傘と潜熱【二浪時夏期講習】

何も考えずに書いたこっち

http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2019/08/08/000147
の改訂版。

どっちが良いだろうか。改訂前の方が良い可能性があるんよな。


「傘と潜熱」

(一)

2019年の夏
つまり2浪時のこと。

僕は1浪時、御茶ノ水にある駿台という予備校の通年のコース(学校みたいなカリキュラムが組まれてる)に通っていたが、2浪時は年間通しては通わず、夏期講習だけ受けに行った。

講座は3つ取り、そのうちの1つ目の時の話。7月の上旬だった


講習の最終日4日目の天気はかなり微妙で、決して大雨ではなく、断続的に降ったり止んだりという予報。傘が全面的に不要ということは無さそう、みたいな。殊、雨傘に限定するけど、あれほど雨が降っていない時に邪魔なものはない。帰り道だけ晴れている時などつい捨ててしまいたくなってしまう。
晴れている時、つい傘を杖代わりに使ってしまって歪んでしまうことがある。勿論広げてる時に暴風で歪むこともあるけど、。
家を出る際、後で降るかどうか微妙だと最悪出先でお金を出して買えば良いと思うこともある。しかし100円や200円のものは見ない。使い捨てくらいの気持ちで出先で買ったビニール傘も、数回使っているだけで愛着の萌芽が発生していることもある。
傘にこだわり、気に入ったものを使い続けられるというのは、その人が何かを受け入れた人物である証左の一つではないだろうか。修理するまでして一つの傘を使ってみたい。一度壊れたものを修復するという営みを通してさらに愛着は増す。出先で買う傘にこだわりを発揮できない。そこにそれが売ってあったから買うのだ。

ところで、傘ってあったからといって無敵になれるようなものではない。むしろ傘って割と無力だ。濡れるのが嫌過ぎて室内に閉じこもってしまう日も多い。

(ニ)

予備校の講習で両隣の人間は毎日同じだ。かといって、普通、言葉を交わすことはほとんどない。予備校の教室で隣になるということは、電車で隣の席に座ることと、そう変わるものではない。状況としては
偶然同じ電車に乗り合わせた人間に話しかけることは社交性ではない。儀礼的無関心。それがこの社会で共有されている通念だろう。多分

基本的に僕も隣の人間なんかに関心は払わない。その講習では両隣は男だったし、特に。

それでも、挙動は目には入る。
左の男に関して言えば、特筆するべき、というほどではないけどいくつか気になった点があった。


まず、僕は多汗症だ。しかも類稀なる。
夏は皆汗をかく。しかし、僕のそれは一般人の比ではない。
そして、自分くらいのレベルの多汗症の相手というのはなんとなくその人を見ているとわかる。

教室は冷房が効いていた、かなり。この多汗症の僕が半ズボンだとつらいくらいだった。そんな中左隣の男は頻繁に扇子で仰いでいた。親近感がわいた。僕もミニ扇風機でさりげなくアピールしたつもりだった。暑がりさの誇示


僕はAmazonの欲しいものリストのことを「オンライン積ん読」と呼んでいる。このリストに、飲茶という名前の人物による著作があった。彼は飲茶の毎休み時間読んでいた。会話の糸口としては十分すぎる。
しかし、僕は飲茶をそのまま「やむちゃ」と読んで良いのかどうかわからず、また、それを検索したところで、なんだかよくわからなかったため、その件で話しかけるのは躊躇っていた。あるいはそれを単に話しかけないための理由にしていただけかもしれないけど。逃避の正当化


オペラグラス。
僕はこの華美な響きを一浪時にこの予備校に入って初めて知った。

言ってしまえばミニ双眼鏡のことで、授業中黒板の字が見えにくい場合に使う。僕はその講座の担当の講師の授業を受ける時はいつもこれを必要とする。字が薄くて見にくいからだ。しかし僕は自前のものは持っていない。毎回予備校で貸し出しているものを借りに行くのだ。だから時々オペラグラス返却待ちの列に並ぶことになる。
その彼は自前のオペラグラスを持っていた。金と黒のなかなかにゴージャスなデザインのモノだった。これについても言及したくなった。


彼の夏期講習の受講証をチラッと見た。僕も取っている古文の講座を取っていた。複数期間で開講されているため、同じ期間のものかどうかはわからなかったけど。やはり親近感がわいた。

