合議的人間関係


あんまり人間関係に関する話はしたくないのだけれど、
なぜならば人間関係に関することってわざわざ言語化して意識的になるべきことじゃないって物心ついた頃から思ってるから。

でもまぁ、、

以前に似たこと書いた気がするんだけど、タイトル一覧をサッと見た感じはなくて、

これは勝手に僕が造った言葉なので、、定義的な話から。。。

合議と民主主義の違いの説明を聞いた時にハッとしたんだよな

まずは合議という言葉について、

なんとなく意味わかりそうだけど
ここでは民主主義との違いについて

民主主義というのは欧米文明が発明した意思一致決定システム
ほとんどの部分の意見は一致してて、
僅かな差異に関して、徹底的に、相手の人格も否定する勢いで議論し合って、
最後は多数決で決定する。

一方合議というのは
日本の武士社会が重んじてきたシステムで、逆に集団の構成員の意見の中で僅かに一致してる部分を見つけて
まるで、それが全てであるかのように拡大して捉え、
それに基づいて軍事行動をする
鎌倉時代から江戸時代までの
武士社会というのは
戦時以外も、戦時の組織を平時化させていたため、
合議というのは一つその社会を貫く支柱だったのだ。

この民主主義と合議を同一視してしまったことが、近代日本最大の誤謬の一つであり、
その走りが公議政体論だったりするわけだ

そして、現在、民主主義を標榜しながら、いまだに日本には合議的な体質が強く残存している。

この合議的な精神

政治のみならず日常生活における個人間の関係にも適用できるのではないかと

少なくとも自分に関してはいえると僕は思ってるという話なのだ。

僕には、
世の中に気にくわない、まったくもって受け入れがたいと思っている趣味や思想、沢山ある。

しかしながら、
そうした自分とは不倶戴天の趣味思想を持っているのにも関わらず、仲の良い人間が結構いる。

相手にはその点について自分がどう思ってるか言わなかったりしている。察されたりはしてるかもしれんけど。

それ以外で、大いに共感し合える点があれば、そこをお互いの関係においての全てであるかのように振る舞っているのだ。

B'zのイチブトゼンブみたいなことですよ。