英語が嫌いすぎる。

本当にできない。
そんな勉強してないけど。
それでもいくらなんでも向いてないと言わざるを得ない。
向いてないことを頑張るべきではない。
人は勝てるところで勝負しないと。
よく英語なんて言葉だやれば誰だってできるようになるとか。
どんな馬鹿な英米人でも英語が話せるから僕たちにできないわけがないとか。
そういった言説がまかり通ってるけど、
第二言語の取得が母語と同じなワケがないだろ。
その点、森田 鉄也なんかは英語の勉強には向き不向きがあるとか言ってくれるから良い。

受験英語用に綺麗に切り取られた英文ならまだ読めるようになろうとする気がある。
でも、それ以外は本当に無理
僕はドナルド・トランプのツイートすら読めない。ウッってなる。
それだけ未加工の英語に対して拒否感がある。
そう、拒否感。根源的な。アレルギー。

英語は嫌いだけど、鉄壁を丸暗記しようとする作業は割と好き
しかし、

鉄壁の最後の単語はmischievous
この理由はいつまでも悪戯好きの子供のような純真な心で英単語と向き合ってほしいという願いを込めてだと思ってる。

なぜなら
鉄壁の巻末に
皆さんが生まれて初めて覚えた英単語はなんだったでしょうか?(途中略)
いずれにしても、それを覚えるのに苦痛は感じなかったはずです。むしろ、英語という未知の世界に足を踏み入れる感覚に、言いようのない興奮を覚えたのでしょうか。
その新鮮な喜びを忘れないで欲しいのです。
とある。

ちなみに僕はbookのスペルを覚えた記憶は鮮明にあるが。。

基本的に、僕に英単語を覚える初期において興奮といった記憶はない

明確にflowerなどスペルなどを覚えさせられたとき最悪な気持ちになった。小6の2月だな。英語が嫌いになったよ。

中学入学後直後、基本的な英単語のテストがあった。僕はシンプルに野菜のナスが嫌いなんだけど、当時、それ以上にeggplantのスペルを覚えるのが嫌だった。まず英作文で使わない。

本当にずっと英語に対して根源的な拒否感があって、まだちゃんと学ぶ前の小学生の頃から嫌悪感を持っていた。小学校の通知簿はABC評価だったけど、6年間で唯一Bがついたのが英語だった。

とても印象的なのが中学受験塾合格体験記だ。
僕はこれを熟読してたが、体験記のタイトルを英語で書いてるやつがいて、そのタイトルが読めず困惑して、いた。ハ?ってなってた。
改めてみて見てみた。英語のタイトルをピックアップする。

2008
Girls be ambitious
Be ambitious
Thank you very much,everybody
Never give up
Be your best and truest self
2009
LADEIS AND GENTLEMEN THANK YOU YOU VERY MUCH
まず大文字英語苦手やねん。
MIsche seinen Jebel ein
これは今もわからず安心。

こんな感じだ。

中には難しいのもあるが、基本、アレルギーと呼ぶのがふさわしい感じがある。ハナから拒否してるという点で。

これにはやはり家庭環境が大きく関係していると僕は考えてる。
母方の祖母 ウェルダンと言えずいつもよく焼いてくださいと言ってた。英文科を出てると言ってた。あと、イルミネーションが言えない。空は英語でskyというのを知ってるというのをイキってきた。

母親
アメリカ旅行の時、空港で道がcitizenとvisitorにわかれてて、citizenを知らないことが判明した。他にも関係代名詞を知らない。そういうレベル。

しかし、父はできるんだよな。でも幼少期多くの時間を共有したわけじゃないからなぁ。

父の母は家に外国人が来たら、カタコト(!?)の日本語で喋る。それになんの意味があるのだという感じ。ワタシハ○○○○ですって日本語で言う。ちなみに父の妹はbusyをブーシーも発音していたらしい。

日々思うのは
僕は第二外国語的知性が欠落してる。文法的にわかってたり、知ってる構文だったりしてもダメなことが多い。

でもなんでこんな欠陥言語が世界のスタンダードなんだよってすごい思う。

英語を国際外国語の地位から撃攘するために
逆に英語力においてそれくらいの地位になってやろうという気すらある。

パクスブリタニカの時代の時点で世界においてゴミだった日本を恨むよ。

今やろうと思ってることをひとまずやり終えたら英語の勉強を維持程度にしかやらないでおこうとすら思う。リスニングとか。下読みがほとんどの得点源だよ。機関銃英語が全くわからん。
死守ラインが
英50
地歴85
国語85
数学30
これで行こうかと思ってしまう。
今年はコロナ禍だし250で通るだろ。