9/12〜17 日誌 秒刻みが明らかに新たな局面を迎えている。

まぁ、朝だけだけど
自転車に乗ってる時、肌に当たる空気があまりにも爽やかで気持ち良くて、流石に興奮してしまうような日々が続いている。

嬉しくて叫びそうになるのを堪えたり、堪えなかったり。

それでも歩くと汗ばんでしまう。代謝が良すぎて。天候に申し訳なくなる。

精神に余裕がないのが良くない。
危機感はいくらでも持つべきだけど。
ほとんど同じには見えるが、余裕がないのと危機感を持つのは違うと思う。
精神的な余裕は去年までは常に持ってたはずなのにな。
まぁ、本来持てるような状況じゃないのに、常にある教材を吸収するのにかかる時間を少なく見積もりすぎたり、時間が無限にあるかのような錯覚に囚われてたりしてきたからでしかないんだけど。

結局脳をフリーにさせないことが大事なのだ。勉強の悩みは勉強でしか解決できないんだから常に勉強のことを考えていたい。そのためには自習室を出てから翌日自習室に来るまでの間に脳内で転がしておけることをいくつか自習室で獲得する必要がある。

9/12
6時起床
とにかく注意散漫だった。ずっと、
今後、どのようなルーティンで生活していくか。朝走るのはダイエットとか関係なく、良い1日を送るのに必要になっている。朝や夜に家で過ごす時間を長めに設定してしまうとその分ダラダラしてしまう。しかし、かといって、過度な秒刻みをハナから想定してしまうと、全てが全く機能しなくなってしまう。睡眠に関しても、実際問題1日6時間ちょい寝られれば良いわけだけど、就床後ちゃんとすぐ寝付ける保証がどこにもないため、少し長めに設定する必要がある。どうしたらメランコリーにならない程度の勉強時間を平日に勉強できるかな。10月から大胆に変えていく。ある程度実験的に。その実験内容をどうするか。すべては習慣だ。どういう習慣を自分は作りたいのか。
ということについて考えてたせいだ。バスでは定期をかざし忘れて運転手に注意されたり、メトロ食堂外で間違えて女子トイレに入ってしまったりした。検挙される日も近い。人がいない朝でよかった。本当に終わってる。

自習室ついてからもずっと今後のルーティンについて。メモにやることと目標達成時刻のmodelを考える作業をしてた。ちゃんと決めてコピーして家のどこかに貼ろう。これが人生を救うことになると信じてる。
このルーティンをいろいろ考えた時間が無駄にならないことを祈る。

タイムラプスを撮り始めてからも紙に今後の勉強をどうしていくかみたいなことをずっと書きつけて悩んでいて、ちっとも肝心の勉強しなかった。どうせ予定なんてうまくいかないのに。
パラサイトの父親役も言ってたやん。計画を立てなければ計画倒れになることもないって。

この日は15時くらいから英会話的なやつ。

9/13
共通テスト対応力トレーニン

地歴と理科基礎、律儀に共通テスト(センターもだったけど)と同じ制限時間でやることを望んでる文系、マジで0人説というのはあるな。
かなり久しぶりにマーク模試で全教科受けた。模試じゃないけど。

最初の地歴だけ少しだけ遅れて行った。それでも、一教科目から受けたのはすごい。

8時40から18時30
ただただ嫌な気持ちになった

共通テストへの対応力が低い
何度も出題ミスを疑う瞬間があった。
松屋で生姜焼き単品でなく定食にして、糖質を摂ったのに。、例外的に、

9/14
昨日も思ったが、朝の大気が、嬉しいくらいに、涼しい。秋の季語であるさわやか。これに尽きる。1年間でここまで素晴らしい気候が存在するのも、そこまで長い期間ではないだろう。大切に味わいたい。

リスニングが本当にできないことに困り果ててるので、
本当に本腰を入れないといけない。

リスニングの勉強ってシャドーイングなどが推奨される。自習室内でできない。
家ではまず勉強に集中できないと諦めてる。できたことが人生において存在しない。

Covid-19以前は少し自習室の休憩室で音読してたが、

僕が通ってる自習室の構造が、入り口が直に休憩室に通じてて、休憩室を通って自習室に入る感じなんだけど、最近くだらない密対策のせいでドアが開放されてるため、休憩室で声を出すと自習室内に響いててできない。

