不条理に対する同情(?)

家ついて行っていいですかの、ラッドのライブに向かう途中に老人が運転する車で事故死した15歳の子の父親が語ってるやつ、二週間以上前に見たのに、未だに頻繁に思い出すしトラウマすぎる。痛ましすぎるだろ

実際にその場を見たわけでも、その子の知り合いでも何でもないのに、あまりにもつらい気持ちになった

この世の中には有史以来、こんなこといっぱいあったわけで、ありふれてるっちゃありふれてるけど、あれだけ具象化されると心にクルものがある

(話が本筋から少しズレる)
正直災害とかのニュースを聞いても僕は割と他人事になってしまう方だった。データとして与えられても…という感じで。しかし、その一つ一つにそういうドラマがあると思うとなかなかにいたたまれないなと。その一つ一つを感じ取っていたら、その悲痛さに頭がおかしくなってしまいそうで。だから、そこまで具象化せずに知ることで、逆に精神の安定が保たれてるんだなとか、そんな実際あまり「良く」ないことまで思ってしまう。

ホントにこの世の中は不条理すぎる。そんな世界を変えたいけど、どうしようもない。僕は特に生への執着が強いからそう思うし、そこまでじゃなくても、予期せぬ非業の死は本当に可哀想すぎる。(過程は省略するが)虚無主義にすら陥ってしまう。この世の中は救いようが無さすぎる。なんとか、変える方法を考えてみる。しかし、無理だよ僕のおつむでは。僕じゃなくても無理だと思うけど。結局はこの世の一切の意味を否定する、そんな消極的な方法でしか無理なのかもしれない。それだって、心の持ちよう論かもしれないけど、そう簡単にそう思えるものではない。まったく。人類というのは不幸な存在だ。