そもそも、僕はこの講座が最初取れなかった。この予備校の校内生ではないからだ。人気講座なのだ。校内生が優先的に取ることができて、基本的に校内生だけで埋まってしまう。それでも、キャンセル待ちの電話を根気よく毎日のようにかけ続けて取った講座なのだ。その講座を選んでいるという時点で一定の親近感はわく。たとえどんな奴であれ。実際が


三日間講習を隣で受けていて、彼から受けた印象は、ざっとこんな感じだった。だからと言って話しかけたりはしなかった。人見知りとか関係なく、普通のことだと思う。

(三)

講習四日目の昼下がりは軽く雨が降っていた。降り出したのだった。

予備校の建物に入ろうとした時、女の子が、丸めた上着で頭で抑えて雨を凌ぎながら、入り口の階段を駆け降りているのが視界に入った。見た目が好みだった。
きっとコンビニにでも行くつもりだったのだろう。幸い僕は傘を持っていた。僕は今から予備校という屋根のある場所に入るわけだから傘はしばらく要らなくなる。どうせその子もちょっと行って帰ってくる感じだろう。もし良かったら…!とか言って、傘を手渡し、食事室にいるから後で返しに来て…!などと言ったら……みたいな想像をする。あくまでも想像を
勿論、そんなことを考えているうちに、その子はどんどん予備校から遠さがっていった。気落ちしながら、講習が行われる教室に入った。通常運転。むしろ変なムーブをせずに済んで良かった。そういったことをするのは激キモコミュ力の発現だと僕は考えている。僕に限らずだろう。何を当たり前のことを、という感じだ。

少し食事室(フロンティアホールと呼ばれている。)でゆっくりした後、講習のある教室に入った。

授業が始まっても例の左隣の男がどういうわけか来ない。

この日は授業開始直後脳の働きが鈍っていた。昼食を食べ過ぎたからだろう。「仮定法過去完了」を何度も「過定法過去完了」と書いてしまっては書き直すという具合に。そして録音をしているという安心感からその脳の鈍りに身を委ねてしまっていた。

左隣の男が来たのは授業開始25分後くらいだった。

一限が終わった後、彼は僕に自分がいなかった時の分の板書を見せて欲しいと言った。若干は予想していた展開である。期待していた展開でもある。そして、同時に危惧していた展開でもあった。それは僕の中で様々な複雑な事情が絡み合っていたからだ。

僕はささやかな完璧主義者だ。基本的に、聴き漏らした部分や理解が十全でない部分は録音を聴いて、必要があれば授業中に取った板書やメモにさらに書き加える。もし人に見せて欲しいと言われても、出来れば自分の満足いく状態で見せたい。これは相手に対する思いやりというより自分に対するプライドだろう。実に不要だとは思っていた。しかし2浪時まではこういったスタンスを捨てる勇気はなかった。
(いや録音は本来禁止なのだけれど!しないと安心して授業を受けられなかったから!バレないように!せずにはいられなかった!)

勿論相手にそのようなことは言えない。きっと、そんなことを相手は求めてないから。それに意味がわからないと思う。正直怖いだろう。そんな講習で隣の席になっただけで、そこまで完璧なノートの提供を申し出たら。だって、そこまでする理由が普通はわからないから。僕の、相手の要求に対して過剰な努力をせずにはいられない、という性質が出てしまっているのかもしれない。いやそうだろう。

そうでなくても、僕は字が汚い。ふつうに字が下手なのに加えて、授業では板書のみならず、できるだけ授業中に多くの情報をメモりたい派だ。そしてその講師は特に授業スピードが速い。あんな時間当たりの情報密度の高い授業を他に知らない。当然字は雑になる。僕は基本的に自分が読めさえすれば良いというスタンスだ。

また、僕は後で調べようと思ったことをメモるようにしている。倒置の例でforget me notと出てきた。尾崎豊 とメモった。彼の曲名にあった気がするがこの語順だっけ?と一瞬なったから。こういったものも見られてしまう。見ても「???」となるだけであろう。

