混じり気のない知的好奇心

純粋な関心と
ファッション的関心をきちんと区別したい

よく錯覚してしまうもん

ファッション的関心を純粋な関心と

小学校の時の関心なんて誰に共有することなく、常にひとりの知的好奇心だったもん。歴史とか天文とか

それがいつも間にか他人に共有するツールを得て、わからなくなってしまっている

天文や歴史の詳しさを他人に共有したくなってしまったりもするし

逆もある

とにかく区別が難しい。区別する必要があるのかわからないけど。ただ本能的?関心がそういったツールのせいでいつのまにか、どこかファッション的要素を帯びてしまってて悲しい。悲しいのか?なぜ悲しいのか?わからない

まぁ、それでも。とにかく出発点が純粋な知的好奇心由来のモノを特定したいという感情がある

他にも人へのアピール関係なく打算的な好奇心とか

打算的、というのは少し正確ではないかも

とにかく、何か別のことが目的で、その手段として必要な知識に対する好奇心

その別のこと自体は純粋な欲望だったり、するからこれも油断してるとわからなくなってしまう

ホントに純粋さに何の意味があるのか。僕にもわからない。ただ僕は思うのだ。純粋な知的好奇心なら、好きな時に飽きても良いし、そういうものに限って、なぜか全然飽きない。ずっと夢中でいられる。そういった精神を久しく失ってる気がする。

そして、その頃、そうやって得た知識を怖いくらい細かくマニアックなとこまで覚えてる。だからといって高校生とかになって、さらにマニアックなこと覚えてたら人前ですごいと思われる!と思って覚えようとしてもなかなか覚えられなかったりする。

この純粋な知的好奇心の魔力。やはり純粋無垢な少年期特有のモノなのだろうか。だとしたら悲しいな。とても。