打算性に関する自己分析の萌芽

6月24日放送分の月曜から夜ふかしで、「若い頃の自分に伝えたいことランキング」みたいなんをやってた。こんな感じだった

しかしマツコと村上の意見は、これからは翻訳機の性能が高まり、また家でも海外の人とコミュニケーションが取れるような時代なんだから、同じことが今の人に言えるかはわからない。じゃあ3位の人脈になってくるな、という感じだった。そこで村上氏は「人脈はお金で買えない」などという「名言」を放ったんだけど、それはさておき…

僕は、この「人脈を広げようとして広げる」という観念に嫌悪感を覚えるのだ

人脈を広げるコトが目的と化してるのが気にくわない。社交的ゆえに結果的に人脈が広がる、とかなら良い気がする。

また、仮に百歩譲って人脈を広げたいとしても。。。

そりゃ、社会において成功するための最も普遍的に大切な要素は間違いなく「コネ」だから。人脈を広げたい、というのわかるから。

しかし、その目的は隠すべきだと思うのだ。人脈広げたい!とかSNSのプロフィールに書くべきじゃないと思う。僕は、打算的な人間は好きだが、それは打算的であるコトに失敗してると感じるのだ。少なくとも僕は人脈を広げたい!と言って自分との交友を求めてきた人間に対してそんな良い印象を抱かないから。

本筋とはズレるけど……人脈自慢とかもそう。自分が自慢されるような人脈にカウントされてるという事実自体は嬉しいけど、やはりその人脈とやらを見せびらかすステータスとして捉えてる感は嫌悪してしまう。

と、ここまで述べたワケだけど

そもそも自分は実は打算的な人間じゃないのかもしれない。打算的なことを認めたいと思ってるだけなのかもしれない。打算的であるコトが成功者たり得ると思ってる部分があるから、打算的性を賛美したいだけなんだろう。だから、さっきの「打算的なのは好きだが〜」の部分は、そもそもの前提が誤りなのかもしれない

自分は自分が思ってるよりもエモーショナルな人間であり、合理的というか打算的には徹しきれないという自己分析をするべきなのかもしれない。今まで自分は質問に答えて性格を分析してくれる系の診断テストでいつも完全に合理的みたいな解答をしてきたがそれは改めるべきなのかもしれない(このように自己分析が上手くいってない事例はきっと多いはずなので、あの手の診断テストはどうしてもやる意味を失ってしまうのだ。しかし、ついついしてしまうんだけど、その話はまた別の機会に。)