習い事

幼稚園のたぶん年中の時だったと思うんですけど

 

ピアノとヴァイオリンを習わさせられてたんですよね

 

ヴァイオリンはともかくとして、今、もしもピアノが弾けたらなぁ、と思うことは多いし、もう少し早い段階でこの気持ちを持ちまた行動に移してたらなぁとは思うけど、幼小中と学校教育の音楽の授業で楽器には悩まさせられ続けてきたし、特に小学校の時には凄い嫌な思いを沢山した。リコーダーとかがダメだったもん。だからそういう感情を持つのは遅かった

ただ、まぁこの話は今日は本題ではないので、また今度するとして、、

 

当然、年中の時のピアノもヴァイオリンも苦痛だったわけですよ。ではなぜ始めたのか?それはよく覚えてない。まぁよほど当時の僕は主体性がなく、親の言いなりだったんだろう。というより、母親が勧めてくることに対して、何故だか、どうしてもNOとは言えなかった。そういう傾向がすごく強かった。

 

自分で意思決定をしたという意識はあるし、実際そうなんだけど、無言の圧力なんかな?わからないけど。母親はそれに関してはそんなつもりじゃなかったと思う。でも、僕はどうしても拒否する勇気がなかった。問題になってるそれが、勇気だとかそういった類のモノなのかすら怪しいけど。そういった感じのことが僕の幼少期には山のようにあった。その中でも特に象徴的だったからこの話を取り上げてみた。

 

当然、嫌々やってたから、練習もしないし、上達したいという感情があまりなかったのを覚えてる。ピアノもヴァイオリンもめちゃめちゃ下手だった。ピアノは片手で聖者の行進を弾くのに苦労し、ヴァイオリンなんて先生の家まで行ってレッスンを受けたのに。ダメだった。ギーギー音、鳴らしてた。

 

で、僕が練習しないことに対して、母親が練習しない日が続いたらピアノとヴァイオリンそれぞれ辞めさせるって言ったのよ。

 

これってめちゃめちゃマトモな処置じゃない??今の僕でもそう思うよ。それでまぁ実際嫌だったんだし、練習せずにハイ辞めますって言えば良かったのに、何故か、その時の僕は辞めることはめちゃめちゃ嫌がった。練習はしないのに

 

そんなこんなで結局ちょっと続けて、年長に上がったあたりで、小学校受験に備えよう(ハ???)ってことで辞めたんだったと思う。もちろん辞めることに対して、抵抗はしなかったハズ。それは。だから1年も続けてなかったとは思うけど、この一連の流れは僕の記憶の中に深く残ってる

 

で、この話では一番問題だと思うのは、幼少期の教育ってめちゃめちゃむずくない??ってこと。僕が特殊だったり、僕の家庭が特殊だったり、そういう要素はあるのかもしれないが、パッと見この話においては見つかんない。だから割と誰にでも起きうることなんじゃないかと。

 

割と僕の意思は幼少期の家庭において尊重されてたとは思う。でも嫌なのに嫌と言えないことが沢山あった。嫌ということで親の期待を裏切るから?その勇気(?)がないから?、そんな類のことだったと思うけど、もう少し異質な感情が当時の自分を支配してたような気がする。

 

だからさ、何が言いたいかと言うと、子供の気持ちを本当に理解するのってめっちゃめっちゃ難しいと思う、ということ。