオ・モリコーネ Here's to You

2月
official髭男dism Anarchy
川本真琴 1/2(ついにサブスク解禁されたし)

3月4月
ドレスコーズ エリ・エリ・レマ・サバクタニ
米津玄師 POP SONG
グソクムズ 夢が覚めたなら
斉藤和義 君の顔が好きだ
毛皮のマリーズ すてきなモリー


【中高時代】
2012秋頃(中1)
それ以前はほぼほぼ
サザンのI AM YOUR SINGERSMAP世界に一つだけの花大塚愛さくらんぼ、羞恥心の羞恥心くらいしか邦楽を知らなかった。

AKB48 Everydayカチューシャ
B’z LOVE PHANTOM
槇原敬之 どんなときも。
ZARD 負けないで
ポルノグラフィティ サウダージ

2013
1月
米米CLUB 君がいるだけで(完全にガキ使の山1グランプリの野爆川島(当時)&ガリットチュウ福島の影響)

2012〜2015(順番すら詳細不明)
TUBE全般特にきっと どこかで
チェッカーズ全般
中森明菜 北ウイング(ピカルの定理のコントで)
槇原敬之 もう恋なんてしない
安室奈美恵 Chase the Chance
globe wanna Be A Dreammaker
石川ひとみ まちぶせ
久保田早紀 異邦人(ZARD &B'z松本verも好き)
布袋寅泰 POISON (多分2015) さらば青春の光(こっちが先)
中原めいこ君たちキウイ・パパイア・マンゴー だね
チューリップ 心の旅
シド 私は雨
杏里 オリビアを聴きながら 悲しみがとまらない
中島みゆき わかれうた(中2か中3)
竹内まりや カモフラージュ
椎名林檎 歌舞伎町の女王
ポケットビスケッツ全般
小泉今日子 木枯しに抱かれて
東京事変 キラーチューン 群青日和 遭難修羅場 閃光少女
テレサテン 時の流れに身をまかせ
AKB48 永遠プレッシャー
センチメンタルバス sunny day sunday
いきものがかり 最後の放課後
一青窈全般(中2とか中3)
森高千里全般
Madonna /Materal Girl

2016

村下孝蔵 踊り子
THE YELLOW MONKEY /JAM とSPARK
片平里菜 東京スカパラオーケストラ 嘘をつく唇
宮村優子 心よ原始に戻れ
三月のパンダシア day break

2017
欅坂46 サイレントマジョリティ
サンポマスター 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
ユニコーン すばらしい日々(初聴からだいぶ経っていたが、この頃に初めて良いと。持田香織とのコラボも好き。)
ユニコーン May be bule(大阪駅でずんだしぇいくを飲みながら聞いてたのを明確に覚えてる)
ハチ マトリョシカ摂津本山のラーメン太郎に行く道で聴いてた記憶が明確にある。秋口)
坂本龍一 Happyend
中島みゆき 誘惑
奥田民生の曲を10月くらいはよく聴いてた。ちょうど奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガールを見に行ったのも良かった
乃木坂46 インフルエンサー
宇多田ヒカル Movin'on without you
BoA VALENTI

B'z もう一度キスしたかった

12月
Band Aid /Do They Know It's Christmas?
佐野元春 Christmas Time In Blue

2018
1月
a-ha /Take On me
AQUA /Cartoon Heroes
ネーナ /99 Red Balloons
The Rubettes /Sugar Baby Love

2月

John Lennon / LOVE
東京事変 透明人間 

・・

タイミングを覚えてない
工藤静香 MUGO・ん…色っぽい/恋一夜
森田童子 ぼくたちの失敗(たぶん高3だけど、いつ高校教師を見たかちゃんと覚えてない)
長渕剛 GOOD BYE青春
THE BLUE HEARTS 青空
John Lennon/(Just Like)Starting Over
山口百恵 夢先案内人
山口百恵 さよならの向う側(割と後に好きになった。どうしても光年の誤用が気になり続けたから。)



邦楽チャートの青チャートみたいな感じですね。。。長らくゆらゆら帝国とかを聴いたことが無かった。そのことをひどく恥じている。

遊園地に行かなかった中高時代


中高時代テーマパークを盲目的に嫌っていた。あの嫌い方は異常だった。関西にいたのにユニバに中高時代1度しか行かなかった。その1度というのが高3秋の遠足だ。

灘は毎年遠足という行事がある。中1が明石の天文系の博物館 中2が奈良(集合から解散まで同じ班の人間達はマクドでゲームをして、僕はヒトカラをしていた)中3が京都の博物館と宇治 高1が万博記念公園 高2が嵐山 そして高3がユニバだった。

なぜあれほどまでに食わず嫌いしていたのかよくわからない。あれこれ論理的な理由(年パスを作るほどの頻度で行かないならカラオケなどに行くよりコストがかかる、など)を当時は述べていた気がするが、人が過度に合理的になろうとする時その根拠は感情にあるのだ。所詮なんとなくだったのだろう。待ち時間が長いことも理由にしていた。その時はユニバの待ち時間を非建設的な会話で埋めるのは基本的に「ウェイ」系がすることだと僕は考えていたのだ。そこで起きる会話が非建設なものになるとは限らないのに。一応高2の時に三重県志摩スペイン村に行ったがそれは楽しかった。ピレネーという絶叫マシーンがスリリングでよかった。経営状態が心配になるくらい空いていた。スペイン村は待ち時間が無かったから良かったのだ、などとこじつけていた。

しかし、遠足という強制力でユニバに行った時、自分の中高時代のこだわりをひどく後悔した。
普通にあらゆるエリアが魅力的だった
ちょっとした面倒さと、逆張り精神から、近くのカラオケ以外のエンタメ施設行きを拒否し続けた中高6年間を恥じた。
21時とかまでいたが、都会の夜景が眼前に広がる中、大阪LOVERを流しながら駆け抜ける絶叫マシンは代替不能な快感を有していた。

都会の夜に駆ける絶叫マシン、東京だとドームシティのジェットコースターに日が暮れてから乗ると良いと思います。

ライフワーク【自分が自分であるということに対する気持ち悪さについて】


この感覚を他者に共有できる形で言葉で言い表せたらなぁって物心ついた頃から思っている。

よく、時々自分を客観視する瞬間があるだとか、自分を斜め上から見ている感覚だという人もいるけど、僕はちょっと違うかなぁと思ってる。そう言う人たちが味わってる感覚と自分の味わってる感覚は実は同じなのかもしれないけど。

