高層ビルが好き過ぎる

19歳くらいまでさほどこういう気持ちは持っていなかった。
しかし、1浪時の東大入試の前日。夜に家に父が来た。
19時にその日は起きた。終わってる。
その時間が割と遅く、家の近くだとちゃんとした外食の店はわりかし閉まってて、パークハイアットで夕食を摂ることになった。
その時に、ふと、すごく感動してしまった。
その時は、単に高層階のレストランで夕食を摂っただけだけど。
そこに辿り着くまで結構色々なところを通り、こんな超高層ビルの中にこんなものを作れてしまう人間の文明に突然ひどく感動してしまった。
その日の夜は19時に起床したこともあり当然眠れず、エンパイアステイトビルディングなどについてずっと調べていた。
それ以来、新宿の
超高層ビル群とわざわざ命名されてる一帯のことがとても好きになってしまった。
19歳にして突然。それまで建築にさほど興味がなかったのに。高すぎるビルというのは、普通のビルの単に高いverではないことが多い。わざわざ国内において高いものを作るんだからそれなりの趣向がそこらに施されてる。そこに行くとなんかアガる。

英語が嫌いすぎる。

本当にできない。
そんな勉強してないけど。
それでもいくらなんでも向いてないと言わざるを得ない。
向いてないことを頑張るべきではない。
人は勝てるところで勝負しないと。
よく英語なんて言葉だやれば誰だってできるようになるとか。
どんな馬鹿な英米人でも英語が話せるから僕たちにできないわけがないとか。
そういった言説がまかり通ってるけど、
第二言語の取得が母語と同じなワケがないだろ。
その点、森田 鉄也なんかは英語の勉強には向き不向きがあるとか言ってくれるから良い。

受験英語用に綺麗に切り取られた英文ならまだ読めるようになろうとする気がある。
でも、それ以外は本当に無理
僕はドナルド・トランプのツイートすら読めない。ウッってなる。
それだけ未加工の英語に対して拒否感がある。
そう、拒否感。根源的な。アレルギー。

英語は嫌いだけど、鉄壁を丸暗記しようとする作業は割と好き
しかし、

鉄壁の最後の単語はmischievous
この理由はいつまでも悪戯好きの子供のような純真な心で英単語と向き合ってほしいという願いを込めてだと思ってる。

なぜなら
鉄壁の巻末に
皆さんが生まれて初めて覚えた英単語はなんだったでしょうか?(途中略)
いずれにしても、それを覚えるのに苦痛は感じなかったはずです。むしろ、英語という未知の世界に足を踏み入れる感覚に、言いようのない興奮を覚えたのでしょうか。
その新鮮な喜びを忘れないで欲しいのです。
とある。

ちなみに僕はbookのスペルを覚えた記憶は鮮明にあるが。。

基本的に、僕に英単語を覚える初期において興奮といった記憶はない

明確にflowerなどスペルなどを覚えさせられたとき最悪な気持ちになった。小6の2月だな。英語が嫌いになったよ。

中学入学後直後、基本的な英単語のテストがあった。僕はシンプルに野菜のナスが嫌いなんだけど、当時、それ以上にeggplantのスペルを覚えるのが嫌だった。まず英作文で使わない。

本当にずっと英語に対して根源的な拒否感があって、まだちゃんと学ぶ前の小学生の頃から嫌悪感を持っていた。小学校の通知簿はABC評価だったけど、6年間で唯一Bがついたのが英語だった。

とても印象的なのが中学受験塾合格体験記だ。
僕はこれを熟読してたが、体験記のタイトルを英語で書いてるやつがいて、そのタイトルが読めず困惑して、いた。ハ?ってなってた。
改めてみて見てみた。英語のタイトルをピックアップする。

2008
Girls be ambitious
Be ambitious
Thank you very much,everybody
Never give up
Be your best and truest self
2009
LADEIS AND GENTLEMEN THANK YOU YOU VERY MUCH
まず大文字英語苦手やねん。
MIsche seinen Jebel ein
これは今もわからず安心。

こんな感じだ。

中には難しいのもあるが、基本、アレルギーと呼ぶのがふさわしい感じがある。ハナから拒否してるという点で。

これにはやはり家庭環境が大きく関係していると僕は考えてる。
母方の祖母 ウェルダンと言えずいつもよく焼いてくださいと言ってた。英文科を出てると言ってた。あと、イルミネーションが言えない。空は英語でskyというのを知ってるというのをイキってきた。

母親
アメリカ旅行の時、空港で道がcitizenとvisitorにわかれてて、citizenを知らないことが判明した。他にも関係代名詞を知らない。そういうレベル。

しかし、父はできるんだよな。でも幼少期多くの時間を共有したわけじゃないからなぁ。

父の母は家に外国人が来たら、カタコト(!?)の日本語で喋る。それになんの意味があるのだという感じ。ワタシハ○○○○ですって日本語で言う。ちなみに父の妹はbusyをブーシーも発音していたらしい。

日々思うのは
僕は第二外国語的知性が欠落してる。文法的にわかってたり、知ってる構文だったりしてもダメなことが多い。

でもなんでこんな欠陥言語が世界のスタンダードなんだよってすごい思う。

英語を国際外国語の地位から撃攘するために
逆に英語力においてそれくらいの地位になってやろうという気すらある。

パクスブリタニカの時代の時点で世界においてゴミだった日本を恨むよ。

今やろうと思ってることをひとまずやり終えたら英語の勉強を維持程度にしかやらないでおこうとすら思う。リスニングとか。下読みがほとんどの得点源だよ。機関銃英語が全くわからん。
死守ラインが
英50
地歴85
国語85
数学30
これで行こうかと思ってしまう。
今年はコロナ禍だし250で通るだろ。