僕としては、彼の不在時の部分を録音を聴きながら綺麗な字で清書し、もし同じく取っている古文の講座のタームが同じであれば、その時にでもコピーして手渡す。もし古文の講座が違えども連絡先を交換し、僕の清書が完了し次第、写真に撮って送る。これでも良いわけだ。こういった在り方が、今回のノート提供における理想の形だと考えていた。もちろん机上の空論だ。現実には提案しにくい方法である。なんにせよ相手からしたら意味がわからない“過剰さ”があるから。しかし相手の方からそういったことをいうのは図々しいと思うだろうし、やはり僕がそういった提案をするべきではあったのだと思う。

隣の席の奴が今日の授業の最初から来なかった時点で、こういった展開になることは薄々気づいていたのだ。板書提供要請という状況の発生可能性がそれなりに存在していること、それを了解しながら、脳の鈍りに身を委ねた自分の愚かさが哀しい。多少意識的になれば、まだマシなノートを見せられたかもしれない。連絡先云々の展開に進められないのは、わかっていたはずだったのに…。

(四)

彼のノートを見せて欲しい、という要請は当然ながら快諾した。
しかし、写真にでも撮れば……くらいのことしか言えなかった。

彼と言葉を交わして関西風のイントネーションを感じた。僕も関西出身であるため親近感がわいた。

さらに彼が講習に遅刻した理由は寝坊だという。我々がまさに絶起(絶望の起床の略)と呼んでいるものだ。絶起と言いたかったが、通じなかった場合白けるし、なんにせよインターネットオタクだと思われるのでやめた。それはともかくとして僕も「絶起」をよくするのでさらに親近感がわいた。彼は8時に一度起床こそしたが二度寝か何かをして16時に起きてしまったというのだ。まさに僕がよくするタイプの「絶起」ではないか。数ある絶起の形態の中でも最も親近感を憶えるタイプの絶起だった。

彼は四国の出身で、東京のこの予備校の通年のクラスに通っている校内生らしい。おそらく寮生だろう。そういった会話の糸口も浮かんだのにも関わらず、そのような話題を最後まで振ることができなかった。


彼は、なぜか、開成高校の人とかほとんど浪人しないんだろうな、的なことを言い出した。なぜ突然そんな話を始めたのかは謎ではある。彼なりの会話の始め方だったのかもしれない。

そして僕の出身高校がどこか聞かれた。正直に答えた。こういってはなんだが、名門である。極めて。彼は驚いていた。

灘は中高一貫校ではあるが高校からの編入がある。僕が中学からの入学か高校からかを聞かれた。中学からと答えた。彼の出身高校も同形式で彼は高校かららしい。
彼は高一の時の中学受験組に追いつくための勉強が大変だったという。そんな自分がなんで浪人せなアカンねん、と呟いた。僕はそんな気持ちになったことがない。きっと命を削って勉強したことがないからだろうな。なんだか浪人生として生きていて申し訳ない気持ちになった。単に僕の自責思考が強いだけかもしれないけどさ。

その後、僕は前の三日間で感じていた気になったことを色々話してみた。講習で隣の人の喋るという珍しい状況が発生している。


彼は休み時間の度に、猛然と僕のノートの写真を自分のノートに写していた。前述の通り僕のノートの字は大変読みづらい。そのため、時々何と書いてあるのか、という質問を受けた。

そんな中で、希望の綱であった古文の講習の日程について尋ねてみた。同じであれば先程の僕の世話好き風な提案もしやすい。しかし、違うタームだった。

そして、その時。取ってる古文の講習のタームが違うと判明した時。彼はこう言った

「まぁ、もう会うこともないやろ。こういうのは一期一会や」

何故そんなことを言うのだろうと思った。
確かに事実ではあるだろうけど。僕は彼に恨まれるようなことはしていない。決して彼の口調は冷たいものではなかった。きっとあまり何も考えずに言ったのだろう。単に一期一会と言いたかっただけなのかもしれない。しかし、僕はなんとも言えない切ない気持ちになった。

さらに志望校を聞かれた。東京大学文科三類だと答えた※。彼は、文三に行く人は実家に余裕があって、みたいなことを言い出した。またしても、なぜ、そんなことを言うのだろうと思った。僕がこの手の話題に敏感なだけかもしれないけれど。異常に
※僕は結果的には4回東大を受けて一度も文三を受けなかった(僕がこの文章を書いている今は4浪中)。しかし2浪の夏の時点で、たしかにその年文三を受けるつもりでいた。

