人称

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小5くらいまで何の疑いもなく僕という一人称を使っていた

 

しかし、僕は下僕の僕という、相当な卑下表現であることを知り、これは嫌だと思った。しかし、まだ当時の僕は「俺」を使えるようなフェイズには達していなかった

 

小6の時の塾の憧れの先生が一人称として私を使っていたので、それを真似るようになった。今でも同級生で、一人称としていかなる時でも私を使う者はいる。僕は中2の時点で気持ち悪いのではないかと思った。

 

変えないと、と思った。そろそろ僕は「俺」を使えるフェイズに達していた。友人と話す時などは「俺」を使うようになった。徐々にしていった

 

そういえば陸上部の後輩が中2くらいの時に「俺h、、あ、すみません、僕は」みたいに言い直してて可愛かったことがあったのを思い出した。中2というのはそういう時期なのかもしれない

しかし、家でいきなり俺なんて一人称を使い出すと、夏海は不良になったのかと思われるのでは?という懸念を当時は抱いていた。結局今に至るまで親の前で俺という一人称を使った事はない気がする。それはともかくとして、私でも僕でもなく俺でもなくということで、なぜか僕はその時期から家で「伊東」という一人称を使うようになった。

 

なぜか親にも「伊東」と呼ばれるようになってしまい、外でもそう呼んでくるので、傍から見るとまるで複雑な家庭みたいな状態だった

 

その後ネットのやり過ぎで、自然と一人称がワイになり、しかし、ほどなくして痛すぎることに気づいた。しかし、俺という一人称に対しても何となくイキリっぽいイメージを感じていた

 

よく考えれば自分なんて下僕のような存在だということで、僕に原点回帰した。比較的しっくりきてる

 

というか人称というのは本当に難しい。2人称もだ

 

だいたい、人と知り合ってすぐに名前で呼ばないとどうしても君やあなたという人称しか使えなくなってしまう。特に女性とか。これはホントに男子校育ちが罪深い感じがあるが。僕は下の名前で呼ばれやすいので、そのまま呼び返せば良いということで、比較的有利であるはずなのに。

 

くん付けで呼ばれることが多い。これがまた悩ましい。呼び捨てで返すのは良くない気がする。だからといって、ちゃんを付けて女性を呼ぶのは心底気持ち悪いと思ってる。では、さんか?ということだ。だから年上の女性のことは割と下の名前で呼びやすいんだけど、それ以外に厳しさを感じてしまう。

 

呼び方というのは、形式的な事象だけど、割と距離感に影響を与える気がする。常に人とコミュニケーションをする際に関わってくるからだ。だからこのままでは良くない気がするのだ