9/27〜10/1 努力の逆みたいなことばかりしている


9/27〜10/1 日誌 努力の逆みたいなことばかりしている


怠惰というより、努力の逆なんだよな

そういえば、
前回のタイムラプス集をキングオブコントの最中にあげてしまった。

あくまでも例だけど、
たとえば、僕はスポーツの祭典とかの鑑賞に関心はないので、その最中に勉強タイムラプスを投稿するとかは良いんやけど、キングオブコントとか普通に見たいワケで、でも存在を忘れてて、その最中勉強タイムラプスを投稿してしまったりすると、不本意な感情になってしまう。
今年のM1とかどうするんかなぁ。その時の感情次第だけど。流石にネカフェで見るかなぁ。どうするかなぁ。多分、日曜日やからなぁ。日曜日は勉強したい。でも毎年敗者復活から見るのを何よりもの楽しみにしてるわけで。

でもなんかさ。この程度の勉強時間なら、別にここまで色々生活に気を遣わなくても息をするように実現できるという人の方が多いわけで。何も年一回のM1を見るかどうかを迷ってまでするような水準ではない。自分の生活リズムなどに関する繊細さがとても悲しいです。

9/27日
5:25に自然起床。勝った!
そこまで翌日の起床に優しい前日ではなかったはずだけど、やはり就床してからスコーーーンとすぐ寝落ちできたのがデカイ。人生はホントにこれに尽きるよ。寝付きが良い日が続くこと。そのためには敢えて毎朝少し眠い中耐えて起きる必要がある。

近鉄壁を丸暗記して、前日やったセクションのCDを朝のジョギング中に聴き、高速チェックをしている。漫然と聴くのではなく、まずそのセクションを脳内で再現し、その間CDは止めておいて、できたらCDを再生して答え合わせをするという感じだ。
単語の学習なんかにあまり時間は割けないけど、復習しないと人生オワオワリなので、ここで時間の活用をしてるわけだけど、

足らない。マンションの部屋を出て、走って、帰ってくるまでを30分で済ますというのをやってるけど、2セクション分やろうとすると足らない。土日は各日鉄壁3セクション丸暗記したいと思ってて、そうじゃなくても、普段から前日分プラスαでやったのがちょっと前の忘れてないか不安なセクションも聴きたいのに。完全に復習時間は朝走る時にやるというシステムは構築してしまったし。これはやはり60分以内に帰ってくるとかにしても良いかも。高校のOBの西村大臣だって毎朝10キロ走ってるのだ。

果たして、河合塾でスタンプを押す前にカフェで音読などをするというのは実現した

もたつかずテキパキ行動したら、5:10に起きて1時間弱走り、かつ朝カフェで音読、これはできるかもしれない。すぐには無理かもしれないけど、少しずつ理想に近づけていくことは不可能でないように思えてきた。

なんかでも今日はもし今年ダメなら四浪するが四浪してダメなら東大は諦めようみたいな気持ちになった。色々やってて。
いや今年もしダメで、4浪の前期の予備校の授業は割と出て、基礎固めはできるかなと。今年ようやく予備校の授業を聴けるカラダに色んな意味でなったので。
しかし予備校の授業に出てると自習時間を奪われるわけで、うーんという感じ。網羅的なThe基礎固めみたいなんだけは自分でできないから、予備校の授業を重宝するけど。
いや、それを経て5浪ほぼ授業切って自習!とかなら流石に割と近づく気もするけど。
いや関係ない話をしてしまった。なんにせよ、今日の勉強中、自分が東大を受けるに値しないようなオツムの持ち主かもしれない思ってしまったのだ。知識面で補完をしたところで、仮にそれが完璧で英文を読んだり聴いたりしても誤読するだろうなと思った。

てかさ、
こういう露悪?自虐?的なことをインターネットに載せたところで
別に誰かからの慰めなどを期待してるわけではなく
なぜならば勉強の悩みは自分で勉強することでしか解決できないから!
では、いったいなぜこんなことを発信してしまうのか。わからない。とても自然なこととしてしてしまう。

肩が凝ってたのか、いきなりステーキで頬の裏を噛んでしまう。

9/28月
秋晴れが素晴らしすぎる日だった。これだよこれってなった。雨上がりとかでも最近涼しくて気持ち良い日が続いてるけど、思わず今日は叫んでしまった。嬉しくて。興奮する。

5:30に起きたと思ってたらよく見たら6:30だった。最悪すぎる。人生が完全にカスなものになった気がした。
出走も遅い。当然30分しか走れない。また前日やった分の鉄壁のCDの復習が走ってる最中に終わらなかった。
他のこと考えすぎなんだよ。
2周走りたいけど、朝今日の授業の予習しないとだし断念。

朝の用意しながら、聴き切れなかった所の復習を頭の中でしてたけど、全然ダメ。少しでも頭使うこと同士のマルチタスクはできないと実感。人通りの少ない道で走りながら、とかドライヤーしながらとかが限界。どっちつかずで中途半端に時間を浪費した。

この日は雑務dayにした。共通テスト出願開始dayだし。色々まとめて。センター時代、出願書類の記入の難儀さは、これだけ難儀なことをしたんだから、その努力?に報いる?ためにきちんと勉強しようという気持ちにさせるため、だと思っていたが、共通テストの願書記入は易化したからそうではなかったらしい。
でもなんかアレだな。必要以上にダラダラしてしまった。こういう日が存在すべきではない。

