傘(三)

彼のノートを見せて欲しい、という要請は当然ながら快諾した。しかし、写真にでも撮れば……くらいのことしか言えなかった。

彼と言葉を交わして関西風のイントネーションを感じた。僕も関西出身であるため親近感がわいた。

さらに彼が講習に遅刻した理由は寝坊だという。我々がまさに絶起と呼んでいるものだ。絶起と言いたかったが、通じなかった場合白けるし、なんにせよインターネットオタクだと思われるのでやめた。それはともかくとして僕も「絶起」をよくするのでさらに親近感がわいた。彼は八時に起きようとしたが二度寝か何かをして十六時に起きてしまったというのだ。まさに僕がよくするタイプの「絶起」ではないか。

彼は四国の出身で、東京のこの予備校の通年のクラスに通っている校内生らしい。おそらく寮生だろう。そういった会話の糸口もあり、またそういった話も振ろうと思っていたのに、最後まで振ることができなかった。

彼はなぜか開成高校の人とかほとんど浪人しないんだろうな、的なことを言い出した。なぜ突然そんな話を始めたのかは謎である。彼なりの会話の振り方だったのかもしれない。

話の筋に一応は影響するので、このことも書いておく。
僕の出身高校を聞かれた。正直に答えた。こういってはなんだが名門である。極めて。彼は驚いていた。

僕の出身高校は中高一貫校ではあるが高校からの編入がある。僕が中学からか高校からかを聞かれた。中学からと答えた。彼の出身高校も同形式で彼は高校かららしい。
彼は高一の時の中学受験組に追いつくための勉強が大変だったという。そんな自分がなんで浪人せなアカンねんと言っていた。僕はそんな気持ちになったことがない。きっと一生懸命勉強したことがないからだろうな。なんだか浪人生として生きていて申し訳ない気持ちになった。

その後、僕は前の三日間で感じていた気になったことを色々話してみた。講習で隣の人の喋るという珍しい状況が起きている。

彼は休み時間の度に、猛然と僕のノートの写真を自分のノートに写していた。前述の通り僕のノートの字は大変汚いため、時々、何と書いてあるのか、という質問を受けた。

そんな中で、希望の綱であった古文の講習の日程について尋ねてみた。同じであれば先程の僕の世話好き風な提案もしやすい。しかし、違うタームだった。

そして、その時彼はこう言った

「まぁ、もう会うこともないやろ。こういうのは一期一会や」

なぜ、そんなことを言うのだろうと思った。まぁたしかに事実ではあるだろうけど。僕は彼に恨まれるようなことはしていない。決して彼の口調は冷たいものではなかった。きっとあまり何も考えずにいったのだろう。単に一期一会と言いたかっただけなのかもしれない。しかし、僕はなんともいえない切ない気持ちになった。

さらに志望校を聞かれた。東京大学文科三類だと答えた。彼は文三に行く人は実家に余裕があって、みたいなことを言い出した。またしても、なぜ、そんなことを言うのだろうと思った。僕がこの手の話題に敏感なだけかもしれないけれど。

彼は通年でこの予備校に通っている校内生なわけだけれども、そんな彼に通年の授業の教室で隣の席の人間と喋るか?という質問をした。
なぜ、そんな話をしたかというと、予備校の講習で喋るのは珍しいという話をしたからだ。彼はこれが初めての講習会だから相場はわからないといっていた。つまり一浪なのだ。かく言う僕は二浪である。昨年はこの予備校に通年で通っていた。
彼は通年のクラスでは隣の人間と喋らないこともないようだ。僕にノートを見せてほしいと言ってきたのも偶然その講座には知り合いがいなかっただけで、予備校に知り合い自体はいるようだ。ただ、隣の席が女性の場合はまず喋らないとのこと。
それに因んで、僕の出身高校が男子校であることを指摘された。そして、お気の毒にと言われた。

余計なお世話である。

強がりではない。僕の高校卒業から一年経って醸成された考えは、少なくとも自分自身は中高の人格形成期を男子校で過ごして良かったというものだ。これが男子校出身者の総意では決してないだろうし、僕だって今後考えが変わるかもしれない。しかし、現時点で僕が出してる結論は、少なくとも自分にとって最善の選択だったということだ。これは、かなり紆余曲折を経て色々考えて出した結論だ。僕は中2の時分には共学に転校することを切望していたし、そういった胸の内を中学受験の塾が同じだった女子に語ることもあった。青春群像劇への憧れは中高を通して、いや今も強く持ち続けている。そういった精神性を持ちながら、自分にとっては中高時代、少なくとも学校生活を送る場に女子がいなくて良かったと確信しているのである。
その理由を完全に説明するには一万文字は軽く必要であるため、ここではその詳解は割愛するけれど、男子校出身生活エアプが軽々しくそんなこと言わないで欲しいのである。もちろん僕だって日常生活でエアプのくせに軽々しくモノを言ってるようなことは沢山あるんだろうけれども……。

傘(四)に続く