外出圧力の創出について


自分が家では勉強できない性分だというのは努力で克服できることではないと高1の時に了解した。その後も、もしかしたらイケるかも…!と諦め悪く何度も家での勉強にチャレンジしてきたが時間を浪費するだけに終わらなかったことがない

しかし、家から出ることもかなり苦手としている

浪人生なんだから受験勉強しないといけないわけで、極力家に居てはならないと思う。

これまでの人生様々な家の外で勉強する戦略を練ってはその度に挫折してきた。

しかし、3浪時は若干上手くいった。


去年
3浪開始時、河合塾に入塾したが、covid-19の影響で6月中旬まで映像授業一本ということになっていた。
対面授業が始まったのは前期12講中8講目からだ。
前期が、自学自習では僕の力では無理だと考えている基礎力の徹底なわけだけど、それ以上に自分はオンライン環境での学習が不可能だと知っていたので(ネットが繋がると無限に別の色々なものを見てしまう)、それまでの期間は参考書などで自分に足りてないと思う内容を勉強していた。

6/1に父にスクリーンタイムのパスコードを設定してもらい、
スクリーンタイム時間帯別制限を軸に生活を統制した

とにかくその後自分の生活を実験してはスクリーンタイム制限する時間帯を調節し、

9:20から始まる一限には基本的に出たいと思う授業が設置されていたので、
それに間に合うように、
ただ色々考えた結果朝走るのが生活を良いものにすると確信したので、、
努力目標として5時起きを掲げ、、

実際にも11月中旬くらいまでは6時前後には起きて朝ある程度走るというかなり規則正しい生活習慣の構築に成功していた。6時前後に走るためには早く帰って入浴しないといけない。そのタイムリミットの存在が日々の授業後の自習時間にもハリを与えたし、、
スクリーンタイム時間帯別制限の存在が強制的な早寝であったり、毎日早めに入浴を終えておくことを可能にした。

平日の一限の授業がない夏休み中や土日が問題だった。予備校の担任に相談して、朝スタンプ制度なるものを開始した。これは朝9時から9時半に予備校の受付に行き、塾生手帳のカレンダーにスタンプを押してもらうというものだ。

たかがこんなことで…?という感じだけど、意外な効果を発揮し、夏休みなんてカレンダーの8割以上がスタンプで埋まった。

しかし、冬は全然ダメだった。
理由は色々ある。iPhoneのある時のアプデでなぜかChromeというappが時間帯制限外になってしまった(app storeは制限内なのでアンストしておけば大丈夫なんだけど、出来心でスクリーン解禁中に入れてしまった日は悲惨だった。(この問題は時間帯制限においてなので、フォロワーに使用時間制限に入れたら良いのでは?と指摘されて解決したがそれは1月のことだった))こと、冬は寒いので過眠になったことなどが挙げられる。

そして何よりも決定的にダメだったのが、それのせいで何日か連続で朝スタンプが途絶えてしまう期間が発生すると、恥ずかしさから多少生活リズムが戻っても、押しに行けなくなり、折角のこのシステムが機能しなくなってしまったことだ。

本末転倒というかなんというか。ただただ愚かだ。

愚かだ

愚かだ

まぁ、でも、年間通して考えると、なんにせよそれまでの弊社比ではあるけどそれなりに勤勉であった。

しかし毎日勉強時間を確保できる生活というのに慣れておらず、シンプルに勉強のやり方が悪く(具体的には自分の力を過信した完璧主義を細かいところから広い計画にまでバチバチに炸裂させた)、学力は伸びなかった。

人は強迫観念でしか生きていかない
狂気といっても良いかもしれない
人生という本来こんな虚しいはずのものを生きていけるモチベも、一種の狂気でしかないのだから

様々なことに価値を感じられなくなってしまった僕は、

去年のように、
今出ている予備校の授業に愛着を持ち
決して聞き逃してはいけないな…!と思い込むこと(様々な工夫により授業が聴けるようになったというのは本当にデカイ。これは一浪時から色々考えてきてようやくという感じだ。普通に現役で東大に合格した人達の中にも授業が聴けないという人は案外多い。)だけは強迫観念として残すことにした。実現可能なことに対する強迫観念だけが身を救う。

授業はなんだかんだ言って楽しい。本当によかった。ここは授業内容以外のことに疑いを持たないようになんとか自分を制御するように努力している。


話が前後しているが、

そう、4浪目また同じ河合塾に所属することにしたのだ。

精神状態の紆余曲折を経て(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812

そうすることに決めた。

これは2021/3/10以降の日々の自分の在り方から考えて出した結論だ。


虚無はもっと後のことで、、

今まで味わったことのないほど強烈な人生の虚無感に襲われたのは予備校が始まってしばらくしてのことなので、予備校に入ると決めたときはそういう感じではなかった

ただただ3月13日とかに東大を目指すのを諦めた頃、これからどうしようと思っていた。

結論から言うと今年度は、
どこかしらの四年制大学に入る なによりも共通テストリスニングで下ブレしても九割五部取れるような力をつけることを優先する 
と決めた。

しかし、3月後半の日々はあまりにもひどいものだった。
なにもしない、ということを今までの人生では主にしてきたが、

その「なにもしてない度」の世界記録を自分で毎日更新していた。カール・ルイスみたいなところがある。

今までのダメすぎる僕だったら、こういった状況にあっても、まだそのうち徐々に変われるだろうだなんて考えて一年が終わっていただろうが、

今の僕は流石に何か縛るものを発生させないとどうにもならないとすぐに了解できた。

僕がアドバイス面で最も信用している高校時代の漫才の相方にも、来年大学受験をするなら一応今年1年間も受験生が集まる空間に通った方が良いと言われ、

去年一応ほぼ平日毎日9:20からの授業に出るという起床&外出圧力を僕に与えてくれた、圧力の授与と成功という実績のある、去年通ってた河合塾に今年も属することにしたのだ。


【予備校に属しないと勉強できないのは甘えなのかという話】

もし浪人(特に宅浪)や不登校や純度の高い無職の経験がなく
予備校に属しないと勉強ができないことが甘えだと思わない人はすごいと思う。
そういうことが観念として了解することに僕はものすごく長い時間がかかったからだ。


生まれてから毎年度ずっと何かしらの組織に通う習慣があったおかげで、
日々の生活の中にも何かしらの圧力が常にあるおかげで近代国民国家的システムの中で堕落し切らない人というのは案外多いと思うのだ。

こういう予定を詰めるとか行くべき場所がない時期を作らないことが、当たり前のように、あまりにも自然にできてる人というのがいるなぁと今まで生きてきて僕は思った。

日々、時間に追われる生活の中で、上手く時間のマネジメントをできない漠然としたもどかしさやダラダラした経験がないわけではないが、たとえば会社を辞めた頃のゴッホみたいな生活にはならないという。。。。


他にも、普通にそれはそれで辛いことだと思うが同居している家族の存在という圧力があるとか。。。

僕の高校時代の漫才の相方は
怠惰な人と勤勉な人がいる、と言う。属性として
僕の漫才の相方は現役で文IIに入ったし、センターなんて878点だった。大学も留年してない。しかし怠惰な方に分類されると、俺は自分に甘い人間だからと、事あるごとに言う。
もちろん地アタマの問題もあるが、彼の高校時代などを見てきたし、それ以外にも話を聞いてるとそれはあながち間違いじゃない気がする。
インセンティブがなければベッドに寝そべってスマホをピロピロする以上の気力が発生しない。彼にとっても読書なんて楽しんでするものだが、それも移動時間などが発生しないとあまり習慣にならないと言う。

生まれ持った怠惰さは仕方ない。
問題は、自分のrawの意思の力を無駄に信じていることだ。

意思を変えるのが一番無駄で、人が変わるには環境を変えないといけない。こんなことは僕が高1の頃から他者に対して主張すらしてきたことなのに…!そんな僕自身が環境要因の整備に関してかなり不徹底で、しかもその不徹底さに無自覚な部分が多かった。一年かけて失敗してはそれを受けて何箇所かだけ直す。この繰り返しだった。

あと、、

僕は怠惰な方なのに勤勉な人がより自分を追い込むためにやるようなライフハックばかり日常に組み込んできた。12時間の勉強時間を13時間にするための…!みたいな。僕がそんなライフハックを導入するのは、センター数学で半分取れない受験生が入試数学の掌握に取り組むことに似ている。僕がやるべきことは、勉強時間以外を削ることではなく、勉強時間そのものを増やすことだった。順番が逆だ。
高3の夏だって、それまでの人生ロクに長時間勉強したことがなかったのにも関わらず、夏休みが始まった瞬間にいかにして毎日15時間勉強するライフを始めるかということを考え、最初の方なんて8時からやってる東進衛生予備校の自習室について、開くのが遅い!そんなヌルいことではダメだ!と言って現実を悟るようになってしばらく経った8月中旬まで東進に入らない、という有様だった。



