小3 4のクラスの「空気」が異常

最近、空気の研究、という本を読んだ。全部読んだわけでない。でも良かった。そして、小学校時代を思い出した。

多分小4のGWの時だったと思うけど、
国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部ノートに書いてくる、という異常に無意味な宿題が出た。

当時僕は従順だったのできちんとやった。
みんなやってた。

しかし、提出日に持って行き忘れた。罰として土日の間に、同内容を3倍やってこいと担任に言われた。つまり、土日の2日の間に国語の教科書の巻末に載っている熟語を全部3回ずつノートに書いてこいということだ。

めちゃめちゃ厭だった。当時の僕が有していた「リスクを冒してでも従えない厭さ」の基準はちょうど、「みんなやってるしGWのうちに1回ずつ書いてくること」と、その罰の中間くらいに位置していた。

従えないと言った。するともしこれに従わなかったら、更なる厳しい罰を与える的なことを宣告された。しかしその具体的な内容を覚えてない。なぜ覚えてないかはこれを最後まで読めばわかると思う。大した理由じゃないけど。

担任は26歳で、クラス担任を持つのが初めてで、ぽっちゃりした坊主の、力が強い脳筋男だった。

あまり詳しく覚えてないが、

僕の小学校は下校前に下校班ごとに分かれて一階で整列するんだけど
その時にもう一回どうするつもりか聞く、みたいなことを言われたと思う。

授業の後電気が消えた教室で多分10人は確実に上回る数のクラスメイト達と大いに揉めた

その教師にも言ったが、その罰の宿題をやるべきだと主張するクラスメイト達に対して
「そんな無意味な宿題をやることを親は許してくれない」
と僕は言った。
これは半分正しくて半分間違ってた。
別に小4の頃秒刻みの勉強計画を実行していたわけじゃない。十分に自由時間はありそれを削ればできただろう。ただ、たとえば塾の勉強を疎かにしてまでその宿題を消化しようとすることは許さなかっただろう。

まぁなんにせよその時の僕は根拠にできる、外的な抑圧が必要だったのだ。

それに対して、クラスメイト達は「トイレで隠れてやったら?」などと助言してきて救いようがなかった。

クラスメイトとの論争もまとまらず一階に降りた。雨が降っていたのでピロティーのようなところで整列していたら担任が僕のところに向かってきて、僕の返事を聞くなり傘で突いてきた。はだしのゲン日露戦争に従軍したという老人が指導してた竹槍訓練を彷彿とさせる突き方だった。

結局3回書いてくる宿題はやらなかった。
しかし、なんか忘れられていた。
バカらしい話だと思う。
忘れられたから、もししなかった場合に与えられる罰の具体的内容は覚えてないんだと思う。

この一連の流れの中で一番怖いのは、無意味な宿題を忘れてきたら3倍の宿題を土日でやってくるのは当たり前だというクラスの「空気」だと思った。

こういうことはもう小3 小4において日常茶飯事だった。僕の学校は2年ごとにしかクラス替えがなかったのだ。

放課後に行く中学受験塾で、毎日のように学校であったことを愚痴っていた。だから塾に行くのが楽しかったのかもしれない。少なくとも無意味な宿題に肯定的な奴はいなかった。小学校の同じクラスで、同じ塾のクラスでもあった奴とも、元々犬猿の仲だったが、この営みの中でかなり仲良くなった。彼を仮にTと呼ぶ。

2年間続いたこの担任の圧政が終わる小4の3学期の終業式。僕はめちゃめちゃ晴れやかな気持ちだった。しかしだ、
終業式の後の最後のホームルーム的なやつの最中に、突然担任が泣き始めた。
みんなで冷ややかな目で見るのかなと思いきや、40人いたクラスメイトの35人くらいが号泣していた。怖かった。卒業式とかじゃないんだぞ。卒業式でもクラスの8割以上が泣くことないだろう。
僕は泣いていなかった5人くらいを僕は今でも覚えている。担任から特にいじめられていた面々だった。伏し目がちなだけでも十分だった。もちろんTは泣いていなかった。

僕とTは灘に入り時々仲が悪くなり、高校以降は今後仲が悪くなることはないだろうという感じになった。

Tは阪医に首席で合格したが、留年した。僕は東大に4回も落ちてしまい、東大を目指すことを諦めた。

完全無言給食


「黙食」

あまり人と会話することが推奨されてない世の中になっている。それが異常だとしばしば指摘されている。

確かに、普通の社会生活がそうなってるのは異常だ。

会食時会話は禁止とか笑ってしまう。

しかしながら僕が通ってた小学校は、Covid-19とか関係なくそういうところがあった。

色んな学校生活におけるルーティンに関して「完全無言」が冠せられていた。

代表的なものが、完全無言給食 完全無言清掃 完全無言下校 だ。

僕は小学校の6年間で、何度これらの最中に声を発してシバかれたことか。僕は体罰世代の一番最後だということもあり、正座や、教室の後ろに教壇とは逆の方向を向いて立たされる(なにこの陰険な罰)ことが非常に日常的だった。
ゲンコツなんていうのもあった。ゲンコツって体罰としてベタ過ぎん??????と思う。

本当にイロモネアのサイレントみたいな感じで私語が禁止されていた。

今考えると僕はなんであんなに嫌なことに対して従順な子供だったんだろうと思うことが多いが、それでも当時その小学校の生徒で一番論外な部類だとみなされていた。

その小学校は全面ガラス張りの最上階があって、その景色を見ながら給食を食べるスペースがあった。収容人数が全校児童の数の丁度半分で、半分の児童が上で移動して食べて半分の児童が教室で食べていた。勿論不公平にならないように週ごとに入れ替える。まずこのシステムが意味不明なのに、さらに全部無言でやるという異常さがあった。