この日は「勉強しろよ」「地頭とかいつまで言ってんねん。文系なんだから覚えるだけだろ。」みたいなコメントが来てたので即、このユーザーは今後表示しない、にした。文系なんだからというのがものすごく引っかかった。突き詰めれば受験勉強で覚えること以外ないだろ。あとどれだけ覚えられるかって地頭にめちゃめちゃ左右されるだろ。しかも、この二つのコメントは分かれてなされていた。最初何も考えずに「勉強しろよ」(送信)にしてるのではないか。だいたい、そんなコメントなんでわざわざするんだろう。なんの建設性もない。この人は「覚えるだけ」ではない理系なのかもしれないが、どうも考える力がないみたい。あと「いつまで」というのもイマイチよくわからない。地頭なんていつまでも関わってくるだろ。それに、なんというか、逆で、むしろ少し勉強するようになって地頭の悪さが露呈するようになったと言ってるのに僕は。
こういうコメントすら、完全な悪意の所産ではないという事実が厳しいよな。悪意の有無は何かを判断する上での基準に全くなり得ないという基本的な事実を再確認してしまった。
この人の再生リストを見に行ったら天竺鼠ダウンタウン椎名林檎、カネコアヤノなど僕の好きなモノの動画が多くて悲しくなった。

9/29火
普通に5時台に起き切ったのにな。何がダメだったのか。ホントにベッドの上からしばらく動けなかった。何をするわけでもなく。無駄な思考をしながら、ただただ寝そべってダラダラしてる時間が長すぎる、

そのせいでまた朝音読ができなかった。

ホントそろそろ軌道に乗せていかないといけないのに。

なんかホント今日はダメだった。眠いし伏せてしまった。微睡かけて危なかった。自習室に多分秋の花粉症で頻繁に大きなくしゃみをする子がいるんだけど、そのくしゃみのおかげで起きられた。感謝。感激。雨嵐。

鉄壁の丸暗記ちょっと大変やな。2周目に入る頃かなり忘れてないか心配。でも絶対にもう挫折しない。デカルト方法序説の中で、森の中で迷ってる時、とりあえず、どこかしらの方向に真っ直ぐ歩くことが一番大事だと言ってた。そうしないと、どこにも出られない。同じだ。

9/30水
カス。5時台に一度は起きるが、あらゆるアラームを切った上で二度寝という救いようのないことをまたしてしまう。7時半にオヨヨヨヨとなりながら起きる。走ることを諦めないといけない。今日夜寝付けなかったら嫌だな。
外に出ると至高の秋晴れ。こんな日は一年にそう沢山あるわけではないし、今日走れなかったかったという事実がとてもつらくなってきた。

予備校の古文の授業で、挿入がでてきて、
挿入を含む文を作りなさいと一番前に座ってたので言われた。
「机の河合、とはいうものの、まぁ机というか机と椅子だけど、この教室の椅子はかたい。」
みたいな文が浮かんだのに、予備校の教室では声門がうまく開かない。アドリブ力がないという自己紹介になってしまった。

明日から10月だ。月が代わって10月よ、の10月だ。10月から色々変わる。受験勉強を本格化させるし糖質制限だってやめる。朝走るのはダイエットとか関係なく続けるけど、運動は過食のメンタル免罪符に過ぎない。

「期間付きならば例外を認めない」
これは僕の信条だ。だから9月中はできる限り守ったし、逆に終わりが見えてた方がちゃんとできるので、9月いっぱいという期限を設けたのだ。
糖質制限でつらかったのは食事のバリエーションの少なさだ。嫌いな食べ物が多すぎて。。。。。。だからそれを9月でやめると決めてて、やめるのはとても嬉しい。
ただ、とても危惧してることがある。
今まで僕を夜外から出させなかったのは「夜も暑い」「糖質制限中」この二つの事実の存在がデカい。しかし、これからはとっても涼しい夜の空気の中、入浴後衝動的に一蘭や神座に行く(24時間営業であるこの両店は、まぁ神座は普段から混んでない上にいつ食べても美味しいが、特に一蘭。混んでる中並んであの値段で食べるものではないと思うが、深夜に空いてる中食べると抜群に美味しいと感じる。)ということが起きてしまうかもしれない。

10/1
5:30に起き切る。思うにその日ではなく、前の日の睡眠時間に、起き切れるかどうから左右される気がする。ダイエットの仕上げとしてしっかり2周走り、終わったので、気になってたバターどら焼きを食べるが、固形のバターがそのまま挟まってて、期待外れだった。

今日はね、予備校の教室で多分、初めて10文字分以上喋ったよ。講師が、悩んでたから、発言した。とても緊張した。その後しばらく手が震えてたよ。

糖質制限解除したから久しぶりにかつて足繁く通ってたスパゲッティ屋さんに行ったら、オーダーがタッチパネルに変わってた。めちゃめちゃ細かいオーダーがタッチパネルなのに可能で感動した。

糖質制限を解除したが、逆に適度な糖質の摂り方がわからず困ってる。まぁ何にせよ、いちいちコンビニなどで商品の成分表示を過度にチェックしなくて良くなったのはストレスフリーな感じがある。それでもそういうメンタリティが完全に無くなったわけではない。いや、無くしたくはない。完全に無くしてしまうと元の木阿弥だ。

10月は東大OPに向けた勉強
11月は東大OPから東大実戦にかけての軌道修正(2週間もあるのがエラ過ぎる)
11月終盤は共通テスト模試に向けた勉強 一旦共通テストレベルのことに目処をつけたい
年内は二次対策
それ以降はやはり共通テスト対策
一応1週間の中で一応ある程度の勉強時間を確保できる自信が今年はあるおかげでこういったことが一応実行できそうな感じがして良いな。

9/22〜26 勉強ラプス、上から撮るか?横から撮るか?