この感覚についてはだいぶ前にこのブログで一回書いたけどもう一回書いてみる。


僕は、物心ついた頃から、色々なことを知覚認識している自分の意識というソフトウェアがこの肉体の中にあって、それが自分自身であるということに対して、言いようのない気持ち悪さというか(吐き気とかそういうのではない)違和感というか、なんとなく変な感じを憶えてしまうことがあった。

その頻度は一日複数回のこともある。一週間以上起こらないことなんて滅多にない。

鏡を見ている時に起きることが多いけど、普通に自転車に乗ってる時ふと発作的に起きることもある。人といる時は比較的発生頻度が低いけど、普通に人と話してる最中にウン?となることもある。

この感覚が起きない時は、この感覚を思い出さないための騙し騙しになんらかの形で成功している時だ

この感覚には出口があるわけがないと考えているので、この感覚の発作(?)が起きたときは、つとめて別の動作を開始するようにしている。

どうなんだろう。実はみんなそうなのかもしれないし、そういう人は少ないのかもしれない。僕だけってことはないと思う。

これが自我に対する過剰な執着と無関係でないと考えている。

今色々考えながらこうやって文字を打ち込んでる主体が、自分が鏡などを見て知ってるいる姿形をした、唯一無二の精神構造を持った“僕”であるという事実に対するどうしようもない不思議さ(?)みたいなもの。。。

ダメだ。。。似たようなことを言い換えてばかりいる。

インターネット時代なので色々調べてきたが、これだ…!という記述を見つけたことはない。

強いて言うなら、、いやこれはマジでマジで見つけたの最近なんだけど

この感覚の的確な“言語化”(言語化という語の通俗性に最近耐えられなくなってきてて、“”をつけてしまう)が自分のライフワークの一つだと考えているフシもある。


さて、この自我観(自分というソフトウェアに対する異常な執着)が僕のタナトフォビアと密接に関連してる、とずっと思ってきた。

これはかなり最近見つけた記事。

コロナで意識…「死の恐怖」どこから? 哲学者たちの言葉から考えた 「そもそも、生まれたことが偶然」(withnews) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/8cefaa83c8063db106df10382f4e3d01be71ad59?page=1

Yahoo!ニュースも良いとこあるやん、と思った。
死への恐怖の説明というカタチで僕の精神性をかなり代弁してくれている気がした。

PS:川上未映子の「わたくし率イン歯ー、または世界」を読了したが、僕のこの意識を小説世界の中でかなり的確に語ってくださっていた上に、その克服?のようなものも描かれていて嬉しかった。

PS:いやーー、単にかなり軽度の離人症なんかもしれん.離人症って最近知った。

テレビスターが、夢だった。シン〔急の晩期みたいな内容&今後について&虚無との本格的開戦〕

テレビスターが、夢だった。Q〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】(https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/29/205335
の続き。

父にもよく、将来何になりたいか、を聞かれては、はぐらかしていた。中2以来ずっと。流石に文理選択とかもあるし将来医者になりたいわけではないとその時点では言ったから。父親との会話ではすぐに会話が脇道に逸れて脇道が本流になったりもするので、深く追及され続けることはなかった。

父親は結構長い期間僕はやりたいことがないと思い込んでたらしい。ある意味で正しかったかもしれない。テレビスターなんて存在しないんだから

2021年3月14日(3/10が東大合格発表4浪決定直後ということ)に父と会い、東大だけを目指し続けることをやめる決意をしたという話をした。
その時、父親にまた夢を聞かれて
少しだけ話せた。
少しだけだけど

僕がある夢を持ってからかなり長い日が経過していて、その間に世界じたいも僕の世界認識も結構変わってて、、みたいなモゴモゴした前置きめいたことを述べた後、

最低限のラインとして何かは言える、と言い、文化的雪かき、と答えた
(いや実際そういった職業の人もいるわけで最低限なんて言うのは失礼だけど)

父親は幸い2020年に村上春樹ダンス・ダンス・ダンスを読んでいたので
(父親はノルウェイの森が発売された頃に同時にダンス×3も読み全く意味がわからなかったという。僕の勧めに従って風の歌を聴け1973年のピンボール羊をめぐる冒険→ダンス×3の順に読んでみたら非常に良かったと言ってきた。だから仮にいやそんな人はいないかもしれないけどこの記事を読んでこの作品に興味を持った人がいてもこの順番で読んで欲しいです)
ダンス×3の作中に出てくる「文化的雪かき」という語がすんなり通じてよかった

(全然関係ない話をしてしまうけど、
ほんとに文章だからギリこんな入り組んだことを説明できるが、喋りだとまず無理だなーーーと思ってしまう。)


父親にその時話せたのはホントこれだけだった。
しかし最近この最低ラインもちょっと厳しいんじゃないかと思っているけど、、

まだでもこれがはずみになって、ちょっとずつテレビスターを将来の目標に設定することを諦めること、そしてそれまでそうだったことを発表することを決意できるようになった。

何者かになりたいとかそんな自分に対して無責任な考えも持ちたくない

「遠視眼的にならない」が今後の人生のキーワードなわけで

ここまで述べた結論がそれかい!という感じなんだけど、

なんにせよ身分が無職はどうしようもない。本当の意味でのサバイバル能力は、無職の状態からやっていける能力なんだろうけど僕にはそんな自信がない。4浪大学生も大概だけどさ、、
本当に高卒ニート4年目では何にも取り組めない。
やっぱりとりあえず大学生になりましょう、
だからどこか四年制大学に入れることを第一目標とする受験勉強を今年はボチボチしましょうという……
普通、どれだけ遅くても18歳で得る気づきを得たわけですなワラワラ


はぁ、、
上手く語れなかった、、
そのことにより、自分のこれまでの人生の否定を自分で自分に突きつけてしまった。そうするべきだったんだろうが。
結局ずっと僕が持ち続けてた未来像が果てしなくゆるふわしたものだったからなんだろうな。


PS

色々考えた結果4浪目も予備校に所属じたいはすることにした
それは3/10以降の自分の生活を踏まえた結果だ
→外出圧力の創出について(https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/06/11/184938