僕は嫌いな食べ物が多く、完食教育の奴隷になって、よく遅くまで食べる羽目になっていた。つまり無言で給食と向き合う時間が長かった。
色々妄想してた。
これは、はだしのゲン闇市で買った食事だというごっこ遊びを脳内でよくしてた。

こういう妄想は給食の時だけではなかった。

完全無言下校というのは
一列に並んで無言で駅まで歩き、ホームでは手を腰あたりで後ろに組み足を広げて一列に並んで無言で電車を待ち、無言で乗車するというものだけど、

PTAの保護者がこっそり監視してて、よく喋ってた下校班があれば学校に報告していた。
報告された下校班は他の児童が帰った後も残されて説教されたりした。僕たち谷町線八尾南方面は特によくその対象となった。

それでも、基本は無言が是とされていたから、歩きながら、僕はいかにして世界征服を達成するかだとか、自分が世界の王になったら東京を自分の居城を中心としたドーム状のあらゆるミサイルを跳ね返す都市にするぞだとか、役人の階級制度はどういう感じにするかだとか、いつか死ぬのが怖いというか自分の意識は永遠に失われてほしくないから脳だけの機械生物にどうやってなるかだとか、そういったことを毎日下校時考えていた。


そう、
完全無言の唯一良かった点は、想像力が異常に広がった点だ。もう厨ニ病院まっしぐらだったけど。僕が人生で初めて諦めたことは世界征服だ。

きっと意図してなかった効果だろうな。

本当に異常だった。
無言の徹底がルールだけど、挨拶もやたら推奨してて。挨拶だけは声を発して良いとされていた。
しかも挨拶する時はいちいち帽子を取ってやることを徹底させられていたから、

小学校の最寄駅の地上出入り口の隣になんかちっちゃい庵みたいなやつの中に入って、靴磨きをしているおじさんがいて、
そのおじさんを、その小学校は、小1に靴の磨き方の指導してもらうために毎年学校に呼んでて、
お世話になった人だということで、そのおじさんの庵みたいなやつの前を通る時に、いちいち帽子を取って声を出してさようなら!と挨拶するのだ。毎日。全員。

そうするように教えられたから。

客観的に見て異常過ぎる。

らぷらぷらぷす 2/16〜23

きっとTwitterに投稿する最後の勉強ラプス

東大しか受けないということは東大に落ちたらまた浪人してしまうということだ。
4浪してしまうかもしれないということをこの時期に考えるべきでないと思われるだろう。それは目の前のことから逃避してるだろうと。しかし考えないのもまた人生からの逃避だといえる哀しい状況だ。まぁでもなんにせよ、今年受かる気持ちしか持っていないというのも事実だ。
どちらにせよ勉強というのは受験勉強に限らず人生について回るものだし、今タイムラプスを撮らないと勉強できない体質になっているので、勉強タイムラプスの未来について考える。
ずっっっと僕自身思っていたことで、みんなも思ってたことだと思うけど、受験勉強に専念すべき人間が長々と日誌を書いている。違和感があることだ。しかし、そうすることでしか折り合いをつけられなかった。なんにせよこの勉強法を採用してしまう以上、受験生とは思えないほどのラプスの短さ。これに言い訳をしないと耐えられなくて。言い訳というのは必然的に長くなる。そうでなくても不特定多数に向けてただただ勉強タイムラプスという無味乾燥すぎるモノを投稿し続けることに僕は耐えられない。長らく僕をフォローしてる人間は薄々気づいていることだろうが。さらに書き始めたら色々長く書きたくなってしまう。僕の悪いところだ。こんなタブタブの駄文をインターネットに投稿しづけるのも耐え難いことなのに。なんにせよ意思に不誠実な人間なのだ。
というわけで、タイムラプス勉強法を引退する。やってた頃より明らかにひどいと感じない限り復活しない。そもそも僕はこの勉強法が好きではなく、ただ、これでしか勉強できない体質になっていてどうしようもなかったのだ。。。。

もはや@justaselfpleは本来の目的を完全に失うということだ。東京タワーみたいなものだ。


最近
本当に毎日寝過ぎてしまう。もういちいち落ち込まないけどさ。早く改善して欲しい。毎晩、結構翌朝の早起きの準備に対して熱心なのに。朝起きられないのは個性みたいな言説に救われるしかないことがある。いつか復活すると信じている。信じられている。

1日の気温差がデカ過ぎてどんな服装も適さない時期だ。


2/16火
前日9:50に起きたため全然寝付けず2:30に寝た。その結果10時くらいに起きた。空疎な1日を送ったが、22時くらいに入眠させることに成功した。

2/17水
5:40に気づいたら起きてた。今日はあんまり上手く走れなかった。朝の山手通りで吐瀉物を啄む鳩を見ても悲しくならなくなった。前はこれだけで傷ついていたのに。
最近食後の眠さを防ぐために夕食以外は軽食で小腹を満たしてつなぐようにしていた。食事をする条件はお腹が鳴った時。これにより本当は空腹でないのに単なる空腹感から食事してしまうのを防ごうとしていた。
しかしお腹は鳴らないが結構空腹なのかもしれないと思いお気に入りのパスタ屋に向かった。その道中のベローチェの鰹あご出汁パスタみたいなのが目に止まった。パスタ屋に味は劣るに決まっている。しかしいつも前を通るたびに気になっていた。あご出汁というのは、何にせよ、胸躍る響きだ。ベローチェに入る。パスタメニューがいくつかある。たらこなども気になった。かなり迷う。対象を見て食欲が異常に喚起される。本当にお腹が空いてたんだなと確信できた。お腹が鳴ったかどうかを今後本当の空腹か単なる空腹感の区別に使い続けることに対して迷いが生じた。結局あご出汁にした。前々から食べたいと思っていたからという理由だ。きちんと理由づけができてる上に、その理由の根拠が感性に基づくものなのでとても良いなと思った。
夜もローソンで買ったパスタを食べてしまった。適当なパスタで腹を満たし過ぎている。

