経験としての後悔


中高時代、担任団の数学教師の授業は誰もが絶賛していた。

素晴らしい授業だったんだろう。

しかし、僕はその授業をほとんど聴いていなかった。

まず理系科目のLIVE授業というのを聴くのが苦手で、さらにすぐに内容的にも付いていけなくなり、それが解消されることは在学中なかったからである。

常に聴いてリアルタイムで理解できたら楽しいんだろうなとは思ってた。

それなのに、録音して授業終わってから文字起こしする、とかそういう発想が6年間でなぜ一度も出てこなかったんだろう

世界史なんて絶起した日に、同じ内容の授業が別の教室で午後とかにあったのでその教室の教壇にスマホ入れて録音して後で文字起こししたのに。

そして録音とかして理解してついていけるようになったら、いつか理解できるようになったのかもしれないのに

今のところ、6年間素晴らしいはずの数学の授業時間を完全に無駄にしてしまったという経験は、こういう勿体ない経験を減らすという何よりもの反省材料にできる!というふうに捉えることが、この件について考える際の一応の心の落ち着かせ方である。


本当に週に4回はあり、毎回憂鬱な50分だった。

なんて悲しいことだろう。


素晴らしいはずの授業なのに。この教師は非常に授業態度に厳しく、内職できなかったからつらかった。理解せずにノートだけ取り教師の方は常に向いてるという状況が一番退屈で苦痛だ。最後の10分強くらいは、その日の授業内容に関する応用問題の演習だが、授業内容が分かってないから分かるわけなく、解いてるフリをせざるを得ずこれも苦痛だった。

一度そのフリも苦痛で、ローマ皇帝の名前のアウトプットを落書きぽくノートにしてたら、教師が巡回してきた時、隠したのが良くなかったんだろうな、お前今何隠したんか見せてみぃ!などと言われ、見られ、メチャメチャしばかれた。教室の外に出された。これはほんの一例でホントにこの教師はメチャメチャ怖かった。厳しいし怖かった。それが日々の憂鬱の種だった。

高校時代の思い出が全て懐かしく楽しかったはずのものでも、どこか常に黒いモヤがかかってるのは明らかにこれが原因ではある。そしてこの数学教師はとても仕事熱心で、そんな彼をある意味で裏切り続けたのは本当に申し訳ない、と心から思う。ホントに。それだけ彼は生徒のために頑張っていた。

そして何よりも、そんなことに6年間も甘んじ続けた、何ら建設的な解決策を打ち出そうという動きをしなかったのが謎過ぎる。体系的に高校数学をやり直さないと!という意識が芽生えたのが高1の終わりだっただろうが、結局しなかったし、またそれとこれは別問題だったと思うし、、、