勿論21歳予備校通いを父に許されるという大前提があるのは重々了解している。


予備校の授業開始が4/16とかで、、
それまでに既に5月病以下みたいな心理状態になっていた。所謂4月病を3月の段階で完了してしまうのは多浪あるあるだと思う。

初回授業は全部ギリギリか2分遅れみたいな感じになってしまった
はじまってみたら不思議とやる気が出てきた。レベルが丁度良いのと講師陣がかなり良かったからだ。

しかし、
4/20くらいに突然強烈な虚無主義に陥った。

なぜこのタイミング?わからない。機が熟したのだろう。多分。

結局自分がいつか死ぬのが嫌過ぎる。これに尽きる。しかしそんなことを言っても仕方ない。避けられないことなのだから。

僕の中には物心ついた頃から常にタナトフォビアの炎が灯っていた。常に人がいつか死ぬという事実の虚しさも抱えていたということだ。

そんな幻想では小腹すら満たせないけど、
中1までなら離散に行き上手いこと人生をやっていつか世界征服するぞ!、中1以降ならいつかテレビスターになるぞ!みたいな壮大すぎる野望が糖質ゼロ寒天みたいにお腹に詰まってて、
それを急に吐き出してしまったもんだから、
空疎さが耐えがたい感じになっている。

虚無の燈火に油が注がれたとでも言えるかもしれない。

一度このことを意識しすぎると、人の生というものの虚しさのことしか考えられなくなった。

ツァラトゥストラはかく語りきとかを読んだとかではない。逆に読まないといけないと思っている。

人がいつか死ぬ運命にあることについて、どこかでなんとかならんかなぁ…という気持ちが小6の頃はかなり強く 最近まで実は潜在意識下に、実はまさかの死なないとかあるんじゃないか(????)みたいな観念が存在していた可能性がある。

複数の視聴者から紹介された、中島義道の著作などを読んだ方が良い気もする。が何か解決する気もしない。



そもそもこの程度の精神変化を21歳で経験してることが最悪なんだよ…!

今は、人生が無意味だと思いすぎるようになってから日が浅いため、
このことと普通に日常生活もやっていくこととの間に折り合いをつけるというか
欺瞞と実際の調節に慣れていないというか(建前全般を受け入れようと思えたのがまず割と最近)

精神に関しては、
僕は中2くらいから少しずつ
産業革命で言うところの1740年頃みたいな状態になってさ
灘校社会で適合してるフリができるようになりかける一歩手前くらいの状態にはなった。
灘校社会とかいう超寛容空間においてひとまず精神的成長ができたということだ(灘生にありがちな臆病な自尊心 尊大な羞恥心も結構バチバチに奥に秘めていて根底では結局ずっと克服できなかったけど、、!)

とりあえず、今起きてるような精神変化の触媒
となったことたちを受け入れられるような精神性をとても長い期間をかけて形成していった。

なんとなく2浪までに東大入学くらいはこのままの精神構造で受験勉強を続けていれば入れるものだと思ってて。。。

どれだけ遅くても中高生のうちに起こすべき精神の変化の前提が、2021年のはじめくらいにはじめて完成した。
 
もう精神の発達がさ、、晩成型(笑)過ぎるだろ。
・ 


完璧主義は日常の至る所に顔を出してるのを自覚しては潰していってるつもりだけど、やはり根本精神としてなかなかにしぶとい。いつか死ぬから人生は虚しいし何かを頑張るは難しいみたいな0 100思考を自然としてしまう。YouTubeでこの話をしたら選民思想が激しいと言われて鋭い…!なるほどな…!とも思った。
それはそうとして、曖昧なものを騙し騙し認識するのがひどく苦手だ。この世にはそんなことしかないのに。自覚はしてると思う。ただ感情としては持ってしまう。これが虚無主義につながる。

この虚無主義を克服したいと思えない時期が続いた。今も若干は、そう。なぜなら否定しようがないから。それに、虚無じゃなかった頃から、幸せに生きるだとか 精神状態を良くするだとか こういったことに前向きになれなかった。そんなことに何の意味があるのだと思っていた。そういった精神性は継続している。

ただ死にたいとは思っていない。これだけははっきり言える。てか本当にむしろいつか人が死ぬのが厭過ぎるというのが僕にとっての虚無主義の起源だからさ。。。
それって虚無主義失格なんじゃないか?って言われそうだけど、人生の無意味さには苦しんでる。これは自信がある。なんといえば良いんだろう。

いやマジで大学で哲学を本格的に学んでもないのに、浅いこと言い続けるのは恥ずかしいですよ。それで何らかの救いも期待できないし、何よりも理解できる自信もないから、しないけど。


死なない以上生きていかないといけない。むしろタナトフォビアは強まってるまであるわけだから、

何度も言うが、希死念慮がゼロなのだ。
いくら虚無と言っても、死にたいと言う気持ちと一切共存していない虚無。

だからこそ
単に「不快」を減らすために…!「快」を増やすためにこの資本主義社会において成り上がること。これは大事だと考えている

ほっといたら僕はあと60年以上生きるだろう。これは全祖父母がまだ死んでおらず、その中で一番若い人が1945年生まれであるという遺伝子が示す結果からも確かだ。

人生が無意味であることを意識せずにいるだのライフハックを得るのもいつかは検討していかないといけない。いやまだその段階までいけてないけどさ、、

あと、、
即座に満たせないhangerをごまかして日々は生きていかないと人生が辛すぎるので、
多少の小腹満たしで騙し騙しもアリなのかも知れない。
これは以前に否定した漫然とした小腹満たしとは由来が異なるから良いと思う。目的意識を持った小腹満たし。


oh baby ,wait and see
たまには小腹も良いよね♪



大森靖子も言っているように

終わってからが人生

なのだ

大事なのは徹底的に絶望することだ。これは2021年の3月13日に僕が尊敬している高校の同級生に電話で言われた言葉だ。その中で見出せる救いの萌芽のようなものを生み出せると僕は思っている。


【人生をやっていくためのインセンティブについて】

僕は物心ついた時から近代人的でありたいと自然と思っていた。自分が近代的だと思い込んでいたことを過度に正義だと思い込んできた。合理主義を拡大解釈してきた。

たとえば常に科学的(笑笑笑笑)ではないものを否定してきた。科学的ってなんなんだということだけど。
たとえば、とにかく論理的(笑笑笑笑)でありたい。科学や論理の限界を了解しつつも、将来的にすら人類が到達できないであろう領域にすらそういったものへの期待を適用させ続けてきたりするなどの極端さがあった。わからないことはそれ以上想像を広げるべきじゃないみたいな考えすらあった。

