無題

ごめんなさい。ちょっと暗めの精神世界を発露しますね、、

 

僕の両親は中2くらいまでかなり仲が良いと思っていた

 

しかし高2くらいから僕が母親がいかに終わってるかに気づき、嫌い始めてから、そしてそれを父に伝えてから、

 

そして高3の秋に父に離婚したいが良いかと聞かれた。アイツのことはもう相手にし切れない、自分ももう吹っ切れた、お前は肉親だし少なくともお前が東大に入るまでは面倒見てやると言われた。

 

正直、父が可哀想だと思っていた。当時の生活は僕と母が神戸に住んでいて、父は仕事の都合で週に1回父が帰ってくると言う感じだった。しかし、一回母が泥酔して寝床に戻してしまい、父が帰ってきてもなるところがなく、父は自分のクリニックに行き、そのソファで寝るという不憫な目にあってることすらあったし、

 

だから僕は正直父に離婚してほしいと思ってはいた。僕が東大に入り次第離婚の協議に入るらしい

 

正直、母があんなんになってしまったのは父にも責任がないとは言い切れない。しかし、それを加味しても母の人生の送り方は終わっており、擁護し切れないとは思ってる

 

少し話は逸れるが母があんなんになってしまったのは僕にも責任があると思ってる。ただ、母があんなんになってしまうような僕を育てたのは母であり、、母から離れて確実に僕はマトモになっていったし、そして確実に僕がマトモになった大きな理由として母と確執が生まれるような関係になったことがあると思うので、やはり悪いのは母なのかもしれない。幼少期の子供の人格というのは母の影響が占める割合が大きいとどうしても思ってしまうことが多すぎる。

 

まぁ、それはともかくとして。要は僕は両親が不仲なのである。正直、両親が仲良かったりして、両親の仲良さに憧れてる人が羨ましいと思ったりする。正直父には離婚してほしいが、それでも父と母が結婚したからこそ自分がいるのであり、それを結びつけていたはずの愛情を否定してしまうことは自分の存在を否定してしまうような気がするのだ

 

僕は終始一貫して、自分がこの世に生まれ落ちたことに関して感謝している。だから、こそ、母にも産んでくれたことに関しては感謝しており、それが母全を否定することの唯一の抑止力になってるとさえいえる。産んでくれたことの感謝というのは難しいところがある。どこまで考えて産んでくれたかわからないからだ

 

全然まとまりがない話になってしまっている、、とにかく両親の仲が良くないのは悲しいという話です、、なんてありきたりな結論なのだ、、、