前半で述べたように人は強迫観念や狂気でしか生きられない。

僕にだって続けられるちっちゃな習慣はあって、たとえば入浴直後のストレッチだ。去年なんて毎朝5キロ走ることがそれにより可能になった(今年はあまりできてない。理由は後で。)それまでの人生でもあんまり3日連続走らなかった期間というのは中1の秋以降存在しない。

なんだかんだ高校時代、留年をかなり恐れてた。いや当たり前のことだけどさ。
高校時代、高校卒業成功をどうでも良いと思わなかったことだけが、今の僕を完全な0ではなくしてる。

単位もギリギリだったしいくつか諦めて放棄した。朝も起きられてなかった。基本的に生活リズムが48時間サイクルだった。遅い時間に起きてしまっては徹夜して学校に行っていた。僕が1限開始30分前に教室に存在しているだけで、同級生に今日徹夜やろとよく指摘されたものだった。


で、
実際問題
最近はどうしてるかというと

若干の自意識を克服したため(これは今年所属してる予備校のコースの人数が多いのもデカイ。70人くらいの最後列なら耐えられる。)、朝起きて、頭にカチューシャをはめて自転車を飛ばして予備校の授業に参加している。授業開始が9:20とかで、8時過ぎに結果的に起床する日が多かった。

去年は人数の少ないコースで毎回最前列に座り、誰とも喋らないくせに毎日髪を作っていた。それが街に出るためにヒトのカタチになるということだと思っていた。何日か連続で成功した時に元気に過ごせたせいで、そうしないとエネルギッシュに1日を送れないと考え毎朝強迫観念的に走っていた。
そういう強迫観念からも一部自由になれた。ある意味で完璧主義の部分的放棄かも知らないし、虚無主義に陥ったことで色々なことが割とどうでも良いと思えたからかもしれない。虚無はネガティブなイメージがあるが総合的に見て良い変化だと思う。大きな変革のためには破壊が必要なのだ。人生のスクラップ・アンド・ビルド

去年1年間は本当に謎だった。本当によくわからないことをしていた。
努力目標としての5時起きがあるので、23時までには寝たい。自分の帰宅後のルーズさを極度に恐れていたため、予備校前期の間なんて毎日19時までには帰宅していたはずだ。当初はスクリーンタイムが一日平均90分とかじゃないと死んでしまうと思ったからだ。そういう時間帯設定にせざるを得なかった。その後徐々に慣れていくに従って、逆にスクリーンタイムを短くすることには耐えられるようになり、様々な改編を施し、スクリーンタイム解禁までに入浴完了する!スクリーンタイムの解禁は21:55!だから20時過ぎまでに帰宅!入浴!という感じになっていった。
多少週末は長めに設定していたけど。。。

それでようやく睡眠のリズムが乱れない生活習慣が構築できたわけだけど、それでも勉強時間は平日1日5時間とかだった。ここまでやって自分は1日5時間が限界なのかとひどく絶望したものだった。それでも朝走ることだとか、自習時間を侵食する授業だとかも、そういったものが存在するリズムの中で勉強時間もある程度は保ててることだと考えていたため、その辺を変えようという気持ちにもなれなかった。何か変えて今より状況が悪くなったらどうしようと思っていた。結局変化を恐れていた。


そしてさらに、

こんな夕方以降は基本孤独に自宅のWi-Fi環境で短期集中型のスマホ操作!終わったら即入浴(入浴後スクリーンにしてから即寝る!)!みたいな生活の罠を全く予測できてなかった。

マルチタスクができないので1日のスクリーンタイム解禁中に人と一緒にいたくない。

2020年に
4回以上話した人間が、父と予備校のチューターを除くと2人で、そのうち1人は4回だった。これはcovid-19とかそういう問題ではない。

つらくなることの予想をしてなかったばかりか、つらいと思うような自分ではありたくなかった。ショーペンハウアー的な孤独観をずっと持ち続けてきたからだ。幼い頃から一人遊びが好きだった。幼少期誰かと個人的に約束して「遊び」に行ったことがない。家には一応家族がいたとはいえ、やはり自分はそこに寂しさを感じない属性の人間なんだと思っていた。遊び、に「」をつけてしまうくらい、この言葉に違和感がある。寂しいという言葉も結構嫌いだった。中高時代は定期テストの後同級生とカラオケに行くことは多かったが、長期休暇に約束してみたいなことはかなり少なかった。そういうことを“わざわざ”することに対して妙な抵抗のようなものがあった。むしろ、同じ組織、せめて同じ学年でない人と何か理由をつけて会う方が、約束という行為に関しては心理的ラクなことのように思われたので何度かしたが、あまり多くない。
なんにせよ、今年は孤独が自分の精神を擦り減らすことを流石に自覚しないわけにいかなくなった。まだまだそんな自分を赦せているわけではないけれど。

だから、なるべく会える時は人に会うようにはしている。
人と会うことで生活リズムが多少乱れることを、去年ほど生活リズムの維持に対して病的に神経質になっていないせいで、受け入れられるようになっている。


ただ
今年度僕の外出圧力たりえる授業の開始時刻は、
月13:10火9:00水10:50木9:00金10:50
という感じだ。。。

まぁでも最悪の事態は避けられたかな?という感じでポジティブに捉えている。

実際問題、時々、外出どころか起床にすら失敗してしまう。ひどく落胆するが、一回休んだら何回休んでもおんなじだみたいな0 100性に陥らないような精神性になってきてはいて良い感じだ。今までの自分も、この0 100性は思考においてはあんまり意識してなかったんだけど、どうしても無意識のうちに感覚がそうなってることが多かった。

予備校の講師の質が良い、という事実は無気力の生徒をせめて予習くらいはしようという気持ちにさせるという観点でもかなり大事なことだ、と気づいた。

僕だって基本は参考書勉強効率主義が可能ならベストだと考えてるわけだけど、、、僕には可能でないわけだから。。。

大学受験にある程度詳しい人が見たらわかるが英語の講師陣(墺/高沢/太/刀禰)が凄すぎる。河合塾が誇る講師陣という感じがする。数学も良いんだけど、、午後からに授業が集中してるから。。。

「自意識」に関する補足

「自意識」について


一応、
テレビスターが、夢だった。破〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/29/205335
の【自意識の輪郭】の内容を前提として書いています(あまり通俗的な用法ではない自意識まで説明もなしに自意識で括って書いてる可能性がある。)

自分の認識上の様々な問題点を自意識のレッテル勝手に喜んでる
敵を捉えた気になってる。
それは危険だと思う
しかしながら、ゼロからの自意識なので別に良いかなと
予備校で初めて5文形の話を聞いてぜんぶそれで説明できる気になっても最初は構わないだろう

考えてみれば自意識ってあまりにも適用範囲が広い。
他者と関わることって全部自意識くんの出番やん。
他者というものを過度に意識すべきではないという謎の信条を物心ついた頃から過度に持っていたせい(もしかしたらその裏返し?)かもしれない。そのせいで反動的にこの歳になって過度に考えるようになったということ。自分は自己と他者の関係というものに対する理解が浅いという危機感がある。


正直、自意識という敵を同定してから日が浅すぎて、自意識対策の凡庸なまとめサイトによく書いてあるようなことを最近自分にあった気づき(笑笑笑)としてダラダラ語ってる可能性がある。

そういえば、何事も(笑笑笑)をつけて自分はこういう通俗的というか陳腐な表現を敢えて使うけどそういう自覚はありますよ的なアピールをしないと生きていけないのも自意識によるゴミ意識だよな。しかしまだしばらくこれからは自由になれそうにない。


だいたいから言って僕は自意識を扱ってる作品好きな傾向にある。
たとえは漫画だと惡の華とかさくらの唄は前半で割と全面にそれを押し出している。
単に自意識という語のレッテルを貼れていなかったというフシもある。

自意識というのは割りかし多くの人がある程度強くは持っているもので、

ただ何故僕がこんなに苦しむのか。
それは悲しいことに顕示欲が強いからだ。

顕示欲が強いが故、以外にも特異な状況に置かれることがなぜか多く(不適合故?そんな自称なんてホントは絶対にしたくないが)、
なんにせよ「自意識」を試される機会が多い気がする。
多汗症故冬の室内から出た瞬間半袖に大量の上着を手に持った状態で歩く羽目になって都会だと恥ずかしいとか、
普通に多浪だから模試とかで生年月日書くのが恥ずかしいとか、
苦手な野菜が多くて、飲食店で抜いてもらうのをお願いするのが恥ずかしいだとか(あとは、お待たせしました!○○ネギ抜きです!と大きな声で言われる時とか。)
それともみんな我慢してるのか???


