人の顔を褒める

顔なんていうモノは努力と素材の両方が必要なわけで、、

 

努力面はそりゃ評価するべきなんだと思うけど

 

生来のモノを褒めてもなぁ、、というのはある

 

と、思ってたけど普通に僕は同性の顔を褒めるコトがある。やめたいとは思ってる。でも、気がついたら褒めてる。

 

つまりだな、僕は適当な理由をつけて、その理由が原因で女性の顔を褒められないんだと、自分で自分を騙していたのである

 

ホントはただただ女性の顔を褒めるのが恥ずかしいだけなのかもしれない

 

ただ、安易な言葉で媚びてると思われたくないから、というのはあるかもしれない。そういう人間だと思われたくないのだ女性に。これは大いに理由として認められるだろう

 

しかし、まぁ同性の顔を褒めるのもやめたいとは思ってはいる。なんとなくしてしまうのだ。社交辞令的に言うけど、思ってもないコトは言わないようにもしている。せめて、二重で羨ましいとかにしようと思ったりもするが、それはそれで言われた方が返す言葉に困るだろうし、やめよう

 

顔面カースト社会が成立しており、顔が良いコトは紛れもなく「良いことであり」、また人間はそれにより生まれながらにして格差があるのもどう頑張っても否定できないわけだけども、する必要のない迎合はやめていかなければならない。褒めるなら努力部分を褒めよう。そう強く思っている。

 

なんにせよ僕は面食いなところがある。知り合いになって、接してるとそうでもなくなる。それでま顔が好みということは相手に対して好意を抱くかなり十分な理由になる。その一方で生来のモノに大きく依拠する顔面なんていうモノで承認欲求を得てる人たちがあまり好きではないし、なによりも、それらを支持してる人たちに対して、なんで???という感情が強い

 

こうした、ジレンマ?が、僕のこういった歪んだ考えを生み出しているのだろう