9/22火
自習室を変えることにした。
前まで使ってた河合塾から微妙に遠かったから。
これは勇気のいる決断だった。
教材を移動するための往復に丸一日は潰れるから。他にも、契約やらなんやら。それに環境の変化に強い方ではない。
でも、それも含めて今後の入試までのことを考えると必要な時間的投資だと思った(金額的には前までのより安い)。そして、今がそれができる最後の時期だと思ったから。
なによりも、新宿駅の自転車の定期利用の僕が割り当てられてる区画からめちゃめちゃ近い。今までの自習室は新宿駅から遠いから別にワンコインの駐輪場を使う必要があった。
さらに、今までの自習室は雨の日とか、バスで新宿周辺まで出てきて、そこから長いこと地下街を歩かないと行けない場所にあったが、そういうのもなくなった。
3月からめちゃめちゃ状況は動いてるのだ。6月までそもそも河合塾が開いてなかったのだ。今はスタンプカードを授業がない日も押しに行くくらい家から自分を引っ張り出す手段として河合塾を利用してるのだ。自転車の定期利用だって始めはなかった。バスの定期だって持ってなかった。現状に合わせて絶えず最良の選択は何か考えていかねばならない。

この日は見学契約教材移動をすべてする日にした。時間のダメージは1日に集めたい。予備校の授業の後、新しい自習室で契約し、教材移動まで済ませるのだ。

予備校や自転車の定期利用もそうだけど、自習室に関しては父に感謝しかない。父は当時父が父の父にしてもらえなくて嫌だったことをする、言われて嫌だったことを言わない、こういった基準で僕と接しているため、僕と関係が良いのだろう。

てか、そもそも前の自習室を決めた時の決め手なんだっけってずっと考えてたが、新宿界隈の各自習室を比較してた時、Wi-Fiが無料か有料追加かっていうのを見てて、そこは有料追加だったんだ。PCを自習室に置くから、Wi-Fi自由に使えたら折角のスマホのスクリーンタイム制限の威力が薄れるなと思って。有料追加ならば追加しなければ良いのだ。しかし、多くの自習室は良かれと思ってフリーWi-Fiなのさ。
でも、まぁロッカーにパソコン基本入れてて、毎日自習室着いたらすぐラプス回してたら、わざわざ取り出して使用することもないだろうと思って、このフリーWi-Fiの自習室を立地的に選ぶことにしたのだ。
と、思ってたら、新しい自習室の担当者に「Wi-Fiのパスワードなんですけど、教えないでくれという方もいまして」って言われた。僕がそれだ。懸念は払拭された。教えないでくださいと言った。

そして、元の自習室に戻り教材の移動を始めようとしたら急にロスになった。
本当に立地だけ少なくとも今の僕の状況にとって微妙なだけで、かなり良い自習室なのだ。
3月上旬からの半年強の思い出が急にフラッシュバック。とても愛着を持っていたことに気付いた。
毎朝休憩室においてある産経新聞を読むのが好きだった。
自習室のとても近くにある店員が僕の注文を完全に了解しているいきなりステーキにも、9月いっぱいで糖質制限をやめるし、家からメチャ近いわけではないので、前ほど頻繁には行かなくなるだろう。寂しくなるな。
しばらく物思いに耽りながら佇んでた。

しかし、自習室を移すことは今の自分のためになることだ。未練タラタラのままでいるわけにはいかない。黄昏てる場合ではない。フル勃起で鬼動かなければならない。

教材を入れた重いリュック背負って自転車に乗り、ガード下辺りの金券ショップの前で信号待ちをしてたら、視聴者に声をかけられ、応援された。

想定の一億倍くらい教材の移動に時間がかかった。結果4往復で済んだのに。
前の自習室に行くたびに、いちいち感傷に浸ってたから。

本当に前の自習室は素晴らしい自習室だった。
新しい自習室より、設備的に、あらゆる面で。
問題は距離だけだった。
それも少しだけなのに。
その少しの距離の存在が、僕を決断へと向かわせてしまった。
綺麗さっぱり未練を断ち切るために、いつでも解約できるように、ありとあらゆる荷物を持ち去った。かなり大変だった。

9/23水
空前の規模の朝勃ちで目覚める。尿意がすごい。時刻を見ると4:50。ここで起き切っても良かった。ほぼ5時だもの。ここで二度寝したことを一生後悔する。
その後6時台のアラームで起きたが、思わず寝落ち。
次に起きたのは9:30。明らかに前日の荷物の移動作業で疲れてたな。授業開始は9:20。はい大大大大大大絶起。めちゃめちゃつらい。河合塾に入って、出ようと事前に決めてた授業に遅刻してしまうのは本当に初めて。一度休むのも一度も出ないのも同じだと思ってるのに。。。好きな授業なのに。テストゼミだし遅れてでも行こう。朝シャワーと食事は我慢しよう。
教室に着いたのは第二問目の解説が始まった瞬間だった。

授業後、自習室へ。前の自習室への未練を断ち切るためにあらゆるモノを移動させる行為を前日は優先させたため、それらを整理する作業に追われた。
整理って苦手じゃない。でも時間がかかる。集中が保てない。その整理対象自体が興味を誘発するものばかりだと。