てか僕が結構連呼してた「虚栄心」とかもまぁ自意識の所作だよな

先に、ラスボス的な話をする

とある高校の同級生と2浪時会った時に、

僕は浪人を機に大学に受かったわけでもないのに訳あって関西から関東に移住して一人暮らしを始めたわけだが、この事実は他のとある同級生に知られたくなくて(その人物はそういうことに対してチクチクした感情を持ちそうだから)噂はすぐ広まるものだし最初は高校の同級生達に隠しておく方針だった、みたいな話をしたら、

「(僕の苗字)は、そういうのを気にするの好きやもんな」

と何気なく言われた。

めちゃめちゃ俺の急所を的確に触るのが上手いなと思った。偶然かもしれんけど

正の自意識と負の自意識(まぁそれぞれあんまり良いもんではない)が互いにバチバチに炸裂してて、しかもそれぞれは打ち消し合うものじゃないみたいな、そういう自意識。
これを自意識って言うと当時は知らなかった。

今はね、つまり、ブログにこういうことを書いて全世界に向けて発信してしまうくらい

「マイナス属性自意識強くて苦しんでるんですつらいんです可哀想でしょ」とアピールしてしまうというプラスの自意識が炸裂してる期。


一応、正の自意識というのは過剰に他人は自分に関心を持ってくれてるだろうと思うこと、負の自意識というのはあまり人に注意を向けられたくないようなことに関して、過度に人は自分についてネガティブな感情を持っているだろうと思うこと、を指すつもりだ。

たとえば、割と親しいと思ってた人が、意外にも僕の公開してる情報を見てなかったりすると、割とえぇ!ってなる。そういう意味では正の自意識はかなり持ってて、ただ正の自意識を持ってるという事実を人に悟られるのが恥ずかしいという負の自意識で隠してしまう感じがある。というか、それがかなりすべての僕の根本だ。

そのせいで、みんな僕のことなんかどうでも良いんだ、、それなのにみんなに興味を持ってもらえてる前提で振る舞うのは恥ずかしいのでなるべく顕示的でない生き方をつとめようってよく思ってしまう。みんな僕にそんな興味ない。それはある意味で事実だけど、それは別に大した問題ではない。人間ってそういうものなのに、隠れ正の自意識の強さのせいで、過度に負の自意識を高めてしまう。反動的に。ずっとこの繰り返しだった。僕の人生。


勝手に正の自意識 負の自意識みたいな概念を導入して喜んでしまっている。


様々な形で発現している多種多様な自意識過剰のちょっとした例をさらにさらっと列挙していく


書店で

日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」「一度読んだら忘れない世界史の教科書」「人は話し方が9割」「「育ちがいい人」だけが知っていること」「世界のエリートが学んでるMBAマーケティング必読書50冊を1冊に」みたいな本が平積みされてるのを見て、

一応内容をパラパラ見るためにすら触れられない。周りの視線が気になってしまう。視界の最外縁で存在を確認するのが限界。少なくとも新宿の紀伊國屋では無理だ。新宿のブックファースト(結構人がまばら)ならギリできるかなというレベル。それらの「立ち読み」のためにKindleを入れる必要がある。


俺は黒烏龍茶の味が好きで飲んでるわけだけでトクホだから飲んでるわけじゃないから、そう思われたら嫌だから店頭で黒烏龍茶を買えなかった。
実は脂肪を減らすシールが貼ってるやつも同様。

アルコール消毒とかしょうもないと思ってるので、店員に気にしてると思われたくなくて、あえて除菌とかへの言及のない表示のやつを選んで買ってしまう。 



雷獣オーディションで、好きなテレビ番組を聞かれて、反射神経的に「ないです」と答えてしまった。あるのに。そしてさらに、ポロッと「全部おもんない」と言ってしまった。そのセリフには字幕までついていた。このことを引きずってる。思ってもないことを言ってしまい、それが視聴者の記憶に刻まれてしまったのではないか…?

テレビ全般をデカい主語で批判したくない。

休憩時間、リラックスして喋ってる時僕は面白いことが言えて、普段ならそんなこと言わないのにアドリブでキングオブコント出たらryみたいなことを口走ってしまい(やはり精神状態が変だったのか)お笑いを舐めるなwみたいなことを言われてしまう。僕も本当にそう思う。しかし咄嗟に、「思ってもないことを言ってしまった」みたいな弁解もできなかった。これにより彼らに失望されたのではないか…?

などと気を揉んでいる。



今まで気にしてた色んなことも結構自意識の所作的なことが多い

2浪時世界史の授業で、
砲艦外交を英語でなんていうかっていう時に
適当に耳に残ってた感じで、ガンディードディプロマシーと言ってしまった。
正確にはガンボートだ。本当に直訳でgun boat diplomacyなのだ。
適当な知識でイキって恥をかいた。
講師や周りの生徒に未だに覚えられてて、内心バカにされてるんじゃないか?って不安に思ってる。


中学の時の修学旅行的なやつで、同級生と見てたTVから曲をyesterday とimagineを逆に言ってしまった。間違えのレベルが低すぎる。The Beatlesについてなんも知らん人の発言やん。何年も引きずり、何年か経ってから、その同級生にあの時恥ずかしいことを言ったがry、などと言ったことがある。やはり気にしていなかった。


平日の昼間にランニングできない。浪人生故平日の昼間にランニングできてしまってると思われるのが恥ずかしい。誰も思わないのに。スーツ着て歩いてる人が、自分をどう見るだろうと思う。何も思わないだろう。働いてて平日休みの人だっているのに。それでも気にしてしまう。終わってる。

リプライを送れない自意識もある

全身陰茎男が「どしたん、話聞こか^_^」
「それは彼氏が悪いわ」などと言っているイラストがある。アレを描いた人間は天才だと思うし、初めて見た時以降も何回もアレを見ては笑ってきた。
が、
そういった意識にあまりにも囚われている。そもそも同性相手にすらちょっとしたリプライを送るのにも抵抗があるみたいな観念も根底にあるし、、
ただ少なくとも高1の時はそういう意識がなかったので、これはインターネットに歪められた感じがあるかもしらない。そして、多くの人が持ってる種類の自意識かもしれない。


実は、
デカイ主語やネットで見かける断定的な口調にたびたび傷つくのも
自意識が強いからなのかもしれない。

ただ、
たとえば真っ当な服装で外に出るとかも自意識のせいなわけで

まぁその自意識すら克服してる「成功者は多いが…」

流石にその自意識くらいはあっても良いわけで、、

自意識の中庸を探したいですね…!(僕の結論は全部これ)

脳のセルフプレジャー

別に考えなくても問題が起きないようなことをウダウダ考えるだなんて脳のセルフプレジャーに過ぎない。普通に考えがグルグル回ってしまう人は割といると思う。ただ僕はさらに強迫観念的にスマホのメモ帳にメモってしまう。スマホのフリックで気軽に打ち込めるからさ。そういう技術がなければ諦めてるよ。字が汚いし。思考のスピードで紙に書くと後から見て自分でも読めない字になってしまう。げんに小学生の頃とかもそういうことをしたかったけどスマホを持ってなかったからしなかった。でも今はできるわけだからしてしまう。なんか忘れてしまうのが怖くて。勿体ないと思ってしまう。自分の思考の軌跡にそんな価値を感じてるのは自分で自分を買い被り過ぎだと思うけどさ。虚無主義カンストしてからもそれは変わらない。多少マシにはなったけど。脳のカウパー氏線液を保存しておきたいという欲求が強いということ。で、時々インターネットに放出するに値すると思えるメモが発生する。これが脳の射精だと思う。このセンテンスだって脳の精液なんだ。まぁこれはブログだけど、たとえばツイートって出し切ったなと思っても翌日にはまたポンポン湧いていたりする。むしろあんまり制限なくしていると、沢山する習慣がついてしまう。極めて射精に似ている。頻度を全く制限しないと一回一回の質が頗る悪くなることがある。こんなとこまで射精に似ている。いや、本当に似ていると思わないか?やっぱり生産性のない思考って脳のセルフプレジャーなんだよ。生産的じゃないって面白くないってことじゃない。たとえば哲学なんて脳のセルフプレジャーだと思う。タレス以来、ここまで哲学が高度に発達したのって脳のセルフプレジャーのリレーバトンが脈々と受け継がれていたからではないか。素敵なことだと思う。先哲たちは、脳から分泌された精液をさ、きちんと文献という形で煮詰めて残していたんだよ。その中でも特に後世まで残され、そして伝えられたエッセンスである凍結精子が未来の哲学の子種を生むための設計図になってる。人類ってすごいよ。やっぱり、多分。