しかし最近それらが「誤り」とまでは言わないものの、少なくとも人生をやっていく上での足枷でしかないことに多少は自覚的にはなった。

感情と本能は分けて僕は語りたい時もあるけどここではまとめて、、、(基本的には思考上の意識→感情、の段階を踏んで様々なものは本能レベルに落とし込めると考えている。)

感情や本能を導火線として(いや、多少はこの社会で生きていく以上それらに赴くままに動いた場合の自分が不快感を憶えるような悪影響に関して遠視眼的に思案こそするが)今までよりかは「動物として」生きていこうと考えるようになった。

悪影響について遠視眼的に考えるのも別に知恵を持つ生物としての人間たる本能のようなものだとも言えるし、、
あぁ…こういう感じの議論を始めるとすべてが堂々巡りになったりするから始めないでおこう。

本能に従うことを優先することにより、虚無主義を忘れられる瞬間を積み重ねていきたい。

まぁ兎に角、本能だとか感情だとかに素直になろうと

感情に起因する思わず人生をやっていかないといけない!という動機。それは好奇心だ。僕は、これが、幼い頃からものすごく強い。

それは日常レベルでもそうなんだけど

いや、禁じ手にしている遠視眼的なことを敢えて言う

技術的特異点信仰というのも僕にはあって。僕が普通に生きているうちに技術的特異点なるものをこの世は迎える可能性があるらしいので、、。流石にそれは気になる…!

まずそれを迎えるにあたって、それを迎えるのに相応しい自分になっておきたいし、、

技術的特異点を迎えれば、色々なものに対して真の絶望が得られるのではないか、という希望がある、というのもある。本当の意味で機械的にしか生きられない人間、みたいな。


あとは感情に基づくものといえば共感とか利他性とか良心とか、、、これは僕と正反対である希死念慮が強い人が死なない理由(親しい人を悲しませたくない、みたいな)としてあげる場合が多いけど。

人類なんて、

虚無のブロックチェーンって思ってしまったりもするけど、

その繋がりだけが人を生かしてる

人は利他性や良心、これで生きていけるのではないかと。当たり前すぎるよな。当たり前すぎることを敢えて主張してるよ。

(少し虚無主義から話が離れます)

自分の中にある良心だとか利他性みたいな感情。ずっと正当化するのが難しかった。

こんなもので(こんなものでと言ってしまうのも失礼だけど)救われるのはなんなんだという感じだけど、ふらっと寄った本屋でなんとなく立ち読みした中野信子さんのあなたの脳のしつけ方という本にこれらは脳科学的にも脳にそういうのを司る部位はあり、イエス・キリストなどの利他性における偉人はそれらが極端に強かった人なのでは?などと書かれていて、その記述が僕の中での正当化に大いに寄与した。結局科学には救われる部分は多分にある。





4/20以降日々を送っていて

いや別に元々人生の虚しさとか知ってたし、一時期的に強くなってただけだから、必要以上に人がいつか死ぬこと関して考えすぎず、少しずつごまかせる時間は長くなってきている。元の水準に回帰しつつあるというか


共通テスト英数の点数を最大化することが資本主義社会における自分の立ち位置を考えた場合の最良の目標と考えた場合、
当面の間は東京都立大の都市環境学都市政策科学科を志望するべきだという結論に至った。

マーク試験のための勉強なんて虚しすぎるとは思う。
大学受験なんて所詮点取ゲーム全国バトルでそれ以外にデカい魅力を感じてしまってる時点で受験に向いてないんだけど、


これは完全に後付けだけど、

僕は明確に本能レベルで歴史が好きで、
インターネットの歴史クラスタとかは寒いと思うけど、自分は歴史全般が好きだ大好きだ一番好きなことは歴史だ、ということに対して確たる矜持を持ってきた人生だった。

そのきっかけは、確実には小1の時の担任が毎日のように授業中にしてた歴史の話で、
一番印象に残っているのは、小林一三阪急電鉄を軸とした都市開発の話だ
(僕は幼少期に知的好奇心を発生させるための軸が歴史であることはかなり良いと考えている。歴史上の偉人、というのはあらゆる分野にまたがるからだ。ヘルツが36?とかで死んだというのを見て敗血病怖っとなったし、そうでなくてもアインシュタインハッブルやウェゲナー(何この人選)から宇宙や地質に興味を持った。人文学に偏らない興味の原体験を持てると思う。性知識だって当時コンビニで売られてる歴史関連本を片っ端から立ち読みしてる中で読んだ戦国武将性豪列伝で基本的には得た。

十分な志望理由だと

僕は思う。


俺が父親の扶養のおかげで一浪時から住み続けている新宿という街は日本一乗降者数が多い街だ。


しかし、乗り換えにおける絶対的な立ち位置というだけでそこで何かを楽しむという感じの街ではないらしい。

Covid-19下において発生したガード下のホームレスのシュノイキスモスを見ただけで、、

都庁を中心とした超高層ビル群の“日本の中枢感”と村上龍コインロッカー・ベイビーズで描かれてるような場末感の共存はさらに拡大していくように思われた。日本が変に治安が良くて異常なだけで、大都市”ってそういうものだと思うが。。。。。。。。

しかしながら、

最近「新宿の逆襲」という都市計画の世界的権威(???)が書いたという最近発売された新書を新宿の紀伊國屋でちょっと立ち読みしただけで思わず購入してしまった。

それを受けて、、、

たとえば、最近新宿ではあちこちで工事が行われている。東口と西口の連絡通路が開通したという事実は、かなりのプレゼンスを持つ出来事だと思う。それまで東口改札から西口改札へとラクに通り抜けるために140円支払わなければならなかった、、

新宿駅はかなり高度に発達した“ダンジョン”だけど雨の日に濡れずに目的地に到達するのは難しい。たとえ“駅から徒歩5分”であっても

さらに新宿駅の多くの出口はエレベーターすら存在していない。多汗症の僕としては、真夏の日々に階段を登ることで滴り落ちる体力の汗により、瞬間的に大都市感の否定を発生させざるを得なかった。

再開発(??)ブーム(??)となっている新宿の都市計画(??)に期待するのは自然な流れだろう。

はちゃめちゃに光ってる夏の海になるために、
おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃって生きていくぞってほどではまだないけど

ひとまず
騙し騙しながら、

騙し騙しと了解しつつも
人生をやっていこうという気持ちにはなりました。

PSPS

その1
茶髪は脱力、と語られてる宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」を読んでいます。遂に、という感じがします。でも、こんなブログを書いてるような精神性の時に読んでよかったと思う。幼い頃から恐れてきた終わりなき日常そのものを克服するのではなく、その中で生き抜くための方法を知ろうという感じになってきているから。

終わりなき日常というか、僕の場合、日常がまだ始まってもいないけど…!