この日は18時から20時半日本史の授業。新宿住友ビルって本当に好きだ。基本僕は高層ビルに対して畏敬の念を抱いてるし、入るといつも、なんというか、アガる。そのなかでも特に。こんなところで大学受験日本史の授業をしてくれるのは良すぎる。

9/24木
前日寝るのが1時半とかになってしまい、非常に不安だったがキッチリ起き切った。よくやった。

この日も前日に引き続きものすごい朝勃ち。あんまりにも長時間続くので、このまま一生収まらないんじゃないかとひどく不安になった。朝立ちが早く収まらないと走る準備などに入れないのでシンプルに困る。

冷たい風が涙が出るほどすきです。

この日は、今後知り尽くしていることの重要性が高まってくるであろう、周辺地下街網を把握する作業に少し時間を費やしてしまったが、必要なことだったと思う。

まぁなんにせよ睡眠不足だとどうしようもない。昼寝とかしてしまわないように1日を慎重に、翌日にしっかり繋げられるように送ることしかできない。睡眠不足にかなり弱い。知ってたが。6時間半を超えてるかどうかでかなり変わるが、別に5時間台でも連日じゃなければ大撃沈はしない。

新自習室、第一印象は悪かった。
ビルの周辺が汚く、古い雑居ビルだし。
しかし、中は管理人による細やかなこだわりを随所に感じて、もう既にとても好感を持つようになった。

9/25
歴史的大絶起。10:20とか。金曜日は2限から出ることにしてて、朝の時間を有効活用してるようにしていたがそれができなくなった。寝起きの良さってホント睡眠時間関係ないよな。起きてから1日通して考えると時間は大事なんだけど。寝起きに限定すれば。シャッキっと適切なタイミングを逃さないことが大切。
勉強は一応したが、なんせ起きるのが遅かったから早く寝るために疲れさせないといけない。せめていつも通りの運動量をと思い、本来朝やるはずの筋トレと走るのを勉強早く切り上げて夕方やろうとなるが、どう時間を調整してもスクリーンタイム開始と被ってしまう。これはかなり都合が悪い。

スクリーンタイム制限というのは僕の人生において強力な影響力を持っている。最も上位の存在と言っても良い。僕はそこから逃れられない。民主主義国家で憲法は、その国家元首すら拘束する。そのために憲法はあるのだ。それが僕という国家におけるスクリーンタイム制限だ。時々改編したりするが、その手続きは父と会うという、そんな頻繁にできないことを経ないといけない。

決してスクリーンタイム中に何かスマホ操作以外の別のことをしようなんて、1日をどう送るか考える時に予定してはならない。必ずスクリーンタイム解放が始まった瞬間に、終了までスマホ操作以外できなくなるから。授業とか以外だと。
そもそもスクリーンタイム制限がなくて、一日中スマホ触ってしまうのが嫌で、スクリーンタイム制限を始めたという初歩的な事実を思い出す必要がある。

全然寝付けなかった。仕方ない。10時20分に目覚めたのだから。10時20分は文句無しに昼だ。布団に入って、しばらく耐えてたけど、発汗してしまった。こんな時に、夜風に当たって気持ち良い季節になって良かった。
ねじまき鳥クロニクルも読み終わってしまった。今後、入試まで、美容院以外で、何か新しい小説を読み始めるということはしないでおこうと思っている。

9/26
結局6時に起きて、7時半までブツギリの二度寝をしてて、でもそれでも睡眠不足で起きられた。睡眠不足のまま起きたというのが大事。夜寝られる。
自習時間確保の本命である土曜日に睡眠不足なのは心配だけど、思えば現役時の東大入試は前日晩に射精してしまった上に徹夜で、一浪時は前日19時に起きてしまい、当然寝付けず、かなりの睡眠不足で臨んだのだ。どんな脳の状態でも闘えるようにしないといけない。

ただ普通に眠たかった。厳しい。そもそも勉強開始時間が理想的でなかったし。眠たさにより脳の動きが緩慢で思い通りいかないことが多かった。正直、今週は色々調整の週みたいなとこがあったが(自習室変えたわけで)、やはり土曜日はもっと活用したかった。

今日は致命的ではないが起きるのが遅く、妥当な勉強開始時間だったわけだけど、仮に早く起きたとして、早めに河合塾周辺に行き、近くのカフェで音読をする習慣が定着するのかな?というのはある。無理そうなら、座学の時間の最後30分を削ろうと思う。

あらゆる挽回と貯金、それによる精神安定。こういったことをこの土日は実現させなければならないと思ってたのに。10月から必死のパッチ自分自身をブラック企業にしてフル勃起で鬼勉強すると、決めてるのだ。
そのモデルを今作っていかねばならない。
ただ、何というか、
そもそも予備校の授業により自習時間は削られるわけで、予備校に通わないと受験勉強すらできないというのが、まず甘えだと思うし、さらに朝走ったりもせず、スマホは折り、6時間ちょっと寝て(睡眠時間を削ってる奴もいるがそれは僕は完全に悪だと考えている。)残りの時間は2時間くらいの入浴食事など以外全部勉強に充てる。こうでもしないと、フル勃起で鬼勉強を自称する資格なんてない気もする。ただ、持続可能という観念からいくと、たとえ5ヶ月弱でも今の体制が自分にとっては限界かなと思ったりもする。