煮詰めるって熱を加える感があって、それだと精子が死んでしまうから表現的に抵抗があったが、煮詰める以外に浮かばなかった

テレビスターが、夢だった。Q〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕

テレビスターが 夢だった。破〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/010705)の続き


【完璧主義の放棄】

認知の歪み、という概念をしっかり認識し出したのは3浪、つまり2020年のことだったと思う。色々要因はあるけど、FFの人がRTしてた人格改造完全マニュアルのあるページを載せたツイートを見たことがデカかったと思う。申し訳ないがその本は読めてないけど(積ん読が多すぎる!!)、色々「認知の歪み」でググった。そして、僕はこの認知というやつが極端に歪んでるなと認識できた。

軽くしか触れなかったので完璧主義についてもう一度。
前述の通り、自分がいかに筋金入りの完璧主義者であるということに結構最近自覚的になった。
1日1日の送り方から人生の送り方まで、受験勉強から文化の摂取まで僕は全部完璧主義的だった。そしてそれゆえの0 100性を発揮して結局何もできないことが僕の人生そのものだった(他にもたとえば人との会話の反省会をしては落ち込むのも完璧主義の毒みたいなところがあり、人とのコミュニケーションのイデアなんていうのは、イデアというものの性質上存在しないわけだ。だからそれにならなかったことを悔やむのは無駄だということだ。人とどうせうまくコミュニケーションを取れないからという理由で人と会わながちになるもの0 100性の弊害という感じがする。)

特に1浪2浪開始時は酷かった。この傾向が顕著に発現している。

1浪が始まった時、
わけあって(大したことではないがひとまずここでは詳細は割愛)、東京での一人暮らしで浪人することになって、
最初は宅浪(結局駿茶に通うのだけれど)で、高1の時点で自分の家で勉強できない性質に確実に自覚的になっていたのに、心機一転頑張れる(笑笑)と、一日12時間は勉強すると信じて、それを実行し、完璧な受験勉強なるもの(この表現で伝わると信じている)(信じてばっかりかよ)を実現しようと思っていた。が、結果はどうだ?

2浪時なんて浪人が決まった瞬間に、ペースメーカーとするための週2の2時間のZ会の授業以外の時間をすべて自習室での参考書学習に充てることを決意し、、
やりたいと思ってる参考書を各教科すべて書き出し〔参考書通(ゴミ!!!)(参考書コレクター的気質ほど実力のない受験生にとって有害なものはない!!!)(自覚してた。ずっと。でもこの情報化社会!)〕故にめちゃめちゃ多い)、それらを全てまずは1セクションくらいやってみて、どのくらい時間がかかるかはかり、、  2浪の1年間各日の24時間計画表を作り、そのどのくらいそれぞれ時間がかかるかっていう実験をもとに(流石に一気に秋冬まで埋めるということはしないが)タイムスケジュールを組むという作業を進めていた、、。。、、。!

これは遠視眼的になりすぎてることも含めて僕の“悪い”部分がすべて出ている。

結果としてZ会の週2の授業の予復習すらずっと中途半端という状態の1年間を送った。


2021年の2/17
ある日自転車に乗ってて、突然、ひどく自分は強欲な人間だなぁと改めて思ったことがあった。
何かを得たいなら何かを差し出さないといけないんだよな全てを得るなんて無理だからな当たり前なんだよなわかってるけどさ…みたいな気持ちになった。
全てを手に入れた人生しか嫌、という完璧主義だったのだ。
完璧主義が先か、強欲が先か、はわからない。そんなことはどうでも良い。ただこれらをやめることにした。

やはり多浪という点で人生にあまりにも傷がついたから、どう考えても完璧主義を満たすのが無理だなという、
まぁ人は親がそれを赦し、放っておいたら多浪してしまうわけで、、
時間が解決してくれるタイプの受動的な諦め理由の発生によって完璧主義の撤廃が可能になった気がする。

“主義”って実は相当重い 感情に根ざして所持している信条だ。
旧ソ連の社会“主義”者がいきなりウォール街に放り出されて生きていけるだろうか?
自由民主“主義”に「毒されてる」我々は、すぐに独裁に本能的とまで言えるようなアレルギーを起こす。
どうしても自分がテレビスターになれない人生を受け入れられないと思ったのだ

ありとあらゆることに劣等感を感じては消耗してしまうのもある意味で完璧主義が原因なんだと思う。全てのことができていないとダメだ!と思うから。これはまだ原因を特定したところで全く自由になれてないけど。まぁなんにせよ4浪かつ将来性が全くない状態だから当たり前だけど。
誰にも負けないことをせめて一つは見つけたい。

あとこれも前の記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)で触れたけど
100を満たすのが理想で、残りの20を満たすのがとてつもなく難しい時に、80を満たしたらかなり気が楽になるのに、0の状態から見上げて100と99の差が異常であるかのような見方をしてることがあまりにも多すぎるのでやめたいと思った。

こういうのが積もり積もってる中で

この記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)にもあるように
2020年2月14日(強欲への気づきはその3日後ということになる)頃に完璧主義の撤廃への道の入り口に立った。この日の時点ではまだ東大に受かるまで受け続けようと思ってたけど。ただもう色んな事を受け入れられる土壌ができ始めたおかげで、1ヶ月後には東大を諦める勇気が持てたし、しばらくしてテレビスターにいつかなるぞという幻想も捨て去ることができた。



2021年の1月僕は3年ぶりに村上龍コインロッカー・ベイビーズを読んでいた。3年前よりも遥かに物語の世界に没入することができた。主人公の一人 ハシがスターになった後、転落して「僕はただみんなから好かれたいんだ」「僕は狂っていない、みんなから嫌われて悲しいだけだ。」と言った。ハシ…!と思った。この物語で僕はハシに最も共感し続けた。
村上龍に改めて強く惹かれた僕は、本屋をフラフラしててたまたま目についた「村上龍映画小説集」を読み始めた。
そこで自分が自意識が強い人間であることをきちんと認識することができた。

【自意識の輪郭】

なぜ急にテレビスターが夢だったことを激白できたか

それは“自意識”の躾け方を会得し始めることの萌芽がうっすら確認できる、そんな状態になったからだ。

自意識の強さゆえにずっとこの夢(笑笑笑)を人に言う勇気が持てなかったのだ。勿論諦めたからというのもデカいけど、

自分が自意識過剰な人間であるという事実に自覚的になったのは2021年になってからだ。

○○という自意識、みたいな用法は認識していたけど、

「自意識過剰」という語じたいはかなり狭義的にしか捉えられていなかった。別に自分について言及されているわけでもないのに、勝手に自分について言及されていると思う(これはそのことで注目されることを主体が好ましいことだと思ってる文脈において)、みたいな意味に限定される語だと思っていた。

2021年の2月に読んだ村上龍映画小説集で結構自意識の強さに関する言及が多く、いや僕やんとなり、自意識過剰の様々な意味を認識したのだった。
(この本は本当に素晴らしく、明らかに僕を変えた一因だといえる)

思えば邦楽の歌詞なんかでも自意識に言及してるのは多く、共感(笑笑笑)できるなーなーんて後から思ったりした。

僕が抱えてる意識における諸問題は途方もなく多岐にわたり、頭を抱えていたが、かなり多くに対して「自意識過剰」から分岐して発生してることだというレッテルを貼ることができて、気持ちが楽になった。

自意識過剰の人はアガリ症だという。
僕は人前で話す時は確かにアガりやすい。
それでも、ずっとアガり症であることをなかなか認められなかった。性質ではなく状況のせいに毎回してきた。しかし、自意識過剰故のという根拠を得てしまった。
アガっていてはテレビスターになれないな。