髪を青に染めながら読みました。生まれて初めて髪が黒でない色になった。この時代、茶色では終わりなき日常に対するガス抜きたり得ないだろ。むしろ終わりなき日常に染まるまである。
f:id:Matryoshkaddicted:20210612031800j:plain

終わりなき日常を克服するために髪を染めよう。これは流石に安直すぎる。
染髪は終わりなき日常への対処法を確立してるような精神性の人間の象徴にすぎない。染髪は終わりなき日常に対する単なる武器のうちの一つでしかない。
むしろ、奇抜な髪色になれるような精神性に自分がなれたことを喜びたい。

近代はいつかは終焉するだろう。そんないつくるかわからない「終末」に期待してる部分もあった。しかし、それは終わりなき日常からの現実逃避でしかない。

PSPSPS
とにかく性格とまではいかないが価値観程度なら、日々の思考の意識によって変わるということが分かったのが良かった。それでもまだ僕は予備校に通ってるわけでちっぽけな意識変革かもしれないけど。とにかく価値観の変革という成功?体験を積み重ねて、そのうち死への恐怖も克服できるような精神性になれるのでは…?という一縷の望みがある。

外出圧力の創出について


自分が家では勉強できない性分だというのは努力で克服できることではないと高1の時に了解した。その後も、もしかしたらイケるかも…!と諦め悪く何度も家での勉強にチャレンジしてきたが時間を浪費するだけに終わらなかったことがない

しかし、家から出ることもかなり苦手としている

浪人生なんだから受験勉強しないといけないわけで、極力家に居てはならないと思う。

これまでの人生様々な家の外で勉強する戦略を練ってはその度に挫折してきた。

しかし、3浪時は若干上手くいった。


去年
3浪開始時、河合塾に入塾したが、covid-19の影響で6月中旬まで映像授業一本ということになっていた。
対面授業が始まったのは前期12講中8講目からだ。
前期が、自学自習では僕の力では無理だと考えている基礎力の徹底なわけだけど、それ以上に自分はオンライン環境での学習が不可能だと知っていたので(ネットが繋がると無限に別の色々なものを見てしまう)、それまでの期間は参考書などで自分に足りてないと思う内容を勉強していた。

6/1に父にスクリーンタイムのパスコードを設定してもらい、
スクリーンタイム時間帯別制限を軸に生活を統制した

とにかくその後自分の生活を実験してはスクリーンタイム制限する時間帯を調節し、

9:20から始まる一限には基本的に出たいと思う授業が設置されていたので、
それに間に合うように、
ただ色々考えた結果朝走るのが生活を良いものにすると確信したので、、
努力目標として5時起きを掲げ、、

実際にも11月中旬くらいまでは6時前後には起きて朝ある程度走るというかなり規則正しい生活習慣の構築に成功していた。6時前後に走るためには早く帰って入浴しないといけない。そのタイムリミットの存在が日々の授業後の自習時間にもハリを与えたし、、
スクリーンタイム時間帯別制限の存在が強制的な早寝であったり、毎日早めに入浴を終えておくことを可能にした。

平日の一限の授業がない夏休み中や土日が問題だった。予備校の担任に相談して、朝スタンプ制度なるものを開始した。これは朝9時から9時半に予備校の受付に行き、塾生手帳のカレンダーにスタンプを押してもらうというものだ。

たかがこんなことで…?という感じだけど、意外な効果を発揮し、夏休みなんてカレンダーの8割以上がスタンプで埋まった。

しかし、冬は全然ダメだった。
理由は色々ある。iPhoneのある時のアプデでなぜかChromeというappが時間帯制限外になってしまった(app storeは制限内なのでアンストしておけば大丈夫なんだけど、出来心でスクリーン解禁中に入れてしまった日は悲惨だった。(この問題は時間帯制限においてなので、フォロワーに使用時間制限に入れたら良いのでは?と指摘されて解決したがそれは1月のことだった))こと、冬は寒いので過眠になったことなどが挙げられる。

そして何よりも決定的にダメだったのが、それのせいで何日か連続で朝スタンプが途絶えてしまう期間が発生すると、恥ずかしさから多少生活リズムが戻っても、押しに行けなくなり、折角のこのシステムが機能しなくなってしまったことだ。

本末転倒というかなんというか。ただただ愚かだ。

愚かだ

愚かだ

まぁ、でも、年間通して考えると、なんにせよそれまでの弊社比ではあるけどそれなりに勤勉であった。

しかし毎日勉強時間を確保できる生活というのに慣れておらず、シンプルに勉強のやり方が悪く(具体的には自分の力を過信した完璧主義を細かいところから広い計画にまでバチバチに炸裂させた)、学力は伸びなかった。

人は強迫観念でしか生きていかない
狂気といっても良いかもしれない
人生という本来こんな虚しいはずのものを生きていけるモチベも、一種の狂気でしかないのだから

様々なことに価値を感じられなくなってしまった僕は、

去年のように、
今出ている予備校の授業に愛着を持ち
決して聞き逃してはいけないな…!と思い込むこと(様々な工夫により授業が聴けるようになったというのは本当にデカイ。これは一浪時から色々考えてきてようやくという感じだ。普通に現役で東大に合格した人達の中にも授業が聴けないという人は案外多い。)だけは強迫観念として残すことにした。実現可能なことに対する強迫観念だけが身を救う。