号泣

僕は極めて泣くのが好きだと思う。可能なら毎日号泣したい。

泣くことは何よりものストレス発散だと思う。

しかし、最後に泣いたのはいつだろうか。

2020年1月だと思う。センター英語で大失敗をして、それについて父に話した時に思わず泣いてしまったのだ。でも、それはストレス発散にはならなかった。父の前でワンワン泣くなんてできない。かなり堪えてて、それでも溢れたちょびっとだけを発露しただけだ。そして父が帰ってしまってからその続きをやるなんてことはできなかった。

泣きたいなと思う。ジップロックから歯間ブラシを取り出すくらいのノリで。しかし、僕にとって泣くのは最大のストレス発散であると同時に決して気軽にできることではないのだ。中高校時代はよく数学教師にシバかれてギャン泣きしていたが、そもそも怒られたら割と泣いてしまう方だし、その数学教師には相当な実力があったというのがある。彼は、泣かすぞコラ、みたいなことを言ってたこともあり、半ば人を泣かすのが生業みたいなところがあったのだ。

さらに、怒られが発生する、というのはそもそも歓迎すべき事態ではないし今後は徹底的に避けて生きていこうと思っているし、怒られの発生に起因する号泣はそこまで精神の特効薬にならない。

逆に、怒られ以外で泣くというのがほとんど人生でなかった。実際の話。悲しいね。交際相手と別れて、自分から別れを告げたのに、泣くというのはあったが、それはひどく例外的だ。自習室で寝てて、元交際相手の夢を見て、泣いて起きる、みたいな。それは結構ストレス発散になったが、例外的だ。いつでも、ふと取り出せるようなライフハックにはならない。

映画や小説、何でも良いのだけれど、作品を鑑賞して泣く。これができたらどれだけ楽だろうと思う。多分泣ける作品を見ることの中毒者になってしまう。しかし、これが本当にできない。何か作品を見て感動をするということはある。明確にある。しかし、泣く、という行為にまで至らないのだ。多分、未だかつて何か作品を見て泣いたという経験がない。そもそも感動で泣いたという経験がないんじゃないかな。泣けるかも…!という経験はある。小6の時だな。体育祭で造形体操っていうのがあったんだけど、それを完遂した時だ。でも、泣かなくても良いなと思ってしまった。嬉し泣き系もだから無い。東大に受かって粉雪を歌いながら号泣できたらなとは思う。これには少し期待している。希望が持てる。レコード大賞かよってなるけど。中森明菜とかそうだったよな。

怒られたら泣いてしまう。これが一つと。対人関係で感情が昂った時だよ。これは割と泣けるかも。何でも良い。何かを力説してる時とか、悲しい時、怒ってる時。それもここ数年ない気がする。

高1の時、同級生にお金を取られて、それについて他の同級生達に話す時、自分の心中に感して力説しながら、めちゃくちゃ号泣したもの。戦闘力差によ。お金を取られたのは悔しい…!漢としてどうかと思う。お金を取り返したい。しかし教師に相談したくない。チクリって一番嫌だ。漢としてどうかと思う。どうしようもない。どうしたらいいの…ウワーーーーーーーン 、みたいな。

最近は兆候が芽生えたらその力説の類をやめてしまう。はしたないと思ってしまって。明確に声は上ずるんだけど。泣くべきでないと自分が思うタイミングで声が上ずりかけることが多い。困った話だ。

感情を昂らせるのに適切なタイミングが頻発して欲しい。

そんなことをねじまき鳥のクロニクル第三部P572を読みながらふと思って書きました。

9/18〜21 国難級の低学力

過渡期かな
夏の太陽
風は秋

そんな時期ももう終わろうとしてる。
逆に室内は暑いと感じる。ミニ扇風機が室内で生きてくる。

最近昼食後に小説を我慢してる。

結局落ちても妥当中の妥当のこれまで、だし、これからなんだよな。
しかし変える気になれない。小康状態だから。ある意味自分の努力能力に対してかなり諦めを持つようになってて、過度な(それでも一般的にそこまでだろうけど)理想の実現への動きが最悪の事態を招くのを恐れてる。
だから、ゆるゆる受験生のままでいる自分を、黙って見ているしかない。

9/18金
余裕がないから。17時20分でスクリーンタイムを迎えてしまう金曜日がある意味ストレスだ。せめて18時台からにしたい。しかし20時台後半にスクリーンタイムが終わることにかなりの不安がある。週1でスクリーンタイム2時間以上の日は欲しい。実に悩ましい。なんか昼食を摂る気になれなかった。

9/19土
6時半に絶起。ただこれは計画的。前日晩に数学を少しやってしまったり音読してしまったり体験記読んでしまったり小説の読み始めた章が少し長かったりして寝るのが23:40くらいになったからだ。

ただ、朝怠くて出走が7時半くらいになってしまった。1時間くらいウダウダしてたのだ。今日走るのやめよかな?いや、やっぱり走った方が結果的に良いことが多いし。。、そんなことを続けてた。
やはり朝走った後に、そのことを一ミリも後悔してない。後悔したことが一度もない。入浴と似ているな。だから、本当に行動に移すまでダラダラするべきでない。

相変わらず河合塾で朝家から引っ張り出して自習室に行くためのスタンプカードをやってるわけだが、チューターと
僕「今日は6時半に起きまして」
チューター「おー良いじゃん」
僕「いや、僕の中では絶起でありまして、むしろそこからよく持ち直してこの時間にry」
こういった会話をした。