自意識という語は割と多義語だ。

単に強いといっても色んな形での発現の仕方がある。

たとえば赤裸々度?が高いと自分が思うことを投稿する時とか、その前に1つ後に2つくらい10分以内の間隔で無難な内容を投稿したいとか

たとえばこの記事がそういう記事なんだけど、今回は剥き出しの自意識を晒そうと、前後に何も投稿しなかった。


ベテランちさんと意識について喋った時、かなり印象的なことを言われた

それは「強すぎる自意識は自意識を抑圧する」という彼の持論。

この記事(【東大医学部YouTuber】コロナ禍に突如現れた天才・ベテランちにUmeeTが凸ってみた https://todai-umeet.com/article/59309

の話にちなんでしたんだけど
逆張りを極めた先にYouTube」というのもそういう感じだというのだ。

この自意識への切り口は結構マイナーな気もするが、
今の僕の様々な考えの基調になってるので一応、、

たとえば逆張りをしてしまうとか、そういうのって自意識の強さから起こる行動だという話だ。

「こんなメジャーコンテンツや流行りのモノを無邪気に好んでいるだなんて他人に思われたら恥ずかしい…!熟慮とかないんだな…!と思われる」という自意識から、実は毎日白日を聴いたりしてるのに、若干マイナーなものを好みとして挙げるということだ。

ある意味でのサブカル趣味もそういうところがあるだろうし、(まぁ僕はTheサブカルって感じじゃないけど)



しかし逆張りをしてるなと思われるのもまた恥ずかしいのだ。
そういう自覚が生まれてしまうと、強すぎる自意識が自意識を抑圧するという状態になるのだ。こういう過程を全く経ずに最初からこの状態の人も結構いると思うが、

これを僕の例に適用させると、例えば
赤裸々過ぎる内容の記事を、前後の他の記事の連投によって中和させようする時、この営みは決して結果的には自意識の保護膜になっていないということだ。結局他人は赤裸々過ぎる記事の方しか目がいかないので結局恥ずかしいことをしている。


多義語?としての自意識についての他の側面?について書くと、

他人が自分に対して注意を払ってないということは流石になくて、そこを問題にすると、気にするな!と言われてもいやでも注意向けられてるやん!ってなるから自由になれない。
大事なのは、注意こそ向けてても、そんなにデカい感情を持ってない/一瞬持ってもすぐ忘れる/そもそもほとんどの人間にどう思われようと大したことではない/ということなのだ。凡庸すぎる注意喚起だな。Wikipediaの「自意識」という記事に書いてあるようなことだ。

この記事(テレビスターが、夢だった①)の冒頭あたりで語ってた自意識の話は、そういう意味で自意識だ。
たとえば、予備校の受付で生年月日を書かされる。4浪だと思われる!なんて思うわけだけど、別にそれ自体は間違ってないわけで、実際受付の人には4浪なんだなぁって思ってるには違いないわけで、でもそれ以上の感情は持たないわけだしそもそも受付の人に4浪だと思われることは僕にとってそんなデカイことではないはずだ。そういうことを意識していきたい。


マイナスのニュアンスを持つ無意識過剰(自意識過剰の対義語)という言葉もあるわけで、人目を気にしないのが良いことではないし、サブカル的というかなんというか少なくともたとえば米津玄師の好きな曲を聞かれてピースサインやlemonと即答してしまわないような自意識もある程度は絶対あった方が良い。
とにかく適度なラインを探したい。
中庸が苦手だから。なんにせよ。僕は。これを直していきたいのだ。

このようにして自意識というものを“敵”として認識、向き合い始められたからこういった(少し前の僕からしてみたら)「激白」といえる内容を投稿することができた。

「自意識」については「自意識に関する補足」https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/06/11/170444という記事に補足を書きたくなって書いてます。

もちろん自意識が強いからこそ完璧主義に陥っていた部分も多分にある。


ちなみにテレビスター云々とYouTubeを始めたのはまっったく関係ない。

まっったくは言い過ぎかもしれない。
なんにせよ不特定多数から承認を得る手段だから。
でも、少なくとも少しは違う。

僕はおそらく日本の人気YouTuberベスト30とかの動画を全部合わせても2時間以上見たことがないと思う。そのレベルだ。まず、YouTuberというジャンルにすさまじく疎いから

始めた理由は、始めるとしたら今しかないと2020年の4月に思ったから。本当にそれだけ。このチャンスを逃してはならないと強く思った。見る前に跳べ、をここで実践しようと思った。

高校の2個上の先輩のチャンネルがありえない速度で爆進し、高校の同級生のYouTuberが出した僕に言及した動画がそこそこ再生され、
コメント欄で暗躍してる場合じゃないだろと思った。

今や竹中平蔵や椎木里佳すらYouTubeチャンネルを持っている時代。彼が始めたのは僕より後だったけど。例が悪いか。
なんにせよ、そんなマジでYouTubeやっていく!という人以外もなんかチャンネルくらいは持ってる時代だなぁとは思ってて、そういう中で、チャンネル登録者を得やすいタイミングだよな今は、と思ってしまった。ここで逃してしまうと次なかなか来ないであろうと、。その結果が2020年4月24日

ただ副産物として色々思うことがあり、それは良かった。

自己演出能力の低さ。低いというか、何をやればもっと人に見てもらえるようになるかを
わかっててもできない。わかってるからこそできない。自分の“良い”ところを全面的に押し出すことに異常な恥ずかしさを感じてしまう。そこにかなり純度の高い無駄な自意識を見つけられたのだった。突きつけられたのだった。
ただ、ずっと自意識という語で捉えることすらできずもがいていた。最近気づき“つつ”あるわけだ。

YouTubeへの動画投稿という「手段」は
僕が自分に対する「ものさし」として使っていこうと思っている。自意識の強さとかを測るための。

僕の中では自意識を躾けられるという福音は聴こえている。まだリスナーの皆さんは感じてないかもしれないけど。そのうち動画を見てもわかるレベルになると思う。


そう、YouTubeを始めたおかげでベテランちさんとの関わり?などで色々見えてきたことがある。

前述の記事(https://todai-umeet.com/article/59309)内で、お笑いが好きであることを語り、そんなにお笑い好きなら芸人になろうとは思わなかったのか?と聞かれて

彼は「東大卒で芸人になると、東大卒を全面に押し出て芸人をするのも、東大卒を敢えて隠して芸人をやるのもスベってて、どっちにしろ微妙な感じになる。要は逃げ場がないという。。」みたいな返答をしていた。

僕自身了解しつつも、僕が目を背け続けた事実を指摘されてるなぁという気持ちになった。

もう東大も諦めてしまったけど。。。これも無数にある諦めた理由の一つにカウントしても良い。

3浪までした理由はちょっと違うけど、
成績が悪いのに目指し始めた理由はそうだった。
前述の認めさせるみたいな強気さではないが
「学歴は浮き輪」という観念がくるものだった。。

というか、これは宇佐美りんの「かか」の単行本p109「すべてのばちあたりな行為はいっとう深い信仰の裏返しです。」という一節から思ったことだけど、僕のある種の逆張り的気質はある意味、潜在意識下ではあるが極度に権威主義的な部分からくるものだと思う。

テレビスターが、夢だった。シン
〔急の晩期みたいな内容&今後について〕https://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/06/11/195940
に続く。

テレビスターが 夢だった。破〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕

テレビスターが夢だった序 )http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/004732)の続き



【遍歴】

僕の人生の最初の夢は総理大臣だった。
多くの人が一度は憧れる職業だろう。

年長さん(笑)の頃、幼稚園の朝礼で壇上に立ち「僕は総理大臣になりたいと思います」と大きな声で言った。誕生日に全園児の前で将来の夢を発表するのがその園のならわしだった。

幼少の僕は、夢を聞かれて、ウルトラマンマックスと答えてた同じ空手教室の男の子のことをひどく軽蔑してしまっていた。
よく考えたらテレビスターも幻想のようなモノだからそう変わらんな。

小学生の頃、気づいたら、将来の夢は医者になっていた。中1の途中くらいまでは医者が夢だった。少なくとも中学入学時に書かされた「初心」という文集にはそれについて書いていた。
f:id:Matryoshkaddicted:20210612032112j:plain
医者志望だったので東大離散に当然自分は行くものだと思っていた。灘志望だったし実際入ってしまったから自然な流れだと考えていた。しかし、まだまだ受験制度には疎く自分が当時から大好きだった地歴を離散の場合センターでしか使えないという事実はまだ知らなかった。
そして、なんとなく世界征服できたらなぁと思っていた。