あと、リスニングってかなり勉強してて不安になる。力になってる感がないので。
でもそんなこと言ってられないの2垓乗なのである。もう。

授業の後、貴重な午後の時間を使って、ネットで最近気になったリスニングの教材を書店に見に行った。

色々気になったのを見るも、当たり前すぎるが、得点へわかりやすく結びつかない。としか思えない。まず導入というか説明が長くて、これを読む勉強時間に含むわけにいかず、大変つらい気持ちになった。どうしようと。

結局何も買わずにションボリと自習室へ。時間もやばい。明日は雑務dayなのに

リスニング一気主義を、一気主義が取れる最後の機会だと考えてる十月までに、取る覚悟を決めたのに、あまりにもうまくいきそうではないという実感が発生し、精神が悪くなった。

共通テストの願書を書く。ラプスを撮りながら。放置してると精神に悪い。出身高校にも卒業証明書を送るように連絡した。
やはり短い時間撮ったラプスはなぜか圧縮する時に長くなるな。

9/15
頭が悪すぎる。
今週もまた、赤い服を着たのに赤い鞄で予備校に行ってしまった。火曜日というのはそういう日らしい。
そして、また、現代文を切ってる2限の最中に気づいた。とても嫌になった。滅亡したくなった。
今日は朝しっかり絶起して8時起きだったから余裕がなかった。
もっと多くの鞄が欲しいとは思ってるが、別に鞄を持ってる数が少なくて生活できないわけでない。だから、こういう外圧によってのみ買う機会が発生するのかもしれない。
黒い鞄が欲しかったが、リスニング教材を見に行った紀伊國屋で鞄を買おうと思ってて、適切なものがなく、白い鞄にした。先週のやつとは違って、普通にメインで使っていくつもりのものを買った。
2週連続HRに110分前と違う鞄で現れる奴になった。、と思ったが、現代文が6分延長してて遠目で教室の前の廊下を見てたら、僕のスタンスを了解してない方のチューターの姿しか見えなくて、建物を出てしまった。
こうやってもう一人のチューターとの溝が深まっていく。相手が気付いてたかどうかわからんけど。なんにせよ、HRに出なかったのは初めてだ。
それにしてもHRは非生産的な時間だ。配られたプリントに書いてることを読みあげられるだけなのに、マルチタスクができないせいで、その間何もできない。
その後は、いろいろ雑務。
月に一度こういう日を用意して、まとめてやる。
楽しいことをする!とかではないが勉強も進捗を埋めないので、精神的に良くない。

9/16
翌日の予習がハードでその割にあまり歯が立たないので精神的に良くない。自習時間で何か得た、という実感があまりにもない。明日の予習以外の少ない時間に、もっと何か東大入試の点数に確実に貢献すると実感するようなことや、翌日自習室に来るまでの1日の間に脳内で転がしておけるようなことをするべきだ。
17時50〜チューターと面談

チューター「この夏休みの自分の学習に点数をつけると100点満点で何点かな?」
僕「うーん……2点ですかね」
チューター「えぇ、、」
僕「でも、この2点は、2点は2点でも悪くない2点なんですよね」
チューター「悪くない2点」

こういった会話をした。

9/17
久しぶりに5時半以前に起きた。そのおかげで満足に走れたが、朝の時間をそこそこダラダラして送ってしまったりもした。ホントはテキパキ用意して、予備校の授業が始まるまで、予備校の近くのベローチェシャドーイングをしたいのに。これを10月くらいからは習慣化したいと思ってるが、ホントにできるのか?9時20分からもうしっかり始まってしまう授業にはきちんと間に合って参加できるけど、それ以前に自主的に外で勉強するために家から出ていく、ということができるかどうか、あまり自信がない。9月の末はこれにチャレンジしていく。ダメそうなら、また環境に色々働きかけて変えていかないといけない。

予備校で2限の授業開始を待っていたら、爆風スランプのボーカルに酷似した人物が入ってきた。サングラスにスキンヘッド。今にもリゾ・ラバを歌い出しそうな感じ。いつもの講師の代講だ。
この人物は僕が一度も出たことがない授業の担当講師で、ただ印象的な外見なので存在だけは認知していたのだ。
一度も出たことがないのは、僕が自習時間の確保のため3限以降の授業は一切躊躇わず切ることをジャスティスとしているからであり、本当に「3限以降にあるから」以外に理由は全くない。これは僕の父もとても良いことだと言っていた。仕方ないのだ。色々なことのために。
東大文系は5〜6人なわけで、しかも僕は一番前に座っている。本当に気まずかった。自分の授業は切ってるのに、この時間の授業には出てる奴がいると思われただろう。