いやー、どうだろう。これが理想!ってほどじゃないが、これが理想!の7割くらいの勉強はできた。僕にとって、これが理想!の7割って結構高い。

9/20日

ヴァルミーの戦い戦勝記念日
だからなんだって話だけど、受験戦略上ちょうど良い日付で、
しかも吉野敬介が失恋して笑受験を決意した(ということにしてる笑)日だし、ゲーテが「この日ここから、世界史の新しい時代が始まる(と言ったということになってる)」日なのだ。一つのターニングポイントになると良いなと毎年思ってる。

父と会う日だった。2週間に1回くらい会うわけだ。父とは仲が良いが、やはり平日は2限まで予備校の授業に出てる中で、必然的に、自習時間としては土日の地位が相対的に上昇している。そのうちの日曜日がまぁまぁ潰れてしまうのは、、うーん、、なんというか、、うーん。。。父とは仲が良いが。。。。
他にも沢山時間の無駄は僕は発生させてしまってるわけだけれど、他人との関係の中で勉強時間が削られてしまうことに対して、自分で無駄にしてしまった時間より大きな精神的なダメージを受けてしまう。このメンタリティ。なんとかならないかなと思う。人のせいにしたいのだ。なんでも。無意識のうちに。脳のクセになってる。悲しいね。

と、思っていたが、父は逆に予備校の授業がある日が良くない思ってたらしい。一方僕は勉強を細切れ時間でするべきだ!の真逆の観念を持っているため、予備校がない日のまとまった自習時間を極めて重視している。そこで、今後は平日に会うことになった。良かった。平日の元々少ない自習時間が一日分ポシャってもダメージは薄い。

毎日1年間できるかわからんけど。それこそタイムカード的なものさえあれば。もう少しだけ頑張って。9時から19時とか。流石に昼は食べるだろうが、毎日9時間くらい1日勉強できるんじゃないかなぁ。それなら満足なんだけどな。ずっとそんなこと考えてる。ずっとそういうフラストレーションを溜めて。通期授業が終わって、講習をとるつもりがない冬にその気持ちをぶつけたい。

東大オープンまでにフリーの土日が10日ある。この10日で人生が決まると思っている。

9/21 月
凡庸な1日だった。ただ、やはり昼食は我慢しない方がいいな。そのくらいの感想。

9/12〜17 日誌 秒刻みが明らかに新たな局面を迎えている。

まぁ、朝だけだけど
自転車に乗ってる時、肌に当たる空気があまりにも爽やかで気持ち良くて、流石に興奮してしまうような日々が続いている。

嬉しくて叫びそうになるのを堪えたり、堪えなかったり。

それでも歩くと汗ばんでしまう。代謝が良すぎて。天候に申し訳なくなる。

精神に余裕がないのが良くない。
危機感はいくらでも持つべきだけど。
ほとんど同じには見えるが、余裕がないのと危機感を持つのは違うと思う。
精神的な余裕は去年までは常に持ってたはずなのにな。
まぁ、本来持てるような状況じゃないのに、常にある教材を吸収するのにかかる時間を少なく見積もりすぎたり、時間が無限にあるかのような錯覚に囚われてたりしてきたからでしかないんだけど。

結局脳をフリーにさせないことが大事なのだ。勉強の悩みは勉強でしか解決できないんだから常に勉強のことを考えていたい。そのためには自習室を出てから翌日自習室に来るまでの間に脳内で転がしておけることをいくつか自習室で獲得する必要がある。

9/12
6時起床
とにかく注意散漫だった。ずっと、
今後、どのようなルーティンで生活していくか。朝走るのはダイエットとか関係なく、良い1日を送るのに必要になっている。朝や夜に家で過ごす時間を長めに設定してしまうとその分ダラダラしてしまう。しかし、かといって、過度な秒刻みをハナから想定してしまうと、全てが全く機能しなくなってしまう。睡眠に関しても、実際問題1日6時間ちょい寝られれば良いわけだけど、就床後ちゃんとすぐ寝付ける保証がどこにもないため、少し長めに設定する必要がある。どうしたらメランコリーにならない程度の勉強時間を平日に勉強できるかな。10月から大胆に変えていく。ある程度実験的に。その実験内容をどうするか。すべては習慣だ。どういう習慣を自分は作りたいのか。
ということについて考えてたせいだ。バスでは定期をかざし忘れて運転手に注意されたり、メトロ食堂外で間違えて女子トイレに入ってしまったりした。検挙される日も近い。人がいない朝でよかった。本当に終わってる。

自習室ついてからもずっと今後のルーティンについて。メモにやることと目標達成時刻のmodelを考える作業をしてた。ちゃんと決めてコピーして家のどこかに貼ろう。これが人生を救うことになると信じてる。
このルーティンをいろいろ考えた時間が無駄にならないことを祈る。

タイムラプスを撮り始めてからも紙に今後の勉強をどうしていくかみたいなことをずっと書きつけて悩んでいて、ちっとも肝心の勉強しなかった。どうせ予定なんてうまくいかないのに。
パラサイトの父親役も言ってたやん。計画を立てなければ計画倒れになることもないって。

この日は15時くらいから英会話的なやつ。

9/13
共通テスト対応力トレーニン

地歴と理科基礎、律儀に共通テスト(センターもだったけど)と同じ制限時間でやることを望んでる文系、マジで0人説というのはあるな。
かなり久しぶりにマーク模試で全教科受けた。模試じゃないけど。