ただ当時(小学生の頃)の僕の意識として印象的なものがある。
鈴木福くんを理不尽に嫌っていたのだ。
小学生だから仕方ないと思うが、なんにせよ自分より年下が、親がそういうことに意欲的だったというだけの理由で(当時はこのようにひねくれた見た方をしていた)、TVに出てチヤホヤされているという事実が僕には耐え難かった。当時の今よりさらに愚かだった僕は、あんなこと僕にでもできるのに…!と考えていた。
正確に言うと僻んでいたんだと思う。全く当時そういった自覚はなかったけど。

これは、その後に発生するテレビスターになりたい欲にも通底する価値観に根ざしていると思う。それは、「とにかく不特定多数から圧倒的に承認されるという経験が全て」というものだ。それが人生を送る上での前提のようなものだと思っていた。少なくとも、思い込んでいた。

だからこそ東大を目指した部分も多分にある。こう言っては悪いが、どんなバカにもバカにされたくなかったのだ。自分が乗りかけていた高学歴レール(笑笑笑)の上で何か肩書きを得るとして、少なくとも誰にもバカにはされないのは東大入学だけかなぁと思った。受験などに疎い人にも絶対に不当な評価を下されたくなかった。全国民に承認される、いや少なくともケチをつけられない学歴面での前提が欲しかった。

こんなエピソードがある

灘高校にV6のメンバーが来てダンス指導するみたいなテレビ番組で、生徒達に志望校を聞いていき、東大理一と答える人が多い中、京大医学部と答えた子が東大理一より下であるかのような扱いをされていた。

こんなツイートを見たことがある。

友達と二人で(関西の)街を歩いててキャッチに大学を聞かれて、友達は同志社と答えて賢い〜と言われて、ツイ主は東北大学と答えて、遠いですね〜と言われた、みたいな、、

本当に耐え難いことだと思ったのだ。

今思えば、全員に認めさせないといけないという、ある意味での「完璧主義に対する強迫観念」だったのかもしれない。

Material Girlなどのヒット曲で知られるポップスの女王Madonnaは大学中退後、N.Yのタイムズスクエアで「“I won't be happy till I'm as famous as God.(神と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)」と誓ったという。僕もそんな気持ちを持ち続けてきた。

僕はあんまり海外セレブ発のコンテンツに興味はないけど、海外セレブに関する記事などを見るといちいち劣等感を強く刺激されてきた。

話が進みすぎた。とにかく、中1の時の転換について話す。

僕は幼少期から松本人志を軸としたお笑い賞レースなどこそ見てきたが、なぜかそれ以外の番組に関心がなかった。勉強ばかりさせられててテレビの視聴を許可されていなかったという感じではない。中学受験の20日前くらい前に車のカーナビでTHE MANZAIを見ていた記憶すらある。まぁザマンザイに松本人志は絡んでないけど。関西ローカルである明石家電視台などはギリ見てたし(まぁこれは単に歯磨き後たまたま父が見てることが多かっただけやけど)。ただただシンプルに演芸以外のエンタメ全般に関する興味を欠いており、異常なほどに知ってるテレビタレントの数が少なかった。確実に言えるのは、中学入学時点で、マツコ・デラックスを知らなかったということだ。浜田雅功の下の名前を言えなかった松尾伴内は知ってたのにな。。ちなみに中1時点でタモリを知らない灘生というのは案外多い。

ただ急に中1の間にエンタメへの関心が異常に増した。理由をあまり覚えていない。なんにせよ自我が目覚める時期なのだろうということにしておく。親の干渉も減ったわけだし。
そんなつもりはなかったが、さながら勉強でもしてる感じでエンタメの歴史についてWikipediaで調べつつルーズリーフにまとめ、沢山のTV番組を録画しては丁寧に見るようになった。高校生の頃の中田敦彦みたいな感じだった(今の彼はともかくとして、彼の芸人前夜という著書は良くて、そこにそういう感じのエピソードが書かれていた。)

ただ、まだ漠然としていた。テレビでの露出をコンスタントに得続け、国民全体から承認され続けたいなくらいの願望を持っていた。しかし、最終的にはテレビスターに…!と思い始めていた。

中1の時にクラスメイトに将来の夢を聞かれたのかなんだったかきっかけは忘れたが、とにかく当時(今もだが)どうしようもなかった僕がなれる職業あるのかみたいな話になったんだと思う。多分体育祭の時だから9月だな。ポロッと、〝タレント〟になりたい、と言った。その後ちゃんとした受け答えとかできるんか?とか言われて色々シュミレーションさせられてはダメだなぁみたいな感じになった。ただ、その時のクラスメイト達は多分このやりとりを覚えてないだろうし、覚えてたとしてもハタチまで本気にしてただなんて思ってもなかっただろう。
多分、学校でそういうことを語ったのはその時が最後だったと思うから。。。

僕が視聴して唯一感動できるTV番組はM-1グランプリである。YouTubeの主な使用法はYouTuberの動画を見ることではなく、芸人のネタ動画を見ることだった。それはそうとしてお笑い芸人という呼称が好きではない。“笑わせ人(わらわせびと)”などとするべきだと思う。以前にもツイートしたと思うが。

そんな僕が、中1の僕が、芸人になるというカタチでテレビスターという夢にアプローチしようと考えるのはひどく自然なことだった。

ただ東京大学一年の時にNSCに入ろうという生ぬるいビジョンを思い浮かべていた。ぬる過ぎる。ぬるぬるぬるぬるぬる

ぬるぬる

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ぬるるる

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中1の終わりくらいから申し訳程度の「ネタ(笑笑笑笑)」をスマホのメモ帳に書くようになったり、、

なんか勝手にコンビ名とメンバーの氏名を登録できる芸人の知名度ランキングのサイトを見つけて、当時のSNSやLINEのハンネとして使ってた文字列をコンビ名、メンバー名に自分の氏名を登録して(コンビ、なのにメンバーは僕だけ 解散後のバカリズムかよ)、勝手にドキドキしてた。誰かが僕の氏名で検索してこれを見つけたらどうしようと。自意識が強すぎる。

こんなほぼ中2にして、厨二病を極めてるやつおる?????文字通り過ぎる。
勿論周りには一切言わない。
そしてこの病気がいつまで経っても治らなかったのだ。

決定的に良くなかったのは当時から別に「恥じてはいた」ということだ。

演芸パレードというオーディションのコーナーもあるネタ番組で、
当時駆け出しで、そのオーディションで注目されていたあばれる君が、芸人として大成して小説を書き政治家になりたいと言っていて、

同じだ…!と思ったことがある。
自分の書いたものも、知名度を武器にすれば、普通に発表するより読んでもらえるだろうし!

青島幸男みたいになりたかったのか?と言われたら割とそうだったのかもしれない。

高1の5月上旬くらいだろうか、高校の同級生に芸能事務所のオーディションを一緒に受けにいかないか?と言われた。当時の僕はそういう感じを出していなかったつもりだったが、なんとなく出ていたのかもしれない。

ダメ元で応募してみることにした。基本的に18歳未満は親の許可が必要だったが、適当に親の許可は出てることにして無断で申し込んだ。その同級生の親は僕の親よりはるかに厳しく、彼も無断で出していた。

僕は、なんらかの成果を出して、それで知られる以外の知られ方は厳しいと思った。

親に、不確実性が高い生き方をしたいという思想を持っていることがバレるのを極度に恐れていた。まぁなんにせよ僕は東大には普通に進学するつもりだったし、

(後で触れるが)
今遂にこういうことを言えるようになりかけているのは、逆にもう守られた生き方以外の道を模索する方が自然な状況になってしまったからかもしれない。

ある事務所のオーディションに呼ばれ、
大阪駅の泉の広場の上あたりにある事務所に行った。

今思えば地獄の空間だった。

かなり長いセリフが書かれた紙を読まされた。
そのセリフの中に「びっこを引かずにな」という一節が含まれていたことだけを覚えている。

つっかえつっかえ読んだ。つっかえてる部分の方が多かった。あまりにもひどい音読だった。途中強制退場くらいが妥当だった。この僕の人生という人間喜劇にあって間違いなく共感性羞恥を喚起するような一幕だった。

終わってからその事務所について詳しく調べたら、誰でも通して、レッスン料を取ることを中心に経営を成り立たせている事務所っぽかった。

合格の電話が来た。もし真っ当な審査がなされていたらそんなこと起こるわけがないだろと思ってもう出たくなかった。電話でやっぱりやめますって言うことすらキツくなっていた。逃避癖ここに極まれりという感じがする。