2/18木
実に10時間半寝た。23:00就寝だったのに。6時前のアラームで一度起きる。が、耐え難い眠さ。何度寝もする。ヘンテコな夢をいくつも立て続けに見た。悪夢と呼んで差し支えない。連続して意味わからん映画を見たみたいになる。例をあげれば
「電車で異常者の隣にうっかり座ってしまう。触ってくる。腕を掴んでそれを防ごうとしたら怒り出してヤバいと思い立ち上がって逃げる。相手も立ち上がり追いかけてくる。乗客の中をすみませんすみませんと言いながらかき分け逃げる。途中に駅員が立ってて任して、と言われて勇気付けられる。それでもなるべく遠くへと思い電車の端まで逃げる。僕は電車の先頭や末尾の車窓から外を見るのが好きだ。電車は昼の海の上を走っていた。23時台の地下鉄に乗ったはずなのに。」
9時半起床。それでも寝起きは悪かった。しかし落ち込まなかった。走らなかったがそのことを受け入れた。夜はなかなか寝付けなかった。1時くらいに入眠。

2/19金
10:30に起きてしまう。今日も何度寝もして立て続けに悪夢を見た。
ラプスではなく動画撮ってしまっていると途中で気づいたけどラプスで撮り直すか迷ってやめた。23時台に今日は寝付けた。

2/20土
6時2分とかに起ききって二度寝もしなかったんたけどな。なんなんだろうな。朝ランはした。それはよかった。

めちゃめちゃ早起きしようとしてるのは、交通量が多い時間に走りたくないから。日曜日は突き抜けるような早朝である必要はないのだ、と思い0時就寝7:30アラーム

2/21 日
起き上がったのが13時くらい。二度寝に次ぐ二度寝に次ぐ二度寝に次ぐryという感じ。とにかく悪夢がひどかった。二度寝して悪夢を見てスヌーズで起きるも悪夢のせいで寝起きが悪過ぎて逆に疲れた感じするありまた二度寝してryという永遠ループ。マジで悪夢くんと化している。やめてくれ。フロイトに傾倒してしまうだろ!まぁなんにせよ最近のこの状況をいつかは改善すると信じて受け入れてはいる。

2/22月
12:20とかに起床。流石に凹む。走らなかったし何もしなかった。本当の意味で何もしなかった。

2/23火
12:20に起床。もうどうしようもない。ただただ睡眠時間が長い。5時台起きを是とする生活リズムの理想に忠実だったことも多かったこの1年間の末路が、何故にこんな生活リズムなんだろ。結局のところ6時間強寝て起きられることを前提としたシステムを構築してて、それがなぜかできてしまっていた期間が存在していた。その期間は相当調子が良かったという自覚が足りなかった。
ただ本番朝起きることはできるだろう。
まとまりを欠くし、明日どんな感じになるかわからんけど、今日で一区切りにしよう。

最近目が痒い。くしゃみもひどい。アレグラやアレジオンを飲むのは巨利を貪る製薬会社の養分になることでしかない。一方ザイザルという薬は素晴らしい。はずだった。ザイザルすら効かない。まだ、花粉量は、やや多いなのに。

正常な精神状態の再建について2/10〜15


何故か勉強ラプスを最近撮れていない。
明日から頑張ろうと思っている。
これはお茶濁しの日誌。誰に対して?


2/14日 正常な精神状態の再建について

父と会う日だった。
父は今際の国のアリスにハマっているらしい。

父と喋ったことと因果関係があるかわからないが、父と会った後正常な精神状態が復活した気がする。理由を説明するのは難しい。インタラクティヴなコミュニケーションの内容が全般的に影響を与えた。今日は去年の6月くらいから続いてた圧倒的な鬱積的な状態から一気に解放された気がする。それは最近より酷くなりつつあって、今まで味わったことのないような感覚だった。特にこんなに恒常的なものは。この解放感も一時的な錯覚とかだったら嫌だなと思った。しかし躁みたいな感じではない。シンプルに80キログラムくらいの重りを背負ってたのが7キログラムぐらいになった感じ。悩みの種だったことを依然として大問題として認識し続けてるけど、必要以上に多分にそれらについて悩むというのが解消された。このデカすぎる変化のせいで人生全体を覆ってきた漠然としてはいるが理由のある抑うつ状態も薄まった気すらする。これは流石にデカすぎる変化による錯覚だけどな。63キロの消失により7キログラムを一瞬ゼロだと思ってるだけ。まぁなんにせよここ最近ずっと心が脆くなり過ぎていた。落ち込み喚起の閾値が異常に下がっていた。ホントにこんなことで?みたいなことで落ち込むことが多かった。これから抜け出せた気がする。できるだけこのアゲ⤴︎マインドとまでは言わないが病んではない状態が長く続いて欲しいと願うばかりだ。せめて二次試験まで。街を歩いてて、何気なく立ち止まり、鳩のテリトリー争いをボォっと眺めてしまうような精神状態が続いてたが、そういう精神状態はかなり注意散漫で、勉強におけるミスの原因にもなる。特に2021年になったあたりから
今までしたことがなかったようなミスが増えてて大変自分のことが怖かった。精神状態がマシになり、せめて、低い学力を最大限に発揮することはできそうで嬉しい。
あと、最近ずっと病んでたんだなぁというのが確信に変わって良かった。それまでは、普通の人って実は常にこれくらいの精神状態で、それに耐えてるのかもしれないとか思ってたから。この重りが軽くなった状態に非日常感すらあるもん。違和感というか。まぁ絶対的に良いことだけどな。
あと父に対する意識もなんか今までから変わりつつあるように感じる。良い方向に。会って話してる時はこれらの変化は全く認識しなかったが、会った後思ったことだ。これはデカくて、今年度は父と月に2回くらい会ってるんやけど、毎回その後疲れてしまっている気がした。父と会うことと疲れを毎回因果で結んで良いのかもわからず、また結ぶことから目を逸らしてもいた。普通に自分子供として父親なことがかなり好きな方だと思ってたけど、微妙な気持ちになる部分は当然存在していていやあって良いんだけどそれが疲れという形になってたのかもしれなくて、でも今日はやっぱりこの人は良い僕の親だと思うレベルが確実に数段も上がった。実際問題僕側からの父に対する心的距離というのは実はとても近いわけではなく、中1の時とかかなり離れてたし、そっからどんどん近づいてはいて、今日また短くできたかなと思ったのだ。
他にも、たとえば、父はその場凌ぎで僕をスポイルしてるわけじゃないんだなということを、よく考えたら当たり前だけど、確信できて良かった。

