傘(一)

それは2019年7月にあった、ある予備校の夏期講習の四日目のことだった。

四日間連続の講座だ。英語の講座だった。そして、その最終日がその日だったというわけだ。

両隣の人間は毎日同じだ。
かといって、普通、言葉を交わすことはほとんどない。
予備校の教室で隣になるということは、電車で、隣の席に座ることと、そう変わるものではない。状態としては。

偶然同じ列車に乗り合わせた人間に話しかけることは社交性とは呼ばない。それがこの社会で共有されている通念だろう。
儀礼的無関心というやつだ。

基本的に僕も隣の人間なんかに関心は払わない。ある一定の基準を満たした女性の場合は別だけれど。しかし、両隣は男だった。

それでも、挙動は目に入る。左の男はいくつか、特筆、というほどではないけど、僕の目にとまった特徴がいくつかあった。

僕は多汗症だ。しかも類稀なる。夏はみんな汗をかく。しかし、僕のそれは一般人の比ではない。そして、自分くらいの多汗症の人間かどうかというのは、なんとなく、その人を見ているとわかる。

教室は冷房が効いていた。この多汗症の僕が半ズボンだとつらいくらいだった。そんな中で彼は頻繁に扇子で仰いでいた。親近感がわいた。僕もミニ扇風機でさりげなくアピールしたつもりだった。

また僕はアマゾンの欲しいものリストを「オンライン積ん読」と読んでいるのだけれど、これに入っている本の著者の中に、飲茶という人物がいる。彼はその人物の著作を毎休み時間読んでいた。会話の糸口としては十分すぎる。
しかし、僕は飲茶をそのまま「やむちゃ」と読んで良いのかわからず、また、それを検索したところでハッキリとわかんなかった。
だから、その件で話しかけるのは躊躇っていた。あるいは、それを、単に、話しかけないための理由にしていただけかもしれないけど。

また僕は本来は禁止だけど、彼の授業を録音している。そうでないと復習できないからだ。そして彼もiPhoneで授業前密かに録音開始してるかのように見えた。
同じだ、と思った。

オペラグラスというものがある。これは簡単にいうとミニ双眼鏡なんだけど、授業中黒板の字が見えにくい場合に使うものだ。僕はその講座の担当の講師の授業を受ける時はいつもこれを必要とする。字が薄くて見にくいからだ。しかし僕は自前のものは持っていない。毎回予備校で貸し出しているものを借りに行く。だから時々オペラグラス返却待ちの列に並ぶことになる。
その彼は自前のオペラグラスを持っていた。金と黒のなかなかゴージャスなデザインのモノだった。これに関しても言及したくなった。

さらに彼の夏期講習の受講証をチラッと見たところ、僕も取っている同じ古文の講座を取っていた。複数期間で開講されていて、同じ期間のものかどうかはわからなかったけど。やはり親近感がわいた。ある講師のオリジナル講座なので適当に取ったわけではないだろう。

そもそも、僕はこの講座が最初取れなかった。その予備校の校内生ではないからだ。人気講座なのだ。校内生が優先的に取ることができるのだ。それでも、毎日キャンセルが出てることを願って、根気よく電話をし続けた講座なのだ。その講座を選んでいるという時点で一定の親近感はわく。たとえどんな奴であれ。

三日間講習を隣で受けていて、彼から受けた印象は、ざっとこんな感じだった。

傘(二)に続く(ブログのホームで傘(四)まで連投している)