陰キャ陽キャ

僕はこの陰キャ陽キャの二元論があまり嫌いではない

「キャ」はちょっと嫌だけど。だだ集団というモノを俯瞰して見た場合、各個人をキャラクターとして捉えてるというイメージを持てるし、シンプルに性格という意味でのcharacterとしても取れる

しかし、この二元論には当然限界がある。ただ大雑把な話をする時にとりあえず、こうやってくくるのは便利だね!と思うのだ

少し、細分化した話をしよう

思うに、各個人に内在している陰キャ陽キャ性というのは内向きのモノと外向きのモノがある

そして、それぞれに願望であったり限界(これ以上のパリピになってしまうのは流石に厳しい、みたいな)、外向きの中なら相手に求めるモノ、その方が楽だと感じる、などの要素があると思う

全ての要素が陰陽どちらかの人はいるだろう。そういう人はおそらく、少なくともこの問題に関しては楽だと思う

問題は、混合してる場合だと思う。例えば僕もそうなんだけど、やはり所謂パリピなどをどこか冷ややかな目で見ている一方で、たとえば学校でなら、ある程度スタンダード?な存在でありたいという願望もある。しかし、集団で群れていると息苦しさを憶えたりもする。そうした狭間の中で苦しむ人間がおそらくこの世の中には多いし、だからこそ二元論的説明には限界もあるのだ