そうとしか言いようがない
まさに、陰キャ性というやつが、凝縮して。そして炸裂した。
最近、
社会的場面を経験してなくて、
行動を誤ってしまった
予備校で
9時からチュートリアルという説明みたいな時間がホームクラスであり、
10時から、教室を移動して、秋からのテキストを受け取りに行く、
そんなイベントがあった。
10人くらいいる僕のクラスで女子3人くらいが
ずっと群れて喋ってる。それはすでに了解してたことだ。
チュートリアルが終わった後
8階から4階まで階段で降りるのだ。
全部わかってたことだ。
教室にはcovid-19対策で入り口と出口が設定されており(感染拡大対策には一方通行が良いというのだ。バカバカしい。)、後ろが出口。僕だけ律儀に後ろから出た。これがすべての間違いだった。
喋ってる人間は歩くのが遅い。
前を男どもが歩き、
その後ろをを群れて喋ってる女子が歩いて、
さらにその後をクラス最後尾として、僕が歩く。こういう次第になった。引率みたいだ。三浪だし。
たった4階分だが、割と長い。なんせ前を歩く女子達は歩くのが遅い。横に広がってるし、なんか上りと下りで歩いて良い側が決まってて抜くわけにもいかない。
微妙な距離を取りつつ、粛々と歩くのだ。
4階分階段を降りる。その何をするわけでもない長さの時間が良くない。
一人でスマホ触りながらっていうのは嫌だ。別にその時スマホを触る用は無かった。それに歩きながら、スマホを取り出すなんて、気まずいから取り出したに決まってると思われる。
視線をどこに向けておけば良いのかわからない。
鞄にThe Catcher in the Ryeが入っていたが、
いきなり歩きながら取り出して読み出したら、いよいよ頭が変になったと思われてしまう。
秋以降の時間割表を熟読しながら歩いた。既に頭に入っているのに。
この4階分歩く時の、気まずさ。言語化を巧くできないのがとても悔しい。言葉を使って人に伝えられてるのは、実際の一千万分の一だと思う。
ホント何回も階段は折れるから、単に後ろを歩くとかよりも厳しい。前を歩く人間達は、横目で僕の姿は目に入るはずだ。
群れないのは強さなのだ。そうハッキリと確信した。
その強さを真の意味で手に入れようとしている。
最近、伏し目がち、の本当の意味を知り、その奥義を会得した。
僕が他の社会的場面で、今の僕が他の人間から見なされていたように、僕が見なしていた人物は、もしかしたら僕みたいな人間かもしれなかったのだ、ということを再度認識した。
もし同じクラスの子が見てたら申し訳ないとは思う。
でも、こういうことをインターネットに書いて昇華するしかない
そんな恥ずかしい人間なのだ僕は。
了