完食教育

CoCo壱のトッピングで牡蠣フライを注文した

僕は牡蠣フライ、というか牡蠣が苦手だ

しかし、毎冬美味しそうに食べる人たちがいる

必ずやいつか美味しいと思えるようになりたいと考えてる

そして毎冬実は美味しいんじゃないか?と試しに食べては、やっぱりダメだとなる

CoCo壱のトッピングの中では高い方だが、挑戦の場としてかなり向いてるので注文したのだ。今年もダメだった

一口食べて今年もダメだったとなる。後は苦痛な時間だ。四個セット、高いし、食事を残すという自体あんまり好きじゃない。。

半分にそれぞれ割って、半分水で流し込む

学校給食の完食指導を思い出した

僕はこの歳になっても外食で苦手な食べ物であるネギやタマネギが入ってる料理で事前に抜けるのであれば抜く。恥ずかしいと思いつつも、必ず口に出して言う。恥ずかしいと思う必要もないのかもしれないけど

しかし、事前に抜けなかった場合、完食するようにしてる

少し関係ないが米粒も一つも残さない

小学校の完食教育でまずそういうのを正しいという価値観が染みついたのだろう
どちらかというとリアルタイムではなく、後から効いてきたんだけど

親の教育は真逆だったのに

そして、小学校の時どうだったか?完食しない奴なんて周りにいなかった。そしてそんな中でほとんど最下位だった。昼食を早く食べ終われれば終わるほど昼休みは長くなる。しかし僕は昼休みが無くなるどころか、その後の掃除の時間まで食い込み、5時間目になっても苦手な食材と対峙し続けることすらあった

そんな嫌な思い出があるのに、今は完食しないなんてありえないと思ってしまうのだ。他人には強制しようと全く思わないけど、自分の問題として

なぜなんだろう

小学校の時の完食指導は常軌を逸してた。少量の牛乳で苦手な食べ物を飲み込むというのをやらないといけず、まず普通の食事に牛乳というのがどうかと思うが、さらにウォータークーラーで水などを追加するのは禁じられてたため牛乳の配分をうまくやらないといけなかった。そしてそのまま飲み込むのが無理な食材が2つ以上あるともう僕は5時間目まで対峙確定だった

なんなんだろう。たぶんCoCo壱のカキフライが給食で4つ出る、そんなことはないが、たぶんそういう状況ならもう5時間目コースだった。

たとえば葛根湯。給食とは関係ないが、今も当時も無理な味覚だ。僕は今から一日3回飲んで熱が下がるなら普通に我慢して一気飲みできる。当時は無理だった。苦手なモノへの味覚耐性普通に上がったのかもしれない

あと、やはり給食は強制されてたというのが一番でかいだろう
今は世間体を気にして、そのために、一応自発的に食おうとしている。これがでかい

だから、完食指導も何を目的としてるか知らんが、完食を子供ができるようにするためには、もっと自発的に残さず食べないとみっともないと思わせる、注意とかでもなく、自然発生的にそういう感情が子供の中に芽生えるように、そうやるべきだと思う。

これは暗い過去だからあんま言いたくないが、少なくとも僕は完食教育を受けてた当時は塾の夕食時、寿司のシャリを捨ててて(まぁこれの目的はダイエット)周りにシャリポイポイと揶揄されるような、そんな食べ物を粗末にするような精神性を持った子だったし。