ひとまず2021 2/14に記したその日の感情がそんな感じ。こんな自分の心情を長々書いてるとそれだけで病んでる人みたいやけどな。
普通に精神状態の改善のsubstantialな根拠を見つけてはないからあやうやさはあるし、普通に錯覚かもしれないけど(自分はマイナス思考をやめられると思い込んでるみたいな)まぁ錯覚でも良くてちゃんと続いてくれたら。とりあえずこれから精神状態がどうなっていくのか期待と不安が入り混じった気持ちである。

2/15月
平日なのに(社会はちゃんと動いてる)9時台に起きてしまった上に雨が降っててとってもgloomyだったが、なんとか前を向いて生きていこうという気持ちになれた。
しかしラプスを撮るほど勉強しなかった。それとこれは話が別らしい。


⭐️💫💫💫

2/10〜13←何もしない、という不善をしていた。

大量の言い訳を並べないといけない日々が依然として続いてしまっている。

2/10水
6時2分とかに何度目かのアラームで目覚めるが2度寝を繰り返す。確実に6時間前後の睡眠でシャキッと立ち上がるのが苦手になってる気がする。できてた頃どうだったけ。自分の中の違う時期における朝起きるつらさを相対化できない。ブラックコーヒーのガブ飲みとにどね、そしてスクリーンタイムのあと1分機能の消化を繰り返してたら7時くらいに急に目が冴えてきた。
今日は二日ぶりに朝ランができてよかった。最近家を出る時間を遅らせてまで走ることを躊躇いがちだけどやっぱり走った方が良い。なんやかんやで家出る時間変わってないし朝ランもせずただダラダラしてしまう日が多い気がするから。
今日も、好きな冬の空だった。突き抜けるような青さで晴れていた。朝ランさえすればこの青さの下で生きたことを無駄にせずに済んだと思える。だからせめて好きな空の日は朝ランをするべきだ。青い空から享受できるモノとして、外で朝ランをすること以上のモノって、毎日恒常的にできるモノだとあまりない気がするからだ。

昼から横浜で日本史のテストゼミ。新宿の日程は河合の直前プレと被ったからだ。久しぶりに電車に乗ると、からあげクンと一緒に夢も買えますよ、という吊り広告が目に入り誇大過ぎて笑ってしまった。

昼にカキフライがついた定食を食べた。カキフライの克服度が上がった気がする。−70くらいの時期が長かったけど、もはや+10くらいかも。

2/11木
何度寝も繰り返し8:20とかに起きる。最近ずっとこれ。10分、いや5分でも体を起こした状態で耐えたら一気に眠気は引くのに。それができなくなってる。なんでだろ。走らなかった上にそれ以外も何もしなかった。もうほんとダメな日だった。8:20って遅いけどまだどうにでもなるはずだろ。
なんかふとあごひげをピンセットで抜き始めてしまった。顎の中の一区画だけ丁寧にやってしまうと、ムラがあるのは良くない均質的にしないととなってしまう。同じようなことが太腿と膝、Iラインなどに関して起こる。結果的に全部できるわけじゃないのに。中途半端な完璧主義が世界を終わらせる。
もう僕はなんでも良いんだろうな。受験に関する厳しい現実から目を背けるための現実逃避になりうるものならば。決してやりたい!と思ってするわけではない、楽しくない、人生の小腹満たしの繰り返しをやめるべきだ。小腹満たしですらない。砂糖水を舐め続けている。そんな感じ。
勉強の悩みは勉強でしか解決できない。まずこれが端的な事実としてある。そして、そこに即効性がないなら憂鬱を紛らわせるためにせめて自分がしたい楽しいことをするべきだ。少なくとも毛抜きは救いにならないよ。

2/12金
前日よりさらにひどい。11時間も寝た。昨日何もしてないのに。デカルトだって朝に弱く、冬の5時起きがつらくて、その結果死去したんだみたいなことを言ってきたけどそんなこと言うのはデカルトに失礼な感じに確実になってきている。
前日に翌日の早い起床のためにした施策が何一つ功を奏さなかった。
ここまでひどい時期は流石に珍しい。過眠期がきてると断じて良い。
浪人生活や受験勉強は僕のダメさが発現している一つの形に過ぎないと考えているため、今後の人生のあらゆることに対して不安になる。
あと、今睡眠的に特にひどい時期だけど、そうじゃなかった時期と比べた過眠をもたらしてる原因がイマイチわからないため、解決法が不明で、ずっとこのままだったらどうしよう一生東大に通らないよという気持ちになる。

