逆張lismの通俗性からの脱却 代替案 ゆる募


僕は今年、
逆張り」と言いすぎた。

そして、これ以上言いたくなっている。
こういう気持ちは、
言い始めた頃から既にうっすらとは持ってはいた。
そしてもう限界になりつつある。
投資用語から転じてから久しく、
今や流行語も良いところだ。
流行語としてもそろそろ晩期に入りつつあるんじゃないか。

そもそも、日本語には、天邪鬼という言葉がある。
この言葉は嫌いだ。
なんか嫌いだ。
意味もなく、逆行することが目的だというニュアンスがある。

僕は意味もなく、逆行をしたいわけではないからだ。

確かに、奇をてらったことをしないと、言わないと気が済まないというのはある。
凡庸な発言をするくらいなら黙っていた方がマシだと思っている。
物心ついた頃から思っている。
これは前提としてある。

でも、「逆張り」をする理由として、
その都度その都度、
本当に「順張り」よりも、そちらの方が良いと思っているから、というのがある。
少なくとも感情レベルでそう認識してるつもりではある。
そして、投資用語としての逆張りもそういう感じがある。

だからこそ僕も、この「逆張り」という語を、それ以前からしてきた日常的なそういう営みに対して適用するようになったのだ。
良い言葉を見つけた!と思ったのだ。

しかし、それにしても通俗性を帯びすぎてしまった。
僕自身が連呼しすぎたというのはあるけど。
自分がある言葉を連呼しすぎるという事実自体が割と例外なく嫌なので。

なんにせよ、一般的に見ても、
逆張り、という言葉を発することが順張りになってる感じすらある。

なんか、類語で、この営みをピッタリ表すような言葉はないのだろうか。