授業はなんだかんだ言って楽しい。本当によかった。ここは授業内容以外のことに疑いを持たないようになんとか自分を制御するように努力している。


話が前後しているが、

そう、4浪目また同じ河合塾に所属することにしたのだ。

精神状態の紆余曲折を経て(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812

そうすることに決めた。

これは2021/3/10以降の日々の自分の在り方から考えて出した結論だ。


虚無はもっと後のことで、、

今まで味わったことのないほど強烈な人生の虚無感に襲われたのは予備校が始まってしばらくしてのことなので、予備校に入ると決めたときはそういう感じではなかった

ただただ3月13日とかに東大を目指すのを諦めた頃、これからどうしようと思っていた。

結論から言うと今年度は、
どこかしらの四年制大学に入る なによりも共通テストリスニングで下ブレしても九割五部取れるような力をつけることを優先する 
と決めた。

しかし、3月後半の日々はあまりにもひどいものだった。
なにもしない、ということを今までの人生では主にしてきたが、

その「なにもしてない度」の世界記録を自分で毎日更新していた。カール・ルイスみたいなところがある。

今までのダメすぎる僕だったら、こういった状況にあっても、まだそのうち徐々に変われるだろうだなんて考えて一年が終わっていただろうが、

今の僕は流石に何か縛るものを発生させないとどうにもならないとすぐに了解できた。

僕がアドバイス面で最も信用している高校時代の漫才の相方にも、来年大学受験をするなら一応今年1年間も受験生が集まる空間に通った方が良いと言われ、

去年一応ほぼ平日毎日9:20からの授業に出るという起床&外出圧力を僕に与えてくれた、圧力の授与と成功という実績のある、去年通ってた河合塾に今年も属することにしたのだ。


【予備校に属しないと勉強できないのは甘えなのかという話】

もし浪人(特に宅浪)や不登校や純度の高い無職の経験がなく
予備校に属しないと勉強ができないことが甘えだと思わない人はすごいと思う。
そういうことが観念として了解することに僕はものすごく長い時間がかかったからだ。


生まれてから毎年度ずっと何かしらの組織に通う習慣があったおかげで、
日々の生活の中にも何かしらの圧力が常にあるおかげで近代国民国家的システムの中で堕落し切らない人というのは案外多いと思うのだ。

こういう予定を詰めるとか行くべき場所がない時期を作らないことが、当たり前のように、あまりにも自然にできてる人というのがいるなぁと今まで生きてきて僕は思った。

日々、時間に追われる生活の中で、上手く時間のマネジメントをできない漠然としたもどかしさやダラダラした経験がないわけではないが、たとえば会社を辞めた頃のゴッホみたいな生活にはならないという。。。。


他にも、普通にそれはそれで辛いことだと思うが同居している家族の存在という圧力があるとか。。。

僕の高校時代の漫才の相方は
怠惰な人と勤勉な人がいる、と言う。属性として
僕の漫才の相方は現役で文IIに入ったし、センターなんて878点だった。大学も留年してない。しかし怠惰な方に分類されると、俺は自分に甘い人間だからと、事あるごとに言う。
もちろん地アタマの問題もあるが、彼の高校時代などを見てきたし、それ以外にも話を聞いてるとそれはあながち間違いじゃない気がする。
インセンティブがなければベッドに寝そべってスマホをピロピロする以上の気力が発生しない。彼にとっても読書なんて楽しんでするものだが、それも移動時間などが発生しないとあまり習慣にならないと言う。

生まれ持った怠惰さは仕方ない。
問題は、自分のrawの意思の力を無駄に信じていることだ。

意思を変えるのが一番無駄で、人が変わるには環境を変えないといけない。こんなことは僕が高1の頃から他者に対して主張すらしてきたことなのに…!そんな僕自身が環境要因の整備に関してかなり不徹底で、しかもその不徹底さに無自覚な部分が多かった。一年かけて失敗してはそれを受けて何箇所かだけ直す。この繰り返しだった。

あと、、

僕は怠惰な方なのに勤勉な人がより自分を追い込むためにやるようなライフハックばかり日常に組み込んできた。12時間の勉強時間を13時間にするための…!みたいな。僕がそんなライフハックを導入するのは、センター数学で半分取れない受験生が入試数学の掌握に取り組むことに似ている。僕がやるべきことは、勉強時間以外を削ることではなく、勉強時間そのものを増やすことだった。順番が逆だ。
高3の夏だって、それまでの人生ロクに長時間勉強したことがなかったのにも関わらず、夏休みが始まった瞬間にいかにして毎日15時間勉強するライフを始めるかということを考え、最初の方なんて8時からやってる東進衛生予備校の自習室について、開くのが遅い!そんなヌルいことではダメだ!と言って現実を悟るようになってしばらく経った8月中旬まで東進に入らない、という有様だった。



前半で述べたように人は強迫観念や狂気でしか生きられない。

僕にだって続けられるちっちゃな習慣はあって、たとえば入浴直後のストレッチだ。去年なんて毎朝5キロ走ることがそれにより可能になった(今年はあまりできてない。理由は後で。)それまでの人生でもあんまり3日連続走らなかった期間というのは中1の秋以降存在しない。

なんだかんだ高校時代、留年をかなり恐れてた。いや当たり前のことだけどさ。
高校時代、高校卒業成功をどうでも良いと思わなかったことだけが、今の僕を完全な0ではなくしてる。

単位もギリギリだったしいくつか諦めて放棄した。朝も起きられてなかった。基本的に生活リズムが48時間サイクルだった。遅い時間に起きてしまっては徹夜して学校に行っていた。僕が1限開始30分前に教室に存在しているだけで、同級生に今日徹夜やろとよく指摘されたものだった。


で、
実際問題
最近はどうしてるかというと

若干の自意識を克服したため(これは今年所属してる予備校のコースの人数が多いのもデカイ。70人くらいの最後列なら耐えられる。)、朝起きて、頭にカチューシャをはめて自転車を飛ばして予備校の授業に参加している。授業開始が9:20とかで、8時過ぎに結果的に起床する日が多かった。

去年は人数の少ないコースで毎回最前列に座り、誰とも喋らないくせに毎日髪を作っていた。それが街に出るためにヒトのカタチになるということだと思っていた。何日か連続で成功した時に元気に過ごせたせいで、そうしないとエネルギッシュに1日を送れないと考え毎朝強迫観念的に走っていた。
そういう強迫観念からも一部自由になれた。ある意味で完璧主義の部分的放棄かも知らないし、虚無主義に陥ったことで色々なことが割とどうでも良いと思えたからかもしれない。虚無はネガティブなイメージがあるが総合的に見て良い変化だと思う。大きな変革のためには破壊が必要なのだ。人生のスクラップ・アンド・ビルド

去年1年間は本当に謎だった。本当によくわからないことをしていた。
努力目標としての5時起きがあるので、23時までには寝たい。自分の帰宅後のルーズさを極度に恐れていたため、予備校前期の間なんて毎日19時までには帰宅していたはずだ。当初はスクリーンタイムが一日平均90分とかじゃないと死んでしまうと思ったからだ。そういう時間帯設定にせざるを得なかった。その後徐々に慣れていくに従って、逆にスクリーンタイムを短くすることには耐えられるようになり、様々な改編を施し、スクリーンタイム解禁までに入浴完了する!スクリーンタイムの解禁は21:55!だから20時過ぎまでに帰宅!入浴!という感じになっていった。
多少週末は長めに設定していたけど。。。