2/13土
色んなことが組み合わさり5:40に起きられた。交通量の少ない時間にもう絶対朝ランするべきだな。
受験勉強と向き合いはしたしラプスも撮ったんやけど、なんか微妙だしボツにした。ボツラプスは結構珍しい。
スリッパとカードケースと洗えるマスクを買おうという明確な目的意識を持って東急ハンズに行って1時間くらいいたのに結局何も買えなかったことで、僕はあらゆることを苦手としているなという気持ちになった。
ポイントカードとか40枚くらい収容できるやつが欲しいなと思って、そういうのは一種類だけあって、手に取ったらマジックテープで最悪な気持ちになった。普通にボタン?で良いのになんでそこをマジックテープにするんやろ。マジックテープが明確に嫌いだ。
逃避でフラッと本屋に来たとき、
学力も低いし文化的にもスカスカでどうしようもないなという気持ちになる。

了 正常な精神状態を回復してから見たら非常に正常じゃないなという気持ちになる。

正常な精神の終焉について

クラブハウスを始めても僕は延々と絶叫(リアル)をしてそうだ。

街でポケットからイヤフォンのコードを異常に引きずっている人が歩いていたが、わざと放置しているのかもしれないと思って、追い抜く時に指摘できなかった。

スクリーンタイム制限中にapp storeの「あと1分」機能でフォローチェックみたいなアプリを二つ入れてそれらのアプリも当然スクリーンタイム対象だからそれらのアプリのあと1分機能でつまり1分間のうちにユーザー名とパスワードを打って(いちいちアプリ消してるから保存されてない。いちいち消してるのはもうこんなことは金輪際しないでおこうと毎日思うから)、大体片想い一覧あたりからTwitterを開く。まだ、アレがそういえば気になるな…みたいな目的意識のもとにこれをやる時は良い。スクリーンタイム制限あと1分機能の「正しい」利用法だと思う。ただ、時々、漫然とこの一連の動作をやってしまう。何故だろう。なんとなく寂しいからだろうか。意味もなく昼前のTLのまばらな画面録画をしてギャラリーもスクリーンタイム制限下なのでカメラを開き左下を押して直近の画像一覧からその画面録画をゆっくり追って後でアレ後でスクリーンタイム解禁中にファボろうとか思って忘れないようにスクショしたりした後削除する。この一連の営み。空疎すぎる。空疎さに耐えかねて最後までいかないことは多い。普通にフォローチェック開いてユーザID打ってるあたりで俺何やってるだろうとなり閉じてアンストすることが多い。まぁパスワードとかの入力を一回でもミスったらその瞬間閉じるよな。その瞬間だけ正常な精神を取り戻す。

それでも。こんな限界ムーブをやってても。スクリーンタイム制限は俺はした方がまだマシだと思っている。


ためるメモっていうフォルダに
色んな人に関して、直接会ったときに言いたいリストみたいなんを作ってるんやけど
過去の自分のそのメモを恥ずかしくて見られないためどうしようない

聞き上手を目指そうと思ったのは多分中2中3くらいの時。多分結構上手くできるようになってた時期も一度くらいある。でも最近はもう全くダメになった。なぜか。人に対して浮かぶ質問の大多数に対して、立ち入った質問なのでは?と思ってしまうようになったからだ。実際多分そうでもないことが多いのに。だから自分を切り売りして会話をつないでしまう。

何かを好きだ、と言うためには相当詳しくないといけないという観念がかなり発達しつつある。捨てた方が良い気もするしやっぱり捨てなくても良い気がする。

それまで長らく存在していたのに、この歳になって初めて知り、良い…!と思ったものがあると、少なくとも自分にとって有名の基準はは自分自身が知ってるかどうかなので、こんな素晴らしいモノがあまりメジャーじゃないなんてと世に対して陰鬱な気持ちになる。メジャーであることが良いことだと思い過ぎている。

見城徹wikiを読んだらなんで僕はこの人を知らなかったんだろう今までという気持ちになり鬱になった。

ダラダラしたい…!と思ってダラダラしてるわけではない点が非常に問題の解決を困難なものにしている。

近代以降に登場した人類の中で最も人生が詰んでいるのでは?という予感が確信に最近変わった。

今年受かるつもりやけど学力が足りてないのであとちょっとやん(時期的に)とか言われても、フィーーーってなる。

逆張list故に、ある件が一番話題な時に言及を避けてしまい、色々な意見を見た上で耐えきれずちょっと後でダラダラチョコチョコ言及してしまうただの遅れてる人になってしまうことがある。

今度美容院に行くときは、ランジャタイの伊藤さんの写真を見せて、これにしてくださいって言おう。

人の選曲に対して、古っ、とか、渋っ、とかみたいな感想しか述べてくれない人間を無条件に軽蔑してしまう

僕の希死念慮不在コンプは不幸自慢に揉まれ続けた結果な気がする。

↑学費親持ち仕送り10万で病んでるとかほざくなみたいなツイートが定期的にバズるけどけどいつになったら日本人は不幸自慢をやめられるのかというお気持ち、みたいなツイートを見た時に思ったことやけど、アレをふぁぼらなかった理由は、ほざくな側に対してその通りだ!と思うから、というのと、不幸自慢をしてるのって果たして日本人だけなのか?わからない。少なくとも裏付けが取れてない。日本人主語なのが気になるというからだな。

ラブリーサマーちゃんのAH!をよく聴いてるけど、歌詞の「華の無いに愛想ない」という一節をずっと「鼻の無い(低いってこと)」だとずっと思っててよく考えたら違うなって思った僕怖い。

A BORN LOSER2/6〜9

口癖は マジで人生 どうしよう
哀れな 三浪 ナツミート です。まだ愚かなほうが良かったな。マジで人生詰んでる。人生が詰んでるのは実は生まれてからずっとで、そのことが急に現実から目を背け続けた僕の目にもはっきりわかるくらい顕在化し始めた。まぁそれは僕が変わったんだけど。当たり前だよな。僕の人生なんだから。

