人生の副産物たち


一応自分の中で恒星と思えないとツイート送信ボタンは押せなくて、これは木星団みたいな。


まだこんな本も読んでないのかと他者に思われるのが怖すぎて、積ん読リストすらSNS等にあげられない虚栄心。


↑まぁこれもどこか読書を完全娯楽目的でできてないことがあるという事実に根差してる意識だろうな。

子供が真似するといけないからという理由で鳥人の再放送が禁止される時代


室内で、この寒い季節さ
ただででもヒートテック下に着てるわけだし上着もろもろその他防寒具を少しでも身につけてしまうとかなり発汗してしまい、それが嫌なので、外に出る本当に直前に身につけたい。なんなら出てから身につけても良い。だから、室内にいる間は極力コートなどを脱いで手で持とうとするが、このムーブは理解してもらえないことが多いな。


みんながやってるからというだけの理由でヘアコンディショナーを髪に塗ってる人口。


泣きたい気持ちが連なって冬に雨をもたらしているという言説に対して何一つとして疑いを持っていない。


知らなくて困るもの一覧

僕が、よく知らなくて、
・会話に入れなかったり、
・録画してたバラエティ見ててもそこは飛ばしたり
・疎外感を憶えたり(そこは逆張りオホホホとはならない)
するコンテンツ一覧。

野球 というか観戦系スポーツ全般 オリンピック(そもそも人がスポーツをやってるのを観て楽しむという文化が人生において存在しなかった。確実に最近マシになりつつあるけど、それでも進んで観ようとは思わないし、この年になって今からハマり始めるか???というのもある。それにそこまでのモチベがない。)

将棋(これはなんとかしたいと考えてるし常に思ってきた。)
麻雀 
トランプ(幼少期いかに集団で浮いてたかがバレてしまうな。)
UNO(さらにバレてまうな)
エロゲ アイドル youtuber
人狼
ポケモン (一匹も知らん)
遊戯王とかそのへん
ゲーム全般(特にパズドラは中学時代すごい疎外感を憶えた。しかし、だからといって始めようとはならんかった。そのくせ定期考査中にメチャマイナーなちゃちいスマホゲームのインストールとアンストを繰り返してたから救いようがなかった。)

音ゲー(でもチュウニズムは下手の横好きなので上手くなりたいと思った。でもやっぱり人生の時間は有限だしなぁ、とも思う。)

多くのアニメ(漫画もまだまだやけど、まだ読んでる方やと思う。新世紀ヱヴァンゲリヲンドラゴンボール四月は君の嘘も漫画でのみ履修した。そういうレベル。)

というか、やはり映像をジッと見ることに割と抵抗がある。小脳管轄系の動作と並行したい。だから普通に映画や古いドラマに関する造詣も決して深くない。中高時代にTVでやってたバラエティやドラマをよく見てたのは自宅のTVで筋トレやストレッチや食事をしながら見られたからだ。結果的にそれらの動作が終わってからもダラダラ見続けたりしてたけど、見始めるのは動作と同時並行が良い。だから大学入学後はポケットWi-Fi片手にジムで走ったりエアロバイクを漕いだりしながらスマホで色々鑑賞したいと考えてる。

……………。

逆にこれらを特にやってこなくて勉強もしてこなかったという事実がヤバ過ぎる。マジで、「何もしないということ」をしてきた20年間。
というか文学とか漫才とか自分がそこそこ知ってることすらそんなに知らんわけでまずはそこの穴を埋める時間がメチャかかるやろ。困るな。

義理堅いとかじゃない。ただ世間が怖いだけなんだ。



僕にとって、Twitterって生きてる中で自然と発生するオカラのようなものの受け皿として捉えてるんやけど、その受け皿は結構平らで、そこから溢れてしまうようなほとんど液体みたいな数々をこうやってブログで申し訳程度にまとめて発信してしまう。自分の質の低い知見を自分の中で消化し切れない幼児性を有している。

たとえばフィーリングでフォロバして後から理屈付けしてるが小室直樹も言ってるように人が過度に合理的になろうとする時その根拠は感情にあるのだ。しかし、その感情の理由って科学のイデアによって説明は可能だろうから、理屈じゃないとは言いたくないというわけなのだ。


なんか僕は一つにまとまった世界のある意味で頂点に立ちたいという意味わからんことを切望してるけど、峯田和伸さんも言ってたように本当に一つになってる世界が存在するべきではないよな、この世界の一体化がウルトラ進んだ時代には、逆説的に。絶妙に分断されてた方がまとまってたようなことがまとまんなくなってるから。


模試受験料は経費で落せるのか?