それでようやく睡眠のリズムが乱れない生活習慣が構築できたわけだけど、それでも勉強時間は平日1日5時間とかだった。ここまでやって自分は1日5時間が限界なのかとひどく絶望したものだった。それでも朝走ることだとか、自習時間を侵食する授業だとかも、そういったものが存在するリズムの中で勉強時間もある程度は保ててることだと考えていたため、その辺を変えようという気持ちにもなれなかった。何か変えて今より状況が悪くなったらどうしようと思っていた。結局変化を恐れていた。


そしてさらに、

こんな夕方以降は基本孤独に自宅のWi-Fi環境で短期集中型のスマホ操作!終わったら即入浴(入浴後スクリーンにしてから即寝る!)!みたいな生活の罠を全く予測できてなかった。

マルチタスクができないので1日のスクリーンタイム解禁中に人と一緒にいたくない。

2020年に
4回以上話した人間が、父と予備校のチューターを除くと2人で、そのうち1人は4回だった。これはcovid-19とかそういう問題ではない。

つらくなることの予想をしてなかったばかりか、つらいと思うような自分ではありたくなかった。ショーペンハウアー的な孤独観をずっと持ち続けてきたからだ。幼い頃から一人遊びが好きだった。幼少期誰かと個人的に約束して「遊び」に行ったことがない。家には一応家族がいたとはいえ、やはり自分はそこに寂しさを感じない属性の人間なんだと思っていた。遊び、に「」をつけてしまうくらい、この言葉に違和感がある。寂しいという言葉も結構嫌いだった。中高時代は定期テストの後同級生とカラオケに行くことは多かったが、長期休暇に約束してみたいなことはかなり少なかった。そういうことを“わざわざ”することに対して妙な抵抗のようなものがあった。むしろ、同じ組織、せめて同じ学年でない人と何か理由をつけて会う方が、約束という行為に関しては心理的ラクなことのように思われたので何度かしたが、あまり多くない。
なんにせよ、今年は孤独が自分の精神を擦り減らすことを流石に自覚しないわけにいかなくなった。まだまだそんな自分を赦せているわけではないけれど。

だから、なるべく会える時は人に会うようにはしている。
人と会うことで生活リズムが多少乱れることを、去年ほど生活リズムの維持に対して病的に神経質になっていないせいで、受け入れられるようになっている。


ただ
今年度僕の外出圧力たりえる授業の開始時刻は、
月13:10火9:00水10:50木9:00金10:50
という感じだ。。。

まぁでも最悪の事態は避けられたかな?という感じでポジティブに捉えている。

実際問題、時々、外出どころか起床にすら失敗してしまう。ひどく落胆するが、一回休んだら何回休んでもおんなじだみたいな0 100性に陥らないような精神性になってきてはいて良い感じだ。今までの自分も、この0 100性は思考においてはあんまり意識してなかったんだけど、どうしても無意識のうちに感覚がそうなってることが多かった。

予備校の講師の質が良い、という事実は無気力の生徒をせめて予習くらいはしようという気持ちにさせるという観点でもかなり大事なことだ、と気づいた。

僕だって基本は参考書勉強効率主義が可能ならベストだと考えてるわけだけど、、、僕には可能でないわけだから。。。

大学受験にある程度詳しい人が見たらわかるが英語の講師陣(墺/高沢/太/刀禰)が凄すぎる。河合塾が誇る講師陣という感じがする。数学も良いんだけど、、午後からに授業が集中してるから。。。

「自意識」に関する補足

「自意識」について


一応、
テレビスターが、夢だった。破〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/29/205335
の【自意識の輪郭】の内容を前提として書いています(あまり通俗的な用法ではない自意識まで説明もなしに自意識で括って書いてる可能性がある。)

自分の認識上の様々な問題点を自意識のレッテル勝手に喜んでる
敵を捉えた気になってる。
それは危険だと思う
しかしながら、ゼロからの自意識なので別に良いかなと
予備校で初めて5文形の話を聞いてぜんぶそれで説明できる気になっても最初は構わないだろう

考えてみれば自意識ってあまりにも適用範囲が広い。
他者と関わることって全部自意識くんの出番やん。
他者というものを過度に意識すべきではないという謎の信条を物心ついた頃から過度に持っていたせい(もしかしたらその裏返し?)かもしれない。そのせいで反動的にこの歳になって過度に考えるようになったということ。自分は自己と他者の関係というものに対する理解が浅いという危機感がある。


正直、自意識という敵を同定してから日が浅すぎて、自意識対策の凡庸なまとめサイトによく書いてあるようなことを最近自分にあった気づき(笑笑笑)としてダラダラ語ってる可能性がある。

そういえば、何事も(笑笑笑)をつけて自分はこういう通俗的というか陳腐な表現を敢えて使うけどそういう自覚はありますよ的なアピールをしないと生きていけないのも自意識によるゴミ意識だよな。しかしまだしばらくこれからは自由になれそうにない。


だいたいから言って僕は自意識を扱ってる作品好きな傾向にある。
たとえは漫画だと惡の華とかさくらの唄は前半で割と全面にそれを押し出している。
単に自意識という語のレッテルを貼れていなかったというフシもある。

自意識というのは割りかし多くの人がある程度強くは持っているもので、

ただ何故僕がこんなに苦しむのか。
それは悲しいことに顕示欲が強いからだ。

顕示欲が強いが故、以外にも特異な状況に置かれることがなぜか多く(不適合故?そんな自称なんてホントは絶対にしたくないが)、
なんにせよ「自意識」を試される機会が多い気がする。
多汗症故冬の室内から出た瞬間半袖に大量の上着を手に持った状態で歩く羽目になって都会だと恥ずかしいとか、
普通に多浪だから模試とかで生年月日書くのが恥ずかしいとか、
苦手な野菜が多くて、飲食店で抜いてもらうのをお願いするのが恥ずかしいだとか(あとは、お待たせしました!○○ネギ抜きです!と大きな声で言われる時とか。)
それともみんな我慢してるのか???


