デブというコトバ

デブという言葉が嫌いだ

僕は自分が太ってる状態がものすごくストレスだし、また太ってる人を見るとなんで痩せないんだろうと思ってしまう。それは自分がかつて太ってたのに一時痩せて、リバウンドしつつあるといえども着痩せするレベル自体は普通に保っているからである

しかし、まぁ2019年5月現在僕は小太りである。それはスレレスである。維持するのはなんてことないが、脂肪を落とすにはそれに集中する必要があり、僕は血糖値が低いと勉強に集中できないため、それは与沢翼みたいにその期間だけはダイエットに専念する必要があるけど、それは東大に通ってからやろうと思う。

で、太っていても尊敬できる人は沢山いるけど、そういう人たちを太ってるという理由で評価を下げはしないけど、やはり痩せてるに越したことはないと思うし、やはり第一印象は悪いし、苦手な人間が太っていると非難する一つの理由にしてしまうことすらある。デブ専だっているのに。非常に主観的な意見だ。しかしこればかりは仕方がない

このように、太っていないことを人生において重視している僕だけど、どうも「デブ」という呼称は使いたくないし、聞きたくもない

濁音が重なるのが耳に悪いというものある

しかし、これは僕が小5の時に塾の国語の授業で弊社だとか愚息といった自分を蔑む表現を扱った際に、愚息の類語で豚児というのをやり、豚児というのは別に太っているという意味はないけど、クラスの奴に当時太っていた僕は豚児と呼ばれ、しばらく呼ばれ続けていて、それがものすごく嫌だったというのがデカイ気がするする

太っていることを示す表現として、単に「太っている」よりも侮蔑的な代替表現を使うことへの抵抗が、この経験により生まれた気がするのだ