謎の気遣い

小4くらいの時、父が大学の部活のOBとしてラグビーの試合を見るために夏に行っていた兵庫県北部の神鍋という街に、父に随行して行き、そこでトノサマガエルを20匹捕まえて家に持って帰ったコトがあった。

今では死という別れがつらいためペットは飼わない主義だけど、当時はそれより飼育欲が優っていたのだ。

飼育は大変だった。でかい水槽にコケを半分は敷き詰めて、半分は水を張り、また隠れ家などもたくさん入れた。餌は動くものしかダメなためコオロギを頻繁に購入。エサのコオロギを育てるためのゲージすら用意した。また頻繁な水換えも必要であった。

中学入試を控えて、世話もままならないため、確か小6の夏くらいに堺市にあるとある池に不法に放流してしまった。その時点で16匹になっていた。つまり4匹はpass awayしたのだ。よく考えると4匹でよく済んだなという感じだが、当時の僕はカエルの卵がみたい!オタマジャクシがみたい!と考えてたので残念でならなかった(一回ボウフラがわいてオタマジャクシと勘違いしていた)(そのボウフラを流してしまい母親が間違って反省していたこともあった。)

この4匹雲隠れになったという事実は僕も母親も知っていたが、お互いの間で共有されることはなかった。

1匹目の死を目撃したのは僕だ。明らかに小さい個体で、周りの競争に負けてる感じがあり、どんどん衰弱してる感じがあった。それを危惧して触っていたら、触り過ぎてしまった。カエルは触りすぎると衰弱してしまう。触ってるうちに、さらに動きが緩慢になり、ヤバイなぁとは思った。

母親はカエル日記をつけていて、しかも、必ず毎日通る階段の横に置いていた。それを僕に読まれてると知っていたかは定かではない。僕は読んでいた。

僕は1匹目の死を知りつつ、現実を直視できない悪い癖から少し放置してた。するとその日の夜の日記に、カエちゃんが死んでた、的な記述が。

ほかの3匹もそんな感じで書かれてた。全て多分僕が先に看取って、見て見ぬ振りをしてたら、遺骸が気づいたら母親により除去されてたという感じだ。我ながら無責任な子供だったと思う。

そして、暗にその話題を出すと、母親はそれに触れないし、触れようとしてもどこかに逃げちゃったみたいなことを言ってきた。

小学生の高学年の息子に、ペットのカエルの死はトラウマになる、刺激が強すぎる、とでも思ったのだろうか?今、当時の母親より明らかに若い年齢の僕であるが、ふつうにそういう状況になって、そういう判断をするべきでないと思う。僕はこの母親がした、気遣いのつもりのようなものをオカシイと思う。しかし、世間的にどうなんだろうか。広く意見を求めたいなと感じる案件である。