最初の地歴だけ少しだけ遅れて行った。それでも、一教科目から受けたのはすごい。

8時40から18時30
ただただ嫌な気持ちになった

共通テストへの対応力が低い
何度も出題ミスを疑う瞬間があった。
松屋で生姜焼き単品でなく定食にして、糖質を摂ったのに。、例外的に、

9/14
昨日も思ったが、朝の大気が、嬉しいくらいに、涼しい。秋の季語であるさわやか。これに尽きる。1年間でここまで素晴らしい気候が存在するのも、そこまで長い期間ではないだろう。大切に味わいたい。

リスニングが本当にできないことに困り果ててるので、
本当に本腰を入れないといけない。

リスニングの勉強ってシャドーイングなどが推奨される。自習室内でできない。
家ではまず勉強に集中できないと諦めてる。できたことが人生において存在しない。

Covid-19以前は少し自習室の休憩室で音読してたが、

僕が通ってる自習室の構造が、入り口が直に休憩室に通じてて、休憩室を通って自習室に入る感じなんだけど、最近くだらない密対策のせいでドアが開放されてるため、休憩室で声を出すと自習室内に響いててできない。

あと、リスニングってかなり勉強してて不安になる。力になってる感がないので。
でもそんなこと言ってられないの2垓乗なのである。もう。

授業の後、貴重な午後の時間を使って、ネットで最近気になったリスニングの教材を書店に見に行った。

色々気になったのを見るも、当たり前すぎるが、得点へわかりやすく結びつかない。としか思えない。まず導入というか説明が長くて、これを読む勉強時間に含むわけにいかず、大変つらい気持ちになった。どうしようと。

結局何も買わずにションボリと自習室へ。時間もやばい。明日は雑務dayなのに

リスニング一気主義を、一気主義が取れる最後の機会だと考えてる十月までに、取る覚悟を決めたのに、あまりにもうまくいきそうではないという実感が発生し、精神が悪くなった。

共通テストの願書を書く。ラプスを撮りながら。放置してると精神に悪い。出身高校にも卒業証明書を送るように連絡した。
やはり短い時間撮ったラプスはなぜか圧縮する時に長くなるな。

9/15
頭が悪すぎる。
今週もまた、赤い服を着たのに赤い鞄で予備校に行ってしまった。火曜日というのはそういう日らしい。
そして、また、現代文を切ってる2限の最中に気づいた。とても嫌になった。滅亡したくなった。
今日は朝しっかり絶起して8時起きだったから余裕がなかった。
もっと多くの鞄が欲しいとは思ってるが、別に鞄を持ってる数が少なくて生活できないわけでない。だから、こういう外圧によってのみ買う機会が発生するのかもしれない。
黒い鞄が欲しかったが、リスニング教材を見に行った紀伊國屋で鞄を買おうと思ってて、適切なものがなく、白い鞄にした。先週のやつとは違って、普通にメインで使っていくつもりのものを買った。
2週連続HRに110分前と違う鞄で現れる奴になった。、と思ったが、現代文が6分延長してて遠目で教室の前の廊下を見てたら、僕のスタンスを了解してない方のチューターの姿しか見えなくて、建物を出てしまった。
こうやってもう一人のチューターとの溝が深まっていく。相手が気付いてたかどうかわからんけど。なんにせよ、HRに出なかったのは初めてだ。
それにしてもHRは非生産的な時間だ。配られたプリントに書いてることを読みあげられるだけなのに、マルチタスクができないせいで、その間何もできない。
その後は、いろいろ雑務。
月に一度こういう日を用意して、まとめてやる。
楽しいことをする!とかではないが勉強も進捗を埋めないので、精神的に良くない。

9/16
翌日の予習がハードでその割にあまり歯が立たないので精神的に良くない。自習時間で何か得た、という実感があまりにもない。明日の予習以外の少ない時間に、もっと何か東大入試の点数に確実に貢献すると実感するようなことや、翌日自習室に来るまでの1日の間に脳内で転がしておけるようなことをするべきだ。
17時50〜チューターと面談

チューター「この夏休みの自分の学習に点数をつけると100点満点で何点かな?」
僕「うーん……2点ですかね」
チューター「えぇ、、」
僕「でも、この2点は、2点は2点でも悪くない2点なんですよね」
チューター「悪くない2点」

こういった会話をした。

9/17
久しぶりに5時半以前に起きた。そのおかげで満足に走れたが、朝の時間をそこそこダラダラして送ってしまったりもした。ホントはテキパキ用意して、予備校の授業が始まるまで、予備校の近くのベローチェシャドーイングをしたいのに。これを10月くらいからは習慣化したいと思ってるが、ホントにできるのか?9時20分からもうしっかり始まってしまう授業にはきちんと間に合って参加できるけど、それ以前に自主的に外で勉強するために家から出ていく、ということができるかどうか、あまり自信がない。9月の末はこれにチャレンジしていく。ダメそうなら、また環境に色々働きかけて変えていかないといけない。

予備校で2限の授業開始を待っていたら、爆風スランプのボーカルに酷似した人物が入ってきた。サングラスにスキンヘッド。今にもリゾ・ラバを歌い出しそうな感じ。いつもの講師の代講だ。
この人物は僕が一度も出たことがない授業の担当講師で、ただ印象的な外見なので存在だけは認知していたのだ。
一度も出たことがないのは、僕が自習時間の確保のため3限以降の授業は一切躊躇わず切ることをジャスティスとしているからであり、本当に「3限以降にあるから」以外に理由は全くない。これは僕の父もとても良いことだと言っていた。仕方ないのだ。色々なことのために。
東大文系は5〜6人なわけで、しかも僕は一番前に座っている。本当に気まずかった。自分の授業は切ってるのに、この時間の授業には出てる奴がいると思われただろう。