彼は通年でこの予備校に通っている校内生なわけだけれども、そんな彼に通年の授業の教室で隣の席の人間と喋るか?という質問をした。
なぜ、そのような話をしたかというと、予備校の講習で喋るのは珍しいという話をしたからだ。彼は、これが初めての講習会だから相場はわからない、的なことを言った。つまり彼は一浪なのだ。
彼は通年のクラスでは隣の人間と喋らないこともないらしい。僕にノートを見せてほしいと言ってきたのも偶然その講座の受講者の中には知り合いがいなかっただけで、予備校に知り合い自体はいるようだ。ただ隣の席が女性の場合はまず喋らないとのこと。
それに因んで、僕が出身高校は男子校であることを指摘された。そして、お気の毒に、と言われた。

余計なお世話である。

強がりではない。高校卒業から一年以上経って僕の中で醸成された考えは、少なくとも自分という人間は中高の人格形成期を男子校で過ごして良かったというものだ。これが男子校出身者の総意では決してないだろうし、僕だって自分自身に関しての考えが今後変わるかもしれない。しかし、現時点で僕が出してる結論は、少なくとも自分にとって中高男子校が最善の選択だったということだ。これは、かなりの紆余曲折を経て色々考えて出した結論だ。僕は中2の時分には共学に転校することを切望していたし、そういった胸の内を中学受験の塾が同じだった女子に語ることもあった。青春群像劇への憧れは中高を通して、いや2浪時も強く持ち続けていた。そういった精神性を持ちながら、自分にとっては中高時代、少なくとも学校生活を送る場に女子がいなくて良かったと確信していた。
その理由を完全に説明するには一万文字は軽く必要だから、ここではその詳解は割愛するけれど、男子校出身生活エアプが軽々しくそんなこと言わないで欲しいという気持ちがある。勿論僕だって日常生活においてエアプのくせに軽々しくモノを言ってるようなことは沢山あるんだろうけれども……。

(五)

講習が終わりいよいよ帰ることとなる。講習最終日。本当に彼と今生の別れになるかもしれない。彼がこの予備校で属しているのは東大の理系を目指すコースだ。志望大学は文理が違うといえど同じだ。共に合格すれば同じキャンパスに通うことになるけれど、受験の世界は甘くない。特に東京大学は難関だ。共に合格することを確実視した前提で話をすることはできない。

隣の席だし、ぽつらぽつらと言葉は交わし続けていたので、彼と一緒に教室を出ることとなる。

教室は六階で、降り方の選択肢はエレベーターと階段があったが、自然な感じで二人で階段を降りることになった。彼もそれなりに僕と会話して過ごす残り少ない時間を引き伸ばすことに意欲的だったのかもしれない。


この予備校に関するWikipediaのようなサイトがある。そして前述の通り僕は二浪である。一浪時に、この駿台御茶ノ水に、校内生として属していた頃から、そのサイトを熟読してきた。通年のクラスの講師陣の名前なども載っている。そして、二浪して通期のクラスには属さなくなってからも、このサイトは時々見に行っている。彼の属しているクラスの講師陣もほとんど把握していた。これは本当に多浪にありがちな予備校参考書マニア的趣味からきてしまう激キモムーブだ。受験関連のコアな固有名詞な情報に触れるのが純粋に好き。そういったものに好奇心を持ってしまう

そのせいで、会話をかなり先回りして、彼に通年のクラスに関するかなり具体的な話をいきなり振ってしまうなどした。そして、話が噛み合わないという事態が発生した。とても気まずかった。まだ六階から五階に降りる段でそんな感じになってしまった。

その後、とりとめもない話をしながら降りて行った。

二階でふと気付いた。六階の傘立てに傘を置いたままにしてきてしまった。

僕は傘を盗まれることに対する警戒心が強い。濡れることがとても嫌いだからだ。というか人々の意識の低さに日々愕然としている。傘立てなんて軽犯罪の温床である。傘立てにさされている傘を公共財産だと思っている輩は思いの外多い。そもそもどれが自分のやつなのか透明のビニール傘だったらわからない。僕は盗みにくいように記名し、さらに前日なんてウェットティッシュの空き袋をかぶせておいた。これなら取らないだろうという魂胆だ。このくらい異常なことをして初めて傘立ての傘なんていうものは守れると信じている。