鬱積とした気持ちを実際問題人前で言いたくない。自分にも世界にもメリットがないからだ。人前というのはもちろんSNSつまりここに書くのも含む。だから最低限にしたい。極力メモ帳にだけ書く非共有物として眠らせたい。落ち込んでいたって誰も助けてくれない。

2/6 月
いくらなんでも終わってる。なんでこんなにダメなんだろう。8:30に起きてしまいそれによりすべてがダメになる。

2021年の日記、というiPhoneのメモ帳のフォルダが1/19くらいに1/1〜17に突如どこかに消えてしまい最近削除した項目というところにもなく非常に落ち込んでいたけど、なぜか今日朝起きたら全部復活してて歓喜した。でもなんで勝手に消えたり復活したりするんやろ。iPhoneのメモ帳メンヘラ製造機かもしれない。

昨日の東大直前プレの英語の1Bの文章がかなり刺さった。僕が気をつけていくべきことだなぁと思った。かといって極端に左右されすぎるべきでもないけど。ベタな話やと思うけどな。いやたかが受験勉強の英文に心動かされるなよ。でも、なんだろう16歳で読んでも何も思わなかったかもしれない。今エンカウントしてよかったと思う。
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自分がうっせぇわを聴いてるという事実のイタさに頻繁に恥ずかしくなって笑ってしまう。それでも聞き潰すまで聴いてゆきたい、

人生における価値観がかなりの大転換を迎えてる。今まさに過渡的な感じ。近世の終わりに立ち会った人たちがおそらく味わったであろう感覚。

2/7 日 A BORN LOSER

今日も国民の中で群を抜いて生産的であるということから遠い場所にいた。本当に終わってる。

今日髪を8回切ろうと思った。それでも伸ばそうと思った。次美容院行く時なんて言うかわからんけどな。髪を切りたい理由は結構沢山ありここでは言いたくないものもいくつもある。正直自分の手でバリカンで始末してしまいたい気持ちすらある。そうなると既にネット予約ではなく(つまりキャンセルするには電話しないといけない)入れてしまってる2月末の美容院の予約を、衝動的に坊主にしてしまい、、って電話してキャンセルしないといけなくなる。

今日、大学受験を4浪して東大ダメならとかではなく今年でやめようと276715回くらい思った。まぁあと3週間とかやし今年はなんとか走り抜けるけど。でもやっぱり東大に受かるまで続けようという気持ちになぜかなぜかなった。

結局変化を怖がる嫌う性格なのかもしれない極度に。近代の終わりに立ち会った時に絶対に生き残れない。


2/8月
異常に今日も朝眠かった。朝走ることを諦めた。なんでこんなに家から出るのが苦手なんだろう。

なんか今日も締まりがない感じになってしまったなぁと漫然と人中あたりのヒゲをピンセットで抜き始めてしまった。痛いけど妙にクセになるからいけない。剃るという処理方法とは違い結構キレイにはなるというメリットもあるし。なによりも一部抜き始めてしまうとここでやめると中途半端な感じになりよくない!という思考になり全範囲やることを正当化してしまう。そう膨大な時間がかかる。こんなことすら現実逃避と機能してしまっているのが悲しい。そもそも直前期にしょうもない現実逃避をしてる自分が厭過ぎる。
それでも顎はやらなかった。流石に疲れたからだ。
電動剃刀を顎に当てた。これはいつもだ。でも人中あたり割と綺麗になったんだしこっちも結構徹底的にやろうと思ってしまう。顎の皮膚各部位を広げて強く押し当ててしまう。触る度にまだザラついてるなと思い何度も何度も強く押し当ててしまう。めちゃめちゃ後悔してる。やってる時、かなり悪いことが起こる可能性が頭になかった。所詮電動だしと思ってた。良くないのでは?と思ったときにはもう遅かった。顎の下のあちこちから出血している。とてもヒリヒリする。首を掻き切った人みたいになってる。なんて愚かなんだろう。どうしようもない。自業自得という言葉は嫌いだが(いや日常生活レベルの観点で世界を捉えた時には感覚として大いに正しいとは思う)いわゆる自業自得でしかない。

また自習室に行くのが昼過ぎになってしまった。

マジで人生どうしようと思っている。自分の力ではどうにもならないのだろうか。こんな自業自得な悩みを発表しても仕方ないんだけど、本当になかなか家から出られなくなってる。何をしてるわけでもない。ただ無駄なことをしている。

2/9火
また8時間以上寝てしまった。何でなんだろう。朝起きられるかどうかって運な気がする。最近意外性のある起床失敗、絶望する資格のある起床ばかりだ。一方で、これは二度寝してしまっても仕方ないなみたいな夜の過ごし方をして起きられたことだって人生では多くあるのだ。

言うても昔の基準だと早起きはできてるのに5時台起きを理想化してるせいで、そうじゃないと、締まりがない1日の始まりだなと感じてしまい無意識のうちにダラダラしてしまうのマジで終わってる。

