“入浴後の発汗について”

俺は多汗症だ。それも類稀なる

これは自信がある。あくまでも自分が直接会った中ではあるけど、自分より汗っかきな人間に出会ったことがない

ほとんど水のような汗だけど、それが大量に出る。本当にちょっとした動作で

少しでも自分の動作に位置エネルギーの移動が含まれるともうダメなのだ。物理には疎いので正確な表現がわからないけど。伝わっていたらそれで良いと思う。

だから夜に入浴を完了してから朝家を出るまでの間に発生する発汗を極力減らしたいという切実な願望がある。半ば強迫観念的に朝起床後にシャワーを浴びる習慣が失われてしまってからは、特に。

いや、これは21年間(いやこれは決して長い期間ではないけれど)生きていて、一日中シャワーを浴びる機会が得られない中での乾燥と発汗の蓄積と、入浴から翌朝の外出までの間のそれとの間に根本的な質的な差異があることは経験的に了解してきたつもりだ。

しかしながらそれでも入浴後敢えて湯冷めしやすい環境に身を置き、入浴の副産物として発生する発汗の被害を最小限に抑えた後に抑えた後に起きる位置エネルギーの移動を恐れ過ぎていた。

このことにより、本当に入浴を後回しにしてしまう傾向にあった。

入浴というのは明確にタスクといえる行為だ。生活における営みとして

終了後に実感できる快楽の方が勿論よく言われているように大きいが、やはり様々な点で手軽に実行しにくい行為だ。

たとえば、部屋のちょっとした整理、物を探すという作業。これは「かがむ」という、その後「立ち上がる」が必ず待ち受ける、位置エネルギーの変動を伴う動作だ。しかも複数回

入浴完了後にこういった営みが発生するのが少し前まで本当に耐え難いことだった。

そして、こういった営みはあまり面白みがない。つまり先延ばしにしてしまう傾向にある。しかしこれが終わらないと入浴したくないと思っている。だから入浴時間が遅くなる。寝る時間が遅くなる。より良き生の探求から遠ざかる。

しかし、最近前述の「入浴後翌日の外出までに起こる発汗など取るに足らないものだ」ということへの理解がようやく感情レベルまで落とし込めるようになった。

一番大事なのは一刻も早く入浴することだ。これはずっと前から思ってたし、公言?していたことだけど、より基本原則として捉えられるようになった。

このことがどれだけ僕の人生の好転させることか。

俺が人生の成功者と将来なった時、その原因を分析し、曖昧ながら様々な要素に分解した場合、間違いなくこの思考転換がもたらした影響は相当に大きいと主張するだろう。

まぁそれも人生を好転させるような精神構造の変化が根源にあって、あくまでも“一刻も早く入浴することを何よりも重視するということが何の疑いもなくできる”もその精神変化のおかげだと思う。

その精神変化というのは完璧主義の撤廃なんですよね、、入浴後の発汗起因の取るに足りないにおいの悪化を軽視できるようになったということ。