僕はそういった精神性を持つ人間である………。

しかし、だ。ここで傘を取りに行くなんて言ったら…

彼は待ってくれるかもしれない。でも待ってくれないかもしれない。

僕が彼の立場ならどうするだろう。きっと待つだろう。しかし、僕と彼は違う人間だ。特に今日少し喋ってそれを感じたわけだ。そうでなくても自己と他者は区別しなければならないのに。それに僕が三日間彼に対して感じていた感情は双方向性を持つものではない。当たり前だ。彼にとってたまたま右隣の席に座っていたから、ノートを見せてくれた単なる受動的良い人の二浪にすぎない。

どうだって良いのだ。彼にとって僕は出先で買った300円のビニール傘みたいなものだ。もはや拾った傘かもしれない。disposalな人間関係。

仮に待ってくれたとしても何を思うかわからない。広義の友達にすらなれていない関係が持つ哀しさがここにある。

もし待ってくれなかったら…。だって彼にそんな義理はないのだから。意味もあまりない。僕はどうしようもなく哀しい気持ちになると思った。傘を取りに行く、と言ったことを後悔するだろう。これから先、その傘を見る度にそのことを思い出してしまうだろう。

もし彼が待たないと言ったからといって、「あ、じゃあ傘いいや」とも言えない。そういうものだ。彼は、何故この人は傘を諦めてまで自分と一緒に駅まで歩きたいのだろう、意味がわからず怖いと思うかもしれない。そして、その後一緒に歩いても、このことのせいで、より気まずい雰囲気が流れるだろう。

こんなことになるくらいなら、勇気を出して、予備校に今日来た時に入り口で女の子に傘を渡して、しばらく借りパクされときゃ良かった。記名だってしてるんだし。そんなバカなことも思ってしまう。

僕は一人で予備校から駅まで歩くのが嫌だったわけではない。むしろ、そういうのは得意だし、一人で帰るのが嫌という人は相容れないと思ってしまうことすらある。僕はそういう人間だと思う。少なくとも自分の中の寂しいという感情を何故か憎んでいる。まぁそんな人間ほど本当は寂しがり屋なものだけど。

それでも僕は、彼と、この状況で今生の別れになるかもしれないのが嫌だったのだ。

良いじゃないか濡れるくらい。彼とは「一期一会」かもしれないんだから。一緒に雨に打たれてみるべきだ。
 
傘自体に関しては記名だってしてるんだ。後で取りに行けば良い。ただ、傘に限った話、記名してるとはいえ何があるかわからない。これで紛失することになったとしても、まぁ、壊れかけだったし良いや、などと思ってみる。

もし外に出て大雨なら、思い出したように、そう言えば傘持ってたわ、と言ってエレベーターで6階まで取りに行こうかなとも思った。
しかし、実はその予備校では傘の貸し出しを実施している。あまり知られていない事実ではあったがもしこのことを彼が知っていれば僕が取りに行ってる間に帰ってしまうかもしれない。


予備校を出る時、もうすっかり日は沈んでいた。街頭が醸す光のシャワー

ただ幸い小雨だった。小雨に打たれながら彼と駅まで歩いていく運びになった。とりとめのない話をしながら歩いた。会話内容を全く覚えていない。内容が相当に薄かったのだろう。僕は数分の床屋談義のために傘を諦めたんだなと思う。

あの傘はもう乾き切っているだろうか。まだ少しは湿っているかな。

彼がどこまでドライに接したいのかも、僕からはハッキリとは分からない。

彼と最寄駅は違った。近いけど微妙に違う場所にある駅だ。僕は敢えて、自分の使う駅の、予備校から遠い方の改札口まで歩いた。小雨に打たれる時間は伸びるけど。今生の別れになるかもしれない、と考えるとやはりタイムリミットは伸ばしたい。僕は彼の名前は知らないままだし彼も僕の名前を知らないだろう。いくらこのネット社会にあっても、名前さえ知らないのはキツい。

来年駒場で会えると良いな、と言って僕は改札をくぐった。

まぁ来年会えてしまうと、一期一会にならないんだけど笑笑……………。

結局、その傘を取りに行きはしなかった。

そして、今僕は四浪している。東大合格は諦めた。

(了)