夢は世界征服と不老不死

マジで言ってる

 

もちろん目標じゃない

 

夢と目標は明確に区別したい

 

まずは世界征服について

 

僕の小学校は厳しくて

 

なんか「完全無言下校」という恐ろしい6文字熟語の校則があったんですよ

 

6年間ね、毎日毎日下校前に運動場に下校班ごとに分かれて整列するんですよ。で、毎日ちょっとした小言を言われた後、班ごとに一列で駅に向かうんですよ。完全な一列です。やばい。(どうでも良いけど唯一声を発するのが、駅の前で靴磨き屋をしてる人に挨拶する時で、これは全員する。なんか学校に靴の磨き方を教えに来てくれる人だったから挨拶することになってた。全員が帽子を取って挨拶するその光景はまぁ良いことではあるんだけど、よく考えると異様だった)結構長い。10分は絶対かかる。

 

うちの小学校ホント完全無言が多くて、、完全無言清掃だったし、完全無言昼食だった。破ると正座とかさせられた。

 

運動場に並んだ時から家に着くまでずーーっと無言なんですよ。本とかを読めるわけでもない。

 

暇なんですよ。その時間が毎日。だから、ずっと色んな空想をしてたわけ。たとえば、インテリジェント・デザインみたいなこと考えて、この世界は知性ある何かに司られてると考えたら、その知性ある何かを司る知性ある何かがあって、その知性ある何かを司る知性ある何かが(以下無限ループ)みたいな。あとは暇だからずっと歩きながらいくつゴミを踏めるか毎日数えたり

 

そんな中でよく考えてたのが世界征服して自分が世界政府の首班になったらみたいなことだった

 

すごい計画都市で、都市全体がドームに覆われてて、その中心にある官庁にある自分の家は何重にも覆われてて、、とかその世界政府の階級は幾多にも分かれてて、それこそ冠位五千階みたいな

 

だから、ずっと世界政府が願望としてあるんですよ。当時はまだ夢見がちだったから、ほとんど無理だと心のどこかで悟りつつも、なんとかして、、!みたいなことを思っていた

 

不老不死は根底にあるのがタナトフォビア。とにかく僕は死ぬのが怖い。自分の意識が永遠に失われてしまうことに対して恐怖を感じる。死後の世界なんてあるのかないのかわかんないけど、ないかもしんないじゃないか。あとシンプルに人生において希死念慮が一回も発生したことが無かったというのもデカい。とにかく生き続けたい。そのことによる副作用のデカさ(歳を取ると1日の体感速度がどんどん早くなるわけでそれが加速しまくるとか、過去の記憶の層が積み重なり過ぎてえらいことになる。)を考えてもだ。

 

で、まぁ夢が世界征服と不老不死だからホントに幸せになれない

 

流石に夢は理想すぎるとわかってるけど、そういうのが根底にあるせいで、そうでなくても満足や認定の基準が恐ろしく高い