家に長時間いても読みさしの本が増えるだけだからな。
家に長時間いても過去読んだ本の一場面に詳しくなるだけだからな。


今年生きてて一番良かったことの一つとして、緑牛駅という漫談を見られたことがあげられる。、


その時代に生まれてたら竹の子族を批判してた自信がある。
ヒッピー文化は微妙なとこ。なんやかんやゆうて表向き批判しつつそんな嫌いじゃないみたいな感じやと思う。

準備に少し労力を要すから今年度はやんないけど、断糖高脂質ダイエットは狩猟社の理念っぽいとこがある点が好き。

生活リズム終わってる時、外で夜を越したくて、最近頼みの綱のコメダがわけもなくすぐに追い出してくるから、深夜営業してるカフェ!とかを紹介してるサイト見るんやけど、ほとんど23時半とかで閉まる店を紹介してるサイトが割と多くて頭おかしいんかなと思う。そのサイトが引っかかるようなワードで検索して、そのサイトを観にくるような人の需要に絶対こたえられてないだろ。
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空腹過ぎる時に食べたモノは美味しいに決まってるため、人にすすめるなら、空腹すぎるわけではない時に食べた上で考えるだけど、やはり空腹過ぎる時食べたイメージが残ってて贔屓目に見てしまう。これは人に音楽や漫才や本を進める時と少し似てるよな。初鑑賞がどういう精神状態の時だったか。どういう素地を自分の中に作ってきた上で鑑賞していたか。こういうのに感想が規定されるし、2回目以降とかだと必ず初鑑賞ではないという事実の影響を受けるから。


僕の中にも確実にある種の真面目さは存在してるんだけど、確実にメチャメチャ苦手な真面目さというのもあって、これらをうまくカテゴライズできるような指標を言語化したい

こういうアイテムが欲しい!という明確なイメージを持ってわざわざ買い物に行って無かった時の救いがたい徒労感に耐えられない

結局、パッと見つからんかったらそれはもうないものだと了解しないといけない。見落としてるだけだ…と思って往生際悪く何回も探す時間が結果として見つからなかった時の精神を悪化させてる。

確実に、入試の論述試験の字数対策やそれっぽい書き方が、オタキカルな文体を自然と使ってしまう傾向を助長している。

食べることにより肥満への道を幇助してくるような食べ物で、食べて多幸感に包まれないようなモノを本当にカケラほども食べたくない。

最近ようやく自分が「認知の歪み」なるものを有してることに自覚的になった。
そういう前提の中で何か考え方を矯正しようとしてもそりゃ歪になるわけだよ。
「認知の歪み」矯正プログラム的なものに従うべきなんやろうけど、それはそれで怖い感じもする。こういう思考回路になる自分は結構嫌なんだよ。合理的ではないから。そもそも僕は割と感性タイプの人間らしいねんけど、合理的でありたいという感情を持ってる。合理的なことが素敵だというイメージを持ってしまってるんだな。それがまた感性的ではあるんやけど。話が脱線した。というわけで、認知の歪みなんてプログラムに従って矯正するに越したことがないに決まってるのに多分、そんなことしたら僕が僕でなくなってしまう&歪んだ認知が理想としてる自分をやっぱり目指し続けたいし、、みたいな感情が芽生えてしまう。これって合理性を欠いてるよな、という。
例えば、なにかと原理主義的になって、判断してしまうこととかかなり歪んだ認知だよな。建前を許容できないわけだよ。原理主義的なことって絶対「正しい」わけで、でもそうじゃないように振る舞う人間社会の欺瞞性に耐えがたくなるわけ。
そもそも誰もが多かれ少なかれ歪んでて、その平均値が一般的な認知観なわけで、でも一般的な認知だと普通の人しかなれなくて多分、そもそも宇宙で「正しい」ことなんてなくて、「正しい」っていう概念自体言語によって初めて定義されてはじめて存在しうるわけで、うーんという感じになる。でも、なんにせよ生きづらいのは良くないとは思うから、それはなんとかするべきだ。


普通に内容面に関して小池百合子カルタ本当に気持ち悪過ぎる。何回読んでも慣れない。批判したら作った人に失礼とか全く思えないそんな感じ。僕にとっての全ての「苦手」がそこにあった。

将来もし僕が有名になり、もし映画等への出演を打診され、その役が「嘔吐する役」なら演技前にあのカルタを5回くらい読むというレベル。

確かにそれで外圧によってのみ達成されるような諸改革は進んだのかもしれない、
が、
COVID-19はあくまでも触媒に過ぎず、何も二酸化マンガンを含んだ液体をH2Oと呼ぶわけじゃないという考えを持っている。

それをさ、COVID-19があるからこそリモートワークや働き方改革が推進できて、これは嬉しいことだ!みたいな
小池百合子カルタをキショイと感じたのはそこやねんな。僕ね、あんまキショイって言わない。語感が嫌いだから。でも、ここはキショイしかなかった。
千葉雅也がすごく共感できるツイートをしてた。ウィズコロナじゃないんだよと。ちゃんと今までの日常が失われてることを嘆くべきだ、と発言したってツイートしてたよ。

あとなんやろ、小学校時代に学校が推進してる運動や学級委員とかが作ったポスター的な真面目感と真面目的勢力がユーモアだと思って加えるエッセンスが死ぬほど苦手でそれが満載だった。

あとリモートワーク全員大好きみたいな書き方だという印象を受けた。僕がひねくれた見方をしてるだけかもしれんが、あれも気に食わない。