めちゃめちゃ今日も晴れてた。俺は空の青さを毎日無駄にしてる。そんなやつ結構沢山いるかもしれんけど。

カラッポポポポ


たとえば僕は

マネーの虎を見たことがない、新宿スワンを見たことがない、家政夫のミタも一部しか見ていない、雪国を読んだことがない、タランティーノを見たことがない、読んだはずなのに火車のあらすじ忘れた、アルジャーノンに花束を山下智久主演のドラマで見て原作買ったのに読んでない百年の孤独を中学生の頃からずっと積ん読している最初の数ページは何度も読んだ、タレーランの生涯にそこまで詳しくない断片的すぎることしか知らない、ワンピースを読んだことがないなんかの遠足かなんかの帰りのバスの中で流された映画を途中まで見たとかそのレベル、ドラゴンボールエヴァも漫画で一周しただけだアニメを知らない芸人がモノマネしててもピンとこない、101回目のプロポーズを見たことがない、東京ラブストーリーを見たことがない、古畑任三郎を再放送で数話しかみたことがない、花より男子ドラマ最高だったから漫画も読みたいけどまだ読めてない四月は君の嘘漫画良かったから音楽あった方が良いだうしアニメで見たいけど見られてない見たい作品が多すぎて一つの形態で摂取してしまうとその作品の他の形態での鑑賞は色々網羅した後だなとか思ってしまう五胡十六国時代の歴史に疎い資本論を読んだことがないニーチェの作品を一つも読んだことがない純粋理性批判を読んだことがない死に至る病は一浪時に数ページで挫折してしまった国富論を読んだことがない聖書をろくに知らない源氏物語も詳しくない詳しくないとかのレベルじゃなくて前東大直前プレテストで光源氏の子供として成長したという注しかなかったせいで薫を女だと思って考えてたせいで致命的な誤読をした本番じゃなくて良かった薫って中性的な名前やん…!火の鳥ブラック・ジャックリボンの騎士もロクに知らんソードアート・オンラインを知らない物語シリーズを知らない七人の侍を見たことがないシェイクスピアの戯曲を一つも知らない杜子春のあらすじどんなんだっけsyamuさんの動画すら中途半端にしか見てこなかった萩原朔太郎の詩をちゃんと読んでこなかったスプラトゥーンをしたことがないししたいと思ったことがない、ドラクエをしたことがないツムツムはしたことがあるが下手だチュウニズムも下手の横好きだった野球のルールも少し怪しい少なくともパッと途中からテレビで見てどういう状況かわからんスクイズわからん敬遠わからん、まず自信のある球技がない、水泳と走り高跳びの背面飛びは昔人よりできたのに今はできなくなったなんでだろ、将棋もチェスもマージャンもルールわからんウノすら知らんトランプもほとんどわからんオセロもあんまり強くない遊戯王カードを一枚も持ったことがないポケモンを一匹も知らないのも同然だヘアセットが上手くできない異性にモテない3年浪人してるのに東大に受からないかなり学力が足りてないその期間色々自制してきたのに受験勉強もあまりしなかった何もしなかったなんなら中高時代も言うてそうだった東大志望なのに学力が足りてなかったからだから好きなことへの思う存分の時間の投資もしなかった2018年からほとんどテレビを見ていない見ていたいのに漫然と見なくて良いから厳選録画したものを毎週消化する習慣は欲しいのに。クラブに行ったことがないダンスが踊れないスノボができないサーフィンができない顔が良くない!!!一重瞼な上にエラが貼ってて口元が少し出ている滑舌が良くない緊張しいだし背が高くない普通にホストとかにめちゃ憧れるんだが汗が良く出る寒さにも弱いヒゲがすぐ伸びるまず濃い浪費家なのに将来お金を沢山稼げるかどうかかなり不安だ親に養われてるめちゃめちゃ養われてる浪人が一年で終わると思いながら父が契約してくれた東京の部屋に住み始めたが3年間も浪人しているすぐダラダラしてしまうしたいことがあってもなぜかダラダラし続けてしまう今しなくて良いことをしてしまうやるべきこともやりたいこともやりたいしやるべきことも全然取り組めないダラダラしてしまうからしたくもないダラダラばかり嫌いな食べ物が多い料理があまりできない食後歯間ブラシデンタルフロスコーヒー水のルーティンに病的にまで固執してしまう喋りが下手だ自分というソフトウェアが入ってるのがこの鏡に映る自分なんだなぁなんか気持ち悪いな違和感がある何も変なことないはずなのにうーんみたいな感じになる無駄な時間が5歳くらいからかなり頻繁にある1日に2回以上ある時もある日記を毎日つけ始める前の2019年以前の自伝をはやくかきたいのに受験生活が終わらないし終わったところでその作業を自分がちゃんとする自信が持てなくなりつつあるラジオをあまり聴いたことがないマルチタスクができないのに聴覚情報だけだと手持ち無沙汰に感じてしまう精神性が全ての誤りラジオもロクに聴かないから偉そうにお笑いを語れないラーメンズのコントをあまり見たことがないダウンタウンの過去のコント番組をあまり見ていない放送室も聴けてないエロゲを一つも知らないキムギニョンの作品読んでてそのせいでわからない箇所があって嫌だった
サブカルチャーにもメインカルチャーにも疎い物理化学がわからないまったくわからない中高でちょっとはやったのに歌唱力が低い昔よりマシになったけどそれでもリズム感と音域が致命的音程もあまり取れない中高ほぼ4日に1回ヒトカラに行きボイトレも週1、30分とか通ってたのに白日を歌っても白日じゃないみたいになる白日に限らずダメすぎる弾ける楽器がないカスタネットも怪しい絵も下手だ最近描くのは好きになりつつあるけど今更感あるだろ、メンタルが弱い、人を傷つけるのが苦手だその優しさはただの自分の自信のなさからくるのかなと思ってたけどよくよく考えるとそんなことはなくてそれは少し救いだけどなんにせよ人を傷つけるのが苦手すぎて自分が損してしまうそのせいで自分の思い描く未来が実現できそうにない色んな場所に行きたいと思ってるのに旅行経験が少ない学力に後ろめたさがあるせいで時間の投資をあまりしてこなかったその上で腰が重いからどうしようもない立案実行の能力を著しく欠いているプレゼン能力がない英会話が一ミリもできない国際政治への理解が浅い時事ネタもかなり疎い経済の動向もよく知らんまず見方がわからん麻雀をやったことがな〜い