てか僕が結構連呼してた「虚栄心」とかもまぁ自意識の所作だよな

先に、ラスボス的な話をする

とある高校の同級生と2浪時会った時に、

僕は浪人を機に大学に受かったわけでもないのに訳あって関西から関東に移住して一人暮らしを始めたわけだが、この事実は他のとある同級生に知られたくなくて(その人物はそういうことに対してチクチクした感情を持ちそうだから)噂はすぐ広まるものだし最初は高校の同級生達に隠しておく方針だった、みたいな話をしたら、

「(僕の苗字)は、そういうのを気にするの好きやもんな」

と何気なく言われた。

めちゃめちゃ俺の急所を的確に触るのが上手いなと思った。偶然かもしれんけど

正の自意識と負の自意識(まぁそれぞれあんまり良いもんではない)が互いにバチバチに炸裂してて、しかもそれぞれは打ち消し合うものじゃないみたいな、そういう自意識。
これを自意識って言うと当時は知らなかった。

今はね、つまり、ブログにこういうことを書いて全世界に向けて発信してしまうくらい

「マイナス属性自意識強くて苦しんでるんですつらいんです可哀想でしょ」とアピールしてしまうというプラスの自意識が炸裂してる期。


一応、正の自意識というのは過剰に他人は自分に関心を持ってくれてるだろうと思うこと、負の自意識というのはあまり人に注意を向けられたくないようなことに関して、過度に人は自分についてネガティブな感情を持っているだろうと思うこと、を指すつもりだ。

たとえば、割と親しいと思ってた人が、意外にも僕の公開してる情報を見てなかったりすると、割とえぇ!ってなる。そういう意味では正の自意識はかなり持ってて、ただ正の自意識を持ってるという事実を人に悟られるのが恥ずかしいという負の自意識で隠してしまう感じがある。というか、それがかなりすべての僕の根本だ。

そのせいで、みんな僕のことなんかどうでも良いんだ、、それなのにみんなに興味を持ってもらえてる前提で振る舞うのは恥ずかしいのでなるべく顕示的でない生き方をつとめようってよく思ってしまう。みんな僕にそんな興味ない。それはある意味で事実だけど、それは別に大した問題ではない。人間ってそういうものなのに、隠れ正の自意識の強さのせいで、過度に負の自意識を高めてしまう。反動的に。ずっとこの繰り返しだった。僕の人生。


勝手に正の自意識 負の自意識みたいな概念を導入して喜んでしまっている。


様々な形で発現している多種多様な自意識過剰のちょっとした例をさらにさらっと列挙していく


書店で

日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」「一度読んだら忘れない世界史の教科書」「人は話し方が9割」「「育ちがいい人」だけが知っていること」「世界のエリートが学んでるMBAマーケティング必読書50冊を1冊に」みたいな本が平積みされてるのを見て、

一応内容をパラパラ見るためにすら触れられない。周りの視線が気になってしまう。視界の最外縁で存在を確認するのが限界。少なくとも新宿の紀伊國屋では無理だ。新宿のブックファースト(結構人がまばら)ならギリできるかなというレベル。それらの「立ち読み」のためにKindleを入れる必要がある。


俺は黒烏龍茶の味が好きで飲んでるわけだけでトクホだから飲んでるわけじゃないから、そう思われたら嫌だから店頭で黒烏龍茶を買えなかった。
実は脂肪を減らすシールが貼ってるやつも同様。

アルコール消毒とかしょうもないと思ってるので、店員に気にしてると思われたくなくて、あえて除菌とかへの言及のない表示のやつを選んで買ってしまう。 



雷獣オーディションで、好きなテレビ番組を聞かれて、反射神経的に「ないです」と答えてしまった。あるのに。そしてさらに、ポロッと「全部おもんない」と言ってしまった。そのセリフには字幕までついていた。このことを引きずってる。思ってもないことを言ってしまい、それが視聴者の記憶に刻まれてしまったのではないか…?

テレビ全般をデカい主語で批判したくない。

休憩時間、リラックスして喋ってる時僕は面白いことが言えて、普段ならそんなこと言わないのにアドリブでキングオブコント出たらryみたいなことを口走ってしまい(やはり精神状態が変だったのか)お笑いを舐めるなwみたいなことを言われてしまう。僕も本当にそう思う。しかし咄嗟に、「思ってもないことを言ってしまった」みたいな弁解もできなかった。これにより彼らに失望されたのではないか…?

などと気を揉んでいる。



今まで気にしてた色んなことも結構自意識の所作的なことが多い

2浪時世界史の授業で、
砲艦外交を英語でなんていうかっていう時に
適当に耳に残ってた感じで、ガンディードディプロマシーと言ってしまった。
正確にはガンボートだ。本当に直訳でgun boat diplomacyなのだ。
適当な知識でイキって恥をかいた。
講師や周りの生徒に未だに覚えられてて、内心バカにされてるんじゃないか?って不安に思ってる。


中学の時の修学旅行的なやつで、同級生と見てたTVから曲をyesterday とimagineを逆に言ってしまった。間違えのレベルが低すぎる。The Beatlesについてなんも知らん人の発言やん。何年も引きずり、何年か経ってから、その同級生にあの時恥ずかしいことを言ったがry、などと言ったことがある。やはり気にしていなかった。


平日の昼間にランニングできない。浪人生故平日の昼間にランニングできてしまってると思われるのが恥ずかしい。誰も思わないのに。スーツ着て歩いてる人が、自分をどう見るだろうと思う。何も思わないだろう。働いてて平日休みの人だっているのに。それでも気にしてしまう。終わってる。

リプライを送れない自意識もある

全身陰茎男が「どしたん、話聞こか^_^」
「それは彼氏が悪いわ」などと言っているイラストがある。アレを描いた人間は天才だと思うし、初めて見た時以降も何回もアレを見ては笑ってきた。
が、
そういった意識にあまりにも囚われている。そもそも同性相手にすらちょっとしたリプライを送るのにも抵抗があるみたいな観念も根底にあるし、、
ただ少なくとも高1の時はそういう意識がなかったので、これはインターネットに歪められた感じがあるかもしらない。そして、多くの人が持ってる種類の自意識かもしれない。


実は、
デカイ主語やネットで見かける断定的な口調にたびたび傷つくのも
自意識が強いからなのかもしれない。

ただ、
たとえば真っ当な服装で外に出るとかも自意識のせいなわけで

まぁその自意識すら克服してる「成功者は多いが…」

流石にその自意識くらいはあっても良いわけで、、

自意識の中庸を探したいですね…!(僕の結論は全部これ)