規制の臨界点

僕は

昨今のテレビをはじめとするメディアにおける様々な規制を

とても苦々しく思ってる。つらいなと。世の中が面白くなくなるなと。

とても小並感だけど

純粋に気が滅入ってしまう

これからどんどんさらに規制が厳しくなってしまうのか…僕が老いる頃にはもう…

なーんて暗い気持ちになってやりきれなくなることが多かった

しかし、よく考えたらそうでもないのかもしれないと思うなどした

規制というのは反動的になるのだ

たとえば日本史選択者なら誰でも知ってるこの広告

とてもセンセーショナルだったらしい

当時Twitterなんてあったら間違いなくセンシティブな画像として設定されてただろう。いや、それだけじゃ済まなかったかもしれない

警察当局からもクレームがつき、取り調べを受けたこともあるらしい

この女優は撮影当時30歳だったんだけど、家族や親戚から非難を受け、親からは勘当されたという

今ならなんてことない、とまでは言わないけど、わざわざ話題にはならないような露出だと思う

なんといっても教科書に載るくらいなんだから

当時の日本社会の風潮は、そういうことすら許さないような価値観だったということだ

過去の映画やテレビ番組を見ればわかるように、そんな日本社会も一時はとても緩い規制の中にあったのだ

明らかに規制というのは波があると思われる。いずれはまた下火になるに違いないと思える。希望的観測だけどそう思いたい

長い江戸時代を見てもそうだろう。

寛政の改革で色々洒落本作や黄表紙が発禁になって

また化政文化があって、天保の改革で厳しい規制

明らかに波がある

例を挙げればキリがないが、世界を見てみてもクロムウェルの時代のイギリスはメチャメチャ厳しく規制されたわけだけどもちろん長く続かず、、その後の経緯は明るくないけど、ヴィクトリア文化は性を抑圧する文化だったり、波があるわけだ。

このかつてなかったような情報化社会の中で、どうなるかはわからないけど…きっと歴史は繰り返す

臨界点を迎えた規制は必ず反動的になってくれるはずだと信じている…

(理系じゃないので(こんな言い訳をするのもホントはやめたい(文系だからではなく無学だからというべき(臨界点という言葉の使い方が合ってるか非常に心配でブログを出し渋ってたけど、今日の東大本番レベル模試の現代文の作者がそういった意味で“臨界点”を使っていたので、とりあえずは安心して使えると思い放出(その筆者が必ずしも正しいとは限らんけど)