自己肯定感のウチとソト

世は空前の心理学ブームだと思う。

元々心理学なんて、
プロ以外だと、
恋愛工学に詳しいような人たちが、それらをより深く知ろうとしてかじってたイメージだった。

僕が、この心理学用語「自己肯定感」を知ったのは、多分
逃げるは恥だが役に立つというドラマだ
要は、僕は、自己肯定感という語に関しては割とニワカだということだ。

それに、必要以上にこの語。連呼したくないと思ってる。なんでそう思うのかはわからない。
連呼したくないが、それでも色んなことの説明にあまりに便利だから、かなり多用してしまうのは事実だ。

ただ、最近思うのは、便利だけど完全に使い勝手が良いわけではないということだ。
それは自己肯定感には内なるモノと外なるモノがあると思うのだ。
そして、自分に関して言えば、内なるモノは相当高く、外なるモノはそんなに高くない。

まずは、ウチなるモノに関して。
一言で言うのは難しい。
自分の中で何かものを考える時に前提となる自分に対する自信があると言うことだ。
人と接してて、相手に対してそういう風には見せなくても、自信を隠し持ってたりする。
また、現実にはまだカスでも、いつかビックになれるだろう自分は、みたいな、潜在的なものへの自信もそうだ。

一方、あまり高くない、ソトなる自己肯定感。
僕はまずそもそもイキリが嫌いだ。
少しでもイキリ認定されるような言動は避けたいと考えている。
さらに、
対人関係においてや大勢の前で話す時とかに、自分に自信がある前提で話すのは気がひけるというのもある。
他者に対して、自分はすごいんだぞと示せる証拠や、評価される自信がある何かしらのアイテムがないのだ。

簡単に言うと、家の中で飼っている大イキリ君を、他の人にバレないように自宅の奥の方の部屋に閉じ込めて可愛がってるのだ。

まぁこうやってTwitterとかブログで自分の考えを、既出かもしれないのに、堂々も発表できてしまってる時点で、外向きの自己肯定感は高まりつつあるとは言えるけど、