本質が見えていないということ

それが良いのか悪いのかは一概に言えない

ただただそういう印象を受けるということだ

僕はこのことにすら高2くらいまで気づけず、「ありえん良さみが深いw」などと流行りに与して無意識に言っていた

実に愚かだった

ただただ流行りに与して、無意識・無自覚だったという点が愚かだった

当時の僕は、この表現が、どのような効果をもたらすかにまで気がいってなかった

それに気づいて以来、いや正確には後輩に指摘されたからなんだけど、そういった表現を極力避けるようにはしている

しかし、自分は、最近「〜感じがある」みたいな表現を多用していることに気づく

根本的にはなんら変化していないのだ。結局は無意識のうちに、感情の所在を曖昧にする表現を好んでしまっているのだ

これでは、意識的に「〜み」という物言いを避けている意味がほとんど無いといえる

本当に本質が見えていない。だいたい婉曲とまではいかないけど、感情の所在を曖昧にして何が悪いのだ、という気もしてくるし、とりあえず意識的に「〜み」という物言いを避けるのはやめようと思う