先天的アドバンテージについて など。

よく考えたら(よく考えなくてもわかる当たり前のことだけど)地アタマなんていうものも、先天的なモノなわけで、本質的に先天的なモノである顔とかと同一視して扱うべき事象なのかもしれない。僕は、地アタマに関しては良いと、すごい!尊敬する!ってなってしまうが、これはホントに愚かなのかもしれない。結局は自分が普段生きてる尺度の問題なのだ。どうしても自分の中に地アタマが優れてる人は敬うというイメージがこびりついてるもん。

しかし、こうやって理屈で考えてみたところで、半ば本能的とも言えるような感じで、先天的美形賛美には嫌悪を憶え、それ以外には大して感じない。

これは以前にもブログでも触れたけど、人間が過剰に合理的であろうとする時、それは非合理的な心情に突き動かされてる、というのに通ずる部分がある気がする。

この記事である↓
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2019/05/05/183025

幼い頃から、自然と育まれてきてしまった、地アタマの良い人を敬う、という非合理的な感情に支配さてしまっている。