その同級生もその事務所のオーディションに呼ばれ、なんか歌わされたらしい。上手く歌えなかったが合格だったと。

他にも高1の頃なんかチャンスはないかなと思っていた。そんなん受かるわけないのに石原プロのオーディションの要項を毎日見ていた。僕の〝スター〟の観念にはピッタリだと思ったからだ。数学の溜まりに溜まった課題の解答をノートに自分なりの言葉で翻訳しつつ写す作業をやっていた神戸住吉のロッテリアのトイレの鏡で自分の顔の美質を探しつつ、そのオーディションの応募要項を見ていた。


まぁでも高1の頃の将来の夢は「お笑い芸人」だった。

一応当時の交際相手には聞かれて言ってしまったが、本当にそれだけだった。

中1の9月を除けば基本この手の夢想は誰にも言ってこなかったしその後も誰にも言わなかったわけで、この時に答えてしまったのは出来心のようなものだ。高1だから2015年のことだ。

その交際相手と大阪梅田のロフトの前で投げ銭入れを前に置いてる大道芸を見る流れになったことがある。大道芸人が妻子がいることを匂わせた。あの人でも奥さんと子供を養えてるのだから夏海も大丈夫やな的な事を言われた。
色々と、とてもつらい気持ちになった。とても


2017年に水曜日のダウンタウンで日本の有名人の知名度調査みたいな企画があり、ベスト100が発表された。
このランキングは島田紳助が入ってないという欠点こそあるものの、63位宮根誠司62位麻原彰晃61位羽生結弦みたいな感じで割と本質に迫っている感じがあった。
2040年くらいにこの調査が実施されたら余裕で食い込みたいよなぁ、と思っていた。
まぁその時は1位西村博之だろうな。

これはこの記事(http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/03/25/220812)でかなり触れてることだけれども(これは後述するが、東大もテレビスターも諦められた理由も本質的に同じだ。そういった変化が今年になってから各方面で徐々に起き始め、ある程度のゲージに達したら、一気に解き放たれるというのを繰り返してきた。もちろんまだまだ様々な面で過度的だけど…)、

テレビスター志望のくせに結局高校時代最も時間を費やしたことはTwitterだった。

何故か。人生の小腹満たししかできなかったからだ。

敷かれたレールを踏み外すのではなく、常に敷かれたレールから支線を出したいと考えていた僕はやはり東大には合格しないとと思い続けているのにも関わらず、ほとんど勉強しない中高6年間を送った。

そのせいで受験勉強における学力が低いことを引け目に感じてること、積み残しがあること起因の閉塞感で、受験勉強以外にデカ過ぎる時間の投資をする勇気があまりなかった。結果としてテレビスターになるための準備に手をかけることもなく、別に楽しくもない小腹満たしみたいな時間の浪費で貴重な若い時間を埋めてしまった。一つ一つは取るに足らないことだけど、積もると膨大なダラダラという時間の浪費。


まぁなんとなく東大は行けて、大学生という4年間のモラトリアムのあいだに何かしら父なり周りなりに見せられる成果を出せたらなと考えていた。それが無理ならなんとなくお金を稼ぐ手段を得て、芽が出るまで頑張ろうみたいな。(そう自分で大金を稼ぐのもまた僕にとっては非常に大事で、そういう致命的な強欲さがある。父親が経済的に助けてくれるから良いだろうと思われそうだけど。だいたい父親が経済的に助けてくれるからそういう思考回路になるんだよぜぇーんぶと言われたらそれまでだけどさ、、、(ただまだ人から父親から経済的に助けられてることを指摘されてはひどく落ち込む性質はまったく抜けてないので極力指摘しないでほしい。ごめんなさい。なんとか克服しようと頑張ってます))

この将来設計の良い加減さを自覚していた。していないわけがない。
そもそもどんな超人にも無理なことを目指してるのだから。
具体的な人生設計のある人と出会うたびに、恥じて、落ち込み、しかし自分の理想主義いやもはや夢想主義から自由になれなかった

たとえば生きてる間に車輪銀河に行きたい!となったとして、具体的な計画を立てるのは不可能だ。
ずっとワープの方法を考えて一生が終わるだろう。
それと同じことをしていた。
せめてエウロパに飛ばすロケットの話とかをしよう。
 
まぁなんにせよ、
やはり騙し騙しの敢えての近視眼は絶対大事で、
メガネ入れに鍵をかけないといけないのに、
そもそもメガネ入れすら見つけられていなかった。

それから僕がボヤボヤしてるうちに世界はどんどん悪いものになった。少なくとも、悪いものに見えるようになっていった。

文化的な分権性、欺瞞こそが本質みたいなこと、陳腐なものがいかに僕が本来受容されたいと思ってたような大衆に受容されやすいかということ、それに伴う迎合の必要性を感じ、そして自分はそれが実は本当にとても苦手だということに気づいた。
そして俺は何よりも傷つきやすい。こんなこと自分で言いたくないが。認めないわけにいけないことでもある。そしてあまりにもその事実から今まで目を背け続けてきてきた。

これらのことが目についてきた中で、それでもテレビスターになりたいという願望を決してブレさせてはならないなという謎の一貫性を有していた

そういえばここ3年くらいお笑いの賞レース以外ほとんどテレビを見ていない。家のテレビが壊れてるからだ。3年間受験生をやってきたわけで、円滑な受験勉強に丁度良いなと思い敢えて修理はしてこなかったが、この「失われた2018〜21のテレビ史」はいつかどこかで履修しておかないとなとは強く思ってきた(ここにも全時代の主要な〝文化〟を網羅しないと!みたいな完璧主義がでている)

そういえば、だいたい僕はお笑いが好きなのだろうか。めちゃめちゃ


一般人として相当好きな部類であり、ミーハーさを忌み嫌っている。真空ジェシカが売れようとしてる今好きな芸人を聞かれたら誰と答えたら良いのか困っている。この3年間あまりにも追えてなくて。
それでもライブなどに行った経験もなければ、地下芸人にも疎い。所詮YouTubeで自分好みのネタを探す自称お笑い好きにすぎない。
あと大前提としてユーモアセンスに自信がない。むしろ養成所でそういうセンスを磨こうだなんていうヌルい考えを持っていた。
本気でやるならYouTubeライブで1日3時間1人で大喜利モノボケをやり続け、スベってはなんとか改善するのを繰り返すくらいの訓練をするべきだろ。


冗談だっただろうが、高校の漫才LINEグルで、いつしかのM1の後あたりに、7年後にナツミート(当時は本名)とM1決勝で戦いますみたいな発言をベテランちさんがしてたのをずっと忘れられない。


2020年の春から夏にかけてくらい
つまり僕が3浪の時に、僕とこの世で一番仲が良い人間(そいつは僕の1歳年下で1浪で東大に入り、その年大学一年生になった)が、思ったより人生が上手くいかないことに気づき、NSCに一緒に入らないか、と言ってきたが、そんな気持ちが一ミリもないかのように振る舞った。入学金40万も払わないといけない、みたいな受け答えをした気がする。心の中では、3浪でも4浪でも5浪でもして東大に行き、在学中に自活手段を得たら、ひっそりとNSCにでも入ってryみたいなことを考えていた。ただし、スクールJCAもナシではないかもなくらいに思っていた。

未だに中2以来のメンタリティを保っていた。

理想と現実のあまりにも大きなギャップに押し潰されそうになっていた。根拠のない自信が実はそこまである方じゃない。テレビスターになれるだろうだなんて盲目的に信じられない。というか無理だなんてずっとわかっていた。
で、昔は現実的に思ってたその前前前前前前前前段階たる東大合格すら3年かかってもできず、またかなり遠いことに思われていた。

2020年の1年間は
よく、
今の僕の人生のマイナスポイントは今2千兆500くらいで、
東大に入ると、マイナス500くらいになる。そして、人生を最終的にプラス5垓で終えたい、みたいなことを言っていた。

冷静に考えて
東大卒のテレビスターになるという理想と3浪無職という現実のギャップに苦しんで漠然と病み続けてたの滑稽すぎるだろ。笑ってくれよな

山を動かすにはまずは小石から運ばないといけないのに、
常に岩肌を押しては手を擦りむいて、落胆して現実逃避。そんな人生だった。

(テレビスターが夢だった(Q

matryoshkaddicted.hatenablog.com
に続く)

テレビスターが、夢だった。序〔長すぎる前置き達〕〔テレビスターって?〕


アホみたいに長い。実際アホだからかな。こんな長くなるつもりがなかった。自己満足だと自認しつつも、自己満足的に終わらないように注意したいとは思っていたが、日々ちょっとずつ書いてるうちに完全に自己満足に満ち満ちた。こんなに長くなって恥ずかしい。誰か読んでくださる方はいるのだろうか……?序破Qシンとあります。