これは2021年2/6のことなんだけど、いや去年の暮れくらいからデニムのスキニーパンツにハマってて、なんかシルエット的にも嬉しいし、なんか今や逆にピチッとしたパンツじゃないと気持ち悪いくらいの感覚になってて、これはかなりの大転換で逆にそれまでの人生でキツキツのズボンは嫌だ!みたいに思ってたから。で、さ。洗濯したらなんか白い線が入ってるわけ。いくつも。なんなんだって。ずっと、スキニー 白い線 でググろうググろうと思いつつもスクリーンタイム制限があるから後回しにしてきてしまって、ようやく2/6の夜のスクリーンタイム解禁中にググったわけだ。そしたらなんかこれ白化と呼ばれる色落ちで、洗ってる時に洗濯槽にぶつかって傷がついてるんだって。だから裏返して洗わないのは論外だし、洗濯ネットを使うべきだし、エマールとかで洗うべきだし、脱水をするべきじゃないんだって。色々な意味でショックだったよな。21歳になるまでこの注意点に情報として巡り合えないような人生を送ってきてしまったという事実にショックを受けたよ一番は。というか、何を言ってるんだ甘ったれるなということやけど、洗濯という作業はやはり面倒だな。本当にシンプルな洗濯はまだ許せる。許せるとかどの立場で喋ってるんだお前は神かみたいなとこがあるんだけど。もうね、いちいち洗濯ネットに入れるとかそういうのがダルくてダルくて…そういう生活の中のちょっとしたプラスアルファアクションがを難儀に感じてしまう。さらにスキニーデニムは他のやつとは別に洗うべきだとか書いてるからもうかなわんわけ。洗濯機に洗濯したいものを入れていく。溜まったなぁと思ったら回す。この一連のラクな流れから逸脱した動きが入ってしまう。いやーー、もうね、こういうのを厭がらない意識に変えていかないといけない。他にもドラム式で乾燥までやってくれることに甘えすぎてるから。脱水ダメだ🙅‍♀️🙅‍♂️😡とか言われると、ひゅう、。、ってなる。脱水せずにちゃんと乾燥できるんかなぁみたいな。いやだからこそ単体で洗ってそれは干すみたいな。でもそれだけのために回すのって耐えられなくない?とか一瞬でも思ってしまう。。。、こうやっては、その記事から得られた情報を一つずつ分けていちいち感想を述べると実は耐えられる気がしてきたんだけど、一気にその記事から色んなことを言われると一気に色んなことを思ってしまって2/6の夜は鬱病になった。やはり困難は分割しなければならないな。

音楽に死角を作りたくないのに高校時代そんな指標がなんなんだって言われそうだけど日本や世界の歴代トータルセールスの追える限り上位のアーティストは把握しようと努めてきたけどそんな商業的な視点しかないから21歳になるまでゆらゆら帝国を知らなかった韓流もBoAさんを三曲知ってる程度だ2000年代中盤のBoAさんを韓流に含んで良いのか?とにかくかなり疎いジャンルが多い普通の人があまり詳しくないが床屋談義できる程度の知識は持ってるようなジャンルでほとんど知らないというのが結構あって怖い

終わりなき日常を生きられないはずなのに終わりなき日常にならないための対策ができてないまぁ人はどうせいつか死ぬから良いんですけどね時々そう虚無的になれるけどやっぱり嫌だbigになりたい人間の本能って罪深い

人生において小腹満たし以下の砂糖水を舐めるようなことしかしてこなかった

文化を沢山摂取したらすごいということはないと思う本とか沢山読んでても空っぽのやつはいるそもそもフィクションとか現実の役に立たんやんあと普通に娯楽として楽しむよという人も多いわけで網羅性を求めること自体ナンセンスだと思われるかも。それでも…僕は…こんなに文化に疎いことが許せないそんな自分を恥じている文化の摂取に時間を投じられなかったその対価になるようなすごみもないのに。少なくとも自分の空っぽさに耐えられない。約20年間こんな気楽な身分でこんなザマなのに、これから先予想できる結果は暗い。

ここにかいてることすら虚栄心バチバチで現実の憂慮の6割5分くらい

どう考えても「時間」というものに対する捉え方の感覚が完全に終わってる。逆メリハリみたいになってる。あと体系的に網羅することを目指し過ぎてる。これはもう文化とか勉強とかあらゆることにいえる。そうなんだよ。中途半端な完璧主義は身の破滅に繋がるんだよ。

でも正味僕が今あげたものを全部達成してる人って世の中に一定数存在してるよな。人は風船みたいなもので凹んでるとこがあったら出っ張ってるとこもあるとかいうけど、それは嘘で多くの人に完全に負けている。

という気持ちをもって日々生きているけどみんなはどう?どれもこれも「そうはいっても貧困にあえいでるわけでも理不尽な抑圧を受けているわけでも何かを患ってるわけでもないのに病んでる的なことをほざくな」と言われても文句は言えないようなものだ。まず少なくとも人に共有するべきような類の鬱積ではない。だから暗くなるのは道理に反しているとも思っている。しかしこの一連の思考には二つの誤りがあるとも思っている。一つめは人同士の幸不幸は相対化できない、もう二つ目は一つ目からの連鎖なんだけど、だから自分が他人が持ってるのに持ててないものがあっても、その他人が自分よりその他人の中で幸せだとは限らないから羨む必要も幸福という観点だとない。これらは頭では了解してることだ。いつか感情レベルに落とし込めるといいな。でも向上心は失わないような形で。ただほんと今の僕(というか今までの人生すべて)は向上心のアナフィラキシーショックみたいな感じで鬱鬱鬱になってるから。

って2021年2月7日にふと思って打ってしまった(推敲とかまったくしてないごめんいや共有せんつもり20年後とかの僕に向けた備忘録)

入試前に不安になってこんなこと打ってると思われるのが厭過ぎて入試の後に公開しようかな。あんまり意味がないラグだけどな。どうしよう。