遊園地に行かなかった中高時代


中高時代テーマパークを盲目的に嫌っていた。あの嫌い方は異常だった。関西にいたのにユニバに中高時代1度しか行かなかった。その1度というのが高3秋の遠足だ。

灘は毎年遠足という行事がある。中1が明石の天文系の博物館 中2が奈良(集合から解散まで同じ班の人間達はマクドでゲームをして、僕はヒトカラをしていた)中3が京都の博物館と宇治 高1が万博記念公園 高2が嵐山 そして高3がユニバだった。

なぜあれほどまでに食わず嫌いしていたのかよくわからない。あれこれ論理的な理由(年パスを作るほどの頻度で行かないならカラオケなどに行くよりコストがかかる、など)を当時は述べていた気がするが、人が過度に合理的になろうとする時その根拠は感情にあるのだ。所詮なんとなくだったのだろう。待ち時間が長いことも理由にしていた。その時はユニバの待ち時間を非建設的な会話で埋めるのは基本的に「ウェイ」系がすることだと僕は考えていたのだ。そこで起きる会話が非建設なものになるとは限らないのに。一応高2の時に三重県志摩スペイン村に行ったがそれは楽しかった。ピレネーという絶叫マシーンがスリリングでよかった。経営状態が心配になるくらい空いていた。スペイン村は待ち時間が無かったから良かったのだ、などとこじつけていた。

しかし、遠足という強制力でユニバに行った時、自分の中高時代のこだわりをひどく後悔した。
普通にあらゆるエリアが魅力的だった
ちょっとした面倒さと、逆張り精神から、近くのカラオケ以外のエンタメ施設行きを拒否し続けた中高6年間を恥じた。
21時とかまでいたが、都会の夜景が眼前に広がる中、大阪LOVERを流しながら駆け抜ける絶叫マシンは代替不能な快感を有していた。

都会の夜に駆ける絶叫マシン、東京だとドームシティのジェットコースターに日が暮れてから乗ると良いと思います。