概略

〔長すぎる前置き達〕→
〔テレビスターって?〕→


〔“夢”(笑笑)についての遍歴〕→

Q
〔なぜ突然諦め、そして言おうと思ったのか【完璧主義の放棄】【自意識過剰を自覚】〕→

シン
〔急の晩期みたいな内容&(今後について)〕


「遅過ぎる 身の丈を知る 21」

まぁ、身の丈どうこうの問題でもないけど

21歳。山口百恵が引退した歳だけど。シド・ヴィシャスの享年だけど。この現代において、まだ人生やり直せる歳かなと思っている。信じている。祈っている。

だいたいから言って21歳でダメそうなら人生終わりみたいな感じになってる日本社会がおかしい。自分がそういう立場になると、そういう思考回路になるもんなんだな。

それでも21歳まで正当に積み上げてきた人たちは僕より報われるべきだと思うし、どうしようもないな。

これはめちゃめちゃ勇気のいる投稿。
初めて言う場所が一応匿名インターネットで良いんだろうか。
まず、全世界に向けて発信することに対して、かなり躊躇した。何度もやめようと思った。
ただ最近会った数人には話した。

なんでも自己開示すれば良いってもんじゃないとも思う。それでも知り合いも沢山見てるだろうしここで言うことにした。連投して多くの投稿の中に紛れさせるなんてこともしない。

剥き出しの自意識を全世界に晒す。

諦めることで口にできるし
口にすることで諦められる
徹底的に諦めてみて初めて自分にできることが探せる。だから言うことにした。こうやって過去の自分と訣別するのだ。まぁもう諦めたけど。
きちんと諦めたのは2021年の3月中下旬だったと思う。

諦める勇気、みたいな本があれば良いのにな。ただ、別に昔の僕が読んでも響かなかっただろう。まず手に取らなかっただろう

諦めた今でもこうやってめちゃめちゃ前置きしてしまう

他人からすれば
そうだったんだ!へー、で終わるかもしれないのに。

そんなこと思ってたのか…!今後関わりたくないぞい…!みたいな、とてつもなくデカイ感情を持たれることを異常に危惧している。これはまさに“自意識”の強さなんだと思う。

そう。テレビスターが夢だったのだ。ずっと。まったくもって嘘じゃない

少なくとも8年以上はなんらかの形で心の中に常に抱えていたことだ。

将来何になりたいか聞かれて、
中1の終わりくらいから基本
「それはちょっと人には言いたくなくて…」
と答えてた。そりゃそうだよな。答えはテレビスターなんだから。言えるわけないよ。恥ずかしくて。

僕は常識だって知性だって別に全くないわけじゃない。多分

しかし底抜けに頭が悪い部分がある。

諦めることを受け入れる方法がわからなかった。完璧主義の放棄からアプローチすれば良いのかと気づくまで21年もかかった。あまりにも愚者であったため、まず完璧主義者としての自覚を決定的に欠いていた。完璧主義という語を聞いても、完璧主義かぁ、、そういうフシも僕にもあるなぁ、、くらいのノリだった。所謂完璧主義のイメージより遥かにスケールのデカいものにすら無意識のうちに完璧主義を適用させてしまってきたからだ。

かなり歪曲した形でのピーターパン症候群だったのかもしれない。別にこの症候群は疾患ではないし。こういった在り方もあると思う。できもしない理想を仮想の目標としてしまった結果、高校卒業後何もできないという…。

【テレビスターってなに???????】

僕にとってのテレビスターのイメージって

石原裕次郎的なモノなんだよ。そういうプレゼンスのデカさ。彼はどっちかというと銀幕のスターだけど。
ダウンタウンDXのスターの私服とかそういうレベルじゃなくて。

こればっかりは多少の昭和趣味に影響されてるのは否定できないだろうな

ハナ肇クレイジーキャッツとかそういうの。今見てそれで笑うとかはないので、やはりプレゼンスに憧れてる部分が強い。

そういえば、僕自身小学校に遅刻しそうで送ってもらう車の中のカーナビに映ってた谷啓の訃報で谷啓の存在を知った。そのレベルなんよ。よく考えたら。今の若い子は知らんよな。

とにかく国民的な存在になりたかった。

しかし21世紀にそんなもの存在しない。知ってた。知ってたけど夢だった。目標ですらあった

国民国家の解体が進行していると思う。テレビスターというのはある意味でナショナリズムの象徴だ。
未だにテレビの影響力というのは意外なほどデカいと感じることも多いが、皮肉なことに、世界の一体化が進み過ぎることによって、同一国民間ですらいかに価値観が違うかが浮き彫りにされ、国民意識の弱化が促進させられている現代において(Twitterとかで同じ日本人のはずなのにあまりにも価値観の違う人間の意見がコンスタントに目に入ってしまうということです)、各個人の嗜好への適合度の高い文化的な選択を可能にするメディアが存在しているため、ひどく文化的に分権的になっていると思う。
この20年くらいで確実にサブカルチャーの最大多数派がメインカルチャーと化すみたいな傾向が強まっていると思うが、それもこのことと関係してる気がする。椎名林檎の国民的存在化とか、椎名林檎じたいの変化もあるが、まさにそれだと思う。

今年出た、朝井リョウのスターという作品がある。申し訳ないことにまだ読んでいない。積ん読が多過ぎて。ただ文庫化されたら必ず買って読もうと思っている。その程度の志ではある。その作品は、もはや国民的なスターが存在し得ない現代においてryみたいな前提に立っていて、書店で軽く立ち読みしてホンマになぁと思った。

それに
15分なら誰でも有名人になれるみたいな言葉が、もはや使い古されてるレベルのこの時代である。まさにテレビスターが存在するのとは正反対の状況

実際Twitterで流行るネタとかの消費期限ってもはや3日とかですらないと思う。誰もが肌で感じていることだ。

ただ、ずっと一縷の望みとしてポストモダンはプレモダン的になる、の法則がこのスターというものに対しても適用されないかなぁというのがあった。

例としてしっくりきにくいけど
たとえば、、
Twitterで何年も前のバズツイを何回も見かけることがある。
この事実は僕をとても落ち込ませる。


しかし、こうとも考えられる
早すぎる歯車は止まって見えるのかもしれない、ということだ。

それに加えて俺がテレビの地位そのものを回復させてやる…!という途方もない野望すら持っていた。


それでもやっぱりポストモダンのプレモダン的な要素としてテレビスターが発生することを期待することはできないなと思った。

そもそもないものを目指しても仕方ない。
なんか、ソ連の書記長が夢です!みたいなんとさほど変わらないズレ方な気がする。

大橋巨泉は、テレビが家で王様だった時代に、テレビの世界にいられたことが幸せ、と言ったが本当にそうだと思う。

(テレビスターが夢だった破
http://matryoshkaddicted.hatenablog.com/entry/2021/04/27/010705
に続く)

肌着の苦悩


本当に、泣きたくなるくらいに常識がない。

半袖の季節になって初めて「肌着」を着るようになったそんな朝、

去年の11月か12月に買い込んだユニクロの肌着であるエアリズムはすべてVネックだった。
ヒートテックが本格的に必要な気温の時以外は長袖の服の下にこれを着るようになった。

一方僕が持ってる半袖シャツはほとんどそういうカタチの襟をしてないのでVネックだと違和感がある気がした。

何が良くて何が悪いのかもわからない。

人なんて沢山見たことがあるのに
21年間の人生で周りの人間だとか街の人達だとかTVや YouTubeの中の人をこの観点から注視したことがなかった。

ググろうと思ったがスクリーンタイム制限を入れてて、あと一分機能は夜に使い切ったから無理だった。

ただででも常軌を逸した多汗症なんだからこれ以上厚着したら人生終わるだろと思っていた。
2浪の冬に初めて一番下に長袖を着ることをおぼえた。同時にヒートテック
それまで暑い室内で脱げなくなると怖いからという理由で冬でも一番下は半袖!を徹底していた。そして肌着なんて着なかった。

小2の時、担任に「シャツ着ろ」と言われたが従わなかった。
これが21歳まで続いた。
去年雷獣というYouTubeチャンネルのオーディション企画で脇汗パッドの汗が溜まり過ぎてそれを取る作業をした後、エアリズム着ろ!と言われた。
なるほどと思った。

これは2021年の11/24のことだった。

多汗症故の一番下は半袖の普通の服一枚徹底!って愚かさとしては
食後に飲めと言われてるロキソニンを反映度という観点から空腹時に飲んでしまうと
似ている

伝わるかしら